2014年3月31日月曜日

2014.03.29 第3回音楽大学フェスティバル・オーケストラ

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 昨年に続いてお邪魔した。国立音楽大学,昭和音楽大学,洗足学園音楽大学,東京音楽大学,東京藝術大学,東邦音楽大学,桐朋学園大学,武蔵野音楽大学。首都圏の8つの音大がひとつのオーケストラを組んでの演奏会。
 それぞれの音大ごとの演奏会は昨年11月と12月に開催されている。

● 開演は午後3時。チケットはS席が2,000円(座席はS席とA席の2種)。指揮はラドミル・エリシュカ。チェコ共和国の大御所らしい。ゆえに(だと思うのだが),演奏するのはスメタナとドヴォルザーク。
 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」より「高い城」「モルダウ」「シャルカ」
 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

● 学生さんたちはいたってリラックス。笑顔を見せながらの登場。この演奏会は,彼ら彼女らにとってもお祭りであるようだ。
 演奏中も,いい意味で余裕を見せていた。腕に覚えがあるがゆえだろう。

● ぼくの席は前から3列目。指揮者が楽譜をめくる音まで聞こえてきた。
 オーケストラの全体が視野に入らないという憾みはあるけれども,奏者の表情や息づかいまで堪能させてもらった。
 演奏は言うまでもない。人馬一体という言葉が唐突に浮かんできた。楽器と一体化している。楽器が身体の一部になってて,楽器にまで神経が通っているっていう感じですね。そうなるだけの時間とエネルギーを注いできている。
 若い学生たちの溌剌さ,熱心さ,一途さ。ひょっとすると,プロのオーケストラも含めて,聴きうる限りで最も贅沢な,旬の演奏を聴かせてもらっているのかもしれないと思った。

● ラドミル・エリシュカ氏は,御年,82歳。これも唸るしかないでしょうね。なんで82歳でこういう動きができるのか。指揮者でこういう人は何人もいるんだけど,仕事が然らしめるところなのか,DNAなのか。

● 来年は上野学園大学が加わって,9大学になるらしい。何とか皆勤して聴きたいものだ。どうにかして都合をつけるだけの価値はあると,ぼくは思う。

2014年3月28日金曜日

2014.03.27 開成管弦楽団第23回定期演奏会

川口総合文化センター(リリア) 音楽ホール

● 川口って,駅東口と西口の様相が相当異なる。東口は活気と雑踏に満ちているが,西口は静かで知的な感じ。リリアは西口にある。
 静かで知的って,それだけでは生息できないから,東口あっての西口でしょうね。

● 開成管弦楽団はかの開成高校の中等部と高等部の生徒で構成されている。「かの」というのは東大合格者数が全国1位という意だけれども,開成高校についてはそれくらいしか知らない。
 ただ,昨年8月に聴いたサカモトキネンオーケストラの演奏会に,ソリスト(ピアノ)で登場した江里俊樹さんが開成の出身。開成中学では生徒全員が音楽でピアノを習うらしい

● ともあれ。開演は午後6時。入場無料。会場はリリア4階の音楽ホール。
 このホール,比較的小ぶりで正面にパイプオルガンを備える。オーケストラを載せるにはやや手狭かもしれないけれども,小規模な演奏なら,これ以上の環境はないんじゃないかと思う。いいホールですな。

● 曲目は次のとおり。指揮も生徒が務める。
 ショスタコーヴィチ 祝典序曲 イ長調
 チャイコフスキー 組曲「白鳥の湖」
 ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調

● 前半の2曲は,わりと普通。中高生の合同チームだから,個々の技量に差があるのは仕方がない。とはいっても,ヴァイオリンなんかは就学前から習っている生徒もいるかもしれないけれども,それ以外の楽器は中学生になってから始めたのだろう。その中学生が半分いる楽団がここまで演奏できるのは大したものだよなあ。
 「白鳥」では荒削りという印象を受けたんだけど,中高生なのだ,それが当然だ。繊細さの表現はむしろ男のものという気もするんだけど,若干,技術が追いつかない。
 なんてことを思いながら聴いていた。ともかく,ここまで形にしてくるんだから刮目すべきでしょ,的な。

