2014年11月30日日曜日

2014.11.29 菅野祐悟・佐藤和男共演 オーケストラコンサート

高根沢町町民ホール

● NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の音楽を担当している菅野祐悟さんの凱旋公演,のようなものですか。彼,高根沢町で育った人だから。
 指揮者の佐藤和男さんも,高根沢生まれの高根沢育ち。

● あいにくの雨で,主催者側が急遽,テントを設置した。早くから来て列を作る人が濡れないようにとの配慮。ぼくも早めに着いた口で,そのテントの中で並んだ。開場も15分間,早めてくれた。
 ハレの場,お祭り的な雰囲気が溢れていた。目立つのは婆さまたちのグループ。今日のためになれない化粧をして,身繕いを整えて来ている感じ。じつに子どもに返ったようなはしゃぎぶり。婆さまの着ぐるみを着た子どものようなというか。
 正真正銘の子どもたちも多かったけれど(未就学児童対象公演),総じてお客さんの平均年齢はかなり高かったようだ。40代なら貴重な若手といった感じだったか。
 男女比では圧倒的に女性が多い。これはどこでもそう。田舎だろうと都会だろうと。

● 開演は午後2時。チケットは2,500円(前売券)。完売御礼。が,この天気で外出を控えた人がいたのだろう,空席もないわけではなかった。
 このホールはオーケストラが乗ることは想定されていない。正面奥と側面に反響板が置かれた。当然,これでいいんだけれども,景観的にはあまり美しくないことになる。

● 開演前の館内放送にも,要らないくどさがあった。オーケストラが入場してから,プログラムに載せている出演者紹介を読みあげてみたりという。語るべきものはプログラムに語らせればよい。
 が,今回に関しては,これでよかったのかも。顧客満足はこの方が高かったかもしれない。手作り感にあふれていたともいえる。

● 演奏されるのは,すべて菅野さんが作曲したもの。ピアノも菅野さんが務めた。
 じつは,ぼく,テレビはまったく見ていない(今年の4月からだけど)。「軍師官兵衛」も一度も見たことがない。でも,そういうことは鑑賞の妨げにならないことは当然だ。
 一曲目の「新参者」の演奏が始まった瞬間に,客席のざわめきが消えた。生演奏の持つ吸引力。

● MCも菅野さんが担当。徹底的に主役。が,主役を張る以上は求められるものも相当なはずで,盛りあげると同時に仕切らなければいけない。起伏をつけて,時間内に収めなければならない。観客にとってMCは音楽の合間のリラックスタイムだ。それに応じながら次につなげる。
 要は場数を踏んでいるんでしょうね。見事な仕切りだったと思う。同時に,真面目でサービス精神に富んだ好青年という印象。

● その点,指揮者の佐藤さんはこうした場には不慣れなはず。喋りにはやや冗長に流れるきらいがあった。当然のことで,指揮をもっぱらにしながら,菅野さんなみのトークができたら,芸人の才能まであるということになる。
 佐藤さんの指揮には真岡市民交響楽団の演奏で何度か接しているんだけど,そこでの印象はおとなしくて内気な人じゃないかというものだった。トンデモハップン。陽性の人のようだった。
 中学校ではサッカーをやっていた由。失礼ながら,これも意外。が,運動神経と体力は指揮者にとって重要なリソースになるんだろうから,言われてみればしごく納得。

● 演奏はMCFオーケストラとちぎ。栃木県出身者,在住者のプロ奏者で構成されているオケ。常設のオケではない(と思う)。
 菅野さんが,栃木しばりでこれだけのオーケストラができるなんて素晴らしいとか,これだけのオケを東京で集めたらこんなコストではすまないとか,何度かオケを称賛していたけれども,リップサービスだったとは思わない。
 わりと前の方の席に座ったんだけど,このホールでこれだけの音が届くのかと思った。

● 必ずしも平均年齢が低いというわけでもなさそうだ。が,受ける印象は清新そのもの。できて間もないし,常設でもないから,場が若さを保っているのだろうと解釈しておくことにする。場が個に及ぼす影響って大きいもんね。
 女性奏者のドレスがカラフル。一度,山形交響楽団の演奏会で同じ様を見たことがあるけれども,ステージに立つ以上,外見を等閑に付すというのはあり得ない選択。花が花としてきちんと咲いているのは,見ているだけで気持ちがいい。ぼくが男性だからということでもなくて,女性のお客さんも同じ感想を持つのではなかろうか。

