2017年12月12日火曜日

2017.12.10 モーツァルト合奏団 第19回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 小春日和の那須野が原ハーモニーホール。14時からモーツァルト合奏団の定期演奏会。入場無料。

● 曲目は次のとおり。
 フォルクマン 弦楽セレナーデ第2番 ヘ長調
 ヘンデル 合奏協奏曲 ト長調
 モーツァルト 弦楽四重奏曲第8番 ヘ長調
 メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲第9番 ハ長調

● メンバーは那須フィルと重複している人がけっこういる。これは仕方がないところでしょうね。那須に限らず,普通にあることだし。
 やけに上手い人もいる。ひょっとしてプロですか,と訊きたくなるような人が。

● 最初に聴いたフォルクマンの弦楽セレナーデがぼく的には収穫で,CDを探してみようと思う。
 パンフレットの解説によれば,ドイツロマン派に属する作曲家。シューマンやブラームスなどのビッグネームの陰に入ってしまっている。ぼくも今日まで知らずにいた。

● 音楽史の時代区分はあまり気にしなくていいと思っている。時代を超えるのが天才というものだろうし,たとえば「第九」を聴くのに,ベートーヴェンが古典派からロマン派に移る時代の作曲家であり,ロマン派への道を拓いた功労者である,というようなことを知っている必要はほぼない。
 が,この演奏を聴くと,なるほどフォルクマンはロマン派だなと思ったりする。

● ところが,これはダメなんだよね。ロマン派だと知って聴くからそう聞こえるだけなのかもしれないんですよ。
 血液型占いと一緒だ。予め血液型を承知したうえで占い欄を見るから,当たっていると思うだけのこと。先に占い欄を読んで,どの血液型のものか当てろと言われると,なかなか難しい。実際には万人にあてはまるようなことしか書かれていないんだから。

● 弦楽のための交響曲はメンデルスゾーン14歳の作品。音楽に関しては,天才に大器晩成なし,ってことでしょうね。
 天才とはこういうものかという見本のようなもの。自分と天才の間に架かる橋はないなぁと思うね。あるわけないやね。

● モーツァルトは弦楽四重奏曲は当然,弦楽合奏版。そこにたしかにモーツァルトがいる。ステージにモーツァルトが立ち現れる。
 そう思わせるのは,曲と演奏の合作によるわけだけれども,そこにたしかにいると感じさせる作曲家は,モーツァルトをもって第一とする。

● このやり方でベートーヴェンの弦楽四重奏曲を演奏してくれないだろうか。1回に2曲演奏するとしても,終わるのに8年かかる。年に2回ずつやってもらうと4年で終わるんだが。
 無理でしょうね,無理だよねぇ。

● 毎年,大晦日に上野の東京文化会館(の小ホール)で6曲くらいずつやっている。それを聴けばいいんだけど,同じ時間帯に大ホールでは「全九」をやっているのでね,どうしてもそちらに流れてしまうんだよねぇ。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲をチクルスでやってくれるとこ,ないかなぁ。CDでは聴くんだけど,ぼくの耳では隔靴掻痒なんだよね。CD→生,じゃなくて,まず生で聴いて,そのあとCDで聴くというのがいいなぁ。

小春日和の那須野が原ハーモニーホール
● 終演後,入口を出たところでポスターを眺めていたら,ぼくと同年齢くらいの女性に声をかけられた。すごかったですねぇ,と。最後のメンデルスゾーンのことでしょうね。
 でも,今年は人数が少なかったですね,いろいろ難しいんでしょうか,とも仰った。団体で活動するんだから,それはたしかにいろいろとね。

● ぼくは団体行動やグループ活動からは遠ざかっていたいと考えていて,ずっとそうしてきた。団体やグループは面倒くさい。友人とふたりというのはすでにして団体であるわけで,それすら忌避したいと思うところがある。
 ので,団体で活動している人たちはそれだけで大したものだと思うんだけど,アンサンブルが決まったときの快感は,そうした面倒くささを引き受けさせるだけのインセンティブになるんでしょうね。

● 昨夜は10時間も布団の中にいたのに,鋭い睡魔がやってきたのなぜなのだ。寝すぎると昼間も眠たくなるのか。
 これがじつは,メンデルスゾーンのときにやってきたのだ。ついに睡魔には勝てなかった。申しわけないことだった。

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