2013年10月3日木曜日

2013.10.02 間奏34:YouTubeの恩恵

● YouTube以外にもあるんだと思うんだけど,とりあえずYouTubeで代表させて。
 要するに,音源はほとんどここにあるじゃないかってことなんですけどね。今さらですけど。

● 先月28日に須川展也さんのサクソフォンでピアソラの「リベルタンゴ」を聴いて,この曲をほかの楽器の演奏でも聴いてみたいと思った。
 まず頭に浮かんだのはCDを集めてみようかってこと。のだが,YouTubeがあるじゃないか,と。で,YouTubeに行ったところ,ヴァイオリン,チェロ,ピアノなど,何人もの演奏がアップされている。しかも,錚々たる演奏家のものが。

● スマホでもって,9つばかり,音声のみをダウンロード。次々に聴いていった。1日聴きまくったら,さすがに気がすんだっていうか,食傷してきた感じ。
 でもさ,CDでこれだけ集めようと思ったら,相当な手間だ。その手間を省けるのはやはり大いなる恩恵というしかない。しかも,費用も省けるんだから。

● 音質の問題はあるんだと思う。思うんだけど,CDをリッピングしてiPodやスマホで聴くのが平気な人なら(ぼくもそのひとりだけれども),YouTubeの音質が深刻な問題になることはないのじゃないか。

● 管弦楽曲はほとんどYouTubeにあるんじゃないだろうか。DVDになっているものもあげられている。映像ごとでも音声だけでもダウンロードできるんだから,いや,便利。
 昔を知る者にとっては,まったくとんでもない時代になったものだ。ひとりひとりに宝の山が与えられたようなものだ。

● アーノンクールの指揮でヨーロッパ室内管弦楽団が演奏するモーツァルトのジュピターを,動画付きで聴くことができ,同じくレクイエムをカラヤンの指揮ぶりを見ながら聴くことができる。
 劇場の臨場感を味わえるとはとてもいかないにしても,ほんの数年前までは考えられなかったことだ。IT技術の発達と著作権切れの恩恵ですかな。

● できれば,オペラもYouTubeで観られるとありがたいんだけど,こちらはまだそうなっていないようだ。
 現状でも,音声だけでよければ,マリア・カラスがヴィオレッタを演じている「椿姫」を(全曲ではないけれど)聴くことができる。字幕も表示される。
 映画版の映像ならいくつかある。が,映像の場合,日本語の字幕が出ない。でも,たぶん,時間の問題だろう。

● この分野の進歩の速さからすれば,もっと高音質・高画質のものをYouTubeで楽しめる時期が,さほど遠くない将来に来るのだろう。
 すごいぞ。年をとって出歩けなくなっても,パソコン(orタブレット・スマートフォン)とイヤホンがあれば,何も心配いらないぞ。養老院も怖くないぞ。
 って,耳が聞こえなくなってしまったらどうにもならないか。ぼく,この心配をしなければいけないかも。

● レコードをターンテーブルに載せる。CDをプレーヤーにセットする。そういったかすかな儀式性を有する動作にこのうえないノスタルジアを感じる人にとっては,味気ないといえば味気ないのかもしれない。ぼくには,幸か不幸か,それがない。
 もっというと,ブツなんかどうだっていいと思うタイプ。ブツそれ自体にまつわる記憶や情緒は消されたってかまわない。コンテンツだけ取りだして,ハードディスクなりクラウドに置いておければ,その容器であるブツはない方がいい。

4 件のコメント:

  1. 音響に特にこだわらなければ、容易に名手の演奏がダウンロード出来てしまい、便利な世の中になりましたね。願わくは、本物の演奏する方達の生活が支えられる形を維持して欲しいですね。安上がりを追究すると、結局本物の音楽家達が減ってしまい、結局は、そのつけは、視聴者に降りかかってきますからね。(^_^)

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    1. クラシック音楽に関しては,YouTubeにアップされているのは国内の演奏家だけのものではなく,各国の演奏家のそれが含まれます。
      となれば,日本一国の著作権法をいじって,YouTubeへのアップを規制してみたところで,何の効果もありません。
      つまりは,人為で管理できる範囲を超えてしまったと思えます。

      一方,ネットの普及を受けて,視聴者が「安上がり」に走るのは理の当然というもので,ここは道徳的にも批判するのは難しかろうと思います。
      CDの売上げ減との関連が言われることが多いのですが,従来もCDで喰えていた演奏家などほんのひと握りに過ぎなかったはずです。
      YouTubeに代表される音源サイトが,喧伝されているほどに,クリエイティブを生産する側の生活をおびやかしているのかどうか。私は疑問に思っています。

      将来を見通せば,演奏家は確実に減っていくと思うのですが(なにせ,総人口=視聴者が減るのですから),それは需給調整の然らしめるところです。
      メカニカルなもので,対策はありません。対策を打つ必要もないと思っています。
      そうしたプロセスを経て残った演奏家の数が適正数ということですから,そこから「つけ」は一切生じないだろうとも思っています。

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  2. お説、もっともと思います。逆に、たやすく手に入れられる音源を聴いた人が、今度は、生の演奏を聴きたい、という行動に移ることもあるでしょうから、マイナス面だけでは無いでしょうね。それと、人口の割には、音楽家養成大学の定員は、かなり多いのでは、と感じていますね。

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    1. 現在の音大は音楽家を養成するところではなくなっているっていう印象ですね。
      芸大や桐朋ですら,卒業証書がプロへの道を保証するものではなくなってますもんね。

      私立の音大の授業料は医学部に次ぐものだと思いますが,ちょっと気の毒な気がします。
      もっとも,プロになればなったで,経済的にはなかなか厳しいのでしょうけれど。

      そのおかげでアマチュアオーケストラの水準が上がり,私のような者が安い料金でライヴを楽しめてもいるわけで,申しわけないなぁという気持ちがあります。

      こちらにできることは,ライヴに足を運ぶくらいのものですが,せめて「安上がり」で浮いた分をそっくりそのままチケット代に回すくらいのことはしたいと思っています。
      こちらにもこちらの生活があって,なかなか思うに任せないのですが。

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