2016年12月31日土曜日

2016.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2016

東京文化会館 大ホール

● ベートーヴェンの9つの交響曲をまとめて全部演奏して聴かせましょうという,おそらく世界に類例のない企画。
 今回で6年連続6回目の拝聴となる。

● 開演は午後1時。終演して会場を出たときは,2017年になっていた。
 11時間に及ぶ長丁場の演奏会だけれど,実際には長めの休憩を多めに入れていくので,(観客は)さほどに疲れることもじつはないんだけどね。

● チケットはヤフオクで落とすことが多かったんだけど,今回はA席を正規に購入。15,000円。3階席の3列目。ところが,ステージは正面に見えるものの,だいぶ遠い。
 去年はC席で4階右翼席の1列目だった。その4階右翼席がすぐ近くにある。C席は5,000円なんだけど,これで1万円の差があるとはねぇと,セコいことを考えてしまった。
 今回のA席は限りなくB席に近いA席だったのかもしれない。ただ,ヤフオクだとC席でも倍の値段じゃないと落札できないのでね,仕方がないでしょうね。

● セコい話をさらに続けると,何年か前に東京文化会館のカウンターでC席を買ったことがあったんですよ。そのときは4階左翼席だった。ただし2列目。1列目でも2列目でも同じCなんだけど,1列目か2列目かで天地の差が生じる。
 けっこう早い時期に買ったんだけどね。それでも2列目しか買えない。安い席は早々に売れていくんでしょうね。
 正規料金で2列目になるよりは,倍出しても1列目がいいと思いましたね。つまり,ヤフオクで1列目のC席を狙おう,と。ところが,今年は倍額でもC席チケットを落とせなかったんでした。

● ま,ともあれ。とにかく,今年もこの演奏会を聴くことができる。自分にこの演奏会を聴く資格があるのかと思わせられる出来事が今年はあった。けれども,とにかく。この演奏会を聴くところまで漕ぎつけた。
 場内ロビーは例年と同じ華やいだ雰囲気だ。これほどの華やぎのあるコンサートというのは,オペラなんかではあるのかもしれないけれども,管弦楽では他にあるのかどうか。
 ちなみに,毎年,チケットは完売する。

● 指揮は今年も小林研一郎さん。管弦楽は「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。今日だけのオーケストラだ。主催者によると,「日本を代表するオーケストラで活躍するコンサートマスターや首席奏者クラスによる特別編成です」とのこと。
 コンサートマスターは篠崎史紀(NHK交響楽団第1コンサートマスター)さん。これも例年と同じ。

● 奏者は大半が男性で女性は6人。ヴァイオリンとヴィオラが2人ずつ。あと,オーボエとフルート。
 何せ長丁場になるから,女性はちょっと参加しずらいのかもしれない。

● 1番が始まってすぐに,この演奏のすごさというか,水準の高さというか,圧倒される思いがした。この演奏に対してああだこうだと言うのは,ぼくには百年早いだろう。
 もしこの演奏でもダメだと言うなら,ベルリンかウィーンにでも行くしかない。といっても,ベルリンでもウィーンでも,“全交響曲連続演奏会”はやってないだろうけどね。

● 開演は終演の始まりでもある。1番が終わり,2番も終わってしまうと,あぁこれで9分の2が終わってしまったという,淋しさのようなものを感じる。
 夏休みが始まったばかりなのに,あと何日とカウントダウンを始めてしまうのは愚の骨頂だ,と小学生のときに思ったけれど,同じことを大人になってからもやってきた。
 老境にさしかかった今も,また同じことを。

● 4番が終わったあと,三枝茂彰さんの「お話」があった。おおよそ次のようなものだった。
1 ヨーロッパの音楽には,ソナーレ(器楽)とカンターレ(声楽)という互いに相容れない2つの流れがある。ソナーレは厳密な形式によって成立するのに対して,カンターレは言葉によって自由に感情を表現する。その両方で成功した作曲家は,モーツァルトを唯一の例外として,存在しない。

2 ベートーヴェンは交響曲を完成させた作曲家であると同時に,交響曲を終焉させた作曲家でもある。9番において合唱を持ちこんだ。これは交響曲の形式を破壊するものであり,現代音楽につながる礎石となるものだ。

3 演奏のスピードが年々速まっている。この演奏会でも昨年より数パーセント,演奏時間が短くなっている。カラヤンの頃は,第九は1時間10分程度をかけて演奏していた。ところが,最近では1時間を切る演奏のCDも出ている。

● ぼくには「3」が興味深かった。人って,あらゆるところでスピードを好む生き物なんだろうか。速いということに惹かれる。
 それはなぜかというと,究極の理由は二足歩行の遅さにあるのかも。自力では速くは移動できないというところ。ライオンや虎に狙われたら,丸腰では絶対に助からない。
 新幹線に慣れたら在来線には戻れない,というのとはまた別の話になるんだろうけど,いろんな局面で速さを追求することがブレイクスルーにつながる?

