2015年1月31日土曜日

2015.01.31 宇都宮合唱倶楽部第4回演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後4時30分。チケット(前売券)は1,200円。
 合唱の演奏会を聴くのは,これが2回目か。2年前にルックスエテルナを聴いて以来のような気がする。

● 前半は,混声,男声,女声の順で。最も印象に残ったのは男声で,これは何というか,自分でも意外だった。
 「荒城の月」を聴いて,これほどシンミリした気分になったことはない。「故郷」もそう。
 くどいようで申し訳ないんだけど,聴いたこと自体,あまりない。それは前提なんですけど。

● 日本の原風景というか,かつての農村の風景というか,それが歌として残っているわけですね。
 おそらく,当時でもすでにリアルではなかったのだと思う。作詞家が相当にデフォルメを加えているというか,彼の心象風景を詞にしたものだと思うんだけど,ともかく歌の中に,懐かしい風景が固定されている。
 だから,ぼくらは安心してどんどん変わっていける。戻れる場所が歌の中にあるんだから。

● 雄渾さはかけらもない。箱庭のような小さな風景の中で,細やかな,ほとんど独りよがりと言いたくなるような内面の物語を作ってきたんだな。微細な肌理を重ねていくような感じでね。
 それはまた,逃げ場にもなってくれたに違いない。そうやって,ぼくらはバランスをとって生きてきたんだし,これからもそうして生きていく。

● それを男声で表現しても,デリカシーの塊のような歌になるんですな。人の声が持つ浄化力って,たしかにあるな,と。

● 休憩後は,フォーレの「レクイエム」。ソプラノに藤井あやさん,バリトンに渡辺祐介さん。オルガンは室住素子さんが担当。
 ただし,管弦楽はなくて,寺嶋陸也さんのピアノが,これは伴奏といっていいのか,とにかく管弦楽の代わりを務めた。

● 三大「レクイエム」のひとつに数えられている著名な曲だ。ぼくだってCDは持っている。持っているんだけども,レクエイムだったりミサ曲だったりっていうのは,取っつきにくい印象。
 ひとつには詩がわからないということ。わからなくても,オペラと違って,決定的に困ることはない。おおよその意味がわかっていればいい。

● 早い話,ベートーヴェンの「第九」だって,合唱団が今歌っているのはどんな意味なのかなんてわからないで聴いている。それで隔靴掻痒を感じるかっていうと,そんなことはない。
 もっと言っちゃうと,日本のお経だってどんな意味なのかわからないけど,雰囲気が掴めていればそれでいい。それで困ることは何もない。
 ではあっても,なかなかね,積極的にCDに手が伸びることがないなぁ。

● もうひとつは,キリスト教に距離があることだね。欧米人がわかるようにはわからないという諦めもある。
 万軍の主なんて言葉は,言わんとするところはわかるような気がするんだけど,それこそ隔靴掻痒の感を覚えてしまう。たぶん,このあたりの欧米人の感覚は,日本語では表現できないのではないかと思う。

● この種の曲は否応なしに聴く機会を作らないと,聴かないままで終わってしまいそうだ。こういう機会はありがたいものだ。
 モーツァルトやベルディに比べると,アッサリしている感じ。重厚感とかこってり感が削ぎ落とされている。洗練されていると言い換えてもいいかも。胃にもたれないというか。
 他国は知らず,三大「レクイエム」の中ではフォーレが一番好きだっていう日本人は多いんじゃないかなと思った。

2015年1月26日月曜日

2015.01.25 東京大学音楽部管弦楽団第100回記念定期演奏会

サントリーホール 大ホール

● 第100回ということで,プログラム冊子にも指揮やトレーナーを務めている(いた)人たちが手記を寄せている。
 ことがらの性質上,絶賛の嵐になっているわけだけれども,リップサービスだとは思われない。
 いちいちそうだろうなと頷きたくなった。客席に届く演奏と照らし合わせても,たぶんそうなのに違いないと思えるので。

