2014年9月29日月曜日

2014.09.28 那須野が原ハーモニーホール開館20周年記念コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後1時。最初の30分は式典。これが終わってから入ればいいかなとも考えた。
 のだけれども,最初から付き合うことにして,1時前に着席。チケットは1,500円。

● 式典は耐え難い退屈に耐える訓練の時間だ。ところが。タブレットやスマホでゲームに興じている人がけっこういた。
 こらっ,訓練にちゃんと参加せんかいっ。賢いなぁとも思うけど。

● 本番が始まって,まずパイプオルガン。奏者はジャン=フィリップ・メルカールト氏。このホールの専属オルガニストでもあるようだ。
 曲目は次のとおり。
 フォーレ:ラシーヌの賛歌
 ドゥールズ:4つの俳句によるエヴォカシオン

● 「ラシーヌの賛歌」は那須野が原少年少女合唱団が加わる。というか,こちらが主役。
 「4つの俳句によるエヴォカシオン」はメルカールト氏の委嘱を受けて,ドゥールズが2004年に作曲したとのこと。バリバリの現代曲だ。
 「外国人が感じた日本の美しい俳句の世界をお楽しみください」というんだけれども,ぼくにはちょっと難しかった。オルガンはこういう音も出せるのかと驚くために聴いた感じ。
 ちなみに,エヴォカシオンとは「神おろし,死霊の口寄せ」などを意味する言葉だったらしいんだけど,今は普通に「記憶,心象,情感」といった意味で使われているようだ。

● 最後が那須フィルハーモニー管弦楽団による「第九」。指揮は大井剛史さん。
 大井さんが「第九」をどんなふうに振るのか。それを見るのが,じつは一番の楽しみだったりする。
 ただし,指揮ぶりが自分にわかるとも思えない。大井さんの指揮はパフォーマンスとしてもきれいで,基本,そんなところにとどまる見方になるんだけど。

● その大井さんが渾身の指揮で管弦楽に鞭を入れ,オケも懸命に食らいついていこうという図式。一生懸命さははっきりと伝わってきた。
 惜しむらくは第1楽章の出だしの部分。やや,生硬さが目立ってしまったか。

● ソリスト陣が素晴らしかった。これはもう,何事が起こったのかと思うくらい。
 ソプラノが大貫裕子,メゾ・ソプラノが三宮美穂,テノールが高田正人,バリトンが初鹿野剛の皆さん。
 特に高田さんのテノールが今も耳に残っているんだけど,4人が4人とも存在感ありまくりの図。

● 合唱にも文句なし。気になるのは平均年齢の高さだけだ。
 だけど,このあたりはぼくは妙に楽観視していて,さほど心配は要らないように思う。理由はと訊かれても,カクカクシカジカコーユーワケデって答えることはできないんだけど。
 でも,たぶん,心配要らないと思うよ。呼吸と同じで,吐きだせば入ってくるんだよ。

2014年9月25日木曜日

2014.09.25 間奏43:ブログの不思議

● 書く前に内容ができあがっていて,それを文字に置き換えるのではない。キーボードを叩いている間に,書くことができてくる。
 何を書くことになるのか,書いてみないとわからない。

● 以前(ブログを書き始めた初期)は,ホールを出るときにはすでに頭の中に文章ができあがっていることもあった。あとはそれをキーボードに叩きつければよかった。
 が,そんな時期はすぐに過ぎ去り,今はホールを出るときには何もないことが多くなった。これでどうやってブログにできるのかと思う。

● であるから,書くのが億劫になってきているんだけど,書き始めると書くことが生まれてくる。不思議な感覚だ。
 誰に頼まれたわけでもなく勝手にやっていることだから,億劫さが勝ればサッサとやめればいい話ではある。それをやめないでいるのは,ひとつにはこの不思議な感覚を味わっていたいという気持ちゆえかもしれない。