● 3番が最初の山であることは間違いない。次に5番,7番とあって,最後に9番という史上最高峰がやってくる。
 この演奏会を聴いた方々のブログは自分も読むことにしている。たいてい,5番と7番が絶賛される。過去には神降臨と書いている人もいた。
 ただ,それらは演奏というよりは曲に内在しているエネルギーが解放されたことによるものだろう。曲自体が持っている力が奏者を動かして客席を支配するのだと解しておく。

● それで行くと,今年は7番ということになるだろう。が,ここであえて8番だったと言ってみたい。8番を,7番と9番に挟まれた貴婦人と評したのは誰だったか。
 が,ここで聴く8番は決して貴婦人という言葉から連想される楚々としたものではなく,うねって押し寄せては退いていく,躍動する8番だった。

● が,それも9番を除けばという話になる。合唱は例年どおり武蔵野合唱団の皆さん。9番が始まるのは23時に近い時刻だ。この時間帯に声が出るのかと心配になるんだけど,その心配は杞憂なんでした。
 ソプラノは今年は市原愛さん,アルトは山下牧子さん,テノールは笛田博昭さん,バリトンは青戸知さん。バリトンを除くと,ソリストは一新された。

● 19世紀後半から20世紀前半に生きた指揮者のフェリックス・ワインガルトナーが,「第九交響曲を毎年何度もよくない演奏で聴くよりは,十年に一度よい演奏を聴いたほうが,はるかに有意義である」と言ったらしい。
 ぼく一個はこの言い方には疑問を持つけれど,たとえそうだとしても,10年に一度どころか,1年に1回は「よい演奏」を聴いてきたのだな,この6年間は。

● というわけで,今回も素晴らしかった。C席なら5,000円ですむ。それでこうやって大晦日を過ごせるなら,めっぽうコストパフォーマンスのいい,充実した大晦日の過ごし方になると思う。
 ディズニーランドのカウントダウンというのは,ぼくは立ち会ったことがないんだけど,あれはおそらく若い人たちに相応しい催事のように思える。30歳を過ぎているのなら,TDLより東京文化会館の方が似合うのではないか。

● 楽章間で拍手をするようなお客さんはいない。が,1曲の演奏が終わるか終わらないかのときにブラボーを叫ぶ馬鹿はいる。まだ音が残っているのに,聞きたくもない肉声を発するヤツ。
 あまつさえ,前列に座っているのに立ちあがる大馬鹿もいる。当然,視界をさえぎる(まぁ,全員が立ってしまえばいいのではあるが)。その手の大馬鹿はえてしてデブであることが多い。困ったことに。
 そうした行為はカタルシスをもたらすのではあろうけれど,その誘惑に抗し得ないというのは情けない聴き手である。

● 昨今,フライング拍手について何とかしようとする動きがあると聞く。が,そんなものより,フライングブラボーの方が喫緊の対策を要する問題ではないか。
 “大馬鹿”については対策はない。そこまでの馬鹿は放っておく以外にない。

● スタンディングオペレーションが由緒正しい賛辞の呈し方であることは知っている。が,東京文化会館の座席は前後左右の余裕がなく,立ちあがるのは危険だ
 それ以前に,日本においてはスタンディングオペレーションが成り立つ素地がまだ未成熟のように思える。当分は未成熟のままだろう。そんなものは「のだめカンタービレ」の中にとどめておけばよい。

2016年12月30日金曜日

2016.12.28 宇都宮大学管弦楽団 第82回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後6時半。チケットは800円。けれども,今回は招待状で入場。
 チケットで入場する人と,招待状(ハガキ)で入場する人の入場口は分けられている。招待状で入場する人が圧倒的に多い。これはどこでもそうなんでしょうね。

● 年末も押しせまった平日の夜にもかかわらず,総合文化センターのメインホールがほぼ満席。明日から年末年始の休みに入る会社が多くて,その切替えポイントにちょうどいいってのもあるんだろうか。
 だとしてもなかなかのものだ。切替えポイントとして最も多く採用されるのは,“飲みに行く”だろうから。

● クラシック音楽の大衆化はもう行くところまで行っていると思っていたんだけど,そうではなくさらに拡大する余地があって,それが徐々に徐々に進行しているのかもしれない。
 ま,一番目は招待状の集客効果だろうけどね。

● 曲目は次のとおり。指揮は井﨑正浩さん。
 フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
 シベリウス 交響曲第2番 二長調

● ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を聴くのは,今年3回目。かつ今月3回目。続くときには続くものだな。何度聴いてもいいものはいいので,続くから不満というわけではまったくない。
 1曲目の「ワルツ」はけっこう抑え気味という印象。井﨑さんの解釈なのだろうか。「ノクターン」でもコンミスが静かに弓を操る。

● シベリウスの2番は,昨年の後半に何度か聴く機会がまとまってあった。が,今年になってからは初めてじゃないかと思う。
 で,今回のシベリウスは今まで聴いたものとは違っていたような印象だった。シベリウスの2番ってこういう曲だったっけ,という。
 違っていたといっても,楽譜は同じなのだから,何なのだろう,間の取り方とかそういうところが,独特だったのだろうか。