● いい曲とそうじゃない曲という区別は成立するんだろうと思う。が,一度聴いたくらいじゃわからない。ぼくには,だけど。が,好きな曲とそうじゃない曲というのは,すぐに区分される。
 テレビドラマの劇中で流れる音楽だから,大衆性を持っていないといけないんだろうし,かといって大衆をなめたらとんでもないことになるんだろうし,出演者やストーリーなどドラマの諸々の条件に制約を受けるのだろう。
 制約だらけのなかでこうした楽曲を作りだし,ドラマと切り離された場で演奏しても,しっかり届く。こういう曲を作りだせる頭脳っていうのは,ま,ぼくの想像の外にある。たぶん,頭脳だけではできないとも思うんだけどね。

2014年11月29日土曜日

2014.11.28 ジャン=フィリップ・メルカールト オルガンリサイタル

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 昨年12月に那須野が原ハーモニーホールに設置されたオルガンは,「フレンチ・シンフォニックスタイルに特化したオルガン」で(と言われても,何のことかわからないわけだが),その特性を活かすためか,“オルガン・シンフォニーコンサート”を継続的に開催するようだ。
 今日はその1回目。開演は午後6時30分。チケットは1,000円。

● 奏者はこのホールのオルガニストであるジャン=フィリップ・メルカールト氏。曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン プレリュードとフーガ ハ短調
 フランク パストラル
 ヴィドール オルガン交響曲第6番より「ファイナル」
 ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

● ほぼ満員の盛況。失礼ながら,チケットがこの料金ならまぁ行ってみるかという人が多かったんじゃないかと思う。はばかりながら,ぼくもその一人だ。
 なにせ,これまではパイプオルガンの音色を聴く機会は限られてきたわけでして。オルガンという楽器をどう感じるのか。それもこれからの話。

● 鍵盤と足鍵盤の部分が大きな映像で映される。奏者の指や足先の動きがよくわかるわけだけれども,これがありがたくもあり,邪魔なようでもあり。
 ぼくは主にメルカールト氏の背中を見ていることにしたけども,映像も視界に入ってくる。

● 「田園」のオルガンへの編曲はメルカールト氏自身によるもの。オルガンで聴くと,ベートーヴェンのこれでもかというほどの,主題の繰り返しがより鮮明にわかる(ような気がした)。

● 途方もない大型の楽器であるオルガンを見あげながら,思った。楽器はずっとここにあるわけだ。奏者も原則,一人。身体ひとつでここにくればいいんだよな。楽器の搬入も必要ないし,楽屋もひとつですむ。
 そうしたあたりまえのことが,何だか不思議な気がした。この圧倒的な存在感を放つオルガンを演奏するのに,装備(?)は最小限でいいってことがね。

2014年11月25日火曜日

2014.11.24 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-上野学園大学・武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 音大フェスティバルの2回目。開演は午後3時(これは各回とも統一されている)。

● まず,初登場の上野学園大学。指揮は下野竜也さん。客席もほのぼのとした拍手で初登場を歓迎した感じ。
 ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」。ウェーベルンはシェーンベルクのお弟子さん。プログラムノートの楽曲紹介によれば,ウェーベルンは「極度に凝縮した音楽のあり方を模索した」人であるらしい。
 「伝統的な和声や旋律,形式といった概念が後退」し,「揺らめきや震え。かすかに気配を漂わせ,一瞬のうちに沈黙の中に消え去ってしまう,何か」が浮かび上がるというのだが,聴いてみるとたしかにそのとおりだった。

● が,その「何か」が何なのか。それは聴いた後もわからない。こういうのはわかろうとしてはいけないものなのかもしれないとも思った。
 わかるというのは,自分にとって既知の知識や概念に組み込んで,違和感を取りのぞくことだから。そんなことをしたのでは,せっかくの「何か」が死んでしまうかもしれない。
 脈絡のない5つの夢を続けて見たような感じもした。