● ところが。休憩後にラフマニノフ2番が始まったとたん,すべきじゃなくて,刮目した。
 まず,指揮者。誰かについて指揮法を習ったんだろうか。それとも独学? プログラムの曲目解説には,「指揮するにあたって,僕はセルゲイ・ラフマニノフの作曲家としての魂,その行方を綴ったドラマとして捉えようと努めました」と書いている。方針は明確だ。あとは,どんなドラマに構成できたか。
 各楽章の解説は学識すら感じさせる。大量に聴いているのだろうし,自身もプレイヤーなればこその地に足のついた説明だ。語彙も豊富だ。いるんだなぁ,想像を絶する高校生。

● 「白鳥の湖」もそうだったんだけど,オーボエがお見事。センスなんですかねぇ。センスといってすませていたんじゃ,何も分析したことになりませんけどね。分析が必要か,とも思うけど。

● 第2楽章は乗りやすいのかもしれない。伸びやかにグイグイ行く。しかし,走りすぎることはなかった。
 次の緩徐楽章も大きな破綻なくまとめてきた。緩徐楽章になっていたのがすごい。繊細さがここではあったような。指揮者の力量か。このあたり,ぼくにはよくわからなかったけど。
 最終楽章。縦横無尽。登りつめてピタッと終わった。

● 終演後はため息が出た。中高生がここまでやるか。最後はそういう感想。

2014年3月25日火曜日

2014.03.23 宇都宮ユース邦楽合奏団《邦楽ゾリスデン》演奏会

宇都宮市文化会館 小ホール

● 昨年は当日券がなくて入れなかった。今回は事前にチケットを買っておきましたよ,ええ。
 そのチケットは1,000円。1,000円でここまでの邦楽演奏を聴けるんだから,聴かない手はない。開演は午後2時。今年も満席。

● 鮎沢京吾さんの三味線は初めて聴くもの。「碧潭第二番」(浦田健次郎)。危うい緊張がすうっと続いて,気がついたら終曲していたっていう感じ。切れるんじゃないか,切れるんじゃないかと思わせながら,それが切れないという妙。
 三味線がエレキギターに見える瞬間があった。音が通るからだろうか。

● 「鳥のように」(沢井忠夫)。箏の群奏。14人の女性。見た目も美しい。これだけの人数で演奏すれば,綻びが生じることもあるだろう。が,それは最小限。
 ピタリとまとまっていた。これ,録音してくれないかなぁ,と思いながら聴いてたんだけど,音だけではなくて,演奏する様を間近に見ていることの効用が大きいでしょうね。
 逆に,録音した演奏を聴いて,この様を脳内にイメージできれば,その人は聴く達人といっていいのでしょう。

● TVテーマ曲メドレーもあった。編曲した水越丈晴さんがおっしゃるには,西洋の楽器は西洋の建物の中で演奏されたときに一番よく響くようにできているのに対して,邦楽器は木と紙でできた日本家屋で演奏されるものだから,そこに気をつけて編曲した,と。
 これ,とても腑に落ちた。西洋の建物(教会が代表だろうが)は石でできていて,天井が高い。石は音を跳ね返す。残響が生じる。
 紙は音を通すし,木は音を吸収する。残響はない。直接音だけを聴くことになる。だから,邦楽器の場合は音を遠くに飛ばす必要はない。むしろ飛ばない方がいい。その場にとどまる。くぐもる感じになる。

● ところが,その日本家屋が日本から消えつつある。木造の小中学校はなくなったし,一般家屋も鉄骨造が珍しくない。マンションに至っては,鉄とコンクリートとガラスでできている。
 それ以前に,オーケストラと同じコンサートホールで演奏されることが多くなった。
 となれば,邦楽器も変わらざるを得ないんだろうな。楽器じたいが大きく変容することはないだろうけど,演奏の仕方とか演奏形態とか。
 現代の津軽三味線は,こうした変化に対するひとつの答えかもしれないと思うことがある。