● 以下にいくつかを摘記しておこう。
 早川正昭氏(指揮)
 初心者が約四分の一というオーケストラを,いかに上手く聴かせるかという事に重点を置いた
 「東京に10あるプロオケの中間位。」と,柴田南雄氏が朝日新聞に書かれました。
 田代俊文氏(指揮)
 驚いたのは,休憩になると指揮者の元に行列ができ,団員が質問に来る事です。
 皆さん理解力がとても高く,ヒントを少し与えればすぐに音が変わります。目標を設定すると最短距離でそこに向かっていこうとする力があり,頭がいいですね。
 皆さん音楽が大好きで,楽しんでやろうという気風が増えてきました。昔は,ちゃんとしなくちゃ,精緻にやろうという方向に比重が強くかかっていたように思います。
 青木高志(ヴァイオリン)
 演奏能力の高さと応用力の素晴らしさ
 練習初期はのんびりと・・・本番近くなると俄然まとまってくる気質
 桑田 歩(チェロ)
 常に全力で練習に取り組む姿勢と音楽に対する愛情にはプロの演奏家としても驚嘆さえ感じます。・・・いったい皆さんはいつ勉強しているのでしょう・・・?
 堀 了介(チェロ)
 東大オケと聞いてすぐ思い浮かぶのは,団員の皆さんの集中力,音楽に対するひたむきさです。時には,ここは音楽学校?と錯覚を起こしそうになった事も・・・。
 大森 悠(オーボエ)
 東大オケで学んだことを礎としてプロの世界に飛び込んだ時,プロも結構ユルいことやってんなぁ,と不遜にも思ったものだ。それくらい,東大オケは「厳格・厳密」だった。
 中川鉄也(クラリネット)
 「何よりもまず音楽に」と献身的に情熱を燃やし,その伝統の中で進化しようとする学生諸君の「覚悟」を強く感じます。
 平山 恵(フルート)
 勤勉で,禁欲的である彼らは時に学生としての本分を忘れやしないかと心配になるほど練習に打ち込み・・・・・・
 森田 格(ファゴット)
 皆の理解力の高さには驚きましたが,その場ですぐにできないことでも次の回の分奏では殆どクリアしてきてしまう事にはさらに驚きました。
 和久井 仁(オーボエ)
 驚愕のナンバーは「理解力」。年度が代わってもどんなにメンバーが代わっても楽員達の理解力は何時だって私の想像を超えるもので,上達のスピードが素晴らしい事です。
 通常オーケストラLessonで奏法や音楽的な解釈を説明する時には一つの事を伝える為に何通りかの言い回しで話をします。・・・ですが・・・東大音楽部の楽員たちは,一通りの話し方で殆どを理解してくれるのです。
 須山芳博(ホルン)
 指導を経て行くにつれ,音楽を表現する上でもっと音楽の内容に迫って欲しいと感じる事がありました。それは東大生の教養が邪魔をしている所があるのでは,と感じました。音楽を表現する事は自分の素を出すと云う事でもあります。(中略)楽器を演奏する時は東大生と云うことを忘れ、無の境地で思い切って音楽の懐に飛び込みなさい,と話しています。
 曽我部清典(トランペット)
 頭脳明晰な東大生のレッスンなど務まるのかな?という思いでしたが,こと音楽になると意外と頭使ってないなあという印象でした(笑)。
● 摘記といいながら,少々長すぎた。要するに,集中と長時間を両立した練習と,理解力の高さ。
 以上の評は,ぼくらが抱いている東大生というイメージからあまり離れていないものなので,そのままスッと納得できてしまう
 しかし,それだけだと括られてしまうと,団員からは不満続出かも。

● にしても。トレーナーひとつとっても,とんでもなく恵まれた環境を整えているんだなぁとも思った。これだけの環境はなかなかないものじゃないですか。いくら環境を整えても,ダメなヤツはダメなんだろうけど。
 早川正昭氏の話はだいぶ昔のこと。それ以後,プロアマ含めて,演奏水準はかなり高度化したんでしょうね。特にプロの水準が上がっているわけで,さすがに今は“プロオケの中間位”ということにはならない。