● 次はモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。CDでは何度も聴いているこの曲も,生でとなると,あんがい聴く機会がない。
 演奏する側にとっては,道は単純でわかりやすいけれども,幅員が狭くて,無事に通り抜けるのはそんなに簡単じゃないってことになるんだろうか。
 下野さんの指揮ぶりも見所のひとつだったと思う。

● 武蔵野音楽大学は,バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を用意。指揮は時任康文さん。
 この曲もぼくには難解。バルトークは何をしたかったのだ? それがわからなくてね。曲を聴いたんだろ,それが俺のしたかったことなんだよ,と言うんだろうかなぁ。

● あらゆる奏法を散りばめ,考えつく限りの音の連鎖と組合せを披瀝し,すでにある旋律と自分の楽想を詰められるだけ詰めこむ。そういうことをしたかったのか。
 要するに,散らかってるなぁと思ってしまうわけですよ。
 バルトークは病をおしてこの曲を完成させた。そんなときに,アラカルトの食べ放題メニューを作るようなことはしないでしょ。
 おかしいのは自分の方だよなと思ってましてね。結果,いはく,難解。

● 洗足学園は,レスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」。指揮は秋山和慶さん。
 ハープのほかに,ピアノ,チェレスタ,オルガンも加わり,バンダも登場するわけだから,大編隊になる。当然,そんなに聴ける機会はない。
 と思いきや,「ローマの松」は一昨年度のこのフェスティバルの合同チームの演奏で聴いているんでした。指揮も秋山さんだった。あのときは,メインがマーラーの5番だった。とんでもなかったな。

● 演奏はもうね,ひれ伏すしかない感じ。ここまで3大学の演奏を聴いて,チケットが750円であることを思うと,あまりのお得感に膝がガクガクする。
 が,作曲家に対して,ここまでの大編隊にする必要があったのかね,と思ったりもしてね。埒もないことがチラッチラッと頭をかすめた。

● 終わってみれば,グッタリと心地よい疲れが残った。これがライヴを聴くことの醍醐味でもある。
 願わくば,今から栃木の田んぼの村まで帰る必要がなければ,最高なんだが。

● 今回は近くにブラボー屋がいた。ブラボー屋って,意外に内弁慶でオタクっぽい人が多いのかもしれないね。

2014年11月24日月曜日

2014.11.23 宇都宮シンフォニーオーケストラ 秋季演奏会2014 ベートーヴェンチクルスvol.3

芳賀町民会館ホール

● 今年の秋季演奏会は再びベートーヴェンに戻って,2011年に続く“ベートーヴェンチクルス”。これだけ間をあけたものをチクルスと呼んでいいのかという疑問はさておき,ともかく会場へ。
 開演は午後2時。チケットは800円。当日券を購入。

● 曲目はレオノーレ序曲と交響曲の4番,5番。チクルスとしても佳境に入ってきた感じ。指揮は石川和紀さん。

● 何度か聴いているオーケストラの演奏にオヤッっと思うことがある。必ずあるというわけではないけれども,これまでに何度かはあった。
 要するに,こんなに巧かったかと思う“オヤッ”なんだけれども,この楽団については,今回がその“オヤッ”の日になった。特に4番は全身で堪能することができた。

● どうしてこういうことが起こるのかはわからない。冗談でなく天気のせいもあるのかもしれないと思うほどなんだけど,一方で,ぼくの“耳違い”の可能性もある。その可能性がどこまで行っても消えない。

● 5番は以前にもこの楽団の演奏を聴いたことがある。5番を初めて生で聴いたのがそのときだった。したがって,その印象は今でも鮮明だ。
 こちらも聴き手として多少は成長していると思いたいところだけれども,今回はどうだったか。

● 第4楽章で弦に要求されるスピード感は聴いている側としては小気味いいものだが,よくあのスピードについていけるものだな(ただし,弓の引き幅を小さくして小器用にまとめる向きも散見された。仕方がないとは思う)。
 オーボエをはじめとする木管陣もエェッと思うほどに安定しつつ,素速く動くべきところに動く。満を持して参入した(かどうかは知らないけど)トロンボーンの溌剌さ。

