2014年12月31日水曜日

2014.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2014

東京文化会館 大ホール

● 4年連続で4回目の拝聴。同じ日に同じ会場の小ホールで,ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の演奏会もあって,今年はこちらにしようかとも思った。
 ベートーヴェンって交響曲だけじゃないし。交響曲はけっこう聴く機会があるし。弦楽四重奏曲を聴いてきたんですよと言う方が通っぽいような気がするし。

● が,やはりこの魅力に抗しきれずという次第。それと,下世話ながら,内容に比してチケットが安い。これも誘因になった。
 開演は午後1時。指揮は小林研一郎さん。オーケストラは全国選抜の「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。コンマスはN響の篠崎史紀さんで,指揮者とコンマスはこの4年間は不動(それ以前のことは知らない)。

● 過去3回はいずれもC席で聴いた。昨年は文化会館で購入したので,正規の5,000円。ただし,安いD席(2,000円)とC席はすぐに売れてしまうらしく,このとき買えたのは4階左翼席の2列目だった。これは正直,かなり辛い席で,同じC席でも1列目とは天地の差になる。
 一昨年はその1列目をヤフオクで購入していた。落札価格は8,000円とか9,000円とか,場合によっては10,000円になってしまうんだけど,それでも1列目が取れるんだったら,その方がいいかなと思って,今年は最初からヤフオク狙い。

● ところが,その1列目の出品に10,000円で応札しても,落札できなくてね。また出てくるのかもしれないけれども,時間も迫っているしというわけで,もう何でもいいやと思って。
 で,オークション終了30分前の時点でA席が11,500円のオファーがあった。これに,正規料金の15,000円で応札。結局,その値段で落札できてね。
 S席とA席は,その時点でまだ正規チケットも残っていたけど,まずは良しとしなければならないよね。

● というわけで,今回は初めてA席で鑑賞することになりましたよ,と。1階の左翼席だった。
 で,どうだったかというと,4階席とは届く情報量がまるで違うんでした。
 まず,小林さんの指揮ぶりが見える。4階席の奥の方から見ると,彼の左手が風に吹かれてブラブラしているように見えた。1階で見ると,意思が通っているという当然のことがわかる。
 奏者の表情もわかる。それがどうしたと問われれば,存在が身近に感じられるぞと答えておけばいいだろう。

● 1番からさすがはプロの集中力。といっても,ストイックな集中ではない。たぶん,奏者にとってもこの催しはお祭りなのだと思う。ゆえに,肩の力が抜けているというか,リラックスしているというか。そのうえでの集中。
 とはいえ,後半になると指揮者も奏者も入れ込む度合いが高くなる。お祭りじゃなくなる。そうなればなったで,別の凄みが出てくるわけだけれども,そうなる前の3番が今回の白眉だったと言ってみたい。5番でも7番でもなく,3番(あと,4番も)。

● どういう日本語をあてはめればいいか。ケレン味がないというか。起伏の多いこの曲を平明に表現したといいますかね。
 力みがない。こちらの感度さえ良ければ,まっすぐに直截に受け取れるはずの演奏だと思えた。
 ぼくがそのように受け取れたかとうかは,したがって別の問題。

● しかし,入れ込んだ後も聴きごたえがあったのは言うまでもない。7番の第4楽章の音のうねり,跳躍。呆然としながら聴いていた。
 いや,呆然とするしかないでしょ。これ聴いて,呆然としなかった人って,客席の中にいたのか?

● 8番もその勢いで,最後は「第九」。
 ソリストは森麻季さん(ソプラノ),山下牧子さん(アルト),錦織健さん(テノール),青戸知さん(バリトン)。合唱は武蔵野合唱団。この布陣も昨年と同じ。
 よく鍛えられた合唱団。男声をこれだけ集められるってところに,ぼくなんぞは都会を感じてしまうんだけどね。
 ソリストについては名前だけでひれ伏す感じ。

● けれども,肝はやはり管弦楽だ。疲れていないはずはない。疲労困憊だったと思うんだけど,寸毫も集中を切らさない。
 っていうか,「第九」が始まる前の休憩時間にも練習している音が聞こえてくるわけですよ(確認作業だったんでしょうね)。なんなんだ,こいつら,っていうね。
 じつに使い減りがしないというか。いや,プロとはこういうものかと思いましたよ。