● それでも,技術だけではない何かをこの楽団の演奏会では味わうことができる。聴くたびにそうだ。
 背筋を伸ばしてくれるもの。ひょっとしたらオレも何かできるんじゃないか,と思わせてくれるもの。
 この楽団の第100回の記念演奏会に立ち会えたのは,幸せだった。

● マーラー5番は渾身の熱演。奏者側にも出しきった感があるのではあるまいか。
 臆せず,冷静さを保って,ガンガン行く。じつに小気味がいい。
 マーラーについていくだけでも容易じゃないと思うんだけど,ついていけるようになると,今度は逆に,乗りすぎだとわかっていながらつい乗ってしまうってこともあるんじゃないかと思うんですけどね。
 攻めすぎて駒が足りなくなるなんてことはなかった。きちんとした練習の裏打ちがあるのと,奏者それぞれに,もうひとりの自分がいて,そのもうひとりの自分が自分の演奏を見ているんだろうね。

● 指揮の宜しきを得たのも大きい。田代俊文さんの指揮。神経の行き届いた指揮だったように思われた。
 それから,コンマスがコンマスとして見事だった。この男,ただ者ではない。
 惜しむらくは,ぼくの席が後方すぎた。ちょっと出遅れたために,もうこの席しか残っていない状態だったんだけど,もっと近くでコンマスの仕事ぶりを見たかった。出遅れはいけないねぇ。

● アンコールもマーラーの「花の章」。当然,この楽団に手抜きはない。最後まで完璧に務めて,馥郁たる残り香をおいていってくれた。

2015年1月25日日曜日

2015.01.24 Nonette Pipers Ensemble 第30回定期演奏会

宇都宮市文化会館 小ホール

● 開演は午後2時。チケットは500円。当日券を購入。
 昨年に続いて二度目の拝聴。その昨年の自分のエントリーを読み返してみたら,前の晩に飲みすぎて,眠気と戦いながら聴いていたようだ。しょうがないヤツだ。

● ともかく,今年も聴きに行こうと思ったってことは,自分なりになにがしか感じるところがあったのだろう。
 で,今年はきちんと聴くことができた。

● 今回のプログラムはオール・フランス。
 まず,オーボエ,クラリネット,ファゴットで,イベールの「5つの小品」。プログラム冊子の曲目解説では「やわらかな雰囲気や浮遊感をお楽しみください」とある。
 フランス印象派に対しては,われながらいわれなき苦手意識があった。代表的な作曲家であるドビュッシーのCDも,最後まで聴き通せたことがなかった。

● が,昨年の大晦日からドビュッシーを聴くことを自分に強制することにして,1週間かけてオペラ以外の管弦楽曲とピアノ曲を聴いた。
 ら。初日から自分に届くものがあって,強制が強制じゃなくなった。何というか,嬉しい誤算。ようやく,耳ができてきたのかと嬉しくなった。

● でも,やわらかさはそれとわかるとしても,浮遊感というのはぼくにはまだピンと来なかった。
 5つの曲の曲調がそれぞれ違うから,全体として浮遊するような印象が生じるということなんだろうか。

● 次は,グヴィの「ガリア小組曲」。九重奏。初めて聴く曲だと思う。こじゃれた感じの曲。グヴィって,ぼくはCDもまったく持っていない。ネットにもあまりあがっていないようだ。
 CDを探してみようかと少しだけ思った。アマゾンをチェックするしかないわけだけど。

● 休憩のあと,ビゼーの「カルメン」。もちろん全曲ではなく,抜粋しての演奏。木管アンサンブルに編曲したのは高濱絵里子さん。
 演奏は安心して聴いていられるもの。きっちり年季が入っている。