● 気がこもっていて,訴求力の高い演奏になった。全編にみなぎるベートーヴェンのすさまじさ。空から隕石が降り注いでくるような逃げ場のない迫力。それが客席に充満した。
 以上を要するに,アマチュア・オーケストラがここまでやるかと思うほどに出色のできばえだったと評しておく(偉そうに!)。

● ここが“オヤッ”の所以。無礼千万なことながら,ここまでやれる楽団だとは思ってなかったわけですよ。
 思ってなかったこちらの耳の問題なのか。そうではなくて,120パーセントの力が出てしまうってことがあるものなのか。
 ぼくとしては,8割方そういうことがあり得るのだと思っているんだけど,2割はオレの耳がダメなのかと思うわけですね。

● CDではこうはいかない。心地のいいグッタリした疲れは味わえない(演奏する方はもっと疲れるんだろうけど)。
 いや,そう言ってしまうと間違いなのかもしれない。完全防音の部屋を作り,とびきり性能のいいアンプとスピーカーを揃え,相当な大音量でCDを聴くことができれば,同じ感覚を味わえるのかも。
 だが,同じことだ。それを実行に移すだけのお金も度量もぼくにはないのだから。

● だからライヴに行く。行って,そうした満足感を味わえると,この人生,まんざら捨てたものでもないよな,と溜飲をさげる。
 何回,溜飲をさげられるか。それは人生の幸福度を決める大きな尺度のひとつだと,マジで思っている。

2014年11月23日日曜日

2014.11.22 東京大学第65回駒場祭-東京大学歌劇団・東京大学ブラスアカデミー・東京大学フィルハーモニー管弦楽団

東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 駒場祭にお邪魔するのは,これが3回目か。今年は今日から3日間。この3日間は井の頭線の駒場東大前駅が混雑して,駅員が緊張を強いられる。その分,運賃収入もドンと増えるんだろうけど。
 ぼくは東大にいくつかある管弦楽団や吹奏楽団の演奏を聴くために来ている。それ以外に目的はないから,まっすぐ900番教室に向かう。演奏会のスケジュールはネットで調べてある。
 その演奏会,あたりまえだけど3日間にわたって開催される。したがって,3日間日参できればいいんだけど,そうもいかない。今年は今日だけ。

● 13時から東京大学歌劇団。来月の28日に正式な(?)公演を予定している。今回は正式公演の抜粋。2つあって,マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」。
 公演ではピットに入っていて,客席からは見えにくい管弦楽がステージの上にいる。これはありがたい。んだけど,普通のホールと違って教室ですからね。諸々の制約があって,木管や金管の奏者は見えない。

● 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は三角関係に悩むサントゥッツァを中心に,サントゥッツァとトゥリッドゥの争いの場面。
 サントゥッツァを演じる大島さんの役作り,役への没入の仕方が印象に残った。主役を張る風格みたいなもの。
 彼女,まだ20歳になるかならないかの年齢じゃないか。こういう場面を実地に経験したはずはないと思うんだけど,演劇やドラマを自分が使えるものはないかっていう視点で見る癖がついてるんだろうか。

● っていうかですね,不思議なんだけど,女の人ってこういう場面を自然にやれちゃうんだね。経験なんかなくたって。
 対して,男の方はそうもいかないから,どうしたって一本調子になってしまいがちだ。それゆえ,男優にとっては遊びが必須科目になる。真剣に遊ばないとダメだよね。芸に活かそうなどという下心を持たないで,遊びに没入しないと。

● ただし,遊べばそれが芸に反映されるという保証はないところが辛い。遊んだ結果,芸がおろそかになる,という可能性の方が高いのかもしれない。
 だとしても,遊びを省略しようなんてのは,怠慢が過ぎるんだろうな。1日24時間,1年365日,休んでる暇なんかないってことになりそうだ。