● どのパートがどうのこうのという世界じゃないけれども,ぼくにはオーボエの音色が染みた。
 しみじみと染みてきた。あぁ,オーボエっていいなぁ,っていう。

● 指揮者もしかり。70歳をこえてこれだけ身体が動いちゃうんだからね。
 しかも,大晦日の午後1時から始まって,終演は年明けという長丁場。途中,休憩はもちろんあるものの,とんでもない運動量だし,それ以上に根をつめなきゃいけない作業なわけで。凡人にとっちゃ,それだけで驚異。
 でも,若手の指揮者にしたら困るでしょうね。これだけ頑張られちゃ,自分に席が回ってこないよ,と。サラリーマンなら,60歳になればいやおうなしに退場させられるけれども,この世界にそれはない。

● コンマスの篠崎さんの存在感も印象的。オーケストラを完全掌握。「まろ」というのは,言い得て妙でありますな。

● ステージは素晴らしい。が,客席はどうかというと,ごく普通だ。
 下品きわまるブラボー屋がいるし,演奏中にプログラム冊子を読んでいる鶏頭もいる。このあたりは宇都宮で地元のアマオケの演奏会を聴いているのと,雰囲気は何も変わらない。
 ただし,子どもはいない。大人だけだ。演奏時間帯からして子どもがいちゃまずいんだけど,子どもがいないってのは,かなりの快感だ。

● 会場はずっと東京文化会館。ここ,席が狭いのが難。左右も前後もかなり手狭。その分,収容人員を多くしていると思われる。約2,300人を容れることができる。
 主催者とすれば,それを満席にしないと催行は覚束ないのだろう。席が狭いことくらい,我慢しないとしょうがない。

● 年末の「第九」は日本の風物詩かと思っていたんだけど,最近では外国でも見られるようになりつつあるらしい。
 けれども,ベートーヴェンの交響曲の全曲を1日で演奏するなんてのは,たぶん,日本だけでしょ。しかも,この水準ですからね。
 したがってこのコンサートはよく知られている(と思われる)。遠くから飛行機や新幹線を使ってわざわざ聴きに来ている人もいるようだ。

2014年12月29日月曜日

2014.12.28 東京大学歌劇団第42回公演 マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」&プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」

三鷹市公会堂 光のホール

● 本格的な,たとえばローマ歌劇場やウィーン国立歌劇場の来日公演を見に行って,豪華な舞台装置や衣装に度肝を抜かれたいと思う。思うんだけど,料金がねぇ。S席だと5万円を超えてくるもんなぁ。
 そのくらい出せよ,それだけの価値はあるだろうよ,お金は小出しに使うな,まとめて使うもんだよ,と自分に言ってやりたいんだけど,言われても困るよっていう,もう一方の自分もいるわけでね。

● そこで,折衷案というか,現実を踏まえてというか,市民歌劇団がプロの歌い手を招いて催行するオペラを昨年は何回か観に行った。
 これならまぁまぁ出せる金額。財布にやさしい。そのうえ,オオーッと驚けるところもいくつも出てくる。ぼく程度の聴き手なら,それで充分すぎる。

● なんだけど,今年はそういったものに一度も行かずに終わった。その理由は自分なりに分析はしているんだけど,要は飽きてしまったようなんですね。
 で,残ったのは,プロがいなくて,100パーセント学生手作りの,この東京大学歌劇団の公演ですよ,と。

● 面白いんですよ。今回は2本立てだったんだけど,どちらもかなり面白かった。かけているエネルギーの総量なんでしょうけどね。それが伝わってくるわけで。
 玩具のオペラなんだと思うんですよ。設えだってチャチイんです。学生たちがやってるんだもん。お金,ないんだもん(親はお金持ちかもしれないけど)。

● ただし,歌い手も管弦楽の奏者も指揮者も本気で遊んでいるわけだよね。遊びに本気になっている。
 しかも,将来,自分がどこまで伸びるか,どうなっているか,なんてのは考えていないと思う。「今ここ」に集中している。
 本気で遊ぶって,なかなかできないよ。至高の境地かもしれないと思いますよ。
 その若い本気さが直球で客席に届くわけで,その結果が面白くないわけがない。

● 設えのチャチさだって味わえる。衣装が揃わなくて,それぞれの私服で出ているのだって。
 つまり,そういうことって,本気の邪魔はしないから。

● ともあれ。第38回,39回,41回に次いで,4回目の拝聴というか拝観というか。開演は午後3時。入場無料。カンパ制ってことですね。
 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は男女の愛憎がらみの最後は悲劇の結末。「ジャンニ・スキッキ」はコミカルな喜劇。

● 両者に共通するのは,登場人物たちの住んでいる世界が閉じられていること。一方は,はるか昔のヨーロッパの田舎村。生活も人間関係もその村の中で完結している。
 もう一方は貴族の館。登場人物たちは館の外に住んでいるわけだけれども,劇中ではそこが世界のすべて。
 世界を閉じなければ,物語を動かせないんでしょうね。変数を制限しないと,とりとめがなくなってしまうんだろう。