● 今はストーカーという言葉ができたから,ホセは究極のストーカーってことになるんだろうけど(どう見たって,彼に正義はないからね),それ以前はどうだったのだろう。純愛の体現者として見る向きもあったんだろうか。
 言葉がぼくらの思考や感覚にタガをはめるってことがありそうだ。
 
● 途中,古参メンバーや最も新しいメンバー,指揮者の菅原恵子さんへのインタビューもあった。
 菅原さんが“もっと遊んでほしい”と言っていた。観客に対する要望だろうけど,奏者に対する投げかけでもあるだろう。一定のレベルを保持したうえでの遊び。
 遊び心をどう発露するかは,しかし,個人差もある。わかりやすい現し方ではない現し方をしているメンバーも,たぶんいるはずだと思う。

● 何はともあれ,30年だ。たいしたものだ。メンバーが顔を合わせるのは,どの程度の頻度なのかわからないけど,仲違いとか反目とかは,いつでも起こり得るんだろうしね。
 リーダーに人格者を得ているか。適度にメンバーの交替があるか。いい音を作りたいっていう個々のモチベーションがしっかりしているか。

2015年1月14日水曜日

2015.01.12 那須野が原ハーモニーホール ニューイヤーコンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後2時。座席はSとAの2種で,ぼくは安い方のA席チケットを買ったんだけど。2階席の最前列(ホールの用語だと3階席)。

● が,これは失敗だったとすぐに気がついた。ステージが遠すぎる。最初はピアノ三重奏曲だったんだけど,奏者がとにかく小さい。表情なんてまるでわからない。
 ステージに没入するのがその分,難しくなる。せっかくのライヴがこれではもったいない。オーケストラの演奏だったらまだ違ったんだと思うんですけどね。
 結局,この失敗が最後まで尾を引いてしまった感じ。

● 客席は半分くらいの入りだったろうか。これも少々,場を冷やしたかもしれない。前回はもっと多かったのになぁ。
 なんぞと思ったのは,何回かこのコンサートに来ているつもりでいたからなんだけど,2012年以来,これが2回目なのだった。2013年は大雪で電車が途中で止まってしまって行けなかったし,昨年も来ていない。

● だから,比較対象は2012年ということになる。で,2012年の豊穣さと比べると,ちょっと食い足りなさが残ってしまった。
 って,これはぼく一個に限られた感想かもしれないけれど。

● 内容は3部構成。第3部で,大貫裕子さんや高田正人さんが一生懸命に盛りあげて,終わり良ければすべて良しという終わり方ではあったんだけど,これだけのメンバーがいるのであれば,2012年に登場した弦楽亭オーケストラにまた出てもらって,コンサート形式のオペラができなかったのかと思うんですよねぇ。たとえば,なんだけど。

● 相当に格調の高いニューイヤーオペラができあがったろう。スケジュールの調整とかいろいろあんだろ,言うほど簡単じゃないんだよ,と言われますかねぇ。

● ま,でも最後は,ヴェルディの“乾杯の歌”と,さらにヨハン・シュトラウス「ラデツキー行進曲」だったから,これで盛りあがらなかったらおかしい。
 ニューイヤーコンサートなんだしな。

● このホールのホワイエには大理石の立派なスタンディングテーブルがずらりと並んでいる。コンクリートに表面化粧したものではなくて,正真正銘の大理石かと思われる。
 たぶん,休憩中にワインやビールを飲むためのものだろうけど,自販機が3台あるだけで,ここでバーコーナーを作ったのは見たことがない。
 入り口近くのロビーに行けばカフェがあるんだから,そちらでどうぞってことなんだろうけど,立派なテーブルがもったいないな。
 せめてというわけで,自販機で缶コーヒーを買って,大理石に置いてみたんだけど,ちょっと間が抜ける感じは否めないんだな。