● 聴きながら,何なんだこれは,と思い思いしたのだけれど,自分の記憶の中にあるシベリウスと何が今回は違っていたのか,突きとめることはできなかった。情けない。
 井﨑流のシベリウスなのだろう。が,何が井﨑流なのかはわからなかったということ。

● ただ,井﨑流を表現するのは学生の団員たちだ。巨匠と若い学生たちが向き合っているわけだけれども,そこに上下関係はたぶんない。
 染めるのは井﨑マエストロで,染められるのは学生たち。しかし,染めるのが才能ならば,染められるのもまた才能である,と言ってみたい。

● そうでなければこういう演奏にはならない。若さと“溌剌”や“清新”は相性がいいのだろうけれど,イコールではない。が,この楽団の演奏は,“溌剌”であり“清新”である。しかもときに“無邪気”であり,ときに“爛熟”も見せる。
 学生オーケストラの世界においては,栃木に宇都宮大学ありと言っていいだろう。学生オケの枠をはずしても,宇都宮大学管弦楽団は栃木県の有力なオーケストラであるように思われる。

2016年12月29日木曜日

2016.12.24 第34回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

栃木県総合文化センター メインホール

● 第27回30回32回に次いで,4回目の拝聴。開演は午後1時半。チケットは1,000円。第32回のときは800円だったから,200円の値上げ。必要なら当然のこと。
 この演奏会がかなり混むことは,過去3回で学習しているから,早めに行って行列に加わった。おかげで1階左翼席に座れたんだけど,客席はギッシリビッシリの満員御礼。

● っていうか,立ち見のお客さんも出ていたようだ。それが4人や5人ではなくて,けっこうな数。
 座席数を超えた数のチケットを売ってしまったってことはないだろうから,招待客の歩留まりが予想を超えたってことですかねぇ。いや,ひょっとしてホールの座席数の確認を怠ってしまったのかなぁ。

● 宇都宮高校と宇都宮女子高校の合唱と管弦楽の「合同演奏会」。ゆえに,内容は盛りだくさんになる。
 「第九」は第4楽章のみだけれども,これまでの経験から判断すると,宇女高オーケストラ部の腕前はかなりのもの。「第九」の全部をやって見せろと言われれば,ヒョイヒョイとやってのけるだろう。
 が,宇高・宇女高の合同演奏であることに意味があるのだろうし,となると「第九」の全部をやるってわけには行くまいな。

● つまり,この演奏会の唯一の傷は総花的でありすぎることで,だから毎年行くってことにはなりにくいのだけど。
 しかし,同時にそこがこの演奏会の魅力でもあって,どうにも舵の切り方が難しい。って,ぼくは当事者ではないんだけどさ。

● 主催はOB会,OG会。学校側は表に出ない。たとえば校長挨拶のごとき,ない方がいいものはきちんとないという,整理整頓が行き届いたステージになっている。
 演奏会においては,演奏するのが高校生であろうと中学生であろうと,演奏以外のものはない方がいい。演奏がすべてを語るのだから,余計な講釈は要らないのだ。余計なものがあると,聴く側も集中と緊張をそがれる。
 プログラム冊子にもそのようなものは掲載されていない。OB会,OG会の代表者と両校の顧問の先生,部長の挨拶が載っているにとどまる。

● まずは,宇女高の合唱から。初めて聴いた第27回では,部員の少なさに驚いたものだった。それが嘘のように,豊富な陣容で登場。OGも加わっていたようだけれど。
 こういうのって,顧問の先生が替わると勢いがつくってことなんだろうか。

● 曲目は次のとおり。
 ブリテン「キャロルの祭典」より“入場”など4曲
 クリスマスソング “星に願いを”“サンタが街にやってくる”など4曲

● 後者のたとえば“サンタが街にやってくる”では,歌い手の表情も大切だ。ステージでこの曲を歌うということはつまり,自らがサンタになって客席に福を届ける役を担うことでもあるからだ。
 でもって,その表情を十全に作れていた子が二人いた。たった二人かと言ってはいけない。二人もいたのかと驚くべきなのだ。かなり難易度の高いことなのだから。

● 宇高合唱団はまず,現役生だけで,間宮芳生「合唱のためのコンポジション」Ⅰと千原英喜「どちりなきりしたん」Ⅳ。
 「どちりなきりしたん」とは,「近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本」のこと。
 次にOBも加わって,次の3曲。
 多田武彦 男声合唱組曲「わがふるき日のうた」より“鐘鳴りぬ”
 多田武彦 男声合唱組曲「富士山」より“作品第貳拾壱”
 清水 脩 最上川舟歌

● この演奏会では「秋のピエロ」や「斎太郎節」を定番としていたようなんだけど,今回は上記のようなプログラム。
 これだけ多くの人数で,これだけ多彩に男声合唱を展開できる高校があることに,まずは驚かされる。たぶん,栃木県ではこの高校一校にとどまるかもしれない。
 この演奏会のひとつめの山がここにあることに,異論を述べる向きはおそらくないと思う。男声合唱の醍醐味を味わいたければ,この演奏会は狙い目だ。

● 次は両校合同で次の2曲。
 ミュージカル「レント」より“Seasons of Love”
 ミュージカル「レ・ミゼラブル」より“Do You Hear The People Sing?”