● 過日,一部を駒場祭で観ているんだけど,今回の印象はそれとはまったく異なるものだった。
 駒場祭での印象記は全部削除したくなった。穴があったら入りたい。なかったら掘ってでも入りたい。

● 「ジャンニ・スキッキ」で標題役を演じた井出さんだけは,プロというか声楽の専門家で,彼の力量があってこそ,コミカルが成立した。歌の技量が表現の幅と深さを作る第一要因であることは,どうしたって動かしがたい。
 「カヴァレリア・ルスティカーナ」でも,同様の理由で,サントゥッツァとアルフィオのやりとりが一番聴きごたえがあった。お見事というほかはない。

● 何気に存在感があったのが「ジャンニ・スキッキ」のツィータ。プログラム冊子で確認したところ,これを演じていたのは20歳のお嬢さん。
 学生がやっているんだから,20歳で何の不思議もないんだけど,あの妖気(?)と色気は何事ならん。

● 終演は5時45分頃だったか。冬の日はとっぷりと暮れているわけだけど,寒さはさほど感じなかった。

2014年12月25日木曜日

2014.12.23 湘南弦楽合奏団第52回演奏会

鎌倉芸術館 大ホール

● “青春18きっぷ”を使わなきゃというわけで,「フロイデ」を参照して,この演奏会にお邪魔することにした。
 最寄駅は大船。栃木の田舎からすると,はるか彼方。東京よりも先っていうことだから。が,実際には湘南新宿ラインで乗り換えなしで行けるんですよね。
 このあたり,昔のイメージが邪魔をしているところがあるね。上野で乗り換えて,そのまま京浜東北線で行くか,東京で東海道線に乗り換えるというイメージが,まだけっこう残っているので。
 江ノ島が近くだから,もちろん始めて降りる駅ではないけれども,前回来たのは10年以上前のことだと思う。人の多さに目が回る。

● 開演は午後2時。チケットは900円。もちろん,当日券を購入。指揮は三河正典さん。曲目は次のとおり。
 バルトーク 「子供のために」より 10の小品
 ヴィヴァルディ オーボエ協奏曲 ニ短調 Op.8-9
 コレッリ クリスマス協奏曲
 ドヴォルザーク 弦楽のためのセレナーデ ホ長調

● 登場した団員,けっこう平均年齢がお若くない感じ。ということはつまり,ベテランが多い。年季の入った演奏が聴けるだろう。
 と思ったら,実際,そのとおり。この合奏団のホームページを見ると,「アマチュアの弦楽オーケストラです」とあるんだけど,演奏でメシを喰っているわけではないという意味でアマチュアであって,演奏の水準は素人離れしている。 
 この合奏団に自分も参加したいと思っても,ここまで巧いと,なかなかおいそれとは入れないんじゃないか。

● 上記のプログラムにしても,玄人好みがする(ように思われる)。これほどの演奏ならばどんな曲でもいいんだけど,ヴィヴァルディのオーボエ協奏曲なんていうのは,さて,この先,聴ける機会があるかどうか。
 オーボエは中山亜津紗さん。よく息が続くなと思うところが頻出。循環呼吸というやつですか。鼻から吸うのと口から吐くのを一緒にやるっていう。そうじゃないとすれば,どこかで息継ぎをしているはずなんだけど,ぼくにはまったくわからなかった。

● この先,聴ける機会があるかどうかということならば,コレッリのクリスマス協奏曲なんか,もっとそうかもしれない。ドヴォルザークの「弦楽のためのセレナーデ」にしたって,そうそう機会はないと思う。
 そうした曲を正統派の弦楽合奏で聴いたって気がする。

● 「弦楽のためのセレナーデ」の前にチェンバロが運びこまれた。当然,奏者はいない。が,アンコール曲がモーツァルトのモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だったんでした。
 もう恥をしのんで申しあげるしかないんだけど,ぼく,この曲を聴いたことがなかった。もっと言うと,CDも持っていない。すぐに手当します。この曲のCD。

● アンコールはもう1曲。マルチェッロのオーボエ協奏曲の第2楽章。中山さんが再びの登場。もう,恥の上塗り。この曲のCDも一緒に手当します。
 というわけなんでした。収穫がありすぎたということ。

2014年12月22日月曜日

2014.12.21 第32回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館 大ホール

● 2009年の第27回,2012年の第30回に続いて,三度目の拝聴になる。開演時刻,チケット料金はずっと変わらず。午後1時半開演,800円。
 開場前にお客さんが長蛇の列をつくるのも同じ。