● このテーマ曲メドレーでは「情熱大陸」に注目。福田智久山さんの尺八がラインを作る。いやがおうでも熱演になる。

● トリは「篝火」(牧野由多可)。十七絃もいれると箏が15人。「鳥のように」もそうだったんだけど,箏がこれだけ並ぶと,それそのものが美しいという不思議。ステージにこれだけの箏が並んでいるだけでアートっていうか。
 ポツンと置かれた一面の箏のたたずまいも,それはそれで絵になるんですけどね。箏って造形的にもよくできているなぁと思いますね。
 ホールで演奏するにふさわしい楽曲。ぼくらが幽玄と感じるものは,こうした邦楽器の響きによって作られているのかもしれないね。響きが先で,言葉は後。

2014.03.22 オーケストラパレゾン結成記念演奏会

江戸川区総合文化センター 大ホール

● オーケストラパレゾンは,「明治学院大学管弦楽団のOB・OGが主体となって結成されたアマチュアオーケストラ」。今回がその初回の演奏会。
 開演は午後2時。チケットは700円。

● 明治学院大学管弦楽団のOB・OGによる楽団は別にもうひとつあるらしい。東京にアマチュアオーケストラがいくつあるのか知らないけれど,またひとつ生まれたわけだ。
 一方で,活動を休止する楽団もあるだろう。新陳代謝は絶え間なく行われているんだろうね。

● 地方だと,大学オケとか市民オケっていうのが,言葉どおりに成立する余地があるんだと思うんですよ。大学の関係者とか地域住民とかが支持してくれれば,ともかくステージが成立する。
 東京だとそうはいかないでしょ。圏域が狭いうえに,公共交通機関が網の目のようにできあがっているから,市といい区といったって,越境が容易だ。市や区の境界線なんて,地図上の線以上のものではない。地方だって同じなんだけど,その程度は大きく違うだろう。
 要するに,競合する相手が多くなる。大変だろうなぁ,と。

● 曲目は次のとおり。指揮は河上隆介さん。
 デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」
 バッハ トッカータとフーガ ニ短調(ストコフスキー編曲版)
 ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

● ぼくのおめあてはバッハだった。バッハの小編成(あるいは独奏)の曲を管弦楽にアレンジしたものっていくつもあるんだろうけど,じつは生では聴いたことがない。
 が,「シャコンヌ」の管弦楽版を初めてCDで聴いたときの,驚愕というか何じゃこれはっていう印象は忘れがたい。斎藤秀雄版を下野竜也さんの指揮で読響が演奏したものですけど。

● で,「トッカータとフーガ ニ短調」を生の管弦楽で聴きましたよ,と(この曲は本当にバッハの作なのかという疑問を呈する専門家もいるようだけど)。壮大,荘厳といくつもの単語が浮かんでくる。腹に力をいれて聴かないと流されそうでもある。
 一大叙事詩のようだ。いろんな物語を仮託できる。神々が論争しているようでもあり,人が天に召されるときの情景のようでもあり,敬虔に祈りを捧げる人の内面を表したようでもある。
 真面目に生きた人の一生を思い浮かべることもできる。いろんな浮き沈み。喜びや悲しみ。どうにもならない悲惨。それでもそこに注がれる神の恩寵。
 良くも悪くも,こちらの思い入れでどうにでも受け取れる。

● ただ,こういう聴き方ってどうなんだろうと,一方では思うんですよ。そのようなイメージをすべて封殺して,音を音として聴くという聴き方。そういう境地があるのかな,と。
 そこを目指してもつまらないぞ,やめとけ,とも思うんだけど。

● 以下,余談。
 地方の人間が首都圏に行って驚くことのひとつが,活気ある商店街が存在していることだ。新小岩駅前のルミエール。
 ショッピングモールも悪くはないけれども,商店街もいいですな。昔からここで営業してると思われるお店が多いけれど,ダイソーとか昔はあったはずがない店舗もある。
 商店街が残るかどうかってのは,たぶん複雑系の話で,初期値がほんのわずかでも違うと,結果は大きく変わってしまうものなんでしょうね。だから,寂れた商店街の再興を目論んで,ルミエールを視察して何か手を打っても,なかなか思うようにはいかないものだろう。