● かといって,バーコーナーを作っても,採算が取れないことは目に見えている。田舎のことゆえ,ほとんどのお客さんは車で来る。バーコーナーなんぞ作ったら,ほぼ確実に酒気帯び運転を生むことになってしまう。
 コーヒーの出張販売をするくらいか。それでもどれほどの利用者がいるかな。

2015年1月12日月曜日

2015.01.10 アウローラ管弦楽団第12回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● もっぱらロシア音楽を取りあげている楽団。開演は午後1時半。チケットは1,000円。当日券を購入。指揮は田部井剛さん。

● 今回の演しものは次のとおり。
 スヴィリードフ 組曲「吹雪」 プーシキンによる音楽的イラストレーション
 ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調

● この楽団の演奏を聴きのは,今回が4回目になる。栃木の田舎から東京までわざわざ聴きに行く。しかも,この回数。
 何かを感じているからだよね。その何かって何だろう。

● ひとつには,あまり聴く機会のないロシアの作曲家の作品を聴けるから。
 チャイコフスキーやラフマニノフはしばしば聴く機会がある。ショスタコーヴィチやプロコフィエフも,まぁまぁ。
 でも,そのあたりまでで,今回のスヴィリードフなんて,名前も聞いたことありませんでしたよ,ぼく。名前を聞いたことがないんだから,CDも持っていないし,曲を聴いたことのあるはずもない。
 この楽団の演奏会に行けば,とにかく初めての出逢いがある。

● ふたつめには,腕の確かさ。コンミスをはじめ,芸達者が揃っている。アマオケとはいいながら,練達の趣がある。

● みっつめには,プログラム冊子。曲目解説とコラムが面白い。どこが面白いかといえば,偏っているところ。
 偏っているっていうと,ちょっと違うか。どんな曲でも,書籍やネットを見れば解説はたくさんある。その中で広く流布しているのが,いうなら通説だと思うんだけど,この楽団の曲目解説はそうした通説を慮っていないというか。私見をサラッと述べていると感じられる箇所があって,そこがとてもいい。

● さて,スヴィリードフの「吹雪」。ソ連時代の「国営映画のBGMサントラ集」であるらしい。ショスタコーヴィチの弟子で,ロシアでは知名度の高い作曲家とのこと。
 客席には外国人もチラホラ。たぶん,ロシア人なんでしょうね。日本でこの曲が聴けるのか,ということだったのかなぁ。

● 演奏中にステージを暗くして,ミラーボールを使った光の演出もあり。たしかにライトであり(こういうのを大衆的というのだろうか),軽い分,ストレートにこちら側に入ってくるなと感じた。
 入ってくるというのは,情景が浮かびやすいということ。あらかじめ曲目解説を読んでいなくても,映像をイメージしやすいっていうかね。
 しかも,聴き手次第でいかようにでもイメージを結べるところがあって(どうやったって,夏の開放的なシーンは浮かんでこないけど),そこの自由度もなにがなし気持ちがいい。

● ラフマニノフの2番は久しぶりに聴いた。
 かつてのアメリカでは一部をカットして演奏するのが普通だったと,曲目解説にある。冗長と受けとめられていた。そういう時代もあったのだと思っておくしかない。
 天才が作ったものを,当代の評論家や民衆が等身大に受けとめられないのは,むしろ当然かもしれないんだしね。
 ぼくらも同じ間違いをたぶんしてるんだよな。後生の人たちから笑われても仕方がないような間違いを,現代の天才の作品に対して,おそらくやっているんだと思う。

● 「ロシアン・ロマン」という言葉が,曲目解説にあるんだけれども,基本,チャイコフスキー路線。
 それが好きな人にはこの曲はスッと受け入れられる。ぼくもまたその一人だから,この演奏で聴けて嬉しかった。
 頭であれこれ考えるのは面倒くさい。頭で考えない方が,結果的に間違わないですむんじゃないかとも思う。