● 構成も変わらない。宇女高合唱→宇高合唱→混声合唱と進んで,第1部が終了。第2部は両校合同の管弦楽。
 第3部が合唱と管弦楽が一堂に集っての,「ハレルヤ」と「第九」第4楽章の演奏になる。

● まず宇女高合唱部。OG会長のあいさつ文によると,県代表として関東合唱コンクールに出場したとのこと。
 「サラソラ女声合唱曲集」から“ヘブライ人の子らは”と“神をたたえよ”の2曲。清純さに心が洗われるような思いがしたというと,陳腐に過ぎてしまうだろうか。
 曲調のしからしめるところでもある。が,十代半ばの彼女たちの声質のゆえでもあるでしょう。

● 次は「Life is Beautiful!」とあるんだけれども,要は企画もの。女性の一生を主にはポピュラーソングをアレンジして表してみましたよ,という趣向。
 子どもから思春期に入って,恋愛を経て結婚。子どもが生まれて母親になって,やがて幸せに老いていく,という。

● これを聴きながら思いましたよ。女性はその大半をオバサンとして生きていかなきゃいけない。乙女でいられるのは,ほんの束の間に限られる。
 それは男も同じなんだけど,男はどうも地に足が着いているのかいないのかわからないところがあって,いい年こいて子どもっぽいふるまいをしたり,浅薄な正義感を振りかざしている輩がけっこういる。世間もそれに対して意外に寛容だ。
 ぼくもそっち側の人間であることを自覚しているんだけど,男がそんなことをしていられるのも,女性がしっかりオバサンをやってくれているからで,しょせんはその前提あっての話だ。

● ところが。地に足の着いていない男が,女性に向かってオバサンになってはいけないなどと言いだしたりするから,不毛な厄介さが生じてしまう。
 ときには,同じことを女性が言いだすという,驚天動地の事態も発生する。
 オバサンで何が悪い? オバサンあってのこの世だぞ。オバサンがしっかりしていれば,残余は無用といってもいいくらいのものだ。

● OGも入って,ブリテンの「キャロルの祭典」から,“入場”“来たれ喜びよ”“四月の朝露のごとく”“この小さな嬰児”の4曲。
 けっこう,難しい曲じゃないですか。女子大の合唱団が比較的よく演奏しているイメージがある。
 
● 次は,宇都宮高校の男声合唱。過去2回,男声合唱に圧倒される思いがしたが,今回はどうか。
 「クレーの絵本第2集」から“ケトルドラム奏者”と“黄金の魚”。谷川俊太郎さんの作詞。それと,「コルシカ島の2つの歌」。
 いや,たいしたものだと思った。ひとつには数の力。が,木偶の坊が大勢揃ってみてもしょうがないわけでね。
 自分で歌いながら,全体がどう客席に届いているか,それを把握しているんですかねぇ。それができるって相当なものだと思うんだけどね。

● OBも加わって,秋のピエロ,紀の国,斎太郎節。不動のレパートリーなんだろうか。曲じたい,評価が定まっているものだろうけれども,表現者も素晴らしい。
 空気を切り裂いて届いてくる“斎太郎節”の合いの手なんか,男声ならでは。
 ここが,この演奏会のひとつの頂点を作っていることに異議をはさむ人は,たぶんいないのじゃないかと思う。

● OBはネクタイを締めてスーツで登場。OBになって間もない人も,そうでない人もいた。
 まったく脈絡がないんだけど,その様子を見て頭に浮かんだことがあった。男性が最もモテる日はいつかというテーマだ。
 ぼく自身の体験を申しあげれば,大学4年生のとき。就職が決まったあとの,ゼミの追い出しコンパ。一次会が終わって,二次会。その店のオネーチャンにやたらにモテた。
 スーツを着ていった。大学生から社会人になろうとしている男性の,でもまだ学生の側にいる時分。その学生が社会人の恰好をしている。そのあわいの風情。これではないかね,諸君。
 しかし,社会人の側に入ってしまうと,そのあわいは消えてしまう。
 
● 管弦楽のみでの演奏は,シベリウスの「カレリア」組曲。
 高校に入ってから楽器を始めた人も多いだろう。小さい頃から習っていた人もいるようだ。管楽器にしても,中学校の吹奏楽部でみっちり練習してきた人もいるだろうし,まったく初めてという人もいそうだ。
 各パートとも,個々の技量にだいぶ差がある。それで当然。けれども,難しさもそこにあるんでしょうね。