● 商店街をいいと感じるのは,年寄りの懐古趣味なのかとも思ったりもするんですけどね。でも,とてもいい風景に映るんですよねぇ。

2014年3月23日日曜日

2014.03.21 ユーゲント・フィルハーモニカー第8回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 開演は午後7時。チケットは当日券で1,000円(前売券なら500円)。曲目はマーラーの9番。指揮は三河正典さん。
 この楽団の演奏会はいつだって満席。お客さんもわかっているのだ。プロかと見紛うような演奏を,しかも今回はマーラーの9番を,500円とか1,000円で聴けちゃうんだ。不景気だろうが少子化だろうが,そんなものは関係ない。

● で,どうだったか。
 素晴らしかった。素晴らしすぎた。以上,終わりっ。

● ほんとに以上でいい。ゆえに,以下は蛇足になる。
 第1楽章のコーダの前のホルンとフルートの延びのかそけさ。第3楽章の末尾の切れの見事さ。
 肌がヒリヒリするような感覚を味わった。こんな体験,滅多にできるものじゃない。

● とんでもない技量の持ち主たちが揃っているという以外にない。その彼らにとっても,この曲は難物だったに違いない。スラスラスイスイとできちゃいましたよ,というわけではないだろう。
 っていうか,スラスラとできてしまったのでは,こうまで深い余韻は残るまい。格闘して仕上げた結果だ。しかし,格闘の痕跡は見事に消している。

● 長い曲だから,CDで聴くこともそんなに多くはない。ベルリン・フィルがカラヤンの間隙をついて,バーンスタインと行った演奏が有名だけど,ぼくもそのCDで聴いている。
 でも,あのCDは何なのか。マーラーの9番ってこういう曲だったのかと,今回,初めてわかった気がする。
 たぶん(というか,確実に)CDのせいではなく,ぼくのオーディオの粗末さがもたらしたものではあるんだけど。

2014.03.21 東大フィル・グラデュエイト・オーケストラ第7回定期演奏会

武蔵野市民文化会館 大ホール

● 開演は午後2時。チケットは1,000円(当日券を購入)。曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

● 東大フィル・グラデュエイト・オーケストラは,その名のとおり東京大学フィルハーモニー管弦楽団のOB・OGが中心になっているものの,現在のメンバーはOB・OGに限らないらしい。東大フィルじたいが,東大生だけで構成されているわけでもない。

● 大学オケのOB・OGオーケストラって,かなりの数あると思うんだけど,当然,OB・OGになってからの方が忙しいっていうか,時間がなくなりますよね。
 現役生だったころより上達するものなのかなぁ。それとも,腕を落とさないですめば御の字だったりするんだろうか。
 いや,OB・OGになっても演奏活動を続けようとするっていうのは,もともと演奏への思いが強い人たちなんだろうから,「腕を落とさないですめば御の字」というのは無礼千万な言い方になりますか。

● ともかく,大曲を2つ。安心して聴くことができた。危なげがない。オケとしてのバランスがいいと思えた。
 バランスがいいということは,ヘタがいないということでもあるけれど,パート間でお互いによく音を聞きあっている結果でもあるだろう。
 そんなに練習の時間は取れないはずでしょ。少ない時間をどれだけ有効に使えるかの勝負になると思う。そこのところの密度の濃さがすごいと思う。

● ことあるごとに(ひょっとして,仕事中も忙中に閑を得て)ここのところはどうしようとか,演奏のことを考えたりしてるんだろうか。
 仕事だけじゃない。家族もいる。仕事や家庭を雑事と言ってしまうのはどうかと思うけれども,大人は雑事の海にいる。その雑事がすべて順調だなんていうことはまずもってあり得ないものだろう。あったとしても長い人生のほんの一瞬ではないか。
 絶えず気がかりや不安や憂鬱や落胆がある。なおかつ,10の憂鬱には,90の満足を吹き消して,そのまま居座るくらいのパワーがある。
 という状況の中で音楽や演奏のことを考え続けることができるわけか。逆に,それがあるから,雑事に向かっていけるってことがあるにしても。