● ところが。「ジャンニ・スキッキ」を聴いて,上の考えは放棄することにした。遊びも芸の肥やし的な考え方は前世紀の遺物かもしれない。
 ジャンニ・スキッキ役のバリトンがとにかく巧い。何者だ,こいつ,と思うほどにね。
 結局,歌で表現できるんだね。あとはわずかな表情の変化,眉をあげたり斜めに俯いたり,で内面をシンボリックに表現できるようなのだ。遊ぶなんてのは余計なこと,かもしれないのだった。

● 次は,15時からブラス・アカデミーの演奏会。“ブラアカワールドツァー2014”と題して,世界各国を象徴する(と思われる)曲を演奏。アメリカだったら「星条旗よ永遠なれ」とか。
 われわれは飛行機に乗って世界を旅するというわけで,あいさつも“ご搭乗ありがとうございます”というもの。司会者(女子)もキャビンアテンダントのコスチュームで登場。

● こういう遊びは真剣にやってくれると,けっこう乗れるものだ。吹奏楽なればこそなんだろうけど,司会の女子学生なんか本物のCAかと見紛うほどだったからね。
 お客さんも立ち見が出るほどに入って,盛況だった。年配者の中には,東大生もこういうことをする時代なのかと思った人もいたかも。

● 最後は東大フィルハーモニー管弦楽団。16時30分から。東大の冠はついているけれども,他大学からの参加者も多い。コンミスは学芸大の女子学生。
 曲目はヴェルディの「ナブッコ」序曲とブラームスの2番。指揮は濱本広洋さん。

● 大学祭のざわめきが入り込んでくる。管楽器の奏者は見えない。が,そういうことはこの場においては支障にならない。若い学生たちの渾身の演奏は,それだけで充分に魅せるものがある。ブラームスはストーリーがよく見えるような気がした。
 来月の27日に,これにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を加えた編成で,定期演奏会がある。それがいうなら本番なんだろうけど,ほぼ仕上がっているんですかね。

● 早めに着いたので,13時前にキャンパスの近くを歩いてみた。井の頭線は段丘の端にあって,南側(下側)に商店街がある。東大前商店街というささやかな商店街。
 弁当を商っている店で幕の内弁当を買った。450円。冷凍食品を解凍したと思われるエビフライと,茄子とチクワの天ぷら。がんもとコンニャクの煮物。卵焼きとシューマイ。黒豆の甘煮としば漬け。
 東大構内の小公園(?)で食べた。弁当はごはんが温かければ,それだけで80点。

● キャンパスの西側は高級住宅街。ここに住みたいとはさらさら思わないけれども(思ったって住めません)。商店街があるあたりも住宅地で,この辺は全体として所得の多い人たちが住んでいる印象。俗臭が少ないっていうかね。
 おしなべて面白みのないところだ。が,すぐそばに渋谷があるわけだからな。ここはこうじゃないと困るよね。

2014年11月17日月曜日

2014.11.16 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-昭和音楽大学・東京藝術大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 今年から上野学園大学が加わって,首都圏9つの音大の共演となった。今日はその1回目。開演は午後3時。

● まず,昭和音楽大学管弦楽団。ブラームスの2番。指揮は大勝秀也さん。
 どの大学も同じだけれども,女子学生が圧倒的に多い。昭和音大も,ヴァイオリンなんか1stと2ndをあわせても,男子学生は一人しかいなかったんじゃないか。
 が,だから何か支障があるのかといえば,そういうことは何もない。

● 第4楽章の怒濤のうねりの場面においても,力強さに欠けるなんてことは1ミリもなかった。ヴァイオリンの厚さと強さが印象的。
 ひと頃,ハンサム・ウーマンという言葉が流行ったことがあったけれども,そのハンサム・ウーマンの女子学生たちが見事に支えきって終曲。

● この音大フェスは全4回で,ぼくは通し券を買っている。3,000円だ。1回あたり750円。それでここまでのブラームスを聴けるんだから,タダ同然と言っていいだろう。

● ぼくの場合だと,電車賃が5,000円かかる。新幹線の特急料金まで出すのは少々以上に厳しいので,在来線を利用している。
 栃木の田んぼの村から川崎まで移動するとなると,ドラえもんの“どこでもドア”が欲しくなる? いや,あれはもしあっても要らないね。移動じたいがけっこう好きなんで。
 瞬間的にどこにでも行けるのは,インターネット上の“情報”だけでいいんじゃないですかね。