● それと,もう一点。管弦楽に関してははっきりと女子が優位。両校の演奏をそれぞれ単独で聴いたら,かなりの力量の差を感じるはずだ。つまり,宇女高が巧い。コマもそろっている。
 コンミスなんか手練れの印象だ。姿も美しい。フルート,オーボエも女子奏者がリード。トランペットをはじめ,総じて,金管の水準はかなりのものじゃなかったかと思うんだけど,双肩の役割を果たしたのはやはり女子奏者。
 これはもう仕方がないなぁ。良し悪しは別として,育ってきた環境が違うもんなぁ。つまり,歌舞音曲は女のもの,っていう感覚がまだかなりあるものね,この国には(この国以外にもありそうだが)。

● 「ハレルヤ」からは宇高生がコンマスを務めたんだけど,彼,だいぶとまどっただろう。えっ,なんでオレなの? ってなもんだったかも。
 自分より巧いメンバーを従えて,彼らの演奏を背中で感じながら必要な指示を体で発するなんて,どうやったらできるんだ?
 ここはもう,その経験じたいを楽しんでしまうしかない。言うほど簡単なことではないはずだけど。

● しかし。この年代の若者のノビシロはすごい。昨日の彼は明日の彼ではない。中高年はそれを畏れなければならない。
 同時に思った。あまり小器用に巧くならないでほしい。

● 「ハレルヤ」以降は,合唱団も入る。音楽選択の2年生が加わる大合唱団だ。「第九」も第4楽章しかやらないわけだから,主役は合唱団であって,それ以外ではありえない。
 生徒の中には,なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ,迷惑なんだよ,と思っている子もいるかもしれない。それが自然だし,もっというとそれが健全でもある。

● けれども,これだけの数の高校生が繰りだす合唱は,上手下手を超えて,文字どおりに他を圧する迫力があった。何人も抗する能わず。管弦楽もソリストも観客も。
 「なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ」と思っている音楽選択生はひょっとしたらいなかったのかも,と思わせるだけの圧を最後まで切らせることはなかった。

● 合唱も管弦楽も,高校の部活だ。高校生は忙しい。スケジュールはタイトなはずだ。
 その部活でここまでのバリエーションをこの水準で客席に提示できることじたい,彼ら彼女らの能力の高さをうかがわせるに充分。 

● 合唱に限らず,管弦楽も含めて,あんまり頭を使って聴いてはいけないものだろうと思う。それが過ぎると,自分を評論家か審判者の位置においてしまうことになる。審判者とはつまり神でもある。自分を神に祭りあげて恥じないのであれば,とっとと人間であることをやめてしまった方がいい。
 と思っているんだけど,ところどころ頭デッカチの聴き方をしてしまっている。聴き手として未熟。そこがぼくの反省課題だ。

2014.12.20 文教大学管弦楽団第29回定期演奏会

埼玉会館 大ホール

● “フロイデ~アマチュアオーケストラのための”を見ていて,急遽,出かけてみることにした。動機ははなはだ不純というか,失礼というか,下世話なもの。
 つまり,この冬もJRの“青春18きっぷ”を購入したんだけど,まだ一度も使ってないんですよ。使用期限は来月10日だから,そろそろ使いださないと余っちゃうぞ,ってものだから。

● で,この楽団の演奏会に行ってみることにした。比較的,近いし。宇都宮から北に行く最終電車にも間に合いそうだったし。
 開演は午後6時。入場無料。プログラムは次のとおり。
 モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 ビゼー アルルの女 第2組曲
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 「魔笛」を除いて,先週聴いた宇都宮大学管弦楽団の演奏会と同じになる。もちろん偶然なんだけど,わりとこういうことがあると思っている。時期によって演奏される楽曲が集中しがちな傾向。
 いえ,だからそれが問題だというわけではまったくないんだけど。

● 指揮は冨田邦明さん。この楽団の常任指揮者。
 プログラム冊子を見て驚いたのは,トレーナーが多いこと。パートごとにいる。ヴァイオリンなんか二人もいる。教えにくる頻度が他大学と同じだとすれば,とてつもなく恵まれた環境で練習していることになるなぁ。

● 定演は年1回らしい。「団員のほとんどが大学から楽器を始めました」ともある。大学生になってから始めても,チャイ5を演奏できるまでになるのか。
 ともかくお手並み拝見。

● 「アルルの女」でフルートを吹いていた女子学生も大学から楽器を始めた? んなわけ,ないよなぁ。
 ファゴットの女子学生は? オーボエは? まさかコンミスもヴァイオリンを始めたのは大学から? そんなことはないんでしょ。

