2017年12月31日日曜日

2017.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2017

東京文化会館 大ホール

● 7年連続7回目の拝聴。もう今年でやめようかと思ったことは以前にもあった。が,今回もこうして聴きに来た。
 っていうか,チケットは7月に販売開始されるんだけれども,その発売初日に“ぴあ”で買っている。要するに,聴く気まんまんだったわけだ。

● 過去6回のうち,4回はヤフオクでチケットをゲットしている。大晦日のことなので,7月時点では行けるかどうかわからない。不確定要素が多い。ので,12月になってからヤフオクでという流れ。正規料金の倍を出してC席を買っていた。
 あとの2回は正規にA席を購入した。やはり12月近くになってからのことなので,その時点ではS席とA席しか残っていないのだ。

● が,今回は発売初日にC席を買ったよ,と。行けなけりゃ行けないでいい,行きたいのならチケットは買っておけ。
 4階右翼席の1列目。C席はおおよそ4階の左翼・右翼席が充てられている。ここは2列あるんだけれども,1列と2列では天国と地獄ほども違う。両方とも経験して,そう思う。
 昨年は3階席の3列目だった。ここはA席になる。それをモノサシにすると4階右翼の1列目がC席なのは,すこぶるお得だ(この演奏をこの席で5千円で聴けるのは,ほとんどタダに近い)。ゆえに狙い目。ただし,発売初日の,しかも早い時間帯に売れてしまうのじゃないか。

● というわけで,ぼくのチケットは5千円。開演は午後1時。
 指揮は今年も小林研一郎さん。管弦楽は「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。今日1日だけの臨時編成のオーケストラ。コンマスは篠崎史紀さん。この布陣は,ぼくが聴きはじめた7年前からまったく変わっていない。

● この演奏を聴く度に思う。自分はこの演奏を聴くに値する人間だろうか。この演奏を聴いていいだけの1年間を過ごしてきただろうか。
 この問いにイエスと答えられたためしはない(自分だけではないと思いたい)。そんなヤツは家でCDでも聴いとけ,とわれながら思わぬでもない。のだが,年に一度の分に過ぎた贅沢を自分に許してもよかろう,と,ウダウダと考えている。

● だが,今回はどうも乗れなかった。29日,30日と都内のホテルで過ごした。自宅よりもよほど高価で寝心地のいいベッドだったにもかかわらず,どうも眠りが浅かった。少しボーッとしている。
 加齢の然らしめるところかと思うけれども,この状態が4番が終わるまで続いた。ステージと自分の間に一枚の幕が下がっているような感じ。隔靴掻痒感。何度も聴いているはずなのに,初めて聴く曲のような。
 4番が終わったあと45分の休憩があったのだが,それでやっと幕がはずれてくれた気がした。

● そのような状態だったのだが,1番は9つの交響曲の中で最もたおやかというか,女性的というか。ベートーヴェンって両性具有だったのかと思ったりね。
 3番は葬送行進曲が染みた。自分の葬儀のとき,この楽章を流してくれるように遺言しておこうか。いや待て,自分は死んでいるんだから,聴くことはできないじゃないか。それ以前に,自分の葬儀があるかどうかもわからないではないか。孤独死になるやもしれぬじゃないか。

● 三枝成彰の今回のトークは,長調と短調について。といっても,どちらかというとベートーヴェンの以前と以後の作曲家の話の方がメインだった。
 ベートーヴェン以前の作曲家は職人で,世襲される職業だった。作曲は技術だった。だから,たくさんの曲を作ることができた。
 ベートーヴェン以後は,作曲は芸術になった。定型をはずして,今までになかったものを生みだすことが重視されるようになった。ベートーヴェン以後,父親も作曲家だったという作曲家はひとりもいない。聴衆も先が読めない音楽になった(われわれはCDで聴けるからその先がどうなるかを知っているけれども,当時の聴衆はそうはいかない)。それがロマン派の特徴。ま,そういう話だった。

● この演奏会では,9番を別にすれば,5番と7番が熱演になることが多い。曲の性質がそうさせるのかもしれないけれど。
 で,その5番だ。45分の休憩でこちらの体調も整った。どんな演奏をしてくれるのか。
 やってくれるものだ。アタッカでなだれこむ第4楽章冒頭の爆発。圧倒的な爆発なのに,音がいささかも乱れない。はぁぁぁと思うしかなかった。