● さて,次は東京藝大シンフォニーオーケストラ。チャイコフスキーの5番。指揮は尾高忠明さん。
 冒頭のクラリネットが重要。難しくもあるんだと思う。音をどこまで絞ればいいものやら。このクラリネットを聴いて,期待が膨らんだ。
 第2楽章のホルン。くっきりとした航跡を残しながら,ひとり天空を行く。その航跡はしかし,はかなく消える。“くっきり”が消えていく。その消え方が素晴らしい。
 あとに続くオーボエもエネルギーを込めてか細さを出す。お見事という以外にない。

● 厚みがすごい。音が厚みをまとったまま,右に左に動き,宙を舞い,地に潜る。そうした印象を作る要因のひとつは,金管のキレの良さだったろう。
 すべてが聴かせどころといっていいこの曲でも,どうしたって第4楽章。じつに変幻自在。

● おそらく。俊才揃いの彼ら彼女らにとっても,今回の演奏は快心の一作になったのではあるまいか。そうした演奏に立ち会えた喜びが全身に充ちてきた。
 5,000円のモトを取って,多額のお釣りまでもらった感じ。即物的な言い方で申しわけないけれども。

● ライヴを聴くことは,イオン交換をするようなものかもしれないと思った。自分の体内のイオンを奏者のイオンと入れ替える。あるいは,温泉に浸かるようなものかもしれない。熱交換。
 どちらも,交換後の効果がいつまでも続くわけではない。本を読むのだって,人に会うのだって,みんなそうだ。影響は受けるけれど,永続はしない。若いとき(子どものとき)なら知らず,ぼくの年齢になってしまえばいっそうそうだ。
 が,時々は入れ替えたくなるし,一時的であってもその一時的な効果はある。

● 9大学の合同チームによる演奏会は来年3月に開催される。28日(ミューザ川崎)と29日(東京芸術劇場)。29日のチケットを買って,帰途についた。

2014年11月14日金曜日

2014.11.13 シェルム弦楽四重奏団 第1回栃木公演

栃木県総合文化センター サブホール

● メンバーは,木野雅之(1st Vn),松野木拓人(2nd Vn),池田開渡(Vla),ピーティー田代櫻(Vc)。
 木野さんは日フィルのソロ・コンサートマスターを務める,知らない人はいないくらいのビッグネーム。あとの3人は,東京音大(あるいは大学院)で木野さんの薫陶を受けた気鋭の奏者たち。重鎮と若い俊英の組合せ。

● 開演は午後7時。チケットは3,000円(自由席)。
 曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第2番 イ短調
 ラヴェル 弦楽四重奏曲 ヘ長調
 アンコール:プッチーニ 弦楽四重奏曲「菊」嬰ハ短調

● プログラムノートに,弦楽四重奏曲は「ベートーヴェンの後に続く多くの作曲家たちの挑戦の始まりでもあった」とある。
 ベートーヴェンが,この新しい「弦楽四重奏曲」という世界において早々と革命を引き起こし,16曲のその後弦楽四重奏曲の世界に君臨し続ける,偉大な作品を書き上げてしまったのである。
 交響曲や弦楽四重奏曲に限らないんでしょうね。ピアノ・ソナタやヴァイオリン・ソナタにおいても,事情は同様だろう。

● そのベートーヴェンの弦楽四重奏曲をCDで何度か聴いてみたんだけど,どうにも歯が立たない。恥ずかしながら,どこがいいのかわからない。ほんとに恥ずかしいことなんだけど。
 で,この世界は自分の水準では無理なんだと結論を出して,今日に至る。

● でも,わかるときには突然わかる。わかるっていうか,“耳が開く”っていうやつね。あっ,そうだったのか,っていう言葉にしづらいひらめきのようなもの。
 弦楽四重奏曲について,自分にそういう日が来るのかどうかわからない。半分は諦めているんだけど,半分はまだ希望を持っているっていうか。

