2017年12月20日水曜日

2017.12.17 第10回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● この「第九」演奏会も10回目になるのか。「第九」は12月の風物詩になって久しい。冬の季語として歳時記に載ってもいいのじゃないかと思うほどだ(ひょっとして載っているのか)。
 ぼくは10回の全部を聴いているわけではないのだけれども,それでも,ま,かなりの回数は聴いている。地元の「第九」だからね。
 開演は午後2時。チケットは1,500円。この金額もずっと変わらない。

● 10回目の今回は,ソリスト陣が豪華。コンセール・マロニエ声楽部門の優勝者を揃えた。ソプラノが石原妙子さん,アルトが秋本悠希さん,テノールに田口昌範さん(田口さんだけはコンセール・マロニエとは無関係),バリトンに高橋洋介さん。清新な実力者が並んだって感じでしょ。
 指揮は栃響の荻町修さん。管弦楽は栃木県楽友協会管弦楽団というレッテルの栃響。恒例の対抗配置。

● 演奏するのはもちろん「第九」。露払いにヨハン・シュトラウス2世のワルツ「南国のバラ」。
 「南国のバラ」は初めて聴いた。CDではたぶん聴いているはずだけど,印象は他の曲に紛れてしまっている。たしかに聴いたという記憶すら残っていない。
 でも,こうして聴いてみると佳品だなと思う。聴くときの環境にもよりますね。だから,環境を整えることは大事なんだけど,わかっていてもこの点に関して,ぼくはほとんど無頓着だ。

● 「第九」は第1楽章がすべてだと思っている。冒頭,ホルンが宇宙の開闢を告げる。物理法則を無視して,無から有が生じる瞬間だ。ここでゾクッとするのだ。演奏のスタートのその際に,“ゾクッ”が付いてくる。
 ここでのホルンはほんとに重要だ。全身全霊をこの一瞬に注いで,宇宙開闢を告げてほしい。あくまで静かに,だ。神の代役なのだぞ。神は大声を出さないものだ。

● 生まれたばかりの宇宙に弦が綾を付けていく。ここから宇宙はどう変成していくのか。第1楽章全体がその答えだ。うねって,跳ねて,伸縮を繰り返して,宇宙は形を整えていく。このようにして宇宙は成ったのだ。
 しかし,第1楽章の最後は閉じない。開かれたままだ。宇宙は成ったのではあるけれども,完成はしない。永遠の未完なのだ。それが宇宙というものだ。

● というわけで,第1楽章が終わった時点で,こちらはグッタリと疲れてしまう。もう帰ってもいいかと思う。
 もちろん,席に着いたまま第2楽章を待つわけだけどね。宇宙開闢の物語は第2楽章には持ちこまないことにしたい。

● 「第九」の第2楽章は激しい。ティンパニ協奏曲とはよく言ったものだと思うが,ではこの楽章の主役はティンパニかといえば,どうもそうではない。というか,主役なんていない。
 弦にも管にも,作曲家は全速前進を命じている。オーケストラに息をつく暇などない。いや,息はつけるけれども,気を抜いていい時間など,コンマ5秒もないだろう。

● そして,激しさから一転して,まどろむような緩徐楽章。Wikipediaは「神秘的な安らぎに満ちた緩徐楽章である」と解説している。
 このまどろみを演出するために,奏者はまどろむわけにはいかない。感覚をいよいよ研ぎ澄ませて,ヴァイオリン奏者は左手の指を忙しく動かすのだ。

● しかし,このたゆたうような心地よさは何ごとか。竜宮城で鯛や鮃の舞い踊りを鑑賞していた浦島太郎も,こんな気分を味わっていたのだろうか。
 ひょっとしたら,この世で一番のリゾートは,ホールで「第九」の第3楽章を聴くことかもしれない。いかんせん,リゾートというには,時間が短すぎるわけだが。かといって,長く聴いていられるかとなると,それはそれで難しいだろうから,やはりリゾートにはならないか。

● 第4楽章。普通に考えれば,ここが「第九」の「第九」たる所以。
 が,この曲はあくまで管弦楽曲であって,合唱も独唱もパートの一部に過ぎない。「第九」から声楽を取り除いてしまっても,依然として「第九」であり続けると思う。
 そこがたとえばマーラーの2番「復活」との違いだ。「復活」から声楽を除いてしまえば,「復活」はもはや「復活」ではなくなってしまう。
 いや,だからといって,何か言いたいことがあるわけではないんですけどね。

● あの有名な旋律をコントラバスとチェロが奏で,それをヴィオラが受ける。あそこまで美しくヴィオラが鳴る局面を,ぼくは他に知らない。
 さらにヴァイオリンが受ける。このところで,うっかりすると泣きそうになる。

● バリトンの高橋さんが先陣を切る。歌い手に不足はないはずだ。
 が,その高橋さんをもってしても,あの地を這うような,地中からわいてくるような,重々しさを表現するのは,なかなかに難しいようだ。

● どうしたってソプラノが美味しいところを持っていってしまうかなぁ。
 石原さんのソプラノを聴くのはこれが三度目になる。彼女が優勝したコンセール・マロニエと,東京アマデウス管弦楽団がコンサート形式で「カルメン」をやったときに,ミカエラ役で出ていたのを聴く機会があった。

● ここで大きく脱線。
 その「カルメン」のときのエピソードといいますかね,終演後,観客の誰かが石原さんのミカエラを評して言った言葉が忘れられない。その人は・・・・・・「巨乳のミカエラ」と言ったのだ。
 待て待て,誰かじゃなくて,それはおまえが言ったのだろう,と穿った見方をする人がいるかもしれない。鋭い洞察ではあるけれども,残念ながらそうではない。誰かが言ったのを聞いたのだ。ちなみに,そのときの会場はミューザ川崎だった。

● ソプラノに比べると,アルトは地味目で損(?)だ。が,秋本さん,とんでもない色気をまとっているように見えた。何かあったんだろうか。
 彼女の声を聴くのは,これが5回目になるはずだ。印象に残っているのは4年前の藝祭。シュニトケ「オラトリオ長崎」でソリストを務めていた。
 それから,栃響特別演奏会での「ふるさと」も。アカペラだったんだよな。

● ベートーヴェンが第九交響曲を残してくれた恩寵というものを思ってみる。この曲がある世界とない世界。
 栃響の演奏も見事なもの。多少の事故がなくはなかったけれども,問題とするに足りない。たいしたものだよ。栃木県に栃響があることの恩寵も思ってみるべきだよね。
 大晦日にもう一度,第九の全楽章を聴く機会がある。当面,それを糧にして生きていくことができる(大げさに言えばね)。

0 件のコメント:

コメントを投稿