2017年4月30日日曜日

2017.04.20 フジコ・ヘミング&イタリア国立管弦楽団

栃木県総合文化センター メインホール

● フジコ・ヘミングは不思議な,あるいは特異な,存在だ。クラシック音楽の演奏家の中ではたぶん,1位か2位の知名度を誇る。CDは売れるし,コンサートを開けば,チケットはかなり高額なのにもかかわらず,大勢の観客が集まる。
 一方で,音楽会の中枢にいる人たち,クラシック音楽を自分は知っていると自認する人たちの多くは,彼女に近づこうとしない。存在していないかのように扱う。

● 彼女が知られるに至った経緯がテレビのドキュメンタリー番組だったこととか,彼女の生いたちから彼女を「魂のピアニスト」と形容する興行界のやり方に,嫌悪を感じる向きもあるのかもしれない。
 技術的にも見るべきところはない,だいたい指が速くは動かないじゃないか,といった声も聞く。

● さらに,普段はコンサートに出かけることなどないのに,フジコ・ヘミングのピアノなら聴きにいくという人たちを,一段下に見ているようなところもあるんだろうなと,これは邪推だけれども,想像する。
 しかし,理由はどうあれ,集客力があるというのは,凄いことですよ。

● ぼくはといえば,4年前に初めて彼女のピアノを聴いた。それで気がすんだ感はある。
 しかし,今回はイタリア国立管弦楽団も登場する。メンデルスゾーンの4番を演奏する。これは聴いてみたいと思った。

● 開演は18時半。ぼくのチケットはA席で8千円。実質4階席。ぼくの1列前はS席(1万円)のはずだ。
 平日の夜なのに客席はほぼ満席。宇都宮でもこうなんだから,フジコ人気は衰えていないということなんでしょう。

● となると,たとえば栃響の演奏会に比べると,客席の水準は下がるだろう,楽章間での拍手もほぼ100%の確率で発生するだろう,と思っていた。
 だけども,結論から言うと,そんなことはなかったんでした。楽章間の拍手は一切なし。自らの思い込みを恥じなければいかん。
 ぼくもまた,音楽ファンではないのにフジコファン,という人たちを一段下に見ていたということになる。だから,何様だオマエ的な言い方になってしまうのだろう。

● 曲目は次のとおり。指揮はトビアス・ゴスマン。
 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲
 モーツァルト ピアノ協奏曲第21番
 ショパン エチュード第12番「革命」
 リスト ラ・カンパネラ
 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より「シャンパンの歌」
 メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」

● 今どきのオーケストラだから,イタリア国立管弦楽団といってもメンバー全員がイタリア人ということはない。東洋系もいたし,スラブかと思われる色白の女性奏者もいた。
 それでも,ドイツとは違う,イタリアならではの演奏の色合いのようなものがあるのかと思ったりもしたんだけど,そんなものはないんでした。いや,聴く人が聴けばあったのかもしれないんだけど,ぼくには知覚できないんでした。

● イタリア人っていうと,女性を見ればその隣に彼氏がいても声をかけるとか,ケセラセラ的な生き方というか,人生楽しんでナンボという快楽主義というか,そういう連中なのだっていう刷りこみがこちら側にある。ラテン気質というやつ。
 演奏にもそんな風情がないかと,つい思ってしまう。あるわけがない。
 しごく真っ当なんでした。「フィガロの結婚」序曲を聴いて,むしろケレン味のない素直な演奏だと思った。余計なことをしない。必要にして十分な所作。浮ついたところはない。そりゃそうだよね。

● ピアノ協奏曲でフジコさん登場。場内割れんばかりのとまでは言わないけれど,大きな拍手が起きた。
 ゆっくり目のテンポで展開していった。最近は,書き手がここは大事なところと考える部分をゴシックにしたり,線を引いたり,色を変えたりする書籍が普通にあるけれども,なんかそうした書籍を連想させる演奏だった。ここが肝だよっていうのがわかりやすかったっていうか。
 協奏曲の出来を決めるのは,独奏楽器ではなくて管弦楽だ。イタリア国立管弦楽団,軽快でいい感じ。

● 次は,フジコさんの独奏。プログラムではリストの「ラ・カンパネラ」を演奏することになっていた。が,その前にショパンの「革命」を。アンコールを先に演奏したということか。
 「ラ・カンパネラ」は彼女が出している多くのCDの過半に収録されている。フジコ・ヘミングといえば「ラ・カンパネラ」。
 で,その「ラ・カンパネラ」なんだけど,この曲,彼女以外のピアニストの演奏を生で聴いたことがない。そういう前提で申しあげれば,彼女の演奏はたしかにゆっくりしている。ミスもある。
 ただし,彼女自身はそのミスに対して気持ちを乱されていないようだ。気にしていない。全体を見てよね,ってことだろうか。

● ゆっくりな分,絵画的なイメージが湧いてくる余地が大きくなる。とはいえ,速ければイメージが湧かないのかどうか,それはわからない。
 絵画的なイメージというのもあやふやな言い方だけれど,それが演奏に負う部分がどの程度なのか。リストのこの曲に内在されているところがほとんどなのかもしれない。
 そのあたりの切り分けはあまり意味のないことだとも思うんだけど,気になるならさらに複数の奏者の演奏をCDで聴きこまないとね。

● で,ぼく一個の結論を言うと,いいと思う,この演奏。しみじみする。速いとか遅いとか,どうでもいい。
 たしかにミスは気にならない。演奏者が気にしていないから,それが感染するのかもしれない。

● 「シャンパンの歌」はグルダン・エイジロウという若いバリトン歌手が歌った。若い彼に機会を与えたいというフジコさんの計らいだったようだ。

● 最も楽しみにしていた,メンデルスゾーンの4番。先にも書いたように,これがイタリアの楽団かと思ったところはない。オケの名前を知らないで聴いて,ドイツの楽団だと言われればそうかと思うし,日本の楽団だよと言われても,やはりそうかと思うだろう。
 全体として軽みが身上のように思われた。スキップするような軽やかさ。もともとこの曲は軽快に始まる。重厚さは似合わないわけだけど。

● オーケストラのアンコールは,ロッシーニ「絹のはしご」序曲と「ふるさと」。あの文部省唱歌の「ふるさと」だ。
 今回がツァー最後の演奏になるらしいのだが,これまでも同じ曲目でアンコール演奏をしてきたらしい。外国のオーケストラに「ふるさと」を演奏されては,日本人としては参ったするしかない。

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