● CDよりも生演奏を聴いた方が,耳が開く可能性は高くなるだろう。であるからして,苦手意識を押して,出かけるようにしているんだけど。
 今回の演奏は,直す余地がないくらいの音が出ているはずでしょ。これを聴いてダメなら仕方がないよ,諦めなよ,ってなものでしょ。
 諦めた方がいいのかもしれないな。弦楽四重奏曲だけが音楽じゃないものな。少々,弱気になった。

● ラヴェルは奏法も多彩だし,場面転換も聴き手の裏をかくようなところがあって,驚かせる要素もある。飽きさせない。
 メンデルスゾーンの方はしっとりしてて,あ,メンデルスゾーンだなとわかるというか。
 アンコールのプッチーニは,普通に日本人受けしそうだ。こういうのを叙情といっていいのだろうか。お涙ちょうだいではないけれども,曲調が日本人と親和性が高いように思えた。

● という次第で,聴き手がこのレベルでは,奏者に申しわけない。勉強して出直したい。
 が,どういう勉強をすればいいのか。そこがわからない。

2014年11月7日金曜日

2014.11.07 間奏44:音楽を聴く時間が元に戻った

● 今使っているスマートフォンは3代目のARROWS(docomoのF-02E)。デフォルトで入っていた音楽再生アプリは,Google Play Music。日本の著作権法の運用が世界標準ならば,とんでもない機能を発揮する。だけど,端末に入れておく楽曲データを再生するだけだと,ちょっと使いにくいような気がして。
 で,Meridianに替えた。プレイリストも作りやすくなって,以前と同じように便利に使っているんですが。

● SDカードに入れている楽曲じたいが,ずっと変わっていない。当時,聴こう(聴いておいた方がいい)と思った曲はこういうものだったのかという記録にはなるんだけど,そろそろ更新が必要だ。
 同じ曲でも,指揮者や演奏者が違うものに入れ替えることも考えないと。

 なんせ,ライヴを聴きに行く以外は,スマホでしか聴きませんからね。歩きながらとか電車の中とか,劣悪な環境で聴くんです。ソファに座ってブランデーをなめながらなんて,ぼくの場合,ありえませんから。

● それをするとプレイリストも手直ししないといけないんで,ちょっと面倒というか億劫というか,まいっか的な気分になってきて,結局そのままできちゃったんですけどね。
 ひと頃,ここがガクンと落ち込んでしまったんだけど,どうにか持ち直してきた。今は落ち込む前の水準に戻っている。

● できれば全部持ち歩きたいわけですよね。いつどこで,何を聴きたくなるかわからないから。それをあたりまえにしたのはiPodの功績でしょ。たいしたもんだな,iPod。
 SDカード(ぼくのは32GB)じゃ全部はとても入らない。Google Play Musicの機能が日本でもすべて発揮できることになれば,このへんの問題は解決されそうだけど,そうなればなったでバッテリーのもちが心配になるな。ストリーミング再生になるわけだからね。

● ともあれ,これから曲の入替え作業をしようと思う。
 シベリウスやニールセンを聴いていこうと思ったり,管弦楽曲だけじゃなくて弦楽四重奏曲やヴァイオリンソロなど小規模な演奏にも親しめるようになりたいと考えてるんですけどね。
 そういった室内楽的なものは玄人が好むものっていう,根拠のない思いこみがあってね,ずっと苦手意識を払拭できないでいるものだから。

● ところで,最新のスマホはハイレゾで再現して再生できるんですねぇ。ハイレゾといっても,はたしてどの程度なのかはわからないけどさ。
 そのためにわざわざ買い替えるかとなると,そこまではしない。でも,次に買うときは自動的にそうした機種になるでしょうね。楽しみではありますね。その楽しみはすぐに食いつかないで,先に残しておこう。

2014年11月4日火曜日

2014.11.03 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会 vol.5

宇都宮市文化会館 大ホール

● vol.3から,後期交響曲をメインにしたオール・チャイコフスキー・プログラムの演奏会になっていた。指揮は大井剛史さん。
 今回が3回目。かつ,今回で終わりになる。