● 女子団員はカラフルなドレスで登場。こういうの,ぼくは全面的に支持する。クラシック音楽の演奏会だからといって,衣装までクラシックである必要はない。
 客席でも,あのドレスはちょっとどうなのとか,ドレス談義に花が咲いたりもしていた。ひょっとすると,団員どおしでもあるのかね。
 着たいものを着ればいい。思いっきり目立っていい。他を蹴散らしてやろうと思ってるくらいでちょうどいい。と,思うんですけどね。

2015年1月5日月曜日

2015.01.04 Orchestra MOTIF 第3回 New Year Concert

杉並公会堂 大ホール

● 午後2時開演のところ,15分ほど遅れて始まった。チケットは2,000円。当日券を購入。
 アマチュアオーケストラの演奏会にしては,ちとお高い? が,ふたつほど留保が必要。
 ひとつは,「今回のコンサートの収益は,福島県相馬市の子どもたちと音楽の感動を共有する活動に使わせて頂きます」ということ。チャリティーであって,チケットは入場料というより,被災地への寄付,あるいは被災地で活動する団員の活動費であること。

● もうひとつ。演奏の水準が並みじゃないこと。
 というのは,こういうことだ。約80名の団員がいる。ほぼ,大学生。藝大や桐朋をはじめ,音大の学生が多い。指揮者の松本宗利音さんもコンミスも,藝大の学生さん。
 チャリティー云々は切り離して,演奏を聴く対価としても2,000円なら安い。

● 一般大学では慶応が圧倒的に多い。団の代表者も慶応の学生。
 あと,高校生も5人ほど。音大に進むんですかねぇ。何となくだけど,頭もかなり良さそうなので,それこそ東大とか慶応とかに行くのかなぁ。どっちにしても,たいしたものだな。

● ホームページには「大好きな音楽の感動を多くの人と分かち合いたい。Orchestra MOTIFは若者達の熱意から結成されました」とある。
 何だかありがちだなぁというのが第一印象。熱意って冷めやすいものだし。特に若いときの熱意っていうのはさ。
 ところがね,こうして複数の大学にまたがるオーケストラを作りあげたっていうそれだけで,これは本物なんだなってことでしょうね。
 設立は2012年。震災後の機運の盛りあがりが生んだ成果のひとつに,この楽団の設立をあげてもいいかもしれないね。

● 大きなお世話ながら,ひとつだけ気にかかる。「若者の限りない熱意と才能によって生み出される“感動”を社会に伝えるべく活動するオーケストラ団体」なんだけど,人っていつまでも若者ではいられないよね。オジサンやオバサンになるんだよな。これ,あっという間だよ。
 そしたらどうするんだろう。後輩たちを勧誘して,いうなら血をつなげるんだろうか。あるいは,最初から期間限定の構えなんだろうか。
 って,そんなことは考えていないはずだろう。それが若さってことだもん。

● 曲目は次のとおり。
 グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 スメタナ 交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
 ドヴォルザーク スラブ舞曲第10番
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 昨年からチャイコフスキーの5番は聴く機会が多かった。新年の1番目もこの曲。何の文句もない。新年早々,いい気分だ。
 ステージに立つ以上,オーケストラって見た目も重要だと思うんだけど(持って生まれた顔貌や体型の話じゃない),その見た目もかなりいい。姿の美しさ。
 耳も目も満足した。耳だけ満足して目は満足しないってことは,まずないんだけど。

● 活動内容からしてお金がかかるのは,部外者にもわかる。楽団としては「支援のお願い」もしているんだけど,これはなかなか難しいだろうと思われる。
 寄付に冷淡なのが日本人のダメなところってことじゃなくて,胡散臭い寄付のお願いってのが世に多すぎるんだよね。過半が事務費に使われていたりするやつ。

● 先に書いたように,これでチケットが2,000円なら安い。ではいくらまでなら出すか。スバリ,5,000円までならぼくは出す。
 要するに,出してもいいのは演奏を聴かせてもらうことの対価に限られる。その対価として,5,000円なら出すと思う。狭量で申しわけないけど。