● 堂々たる交響曲になっていた。大学から楽器を始めてここまで到達できたのだとすれば,他はどうでも(つまり,勉強なんかほとんどやってなかったとしても),彼ら彼女らの大学生活はかなり充実したものだったのではないかと推測する。
 若さを羨ましいと思うのは,こういうところだな。とんでもない可塑性を宿している。それって,自分が若さを喪失してから気がつくんだよな。

2014年12月16日火曜日

2014.12.14 第7回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。管弦楽は昨年から栃木県楽友協会管弦楽団という名前になっているけれども,実質は栃響
 指揮者が変更になっていて,三原明人さん。

● まず,ブラームスの「悲劇的序曲」。さすが栃響で,手堅く仕上げているなぁという印象。
 ただね,ちょっとおとなしい感じがしたんですよね。素直に指揮者の言うことをきいてる感じがする。そして,控え目に応えているっていう。
 急遽登板した指揮者がここまでリキをいれてくるんだから,もっと踏みこんで応えてもいいんじゃないかと思った。本番では無理だとしても,場合によっては反抗的に応えるってこともあってもいいのでは,と。

● 栃木県にいれば,何だかんだいって栃響なんですよ。もし栃響でダメだったらしょうがないねってこと。
 ゆえに,ないものねだりをしたくなったりもする。いや,ひょっとすると,ないものねだりにもなっていなくて,頓珍漢なことを言っちゃっているのかもしれませんけどね。

● で,「第九」。最初から合唱団が登壇。第3楽章の前に入ることが多かったかと思うんだけど,やはりこれが本筋なんでしょうね。
 できれば,ソリストも最初からいた方がいい。そこまでやるのはなかなか厳しいんだろうけど。

● ぼくは第1楽章が好きで,「第九」の8割は第1楽章にあると思っている。もちろん,「楽聖が晩年になって達した,枯淡の境地」と言われる第3楽章や,クライマックスの4楽章の合唱も素晴らしいんだけど,得体の知れない何者(何物)かの胎動を思わせるような第1楽章がいいなぁと思っていて。
 でね,この第1楽章を決めるのは木管とホルンなんですよね。中でも1番ホルンが大事だなぁと思っていましてね。目立たないんだけど,ここがこけたらどうにもならない。

● 見事な第1楽章だった。「悲劇的序曲」で感じたおとなしさのようなものが,「第九」になると影をひそめた。指揮者とオケの間にスキマがない。渾然一体。
 じつは,オーケストラは何も変わっていなかったので,どうにもこちらの印象がいい加減っていうか,デタラメっていうか,そういうことなんでしょうねぇ。
 あるいは,もう何度も演奏していて,手の内までわかっているよってことなんですか。

● 栃響クラスになれば,弦は巧くてあたりまえという前提がこちらにある。その前提をさらに突くような,純度の高い弦の響きが気持ちよかった。一番目立つ位置にいるコンマスの技量の高さもよく伝わってきた。
 1番フルートの巧さは何事であるかと思うほど。オーボエも4楽章のピッコロも印象に残りましたね。
 以上を要するに,文句なし。

● 重箱の隅をつつくようなことを申しあげれば,4楽章でファゴットとクラリネットのかみ合いがどうだったかと思わせる箇所があった。ネジの歯車のかみ合いが,0.2ミリほどずれたかというような。
 ミスではない。瑕疵というにはあたらない。
 第5回の演奏があまりに素晴らしかったので,その記憶をさらに自分で持ちあげてしまっているところがぼくの側にあるのだと思う。その地点から見てしまうっていうか。

● 合唱も堪能させてもらった。生で「第九」を聴くことの醍醐味のひとつは合唱にある。そのことにもとより異議はない。人数は今回くらいでいいんじゃないかと思う。
 ソプラノで相当に巧い人が二人,いませんでしたか。一方,先走りが身についてしまったかと見える人が男声陣の中にいて,そこが唯一,惜しまれる。
 しかし,それも許容範囲だったと思う。何といっても,それじゃおまえやってみろよと言われれば,ぼく的には完全にお手あげなわけだからね。

● というわけで,すこぶる満足度の高い「第九」を聴かせてもらった。いい気分になって酒場をハシゴして(終演は3時半だったんだけど,こんな時間帯からビールを飲ませるお店があるんですねぇ),だいぶ酔っぱらってしまった。