● 開演は午後3時半。ぼくの席は今回もB席(2,000円)。2階席の最前列だから,ぼく的には充分だ。満席の盛況。

● まず,組曲「眠りの森の美女」。バレエ曲とはいえ,優雅一点張りではない。っていうか,優雅一点張りのバレエ曲などないといっていいでしょうね。
 とはいえ,一点張りではないけれども,基調はゆったりとした雅びさにある。が,演奏する側はそんな状況じゃない。耳に届く雅びと,目に届く慌ただしさが好対照。

● 次は,「ロココ風の主題による変奏曲」。ソリストは宮田大さん。
 宮田さん,このシリーズ,3回目の登場になる。1回目でカバレフスキーの「チェロ協奏曲第1番」を演奏し,2回目では今回と同じ「ロココ風の主題による変奏曲」を演奏している。
 いずれも,ぼくの記憶からは完全に消滅している。聴く耳を持たないで聴いたものは,だいたいそうなる。だから,今回聴いたのも忘れてしまう公算が大きい。いい悪いではなく,仕方がないというべきでしょうね。
 憶えていたにしても,記憶は必ず変容を受ける。それが救いだともいえるけれども,変容が邪魔になることもある。
 それゆえ,忘れてしまうのは,もったいないといえばもったいない。ありがたいといえばありがたい。

● その宮田さん,巧さの塊という印象。巧さだけではないんだろうけど,こちらが感知できるのはその程度のところにとどまる。
 切れるところは鋭く切れ,ピアニッシモでは極限まで微少を追求し,切なく歌うところでは抑制を効かせた切なさが客席に届く。
 アンコールはバッハの無伴奏組曲から第3番「ブーレ」。

● 最後は,交響曲第6番ロ短調「悲愴」。
 「悲愴」の「悲愴」たるゆえんは第4楽章にあるんだろうけど,第1楽章の有為転変きわまりない,めまぐるしい展開が印象的だ。

● プログラムの曲目解説に,「「悲愴」というその和訳も,「原題のpateticheskayaは“燃えるような興奮に充ちた”の意味であり,“悲しみ”のニュアンスはない」と,ロシア語に通じた研究者たちから疑問が呈されている」とある。
 「悲愴」を感じさせるのは典型的には終曲部。ここでなるほど「悲愴」だと思ってしまう。けれども,これが全体からするとやや唐突な感じを受ける。それだけ効果が大きいともいえるわけだけど,ぼくとしては“ロシア語に通じた研究者たち”の疑問にシンパシーを覚える。
 「悲愴」だと思って聴くからそう聴こえる,ってこともあるんじゃなかろうか。

● というようなことを考えるのも,演奏が見事だったからで,やっぱり違うなぁという印象だね。
 アンコールもチャイコフスキーで,組曲「モーツァルティアーナ」から「祈り」。この曲を生で聴くのは二度目。

2014年11月3日月曜日

2014.11.02 加藤和美ヴァイオリンコンサート

東武宇都宮百貨店 3階フォーマル売場

● 東武百貨店の文具売場をウロウロしていた,ら。ヴァイオリンコンサートやりますからってんで,小さいチラシをもらった。
 午後2時から。30分のミニコンサート。時間もミニだし,お客さんの数もミニ。

● スポンサーはTOKYO IGIN。婦人服や婦人小物の商品を開発,販売しているところだね。百貨店の催事だから,要するに拡販のためだ。
 場所も売り場の一画。百貨店の雑踏がそのまま聞こえてくる。伴奏は録音テープだ。

● それでも,面白かった。奏者がすぐ近くにいる。ライヴ感が大きくなりますよね。人馬一体ならぬ,奏者とお客さんの一体感も強くなる。コンサートホールではそうはいかない。

● 加藤さん,細身で整った顔立ちをお持ちのお嬢さん。ありていに申しあげれば,美人。
 その美人がすぐ近くで演奏するわけでね。息づかいとか集中とかが,ビビッと伝わってくる。こういうのもいいなと思った。

● 一曲目は「情熱大陸」。あとベートーヴェンのヴァイオリンソナタ5番(全部ではない)とかパガニーニの「ラ・カンパネラ」とか。
 合間に「さとうきび畑」のようなポピュラーソングを入れて。最後は「ツィゴイネルワイゼン」で締めた。

● けっこうホカホカした気分で宇都宮の街に戻った。