● ただし,そうして出てきた文章の良し悪しは,出てくるプロセスによるのではなく,たぶん才能で決まる。
 したがって,やめないですんでいる理由の第一は,自分のブログを自分で読んで感じるやるせなさ(ぼくの場合だと,小器用さがあざとくなっているところがあって,こりゃダメだわと思うことが多々ある)をサッと流せる厚顔無恥にある。

2014年9月24日水曜日

2014.09.23 東京アマデウス管弦楽団第80回記念演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 東京アマデウス管弦楽団の演奏を聴くのは,昨年3月に続いて二度目。あきれるほどの水準の高さは一度聴けば忘れない。
 今回は記念演奏会で「カルメン」全曲をやるという。行かずばなるまい。

● というわけで,チケットはネット(チケットぴあ)で購入していた。多少の手数料はかかるとしても,近くのコンビニで受け取れるのは,すこぶる便利。
 ネット以前を知っている世代としては,いろんなところでネットの便利さを実感するんだけど,チケット予約もそのひとつだ。ネットはすでに生活インフラになっている。しかも,インフラの重要な部分を担っている。

● 指揮は三石精一さん。カルメンが米谷朋子さん,ドン・ホセが渡辺大さん,ミカエラに石原妙子さん,エスカミーリョに米谷毅彦さん。
 合唱はアンサンブル・ヴォカル・リベルテと東京荒川少年少女合唱隊の皆さん。
 まずもって不満がないというか,堂々たる布陣といっていいでしょうね。

● もちろんコンサート形式なんだけど,これでチケットは3,000円(自由席)。格安というほかない。であるからして,ミューザのシンフォニーホールが満席になった。お客さんはよくわかっている。
 開演は午後1時。開場前から並んだ。2階席のけっこういい席を確保できた。

● 出だしの数小節で納得。前回とメンバーがまったく同じということはないんだろうと思う。しかし,水準は変わらず維持されている。
 歌い手が登場すると,管弦楽の場所は暗くなり,歌い手に照明があたる。当然のことだ。が,奏者の顔も動きも視界から消えるのは,少し残念に思えた。

● 劇中人物の年齢は10代の半ばから後半だと思う。読み書きもできないはずだ。工場勤めが終わると,煙草を喫う女の子たちだ。酒も飲む。教養もヘッタクレもあったものではない。ただ,奔放な野生とでもいうべき魅力を強烈に放っているはずだろう。
 それをリアルに表現するには,ソリストも合唱も上品すぎるわけで。リアルに表現しちゃいけないんでしょうけどね。そこは表現の作法というものがあって,それに則っているわけだろう。
 それ,わかるんだけど。

● 出演者が芸達者であること。それがオペラの説得力を支える一番目のものだと思った。演出上の小賢しい理屈じゃなくて。
 説得力といっても,専門家が考えるものと,客席が受けとるものとでは,違うのかもしれないな。
 客席からステージを見ていると,劇の進行にそっていろいろ考えるわけですよ。女の腰の据わり方はスゲーなぁとか,恋愛って惚れた度合いの強い方が負けるよなぁとか,特にそれが男だと無様なことになるなぁ,とか。ドン・ホセって究極のストーカーだからさ。

● そういう埒のないことを思いながら,ここぞというときのアリアに圧倒される快感。埒のない思考拡散と圧倒される快感の合計が,つまりオペラの説得力だと思ってるんですよ。
 ぼくのみならず,お客さんの大半はそうではあるまいか。まさか,オペラを人生を考えるよすがにしたいと思っている人はいないと思うんだよね。

● であれば,オペラはやっぱり歌い手で決まりますよねぇ。石原さんのソプラノが最も印象に残った。渡辺さんのテノールも。
 石原さんは4年前の“コンセール・マロニエ21”に出場したのを見ているせいもあるかもしれない(そのときの優勝者が石原さん)。
 歌手,よし。管弦楽,よし。満足のいく3,000円。