2014年12月15日月曜日

2014.12.13 宇都宮大学管弦楽団第78回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は午後2時。曲目は次のとおり。指揮は井﨑正浩さん。
 ベートーベン 序曲「コリオラン」
 ビゼー 「アルルの女」組曲第2番
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 宇都宮大学管弦楽団は,栃木県の学生オケの中では図抜けた存在。県内の市民オケの人材供給源になっているようにも思われる。
 年に2回の定演を楽しみにしている人も多いだろうと推測する。ぼくもまた,そのひとりなんだけど。
 栃木のような田舎でも,とても全部は追い切れないほどのコンサートやリサイタルが催行される。プロありアマチュアあり。
 で,学生の演奏会にこれだけのお客さんが入るっていうのは,大学生だっていうそれ自体が放つ魅力のようなものがあるんでしょうねぇ。

● 「コリオラン」もけっして簡単な曲じゃないと思うんだけど,うまく仕上げるものだなぁと思った。
 「アルルの女」は第2組曲の方。したがって(と,つないでいいのかどうか)木管とホルンが大事。とりわけ,フルートが。そのフルートを担当していた男子学生が上手でね。

● 唐突なんだけど,音楽は女だなと思うんですよ。要するに,ふくよかさっていうのが,かなり優先順位の高い価値になるんじゃないか。だから奏者も女性の方がいいということでは全然ないんだけど,音楽じたいは女性なのかもしれないなって。
 そうしたことを思わせる演奏でしたね。

● チャイコフスキーの5番は誰もが認める大曲。こういうのを,学生オケや市民オケがあたりまえのように演奏しますよね。これってすごくないですか。
 昔のことは知らないんだけど,昔からそうだったんですか。ってか,昔からアマチュアのオーケストラってこんなにたくさんあったんですか。
 演奏に関しては裾野がかなり切りあがっているような気がする。昔はたいしたものだったことが,今じゃ普通になっている。

● 井崎さんの悠揚迫らぬというか,安定感たっぷりの指揮ぶりが,学生たちのいいところを引きだしたのかもしれない。
 次回は7月4日。ドヴォルザークの8番。

2014年12月9日火曜日

2014.12.07 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東邦音楽大学・東京音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4回目。今年は4回とも聴くことができた。
 
● 東邦音楽大学管弦楽団はブラームスの4番。今年はブラームスのあたり年か。昭和音大が2番を,昨日は桐朋学園が1番を演奏している。
 指揮は田中良和さん。

● 第1楽章の初っ端,香気に満ちた旋律が届いた。これで客席のリスペクトを引き寄せたに違いない。
 2楽章,3楽章と進むにつれて,終わらないでくれと思った。ずっと聴いていたいよ,と。
 これはなぜなのか。技術は当然として,それ以外の要因をあれこれと考えてみるんだけど(しかし,演奏の8割は技術が決めると思う),そんなの考えたってしょうがないよなぁ,いい演奏にたゆたっていられれば幸せじゃん。

● ライヴで聴くことの幸せですね。CDだと入ってくる情報が限られる。環境を整えてCDを再生すれば,CDでもライヴ並みの情報を再現することがじつはできるのかもしれない。その程度には今の録音技術は進んでいるのかもしれない。
 おまえ,携帯プレーヤーで聴いてるんだろ,それじゃぜんぜんダメなんだよ,と言われますな。

● でも,CDが売れなくなっているのには理由があると思う。ネットにいくらでも音源が転がっているようになったからという以外の理由が。
 ライヴに行くとなれば,前後の時間がかかる。手間もかかる。家でCDを聴いてる方がずっと楽だもん。
 お金もかかる。この演奏会は750円というあり得ない料金なんだけれども,それでも外に出るとなれば,交通費もかかるし,食事だってすることになる。

 つまるところは豊かになったのだろうね。お金をかけるならライヴに,というのがかなり行き渡っていると思うんだけど,それができるようになったってことだから。
 聴き手が成熟したとも言えるのかもしれない。何でも聴くという人が減って,自分はクラシックしか聴かないとか,ジャズ一辺倒とか,細分化が進んでいるのかもしれないとも思う。

● 「短いモチーフを徹底的に全曲で用いる」のがベートーヴェンの影響だとすれば,ブラームスもまたベートーヴェンの影響下にある。
 が,たとえばシューベルトの「未完成」をそうと知らないで聴いたとして,これ,ベートーヴェンの作品だよと言われれば,ぼくなら信じると思う。
 けれども,この曲を何も知らないで聴いて,ベートーヴェンの作品だと言われても,ん?と思うだろう。

● 東京音楽大学管弦楽団は,シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。
 4管編成。ハープが2台。つまりは大編隊になる。これだけのものを自前で用意できるところが,さすがに音大。
 きかん気の強そうな川瀬賢太郎さんが登場して,さっと演奏開始。まだ30歳なのに神奈川フィルの常任指揮者。将来を嘱望される若手指揮者の一人,というかその代表。

