2016年5月6日金曜日

2016.05.05 宇都宮北高等学校吹奏楽部 第30回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 30回目ということで歴代の顧問の先生が登場した。といっても,二人。学校の先生は同じ学校に長く勤めるんだね。
 で,ぼくはといえば,この高校のこの演奏会は5年連続で5回目の拝聴になる。30年の6分の1にはつきあったぞ,と。たった6分の1だけど。

● ともあれ,この演奏会は黄金週間の定例行事になった。そうなると,黄金週間にどこかに出かけようなんぞとは思わなくなる。
 ま,子供が大きくなってからは出かけることもなくなってるんだけどさ。この時期はどこに行っても混雑がひどい。混雑してるってことは,乳幼児の泣き声をはじめとする諸々の雑音も受忍限度を超える大きさになるってこと。出かけていいことなど何もない。出かけないですむんだったら,出かけないほうがいいよね。

● 開演は午後1時半。チケットは800円(前売券の自由席)。30分以上前に長い長い行列の最後尾に並んで入場。この時点で当日券は完売になっていたようだ。
 例年,この演奏会は宇都宮市文化会館で行われている。その文化会館が改修工事で使えない。で,こちらの総合文化センターになったのだろう。文化会館に比べると,総合文化センターの収容可能人員はだいぶ少なくなる。

● 恒例の3部構成。
 まず,第1部。プログラムは次のとおり。
 ショスタコーヴィチ 祝典序曲
 J.シュトラウス 喜歌劇「こうもり」セレクション
 ベルリオーズ 幻想交響曲より第5楽章「サバトの夜の夢」

● 昨年も「祝典序曲」から始まっていた。2年連続だ。
 呆れるほど巧い。そうとしか言いようがない。どうやったらこれ以上の仕上がりになるのか,ぼくには見当がつかない。
 それでも東関東を突き抜けて全国に駒を進めるのは,決して容易ではないようだ。となると,全国に出てくる高校の吹奏楽はいったいどんなものなのか。

● 「こうもり」は前顧問の菊川祐一さんが指揮。OB・OGも加わっての演奏になった。
 吹奏楽の守備範囲っていうのを考えさせる。つまり,どんな曲でも吹奏楽で演奏できるんだろうか。
 どうやらできるっぽい。バッハのシャコンヌにだって吹奏楽版があったはずだ。向き不向きはあるにせよ,吹奏楽で表現できない楽曲はこの世に存在しないってことでよろしいか。

● 幻想交響曲第5楽章は前々顧問(と思われる)の岩原篤男さんが指揮。現顧問の田村さんがOGとして演奏の列に加わった。
 この曲は,ベルリオーズが何を描こうとしたのかってのを予め承知していれば,そこに引きつけて聴いていくことができるけれども,そこを飛ばしていきなり聴いたらどう感じるか。
 相当に大昔の記憶になるんだけど,最後まで聴くのにかなりの忍耐を要した。どこが“幻想”なのか,ぜんぜんわからなかった。聴き手の質の問題だったと今なら了解できるんだけどね。

● 演奏する側にしてみれば,かなりの難曲ではないか。滑らかな演奏。苦もなくやってのけているように見えるんだけども,そんなはずはないよなぁ。
 朝,昼休み,放課後と練習してるんだろうけどねぇ。大人になってからもそれだけ何かに打ちこめれば,その何かにおいて必ずひとかどの人物になれるんだろうなぁ。

● 第2部は次の3曲。
 スパーク オリエント急行
 ホーナー タイタニック・メドレー
 ウィーラン リバーダンス

● 「リバーダンス」の曲目解説によれば,アイルランドでは「19世紀の飢饉等により多くの人がアメリカへの移住を余儀なくされ」た。
 日本でも江戸四大飢饉があった。明治以後も冷害による不作で,東北では娘を売るということがあったと,中学校か高校の社会科で習ったことがある。けれど,アイルランドは日本よりはるかに北にあって,自然環境も日本より厳しい印象がある。
 どの国にもあるんだろうな,こういうこと。それがそんなに昔の話ではないんだよね。

● ここまでの演奏をしていれば,観客サービスのためにバラエティーを加える必要はない。黙って聴きやがれ,でいいと思う。したがって,第2部で終わりでも,まったく文句はない。
 でも,第3部がある。プログラムにはミュージカルとある。生徒はやりたいんだろうな,こういうの。

● 今回は「レ・ミゼラブル」。台詞の代わりに楽器を奏でることがあるのは,例年と同じ。っていうか,ほぼ無言劇(ナレーションのみ)。そこが工夫なんだと思う。
 昨年は「サウンド・オブ・ミュージック」で,トランプ大佐役の女子生徒が男装の麗人的なイメージで,人目をひいた。今回もマリウス役の女子生徒が最も美味しい役どころだったね。
 男女比が偏っているがゆえのキャスティングだったのかもしれないけれど,この役に男子を充ててはいけないね。

● マリウスを挟んで,コゼットとエポニーヌが三角関係に立つ。エポニーヌはマリウスの楯になって死んでいく。このあと,コゼットとマリウスが結婚。って,この流れはないだろう,間に何か挟めよ,原作者。
 エポニーヌの出番をもうちょっと増やせなかったかと思う。元々,彼女の出番は少ないんだろうけど。

● バルジャンの今際の際に登場したフォンテーヌのダンスがどういうわけだか印象に残っている。いや,どういうわけだかじゃない。巧かったからだな。
 すでに亡くなっているフォンテーヌがバルジャンを迎えに来たっていう設定。そのフォンテーヌの母性というか,聖母マリア的な気高さというか,そういうものが出ていたような。
 踊っていた女子生徒がそんなことを考えていたはずはないので,結果的にそうだったということ。あるいは,ぼくの勝手な思い入れ。

● 今回も他校の生徒がたくさん,聴きに来ていた。制服を着てる子が多いから,どこの高校かはわかるんだけど,けっこうな数になる。
 勉強になるだろうね。演奏以外でも,観客の楽しませ方,客席へのノーティスの届け方など,こうすればいいのかっていう発見があるんじゃなかろうか。
 もっとも,基本は演奏水準ということになるわけで,ここはわかっていてもすぐにはどうにもならない。

● そうした運営もOB・OGがやっているんだろうか。たぶんそうだと思うんだけど,これもかなり洗練されている。
 出すぎない。けれど,きちんと注意は与えている。こういうのって,注意と一緒に不快感を与えてしまうことがままあるけれども,そこは上手に封じている。お見事だ。

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