● ここから管弦楽が登場。宇高音楽部管弦楽団と宇女高オーケストラ部の合同演奏。チャイコフスキー「くるみ割り人形」から“行進曲”“花のワルツ”など。
 高校生になってから楽器を始めたという弾き手がけっこういるだろう。特に,男子校である宇高の生徒さんは,ほとんどがそうではないか。女子なら小さい頃から習い事で楽器を始めることもあるだろうけれど,男子はなかなかね。
 にしては,チェロで達者に弾きこなす男子(つまり宇高生)がいたのが印象に残った。

● そうして,いよいよ「第九」に突入する。合唱と管弦楽が一堂に会する。合唱には両校の音楽選択生も加わるから,大合唱団になる。壮観と言っていいだろう。
 ヘンデルの「ハレルヤ」で場内を盛りあげてから,「第九」の第4楽章に移るというのが,この演奏会の約束事になっているようだ。

● 第4楽章しか演奏しない「第九」は「第九」ではないと言う人は多いだろうし,ぼくもそう思っている。「第九」で最も重要なのは第1楽章だと考えている。「第九」はあくまで管弦楽曲だ。合唱を主役にしてはいけないものだ。
 そうなのではあるけれども,この演奏会における「第九」は,合唱を聴かせるためにある。管弦楽もソリストも,そのための捨て石にすぎぬ。

● というとさすがに言い過ぎであろうけれど,合唱団の迫力は凄まじい。迫力というより破壊力と言い換えた方がいいかもしれない。
 “「第九」はあくまで管弦楽曲だ”なんぞという小賢しい半可通は跡形もなく吹き飛ばしてしまう。問答無用の説得力をもって,客席を支配する。

● というわけだった。宇高・宇女高合同演奏会,ひと言でいえば素晴らしかった。高校生に素敵すぎるクリスマス・プレゼントをもらったようなもの。
 過去3回もそう思ったはずなのだ。が,雑事に取り紛れて,1年後にはそのことを忘れてしまっているのだ。

● 生徒さんたちはクリスマス・イヴどころではなかったろうな。サービスする側に回ったわけだから,それはそういうことになるしかない。終演後,連れだってスタバでお茶したり,ラーメン屋でお喋りしながら麺を啜ったりはしたのかもしれないけど。
 充実感とか達成感を得ているだろうから,それとバーターってことになるんだろうけどね。

2016年12月28日水曜日

2016.12.23 Christmas Concert 2016 Fantastic4

栃木県総合文化センター サブホール

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。主催者はThe Metropolitan Music。
 これを聴こうと思ったのは,出演者の一人が渡邊響子さんだったこと。今年の9月に「渡辺響子&南部由貴デュオリサイタル」を同じ栃木県総合文化センターのサブホールで聴いて,機会があればもう一度聴いておきたいと思ってた。

● その渡邊さんが一番バッターで登場。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から“おもちゃの兵隊の行進曲”や“花のワルツ”などいくつか。ピアノは滝本紘子さん。
 ぼくの鑑賞能力はライヴを聴くようになってからもほとんど変わっていない。低位安定。彼女の水準になれば,もうぼくの鑑賞能力を超える。誰の演奏も同じに聴こえる。
 ほかの人はどうなのだろう。渡邊さんの演奏とたとえば諏訪内さんの演奏をCDで聴いて,区別がつく人っているんだろうか。

● 次は滝本さんのピアノソロ。演奏したのは次の曲。
 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲
 モーツァルト トルコ行進曲
 チャイコフスキー 「四季」より“12月”
 カッチーニ アヴェ・マリア
 坂本龍一 戦場のメリークリスマス

● 今回のこのコンサートはクリスマスコンサートというくらいだから,肩の凝らない,よく知られた曲を選んでいるのだろう。聴く側が畏まったり構えたりしないですむような曲。
 けれども,ぼくなんかはわりと息をつめて聴くのが好きだったりする。クラシックとはそういうものだと刷りこまれているのかもしれないけれど。

● ところで。この部分は曲ごとに滝本さんのMCが入った。彼女の口から発せられる話し言葉のイントネーションが妙に懐かしいのだ。理由は考えるまでもなかった。栃木弁のイントネーションだったからだ。語尾が独特なわけだよね。
 彼女は茨城県の出身だったのだ。そうかぁ,ぼくらと同類かぁ。

● 群馬,栃木,茨城は北関東という括りで括られる。ところが,言葉に関する限り,群馬は栃木,茨城とは違っている。訛り方が別もの。
 その点,茨城と栃木はよく似ている。一衣帯水といってもいいのではないかと思う。地名は群馬が上野,栃木が下野なのに対して,茨城は下総と常陸。だけど,言葉からだけ判断すると,栃木は群馬より茨城に近い。

● 弘前の旅館に泊まったことがある。地元民どうしの話を聞いていると,意味不明ってことはけっしてないけれども,これも日本語なのかと思う程度には独特だ。が,彼や彼女がぼくと話すときには,標準語になる。東京人も喋らないような完璧な標準語。
 しかし,ぼくら北関東の人間は,どうやっても標準語を話すことはできない。栃木人や茨城人の中に,自分は標準語を話せると思っている人がもしいるとすれば,何の躊躇もなく断言しよう。それはキミの勘違いだよ。