● 指揮は大沼太兵衛さん。東大文学部を卒業して,フランスに音楽留学。古文書学校との二股。きちんと二兎を追い切ったんでしょうね。
 凡愚の身からすると,学部を終えた時点でフランスの古文書に行けるというだけで,想像を超えることなんだけどね。
 で,パフォーマンスとして見ても,絵になっている指揮ぶり。しばらく彼の指揮だけを見ていた。

● アンコールは再び,ベートーヴェンの5番。第1楽章だけ再演するのかと思った。ら。
 この運命変奏曲,何ていうんですか。

2014年3月17日月曜日

2014.03.15 Sinfonia Resonanz ベートーヴェン全交響曲連続演奏会・Ⅵ

横浜みなとみらいホール 大ホール

● このブログは音楽そのものについては,あまり語れていないと思う。語れるだけの鑑賞眼を持っていないからで,それはそれで仕方がないと諦めている。
 ただ,その程度であっても,ステージから「感動」を得られたときは,その程度なりに気がこもるところはあるのじゃないかと思う。「感動」がなければ書けないというほど,ぼくはセンシティブではないけれども,書いても平板になることは自覚している。
 で,その「感動」はステージ側に責任を帰してしまっていいものか。おまえらがダメだから,オレは「感動」できなかったぞ,という図式は成立するか。それとも,客席にいる自分が見つけに行くものか。
 じっとしていても郵便物のように届くものか。それとも,こちらが立ちあがって取りに行かなければならないものか。
 後者だろう。どんな演奏にも「感動」の種は潜んでいるものだと看做すことにしたい。小学生の鼓笛隊であっても,だ。
 今まで,その探索が充分だったかどうか。
 以上は今までの反省の弁であって,今回の演奏会とは直接の関係はない。

● Sinfonia Resonanzの演奏会は前回に続いて二度目。「ベートーヴェンの交響曲を全曲演奏するために結成された楽団」で,今回がその最終回(だと思う)。ぼくは前回の第5回を聴いたのが初めてで,残念なことにそれ以前は知らない。
 開演は午後1時半。チケットは1,000円。当日券を購入。

● 最終回の今回は,交響曲の1番と9番。指揮は小笠原吉秀さん。
 この楽団から感じるのは,カチッとしたマジメさ。若いアマチュアの俊才たちが,1枚の絵を完成させるために,個々のピースをていねいに組み合わせてきた,といった感じ。もちろん,こちらの勝手な想像だ。
 ただ,好きどおしで和気藹々と楽しくやってきましたというんじゃないでしょうね。求道者的マジメさを感じたんですけどね。

● 「第九」の冒頭,弦のトレモロに乗ってホルンが宇宙の開闢を告げる。神が最初の一撃を与えたのである。以後の展開はめまぐるしい。第1楽章が終わったところで,普通に交響曲をひとつ聴き終えた気分になる。心地良い疲れに満たされる。
 もういいやと思う。第1楽章が聴ければ気がすむ。
 ぼくはそれでいいとしても,演奏する方はそうはいかない。この先もベートーヴェン的執拗さに付き合っていかねばならない。

● 第2楽章も充分すぎる質量があって,これだけ聴いても,不足感は何もない。第3楽章の甘美さは何としたものだろう。透明で上品。天国の調べとはこういうものだろう。
 以上のすべてを否定して,第4楽章が歓喜のテーマを奏でるというんだけど,本当か。本当にそうなのか。いいのか,そういう解釈で。「おお,友よ,このような音ではない!」とは,そういうことなのか。

● 第4楽章に登場する歌い手たちは,古河範子さん(ソプラノ),堀田亜沙子さん(アルト),雨谷善之さん(テノール),高田智士さん(バリトン)。どうしたってソプラノが目立つわけだけど。
 合唱団は公募による。この合唱団のレベルが高かったのに一驚。合唱って数じゃない。
 声楽が入ると,ただちに荘厳が生まれる。厳かさがホールを支配する。声楽の不思議。宗教音楽が声楽中心なのは,充分すぎる理由があってのことだとわかる。

● 集中と緊張の管弦楽にソリストたちの熱演もあいまって,見事な「第九」ができあがった。
 終演後もしばらく立ちたくなかった。今年は年末の「第九」は行かなくていいかなとか思った。行くと思いますけどね。