● あとはその満足感をいつまで保持していられるかっていう勝負になるね。3日も4日も保持するのは不可能だとしても,パッと忘れてしまうか,1日,2日は反芻していられるか。人生の幸せなんて,案外こういうもので決まるんじゃないかと思うんですよ。
 で,ぼくはここに課題を残していると思っているんです。ホールを出てから,わりとセカセカしちゃうっていう些細なことなんですけどね。

2014年9月22日月曜日

2014.09.21 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 前年の“コンセール・マロニエ21”の優勝者をソリストに迎えて開催される演奏会。開演は午後2時。入場無料。
 メインホールがほぼ満席。開場前から長い列ができていた。

● プログラムは次のとおり。
 ブラームス 大学祝典序曲
 尾高尚直 フルート協奏曲
 ブラームス ピアノ協奏曲第1番

● まずは,栃響だけで「大学祝典序曲」。さすがに安心して聴いていられる。
 “コンセール・マロニエ21”の優勝者をしっかりささえる,あるいは彼らを迎え撃って互角に渡りあえる管弦楽というと,栃木県では栃響ということになるのだろうな,と思いながら聴いていた。

● 尾高尚直「フルート協奏曲」,初めて聴く曲だ。作曲家が誰かを知らないで聴いても,日本人の誰かだろうとは容易に推測できるだろう。フルートが尺八の調べのように聞こえることもあった。
 ソリストは浅田結希さん。細く長く音を続けて終息をつけるときの巧さが印象的。拙い感想だけど。
 アンコールもあった。バッハだったと思う。具体的な曲名まではぼくにはわからなかった。いかにも女性のフルートといった柔らかさ。こういうのに男性とか女性とかって,ないものなんだろうけど。

● 20分の休憩後に,再びブラームスで,ピアノ協奏曲の1番。ピアノは青木ゆりさん。4月にも同じホール(サブホール)で青木さんの演奏は聴いているんだけど(浅田さんの演奏も),これほど長く聴くのは初めて。
 巧すぎて話になんない。以上,終わりっ。ほんとに以上で終わりだ。ほかに書くことないもんね。

● プログラムノートの曲目解説も青木さんが書いている。この解説の目の付けどころがユニークで,しかもよくまとまっている。
 ということを付け加えておくくらいかな。だいぶ上から目線的な言い方で申しわけないんだけど。

● それにしても大変なお客さん(の数)だった。無料であることの効果もあるんだと思う。ひょっとしたらそれだけかもしれないんだけど,そう考えてしまうと面白くない。
 秋の日の休日の午後,ぜひ,コンサート会場に足を運んで音楽をお聴きくださいなんて勧めるつもりはさらさらないけれども(今日はスポーツ日和だったし,読書や映画や旅行など,何をするにもいいシーズンだ),そういう過ごし方をしようと思えばできる。しかも,タダで。悪くはないと思うなぁ。

2014年9月17日水曜日

2014.09.14 アンドリュー・フォン・オーエン ピアノ・リサイタル

栃木県総合文化センター サブホール

● ピアノの単独演奏を聴くのは,ぼくには少々荷が勝ちすぎる。たんに聴くだけなんだけど,そのたんに聴くのが荷が重い。
 と,言い訳したくなるほど,苦手意識がある。それじゃヴァイオリンは聴けるのかよ,チェロはどうなんだよ,と言われますか。同じですと言うしかないんだけど,ピアノよりは取っつきやすいかな。気のせいかもしれないけど。

● というわけで,行くか見送るか当日まで迷って,結局,行くことにした。ので,チケットも当日券。残り少なかったけれども,それでも何でここが空いてるのっていうような席があって,いい席で鑑賞できた。
 開演は午後3時。チケットは2,500円。

● プログラムは次のとおり。
 シューマン フモレスケ
 バッハ パルティータ第1番
 ショパン ノクターン ロ長調
 ショパン ソナタ第3番 ロ短調
 (アンコール)
 ガーシュウィン スリープレス・ナイト
 ガーシュウィン 3つのプレリュード第3曲
 ドビュッシー 月の光

