2014年7月21日月曜日

2014.07.20 東京大学歌劇団第41回公演 ヴェルディ「ドン・カルロ」

サンパール荒川 大ホール

● 「青春18きっぷ」が使える時期になった。経済的に東京が近くなる。心理的にも近くなる。
 というのは,「都区内フリーきっぷ」が昨年3月で廃止されているからだ。フリー切符があれば,都内は乗り降り自由だったのに,今はその都度切符を買わなきゃいけない。このメンドクササは何事であるか(「Suica」を使えば解決か)。
 「青春18きっぷ」はその面倒さからも解放してくれる。自動改札は使えないのが難ではあるけれど,その程度は我慢しよう。

● この歌劇団の公演を拝見するのは,これが3回目。予算は(たぶん)僅少。そこを学生たちの情熱と献身が補っている。
 プロをめざしているわけではない(と思う)。したがって,今が目的地への一里塚というのではない。これで完結した世界だ。
 ともあれ。開演は午後3時。入場無料。終演後にカンパを募る。

● 今回の総監督兼指揮者は理Ⅲの2年生。その彼が,この歌劇についてはヴェルディが何度も手を入れ,複数の版が残存している理由について,「多様な内容を含むことにより,膨らみきった台本の世界を音楽が受け止めきれなかった」からだろうと推測している。今どきの若者,畏るべし。いや,たぶん,昔もこうした異才はいたんだろうけど。
 実際に舞台を見,管弦楽を聴き終えた今,音楽に破綻はないように思える。たしかに,台本がいろんな要素を盛り込みすぎている。縦糸が何本もあって,それら縦糸相互の整理が足らない。ストーリーが散らかってしまっている。やや散漫な印象になる。
 登場人物の設定もしかりで,もう少し絞れなかったかと思う。

● では,このオペラが面白くないかといえば,そんなことはない。ストーリーはとりとめがなくても,登場人物がそれぞれ“人間的な,あまりに人間的な”という感じなのがいい。
 王妃の愛が自分に向いてないと悲嘆にくれるような男じゃ王様は務まらないだろうけれども,そういうことを言いだすやつは豚に喰われろ。そうした皮相なリアリズムは劇の敵だ。

● でも,つまるところ,オペラは歌と演技であって,個々の歌,個々のシーンの積み重ねだ。
 主役のカルロ(とっても,この劇ではいったい誰が主役なのだ?)を演じた男性団員が,歌で屋台骨を支えた。屋台骨が支えられていれば,並の地震ならまず揺らぐことはないものだろう。
 それと,エボリ公女。声が通っていたことに加えて,情感の入れ方が巧みだ(つまり,演技が巧い)。動きも切れる。ここでどう動けばいいか,それについて逡巡がない。
 これあってこそ,歌劇の面白さが成立する。

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