● 大編隊での演奏にも関わらず,コンマスの独奏がけっこう登場する。しかも相当な難度で。
 これ,プレッシャーでしょうね。と思うんだけど,案外そうでもないのかなぁ。どうだい,俺の演奏は,って感じなんですか。易々とやってたように見えたんだけど。

● 指揮者もパフォーマーのひとり。川瀬さんの身体能力の高さが印象的だった。
 70歳を過ぎた指揮者はどうやるんだろう。そこはそれ,それに応じた指揮の仕方がいくらでもあるんだろうとは思うんだけど,身体能力って相当な大事ですね,指揮者の場合。

● 大編隊の演奏こそ,生とCDとの落差が大きくなる(ように思われる)。この曲を生で聴いたのは今回が初めてだし,この先,同じ機会があるのかどうかわからない。ありがたかった。
 終演後の“ブラボー”もなかなかやまず。大編隊は大編隊だというそれだけで,聴衆に訴えるものがあるんだと思うけど,もとより今回の“ブラボー”にはそれ以上の意味が込められていたはずだ。

2014.12.06 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-国立音楽大学・桐朋学園大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 会場をミューザ川崎から東京芸術劇場に移して,音大フェスの今日は3回目。

● まず,国立音楽大学オーケストラ。指揮は高関健さん。ブルックナーの7番(ハース版)。昨年は洗足学園音楽大学が秋山和慶さんの指揮で演奏した。
 この音大フェスの魅力のひとつは,普段はあまり聴く機会のない大曲を生で聴けることだ。今回もすでに,バルトーク「管弦楽のための協奏曲」とレスピーギ「ローマの松」を聴いている。
 ブルックナーもまた,その領域に入れていいのかどうか。が,演奏時間は1時間を超える。大曲には違いない。

● で,ブルックナーに関しては,CDを聴き始めたのも最近だし,いまだに,どれを聴いても同じに聞こえる。
 書籍やネットでいろいろな評論(?)を読んでも,どうにもピンと来ない。

● 今回の演奏を聴きながら思ったのは,次のようなことだ。
 交響曲って,普通は1楽章から4楽章までそれぞれ違った味わいがあって,4つの楽章でひとつの全体になる。ところが,ブルックナーの場合はそれぞれの楽章に全部入っていて,要するに全体が4つある。
 ま,その程度の聴き手だってことですね。

● 演奏はさすがに音大だなと思った。ほとんどプロの水準じゃないですか。っていうか,よく知らないままに言うんだけど,ふた昔前のプロのオーケストラって,これほど巧くなかったんじゃないですか。
 そんなことはないですか。そうですか。

● こういう演奏を聴くと,あれですよ,会場である東京芸術劇場っていいホールだなぁと思えてきますね。いや,もともととんでもなくいいホールであるに違いないんだけど,しみじみいいホールだなぁと思えてきますよ。
 もっというと,このホールがある池袋界隈にも親近感がわいてくるような感じね。

● 次は,桐朋学園オーケストラ。昨年の「春の祭典」には度肝を抜かれた。まだ鮮明に憶えている。
 今回はぐっとシックにブラームスの1番。その前に,サン=サーンスの「ホルンと管弦楽のための演奏会用小品」。
 指揮は,ラデク・バボラーク氏。そのバボラークさんがホルンを抱えて現れた。自身でホルンを吹きながら指揮。

● もちろん,初めて聴く曲だ。CDでも聴いたことはない。
 しかし,これ説得力があった。バボラークさんのホルンは言うに及ばず,管弦楽も小規模ながらただ者じゃない。
 みっしりと質量の詰まった10分足らずの演奏だった。

● ブラームスの1番。演奏する学生たちから未完の大器という印象は受けない。完成してるんじゃないのと思った。これ以上,どこをどう直せばいいんだ?
 実際には,もちろん,これからどんどん変わっていくんだろう。そうではあるんだけど,すでに完成の域にある手練れの演奏という印象。
 お客さんに聴いていただくといった媚びも感じられない。この良さがわからなければ客がバカなんだという不貞不貞しさのようなものも伝わってきた。
 もちろん,個々の奏者がそんなことを思っているはずもないんだけど,全体的な印象はそういうもの。

● 20歳や22歳であっても,小さい頃から楽器をいじってきて,それに費やしてきた時間と労力に自分でも手応えを感じているんでしょうね。そこに静かな矜持を持っているのだろうと思われた。
 話してみれば,たぶん,普通の大学生に違いないんだけど。