● 久しぶりのみなとみらい。さすがに休日は人が多い。ウォーターフロント,東京のお台場もちょっと陰りが見えるようだし,ちょっとどうなのよなんて思ってたんだけど,栃木ではあり得ない人並みだ。
 でも,お金を持ってないと楽しめないよね,ここ。

2014年3月14日金曜日

2014.03.13 宇都宮短期大学・附属高等学校音楽科 第46回卒業演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● 半世紀近く続いている卒業演奏会。昨年も一昨年もあったわけだ。が,事前に察知できたのは今回が初めて。総合文化センターのホームページを見て知った。たまたまだ。
 一般に開放されているとはいえ,学内行事だろう。それほど熱心にPRしているわけでもないようだ。観客のほとんどは生徒・学生の保護者,卒業生,在学生といった学校関係者だから,外部へのPRする必要もさほどない。
 だからといって,ぼくのような純部外者には居心地が悪いかというと,そんなことはまったくなく,ごく普通の演奏会と同じ。

● 開演は午後5時半。入場無料。終演は8時になった。
 平日のこの時間帯をこんなふうに過ごすのは,ぼくの中ではいわゆるひとつの理想型。すこぶる上質な2時間余になった。タダでこういう時間を持てるんだなぁ。
 この短大と高校は,栃木県における音楽の集積基地。その総決算ということだからね。

● 出演者の全員が女子。それ以前に,卒業生のほぼ全員が女子。
 まずは電子オルガン。ステープラーをホチキスと言うがごとしで,ヤマハの製品名であるエレクトーンが電子オルガンの代名詞になっていますか。
 大型スピーカーをふたつつないで音をだす。立体的な音になる。自分で曲を作るときには便利な楽器かも。
 いろんな音を出せるからひとりオーケストラも可能だろうけど,長く聴いているのはちょっとつらい感じ。
 高校生の演奏が面白かった。面白かったというか,へぇぇと思うことが多かった。

● 電子オルガンを別にすると,ソプラノが3人,ピアノが3人,フルートが1人。
 ステージドレスで登場する彼女たちは,すでにレディの趣をたたえている。すぐにでも社交界にデビューできそうな。

● 印象に残ったのは近藤きららさんのソプラノ独唱。マスカーニ「友人フリッツ」より“わずかな花を”。
 まず豊かな声量。エンジンにパワーあり。技法的な部分はこれからに期待できる。とにかく,まだ若いんだから。
 ピアノでは最後に登場した川口真由さん。女王登場の趣があった。演奏したのは,シューマンの「幻想曲 ハ長調」の第1楽章。
 この先,いくつかは待ち受けているであろう落とし穴にはまって,自ら成長をとめてしまうことがない限り,さてさて,どこまで行くものやら。

● 短大の卒業生はピアノが2人。小堺香奈子さんがドビュッシーの「喜びの島」。ドビュッシーを聴くときは,どれだけ頭を空っぽにできるかだと思う。タイトルも忘れるくらいがいいんじゃないか,と。
 そのように聴けた自信はぜんぜんないけれども,何となくいい感じ。小堺さんの粘着質でない演奏のおかげかも。美女にはドビュッシーがよく似合う,というのも発見。
 髙橋奈々美さんはショパン。ソナタ第3番の第4楽章。ショパンって繊細で華麗なイメージだけども,力強くもある。ピアニストには力が必要だ。髙橋さんのショパンはその力があると思った。

● あと,研究科の神山有理さんのフルート。トゥルーの「グランソロ第5番」。もちろん,今回初めて聴かせてもらう曲なんだけど,トリを飾るに相応しかった(と思う)。
 要は上手だなぁってことなんだけど。フルートを吹く身体になってるっていうか。技術の巧拙とは別のところで,客席を自分に集中させる魅力がある。

● というわけで,先に書いたとおり,上質な平日の夜を過ごさせてもらえた。
 客席の雰囲気もよかった。お客さんの粒が揃っている印象。変なことをする人もいないし。さすがは音楽科の演奏会で,それは客席にもうかがうことができた。こちらも,それなりに気を遣うようになる。