● 6番は曲そのものがあまり面白くない。というと,自らの未熟を晒すようなものかもしれない。しかし,面白くない。

● このあと90分の休憩。これがまずかった。アメ横の「モツ焼き大統領」でハイボールを飲んでしまったのだ。しかも,ダブルで2杯。われながら何をしているのかと思うんだが。
 ほんと,何をしているんだろう。こんなことをしてたら,このあとの7~9番は捨てたも同然ではないか。いかん,いかん。

● 会場のロビーでもワインやビールが売られている。このコンサートの聴衆は日本全国からやってくる(のだと思う)。S席は2万円なのだ。オペラほどではないにしても,会場には華がある。そのコンサートを聴きに来ている私”を演出するのに,華やかな人たちがごった返すロビーで,ワイングラスを傾けたくなる気持ちはわからないでもない。
 けれど,やめておいた方がいいと思う。ここは演奏に酔う場であって,アルコールはその妨げにしかならないだろう。
 と,先の45分間の休憩のときに思ったのだよ。にもかかわらず・・・・・・よりによって「モツ焼き大統領」だよ。

● それでも,7番は何とかアルコールを退けて聴けたかもしれない。いや,ダメだったか。素晴らしい演奏だ。それはわかる。
 が,わかったその先に自分がいない。ふぬけている。ダメだ,ダメだ。アルコールは全然ダメだ。

● 8番になる頃は,アルコールが暴れだした。ベートーヴェンの中でも8番は独特の味わいがあるのだ。タッタラタララァン,タララララララン,なのだ。
 「モツ焼き大統領」のおかげで,それが台なしになった。しかも,言っちゃなんだけど,ここのモツ焼き,さして旨いわけでもないぞ。って,自分が悪い。何といっても,自分が悪い。

● 45分の休憩のあと,9番。合唱は例年どおり武蔵野合唱団の皆さん。ソリストも昨年と同じ。ソプラノは今年は市原愛さん,アルトは山下牧子さん,テノールは笛田博昭さん,バリトンは青戸知さん。
 この時間帯に声を出すのは,なかなか大変だろうと思う。のだが,結果はそんなものを吹っ飛ばしてくれる。
 オケのスタミナは何ごとか。憑かれたように,飛ばしに飛ばす。飛ばすけれども,精緻さが損なわれることはみじんもない。
 クソッたれが。飲んでさえいなければ。

● いや,飲んで神経を鈍くさせたうえでの,音楽の楽しみ方もあると思うのだ。いろんな聴き方があっていいのだ。
 まるでステージと対峙するような,あるいは演奏を批評しようとするかのような,ギラギラとした聴き方だけが音楽の聴き方ではないのだ。神経を研ぎ澄ませるばかりが能じゃない。少し酔ってユラユラと聴くのもありなのだ。
 ただ,それをするには,ぼくはいささか以上に貧乏性のようだ。そんな聴き方は死ぬまでできないだろう。

● つかぬことを伺いたいのだが,この演奏会って練習はどうしてるんだろう。まさかGPはやらないと思うんだが,年末の忙しい時期に,練習の時間が取れるんだろうか。かといって,ぶっつけ本番でもないと思うんだけど。少なくとも合唱とは合わせなくちゃいけないだろう。
 当日の午前中にすべての練習をやるんだろか。とすると,合唱団は数十分の出番のために,朝から深夜まで拘束されているのか。

● という次第だった。こうして2017年は終わったのだ。まるで今年の自分を象徴するような凡ミスを繰りだしてしまったのだった。
 クラシック音楽を生で聴くのが,ささやかな趣味。今年は65回。ひと頃よりだいぶ減っているが,これでもまだ多すぎると自分では思っている。
 アマオケ中心なんだけど,どうしても東京に引き寄せられる。が,来年はできるだけ地元(栃木)に沈潜したい。
 聴きたい欲を100%は満たさないように自分を抑えたい。ここでも腹八分目がいい。貪ってはいけない。

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