● ペコリと頭を下げて,椅子に座るやさっと弾き始める。これがぼくには好もしく映る。中には,集中を高めるためか,しばらく虚空の一点を見つめるようにしてから弾き始める人もいるけど,集中力は楽屋で高めておけよと思っちゃったりする。
 ルックスがいい。いうところのイケメンだ。羨ましい。
 ルックスと実力は別。それはそうだ。ところが,オペラなんか,そうも言ってられない状況になっているのじゃあるまいか。ルックスも実力のうちというふうになりつつあるように思える。

● シューマンはスーッと聴いてしまった。何も引っかかりなし。
 バッハに移ってから,こういうバッハ,聴いたことあったけ,と思った。モダンなバッハだと思った。
 もともとバッハはモダンなるものを内包している作曲家かもしれず,そうだとすればオーエンはそこを表にだした演奏をしたということになるのかなぁ。これがぼくの解釈するバッハです,と。
 グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲を思いだしたりするんだけど,オーエンの演奏はそれとはまるで違う。

● 休憩後のショパンも,独特のショパンだった。力強く激しいショパン。ノクターンでこういう表現があるのかと思った。ソナタに移っても印象は同じ。
 ショパンって印象派の絵画のような,イメージがわかりやすくて女性好きがするっていう感想をぼくも持っていたんだけど,そこをはずされた感じ。

● オーエンはショパンの一生を丹念に追って,彼なりのショパン像を持つに至っているのだろう。それによればショパンはこうなんですよ,というのを見せてくれたのだろう。
 こちらとしては受け取るしかない。何度か聴けば違和感もなくなるかもしれない。

● アンコール曲がなんだか染みてきた。ガーシュウィンもだけど,最後のドビュッシーは静かにしっとりと聴かせるもので,おいおい,言っとくけどこういう弾き方だってできるんだぜ,いちおう見せとくよ,といった感じだったか。

● 外国人の演奏家で日本が嫌いっていう人はいるんだろうか。たぶん,いないんじゃないかと思うんだよね。
 客席が暖かいもん。もちろん,日本だけじゃないんだと思う。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの様子をテレビで見ていると,ウィーンのお客さんも演奏家に敬意と親愛を示している。さすが本場という感じがする。
 なんだけど,日本の場合,それがもっと近しいんじゃないですかね。包みこむような感じというか。演奏家もかなり快感を覚えるんじゃないかなぁ。

2014年9月8日月曜日

2014.09.06 藝祭2014-カルミナ・ブラーナ

東京藝術大学 奏楽堂

● 今年も藝祭にお邪魔することに。La Folle Journée藝大版。5日から7日の3日間,大小種々様々なコンサートが開催されますよ,と。
 タイムテーブルはサイトに掲載されるから,それを見てスケジュールを決めることになる。できれば3日間とも日参したいところだけれども,諸般の事情で6日のみ。

● 整理券問題がある。事前に整理券をゲットしておかないと入場できない。会場の広さと聴きたい人の数が見合わない。数を制限しないとしょうがない。
 その整理券配布時間も考慮して,次のようなスケジュールを作ってみた。
  9:45~10:45 声楽科1年生による合唱:モーツァルト「戴冠ミサ」(整理券配布時間なし)
 16:05~16:55 愛の歌-ブラームスのひととき:「ハイドンの主題による変奏曲」「愛の歌」(整理券配布時間15:00)
 17:30~18:35 夏だ!藝祭だ!カルミナだ!:オルフ「カルミナ・ブラーナ」(整理券配布時間12:00)

● で,9時半に到着。最初の合唱の会場に行ったところが,すでに満席になってしまっていた。入場できず。残念だけれども仕方がない。仕方がないけれども,次の整理券が配布される12時までやることがない。
 いや,美術学部の展示もあるわけで,やることがないってのはあり得ないのだ,普通は。加えて,このエリアには国立や都立の美術館・博物館が集積している。特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」なるものも開催中だ。
 ところが,ぼくはそっち方面にはとんと興味がない。宝の山を目の前にしているのに,戸を叩かない愚か者とはぼくのことだ。