● 次はソプラノの西口彰子さんが登場。ピアノは滝本さんで,滝本さん,ここまでずっと出ずっぱり。
 ヘンデル 「メサイア」より“喜べ,シオンの娘よ”
 エリック・サティ あなたが欲しい
 ドビュッシー 家のない子のクリスマス
 プッチーニ 「ラ・ボエーム」より“私が街を歩くと”
 フレデリック・ロウ 「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”

● たとえば銀座のクラブでナンバーワンになるホステスは美人ではないと言われる。美人でなければ,どういうのがナンバーワンになるのかといえば,明るいブスだ,と。明るいブスは明るい美人に勝る。ましてや,暗い美人より断然いい。すなわち,最強である。
 ということらしいんだけど,これは眉ツバだと思うね。何らかの劣等感を克服して,ひと皮むけた感じの女性がいれば,それはモテるはずだけれど,明るいブスという括りは大雑把に過ぎるでしょ。

● 西口さんは美人で笑顔。声楽の人って,表情筋が発達しているというか柔らかいというか。職業柄だろうけどねぇ。
 美人で笑顔なんだから,天下に敵なし状態になる。客席からの支持も集めやすい。
 美人だ笑顔だっていうその前に,実力があってのことだけれどもね(いや,美人だ笑顔だっていうのが実力の前にあるのかもしれない)。

● 次はチェロの宮地晴彦さん。ピアノ伴奏は室塚佳子さん。曲目は次のとおり。
 チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ
 チャイコフスキー ノクターン
 チャイコフスキー 奇想的小品

● つまり,オールチャイコフスキー。「アンダンテ・カンタービレ」をチェロ&ピアノで聴くのは,これが初めて。
 Wikipediaの解説によれば,「チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイは(この曲を聴いて)感動のあまり涙を流した」とある。こういうエピソードを知ると,そこまでの感性を持ちあわせていない自分を歯がゆくも思ったりするけれどね。このあたりはでも,しょうがないね。

● 弦楽四重奏曲第1番の第2楽章。クラシックの楽曲の中でも,よく知られた名曲ということになるのだろう。もちろん,CDで何度も聴いてはいる。
 が,高い水準の演奏を生で聴くのと,CDで聴くのとでは,やはり印象が違ってくる。ここでもやはり鑑賞能力の問題になるんだと思う。CDでビシッと印象を作れる能力の持ち主なら,ライヴは聴かなくてもいいのかもしれない。しかし,ぼくはその能力を持っていない。

● 最後は,西口,渡邊,宮地,滝本のオールキャストで,シューベルトの「鱒」。これも贅沢な体験になるでしょ。
 シューベルトが生きていた時代,彼を助けるというか彼を認める仲間がいて,シューベルトを囲んで小さな演奏会を開いていたらしい。そこで演じられていたのはこんな感じだったかと思いながら聴いた。ま,違うんだろうけどね。

● 芸術を仰ぎ見る(仰ぎ聴く?)という感じではなかったんだと思うんですよね。むしろ,ポップスに対するがごとくの距離感だったのではないか,と。
 だとすると,そこまで距離を詰めるのはなかなかってことになりますかね。これまた,致し方がないところだろうな。

2016年12月20日火曜日

2016.12.18 第9回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● この「第九」演奏会も今年で9回目。ぼくは2回目から聴き始めて,第4回は聴けなかったんだけど,それ以外は聴いている。ので,今回が7回目になる。
 第5回のときだったか,客席に若干の空きがあるのを見て,「第九」人気に若干の陰りが出てるのかと思った。が,今回は3,4階のバルコニー席を除いてほぼ満席。「第九」人気は続いているのだった。

● 「第九」は合唱団とソリストが必要になるわけだから,装置を整えるだけでも大変。裏方の苦労は相当なものだと推察する。
 しかも,この「第九」は地元調達を基本方針としているから,表と裏がないまぜになっているだろう。表の苦労と裏の苦労の両方を引き受けている人もいるに違いない。

● 管弦楽は栃木県交響楽団。栃木県楽友協会管弦楽団というのが正式名称のようなんだけど,実質的には栃響で,そこにエキストラが何人か加わっているという感じ。
 昨日聴いた真岡市民交響楽団のコンミスもその“エキストラ”で入っていた。あるいは,昨夜の真岡オケの演奏会に賛助で出ていた栃響の団員が何人もいる。本番の連チャン。この時期は忙しいなぁ。

● 開演は午後2時。指揮は荻町修さん。ソリストは松野典子さん(ソプラノ),荻野桃子さん(メゾ・ソプラノ),岩瀬進さん(テノール),荒井雄貴さん(バリトン)。
 「第九」の前座(?)は,ヨハンシュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。この演奏会では,この曲を持ってくることが多い。手慣れた曲にして管弦楽の負担を減らすためかとも思われる。
 栃響ってアマオケとしては,おそらく活動過多になっている。それでも一定水準以上にこなしてしまうのは,実力派が数多くいることの結果だ。
 そうはいってもこれ以上に負担を増やすのは,傍から見ていてもいかがなものかと思う。増えてもぜんぜんOK,むしろ望むところだ,という人たちもいるっぽいんだけど。