● 藝大の近くの上島珈琲店でモーニングセット。オープンテラスの席が空いていたので,そこで。普段はないシチュエーションで大いに満足しましたよ。620円の出費でこうした時間を買えるんだから,安いものだ。
 藝祭に向かう人たちや楽器を抱えた学生さんが通っていく。生ビールを商う学生の呼び声が聞こえてくる。朝から生ビール,いかがですかぁ。これで車が通らなければ最高なんだが。
 パリのモンマルトルにいるかのよう・・・・・・なわけはない。ここは歴然と日本で,空間のすみずみに日本があふれている。が,しばらく身を置いておきたいと思って,そのようにした。

● 上島珈琲店に入るところで,若い女の子に藝大の音楽学部はどちらでしょうか,と訊かれた。じじむさいオッサンに訊かれたんじゃ,馬鹿野郎,自分で調べろ,と言っちゃうところなんだけど,ここは懇切に対応いたしましたよ。
 といって,この先50メートルほどですよ,ですんじゃうわけだけど。

● ま,その他いろいろと暇をつぶして,11時半を過ぎたところで,再び藝大に。12時前に「カルミナ・ブラーナ」の整理券をゲットした。
 これ,いいのか。融通をきかせるとか,臨機応変に対応するとかっていうのとはちょっと違うと思うんだけどな。
 12時まで待たせるわけにはいかない事情(たとえば,人が滞留しちゃって,耐えがたいほどの構内渋滞が発生してしまうとか)があるのか。ないんだったら,キッチリ12時から配布を始めた方がいいように思う。こういうものは杓子定規な運用が吉。
 いや,そうでもないのか。早く来た人からサッサと渡してあげた方がいいか。さんざん待たせてから売り切れですよと告げるのは,心苦しいし,不親切ってことになるかなぁ。ちょっと悩むな。

● さて,このあとはまたやることがない。暑い。アメ横でビールでも飲むか。で,アメ横に行ったらば。営業中のモツ焼き屋や焼き鳥屋は満席だった。昼から飲んでるやつがこんなにいるのか。
 ま,ぼくもその一人なんですけどね。中華料理屋で餃子を肴に生ビールを飲んだ。旨くないわけがないやね。
 このあとも必死こいて暇をつぶして,15時前に整理券の列に並びに行った。ら。すでに配布終了。ふぅぅむ。

● となると,17時半までさらにやることがない。事ここに至っては,ぼくとしても万策尽きた感じ。万策尽きたとなれば致し方がない。東京国立博物館に向かった。
 故宮博物院展ではなく,通常展の方のチケットを買った。ひょっとすると1回か2回は来ているのかもしれない。そうだとしても完璧に忘れているから,新鮮な気分で見ていける。

● まず,仏像。日本史の教科書に載ってるものの実物ですよね。飛鳥時代や奈良時代に作られたものが,一部といえども,今も残っている。奇跡だな。平安や鎌倉のものは,精緻にリアル。リアルっていうのも変な言い方だけど,1本の木からこういうものを掘りだすって,今,できる人はいるんだろうか。
 ぼくらの先人の中にはすごい人がいたんだなぁ。日本人であることの誇りを刺激する効果がありますよね。

● 土器や陶器,密教仏具,仏教美術,刀剣などなど,2時間程度では一部しか見られない。かといって,では1日かけて全部見るかっていうと,それも辛い。
 なぜって,30分も見てると激しく疲れるから。何日間か日参するしかないでしょうね。これ,捉まる人は捉まると思うんで,実際にそうしている人がけっこうな数いるんだろうな。
 行ってみるもんですね。そう思いましたよ。

● さてさて。やっと17時になった。開場時間だ。奏楽堂に向かった。
 演奏するのは“F年有志オーケストラ”。F年とは,普通の大学で4年生といっているものに相当するらしい。
 F年の学生だけでは駒が足りないと思うんで,実際には院生や下の学年の学生も参加していたはずだ。でもねぇ,こういうのを学園祭でやっちゃうってのがねぇ。