● ぼくは「第九」の肝は第1楽章にあると思っている。その第1楽章はホルン,オーボエ,フルートで決まる。演奏に対する印象というのは,演奏開始後の数分間で決まってしまう。その印象がその後の演奏によって覆ることは,まずないとしたものだ。
 しかし,何事にも例外というのはあるんだな。今回は,第4楽章の例の有名すぎる旋律を奏でる前のところで,ゾクッときた。
 あれは何だったのか。この数秒間に世界が凝縮されている,思想も宗教も何もかもすべてが詰まっている,といった感覚。

● 「第九」は生でCDで何度も聴いているけれど,こういう感覚を味わったのは初めてだ。もうないかもしれない。たぶん,ないだろう。
 どういう理由でそうなったのかはわからないけれど,この数秒間を味わえただけで,今回は良しとする。

● 「第九」はあくまでも管弦楽曲であって,合唱がメインではない。栃木県では栃響の演奏で満足できなければ,もうその後はないわけだ。
 強いていえば,もっと高い料金を払ってプロオケの演奏を聴きなさい,と言うしかない。日フィルの演奏会が毎年,宇都宮で催行されているから。
 なぜこんなことをウダウダと書いているか。数秒間の震えを味わえたものの,全体としてはかすかに“飽き”が自分の中に兆しているのを感じたからだ。

● 演奏する方はどうなんだろうか。この曲を演奏することに飽きる。あり得ないでしょうね。
 でも,聴く側のぼくには“飽き”が兆している。その理由は“聴きすぎ”にあるのかもしれない。それ以前に,弛みのようなものが出ているのだろう。
 しかし,次回は節目の第10回。何かサプライズがあるような気がする。

2016年12月19日月曜日

2016.12.17 真岡市民交響楽団 第54回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● クラシックの演奏をライヴで聴いてみようかとふと思って,初めて聴いたのが真岡市民交響楽団第41回定演だった。そこで何だこんなものかと思っていれば,その後はなかった。
 現在まで続いているのは,ぼくにとってはこのうえない幸運だったけれども,それもこれもあのときの演奏が熱演であって,何も知らなかった自分の何かを捕らえたからだと思う。
 曲はブラームスの2番だった。けれども,別の曲であっても,結果は同じだったはず。曲ではなくて演奏がぼくを捕らえた。この曲ではダメだったろうと思える曲なんて,探す方が大変だ。
 というわけだから,この楽団には個人的に格別の恩義を感じている。

● しかし,ここのところ,やむを得ない事情からなんだけれども,この楽団の演奏会に行けないことがしばしばあった。真岡じたいから遠ざかっている。
 なんだか,真岡がアウェイになってきた感がある。去る者日々に疎し,といったところ。何とかしないといけない。

● 1年ぶりになる。春の演奏会は都合がつかなかった。
 開演は午後6時。チケットは500円。当日券で入場。指揮者は佐藤和男さん。曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン コリオラン序曲
 ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
 チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」

● ハチャトゥリアン「仮面舞踏会」は先週も聴いたばかりだ。こういうことってわりとあるね。確率の偏りというか,同じ曲がある時期にドッと演奏されるってこと。
 音楽として見れば,第1曲の“ワルツ”を聴ければ8割を聴いたことになるっていう感じ(素人の感想だと思う)。“ノクターン”のコンミスのソロも聴かせどころではあるんだけど。

● ぼくはチャイコフスキーの6つの交響曲も,CDはカラヤンで聴いている横着者だ。しかも,スマホ+イヤホンでしか聴かない。
 となると,CDについて語ってはいけないことになる。と言いながら語ってしまうんだけど,カラヤンだろうとムラヴィンスキーだろうと,CDでチャイコフスキーを聴いても隔靴掻痒の感がある(しっかりと道具立てを揃えて聴けばそんなことはないのだろうか)。何かが足らない。

● 音しかないからだ。音があれば充分だろうと言われるかもしれない。が,それで充分だと思えるのは,聴くことにおいて相当な水準に達した聴き巧者に限られるのではないか。聴き巧者の多くは実際に演奏する奏者(もちろん指揮者を含む)でもあるだろう。
 ぼくはダメだ。音だけではその演奏についてのイメージを作るのに,まったく情報不足だ。
 視覚が欲しい。奏者が演奏している様が目の前で展開するという状況で初めて,その曲に対する感想を形作ることができる(それでもできない場合もある)。

● 「冬の日の幻想」とはチャイコフスキー自身が付けた標題であるらしい。ロシアの冬だ,日本の冬とは寒さの質が違うだろう。幻想など見れるような寒さではないんだと思うんだけど,家の中で外を見ながらってことなんだろうか。ロシア人の寒さへの耐性っていうのは,ぼくらとはまるで違うんだろうけどね。
 ま,本質とは何の関係もない話。

● 今回の演奏で最も印象に残ったのは,第2楽章のオーボエ。最初に主題を歌うところ。
 こういうところでオーボエは真骨頂を発揮する。そのように作曲家が組み立てているんだろうけれど,“真骨頂を発揮する”と感じさせる演奏だった。

● ティンパニを担当していた女性奏者は何者? あたりを払うような存在感があった。ただ者ではない感を発散していたというか。
 コンミスの踏みこみの良さ。女だてらに(あるいは女なればこそ)果敢に斬りこんでいく様が小気味いい。
 というわけで,今回も演奏そのものに不満はなかった。

● アンコールもチャイコフスキー。「眠りの森の美女」より「ワルツ」。この曲をこれだけの人数で演奏すると,チャイコフスキー自身が構想した曲とは別のものになっているのかもしれない。
 が,そうであっても,いいものはいいということでしょうね。

● 指揮台にスコアはない。佐藤さんは暗譜で振る。今回に限らない。いつもそうだ。
 個々の指揮者によってそれぞれの流儀があるのだろう。どれが良くてどれが悪いという問題ではないはずだ。

● 団員の確保に苦しんでいるようだ。ヴァイオリンやヴィオラでエキストラが過半に達している。東京だとアマチュアオーケストラは毎年増えているという印象があるんだけど,地方ではそうじゃない。
 想像をたくましくすれば,地元在住で地元で働いているという団員はあまりいないのだろう。多くは転勤族(あるいは,その夫人)で,たまたま真岡(あるいは,その近隣地)に通勤しているからその間はオケ活動をやれるけれども,転勤して真岡を離れてしまうと,団員であることもやめざるをえない,となるのかも。
 となれば,これは真岡市民交響楽団のみならず,どこでも同じ問題を抱えているはずだ。

● 栃木県でアマオケの活動拠点になっているのは,真岡のほかに,宇都宮,足利,栃木,鹿沼,大田原,小山,野木だったか。
 今だと宇都宮でも団員確保の苦労から免れているとは考えづらい。こういうところでも地方の苦労というのはあるのかもなぁ。
 こうすれば解決するという処方箋などあるはずもない。地道なリクルートを継続するほかないのだろう。

2016年12月13日火曜日

2016.12.11 東京大学フィルハーモニー管弦楽団 第38回定期演奏会

川口総合文化センター リリア メインホール

● 東京大学の冠が付くオーケストラは4つある。東大純正の東京大学音楽部管弦楽団のほかに,東京大学フィロムジカ交響楽団東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団,そして東京大学フィルハーモニー管弦楽団の3つのインカレ・オーケストラ(東大の学生が占める比率は,3割程度か)だ。
 東大の五月祭や駒場祭に行くと,この4つのオーケストラの演奏をまとめて聴くことができる。実際,五月祭にも駒場祭にも出かけたことがある。のだけれども,大学祭に自分のようなロートルが紛れ込んでしまうのは,学生さんの迷惑になるかもしれないと思って(つまり,いるだけで迷惑。場の雰囲気を壊す),ここ2年ほどは自重している。

● さて,東京大学フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴くのは,2年前の駒場祭以来。定期演奏会に限れば,3年前の32回定演以来。
 開演は午後3時。入場無料。指揮は濱本広洋さん。曲目は次のとおり。
 ボロディン 「イーゴリ公」より「ダッタン人の踊り」
 ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
 チャイコフスキー 交響曲第4番

● 前回聴いた定演から,メンバーはほとんど入れ替わっているのではないかと思う。3年も前なんだから。
 3年前に比べると,かなり巧くなっていると思われた。「ダッタン人の踊り」が始まって数秒後には,そう思っていた。メンバーの入れ替わりによるものでしょうか。

● ハチャトゥリアン「仮面舞踏会」は,浅田真央が演技用の音楽に採用してから,コンサートで聴く機会が増えた。今は減ってしまったと感じるのは,浅田の低迷と関係があるのかないのか。
 彼女の世界の1年は,普通の仕事に従事している人の3年分や5年分に当たるのかもしれない。彼女は10代半ばからずっとトップを張ってきた。マスコミに追いかけられてきた。もういいんじゃないかと,ぼくなんぞは思ってしまう。
 もう長い間,充分に戦ったのだから,と申しあげたいところだけれど,そうも行かない事情が何かあるんだろうか。

● 「仮面舞踏会」は,1曲目の“ワルツ”と2曲目の“ノクターン”の対比に惹かれる。ハチャトゥリアンに対比する意図はないのかもしれないけれど,“ワルツ”の華やかさ,何とはなしのデコラティブな感じに対して,静謐な“ノクターン”。ここはコンミスの腕の見せ所でもある。

● こういった“ワルツ”と“ノクターン”の対比云々ということを言っていられるのも,演奏がいいからなんだよね。演奏がダメだとそういうところに行かないで終わる。
 この楽団のサイトには,練習は週1回だと書いてあるんですよ。けれど,腕に覚えのある人たちが集まっているんだとしても,週1の練習のみでこの水準を維持することができるんだろうか。
 できないよね。ということは,他の楽団にも参加している団員が相当いるんでしょうね。