● ここまでの合唱陣(特に男声)を整えることができるのがすごい。藝大しかできないってことではないのかもしれないけれども,しかしやっぱりすごいな。
 気が満ちているという印象ですね。端正でもある。おざなりは彼らの敵。彼らの辞書にそういう言葉はないのだろう。

● 朝の9時半に着いて,この時刻までひたすら暇つぶし。なんだけど,待った甲斐がありましたねぇ。これほどの「カルミナ・ブラーナ」を生で聴ける機会は,たぶん,この先ないと思うもん。
 昨年はシュニトケ「オラトリオ長崎」。強烈だった。今回も印象をひと言でいえば,強烈ということ。
 この1時間で今日は良い日となった。しかもかなり良い日となった。

● あ,それともうひとつ。往きの宇都宮線の車中で,可愛らしい女の子を見かけた。4歳くらい。父親と二人。父親の耳元に口を寄せて何か囁いている。その様はまさに天使。
 父親にとっては特にそうだろうな。今,一生分の親孝行をしてもらっている。あと10年もすれば,娘から嫌悪される運命だもんな。父と娘の束の間の蜜月。
 ぼく,娘はいないんだけど,正直,いなくてよかったなぁと思うんですよ。いろんな意味でね。

2014年9月6日土曜日

2014.09.05 間奏42:音楽を聴く時間が激減している

● スマートフォンで音楽を聴くことがなくなった。スマホはチョコチョコと使っているけれども,最も長いのは音楽プレーヤーとして使っている時間だった。歩きながら音楽を聴く。電車の中で聴く。
 それをしなくなった。8月15日以来,まったくスマホでは聴いていない。

● かといって,自宅で聴く時間が増えているわけではない。もともと,ぼくはスマホで聴く派で,据え置き型のオーディオ器機で聴くことはしていなかった。
 それ以前に,そういうモノを持っていない。パソコンに外付けのスピーカーをつないでいる程度だ。

● 聴かなくなったのは自転車に親しむようになったから。メタボ対策のためにね。片道25㎞を自転車で通勤したりしている。
 自転車に乗っているときに,イヤホンを耳に突っこんでいるのは,危険を超えて無謀といっていいでしょう。
 自転車に乗る時間が増えた分,スマホで音楽を聴く時間が減ったということ。でも,自転車で出勤したとしても,1週間のどこかには音楽を聴ける時間があるはずだ。しかも,少なくない時間。

● ところが,その時間も捨ててしまっている。意欲減退。音楽に飽きてきたのか,単なるスランプか。
 でね,使わないでいたらイヤホンがどっかに行っちゃいましたよ。部屋のどこかにはあるはずなので,探せば出てくるはずだ。なんだけど,探す気にもならないでいる。

● だから,それで禁断症状が出るかといえば,そんなことはまったくない。音楽を聴かない生活が淡々と重ねられていく。
 もっとも,ライヴにはけっこう以上に行っているのでね。それで足りているのかも。

(追記 2014.09.14)

 元に戻ったとまではいかないながらも,ちょこちょこ聴くようになりました。イヤホンは探すのも面倒なので,宇都宮のヨドバシでSONY製の安いのをとりあえず買って。

 聴かなくなった理由に,自転車に乗るようになったことをあげましたが,ほかに音楽再生アプリが使いづらかったのも理由の一つだったような気がしますね。
 Google Play Musicがデフォルトで入っていたので,それを使っていたんですけど。

 このアプリ,本来の能力を発揮できればとんでもなくすごいアプリなんでしょ。日本では発揮したくてもできない状況になっているだけで。
 ですが,端末のSDカードに入れてあるのを再生するだけだと,ちょっと今までのアプリと勝手が違うところがあって,慣れなかったということですね。
 “Meridian”を入れて使うことにしました。