● チャイコフスキーの4番も,同じ印象。木管が目立つ曲だから,木管に目(耳)が行くことになる。ホルンをはじめ金管も何だか凄い感じ。弦は言うにや及ぶ。
 冒頭のホルンとファゴットが奏でるファンファーレ。これから始まるこの曲は,つまりはこういう曲なんですよ,と聴衆に告げるわけだけれど,この部分をここまでの水準で表現できるアマチュアオーケストラはそんなにないのじゃないかと思う。
 そうでもない? これくらいは普通なの?
 アンコールもチャイコフスキー。「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ。

● というわけで,演奏は堪能できる水準に仕上がっていた。来年は創立20周年になるらしい。記念行事を何かやるんだろうか。募金を募っているとアナウンスがあった。
 これだけの演奏を聴かせてもらえれば,たいていの人は募金に応じるはず。ぼくも些少ながら。

● ただし,唯一の傷が客席にあった。乳児の泣き声が何度か響いてしまったんだね。演奏の途中で指揮者が振り向いて睨みつけるという一幕があった。
 ここまで底が抜けた馬鹿がどうして出てしまうのか。生まれて間もない乳児をこれほどの音圧にさらせば,泣きだすに決まっている。奏者や他の聴衆に迷惑がかかるというレベルを超えて,演奏会を壊してしまうことになる。
 それ以前に,そんなことをするのはわが子を拷問にかけるようなものだろう。虐待のひとつに数えていい。正気の沙汰とは思えないんだがな。

● ひょっとすると,団員の知り合いなんだろうか。生まれたばかりの子供を連れてきて,紹介しようと思った。育休で休んでいる女子社員が乳飲み子を連れて職場に来ることがあるけれども,そんなノリで来たのかもしれない。
 もしそうならなおのこと,受付で撥ねないといけない。かなりやりづらいだろうけど,撥ねないと。
 通した以上は,そこから先の展開は想定の範囲内にあるはずで,主催者側の一員である指揮者が睨むというのもおかしなものだ,となってしまう。あんたが入場を認めたんだよね,ってことだもん。

2016年12月5日月曜日

2016.12.04 モーツァルト合奏団 第18回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後2時。入場無料。

● 今回の曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲第2番 ニ長調
 バッハ ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調
 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」より抜粋
    序曲
    序奏「5・・・・・・10・・・・・・20・・・・・・」
    「もしも踊りをなさりたければ」
    「もう飛ぶまいぞ,この蝶々」
    「スザンナ,すぐ出ておいで」
    「スザンナは来ないかしら」
    フィナーレ
 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調(弦楽合奏版)

● かなり魅力的なラインナップ。これなら,聴きに行かざるべからず。
 最も印象に残ったのは,バッハのヴァイオリン協奏曲第2番。ソリストは江刺由梨さん。東京音大附属高校の3年生。地元の出身者であるらしい。
 弦が幾重にも折り重なるようにして,あぁバッハだなぁと思わせる響きを作る。その響きを作るのは,じつは奏者の楽器だけじゃない。

● ホールも表現者になる。バッハの曲ってそうじゃないですか。響きを響かせるホールの実力っていうのが,わりと前面に出る感じがする。
 バッハを響かせるのに合ったホールっていうのがありそうだ。宮城県の中新田バッハホール(1981年開館)が老舗だけれども,那須野が原ハーモニーホールもまた,かなりの実力の持ち主であるようだ。

● ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番も聴きごたえあり。CDでは何度も聴いているはずなのだ。が,11番ってこういう曲だったのかと初めて知った気分になった。CDでは何を聴いていたんだろう。
 終演後の団長あいさつで,この曲にはだいぶ手こずったという意味の話があった。楽譜をなぞるだけでも,相当な難曲であるのだろう。

● しかし,曲にいたぶられた(?)成果は間違いなく出ていたようだ。曲が元々備えているのであろうメリハリがきちんと表現されていたし,静から動への間合いも,これが本来なんだろうなと納得させるものだった(静と動って便利な言葉だから,つい使いたくなる。可能な限り遠ざけた方がいい常用句のひとつだろうね)
 粛然として襟を正さしめるところはあくまで粛然と,時々現れる軽ろみのところは,きちんと軽く。
 表題の「セリオーソ」とは「厳粛に」との意味らしい。そのように演奏しようとあえて思わなくても,曲がそれを強制するといった具合であろうかと推測する。

● この合奏団の演奏会の楽しみは演奏のほかにもうひとつある。それは何かと申せば,女性奏者のドレス。思い思いのカラフルなドレス。黒一色よりずっといいですよね。華やぎがある。黒一色では重厚感が強くなりすぎる。
 それにだ,言っちゃ何だけど,カラフルは七難隠すぞ。

● ところが。ステージ登場したのは黒一色のカラス軍団なんでした。アレッと思った。
 2曲目のバッハ「ヴァイオリン協奏曲」に登場するソリストのために,自分たちは自重しようということのようだった。
 そのあとは,カラフルで登場したからね。もっと派手でもぼくはいいと思うけど。