2014年3月10日月曜日

2014.03.09 吉澤延隆 箏リサイタル-つなぐ

宇都宮市文化会館 小ホール

● 客席は満員御礼状態。お客さんは大半が女性。おばあさま方が多い。若いファン層の獲得は,西洋音楽の演奏会でも課題だと思われるんだけど,いっそうその感を深くする。
 ただ,これってだいぶ昔から言われていたことかもしれない。案外,どうにかなっていくのかもね。ただし,人口構成が逆ピラミッドなんだから,単純計算だと退場者ほどの新規参入者はいないはずで,そこのところがちょっとね。

● ただ,最近っていうかけっこう前からなんだけど,日本人の日本文化への回帰傾向がありますか。夏の浴衣とか,筆記具における万年筆の復権とか(日本文化とは一致しないか),和食の見直しとかね。
 ま,大雑把に過ぎる話なんだけど,昨年は邦楽コンサートの当日券が買えなくて入場できなかった経験をぼくもしていますんでね。暗いばかりじゃないんでしょうね。

● ともあれ,市場縮小はどの業界でも同じ。けれども,いい演奏家は生き残る。「いい」か「ダメ」かの評価がはっきりして,「いい」に需要が集中するようになるんでしょうか。「いい」はかえって忙しくなるような気もするなぁ。

● 主催は宇都宮市文化会館を運営している,うつのみや文化創造財団。「第10回宇都宮エスペール賞受賞者成果発表」公演とある。その受賞者が吉澤さん。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。前もって購入しておいた。完売とのことだったから,それで正解だった。

● 吉澤さん,30歳をちょっと出たくらいの年齢。本質とは関係ないんだけど,ルックスも良し。お客さんの大半は女性なんだから,女性に好かれるビジュアルを持っていることは,けっこうな武器でしょうね。
 ぼくも彼くらいの年齢の頃はやせていたんだけどねぇ。くそぅ,羨ましい。
 MCも自身で務め,サービス精神を発揮。ただし,MCはもちろん箏の演奏ほどに上手ではない。あたりまえだ。上手である必要もない。

● まず,次の2曲。
  パク ウンギョン Seeking,comprehending
  名倉明子 答えのない花
 どちらも,現代の作曲家に委嘱してできあがったもの,とのこと。名倉さんは吉澤さんと同じ宇都宮エスペール賞の受賞者。
 その名倉さんがステージに登場して,作曲の意図を説明した。余韻(残響)と音色を味わえるように意を用いたということ。

● 邦楽器を演奏したことがない人が作曲すると,予期しない面白さなり効果なりが生まれることがあるのかもしれない。のだけれども,正直,あまり楽しめなかった。たぶん奏者に依存するところが大きいと思われる,ピンと張った緊張感は感じることができたんだけど。
 こちら側の聴き手としてのあまりの未熟さ,特に現代曲の傾向に対する無知蒙昧が少なからず作用しているだろうことは,言うまでもない。

● 3曲目は沢井忠夫「百花譜」。こちらは箏を知り尽くした人の作。奏法の取りこみに関しては,何でもありのてんこ盛り。それでいて全体の曲調はひじょうにスッキリしている感じ。
 吉澤さんの師匠である和久文子さんとの合奏。こういうのを聴くと,曲と演奏を切り分けることができるのかってことを思う。

● 15分間の休憩のあと,その和久さんのスピーチがあった。吉澤さんがインタビューするっていう流れだったんだけど,実際にはスピーチね。
 弟子たちに対する慈しみ,箏への想い,それに賭けてきたもの。そうしたものが自ずとにじみ出るような話しぶりで,それがちょっと(話が)長すぎるかなっていう印象を消し去った。
 次は,池上眞吾さん。次に演奏された「ごんぎつね」に曲を付けた人。音楽が語りすぎないようにした,とんがった奏法は入れないようにした,というような話。

● で,その「ごんぎつね」。原作は新美南吉。この話,教科書にも載ってるらしんだけど,ぼくは知らなかったんですよね。で,知らなくてよかったと思った。
 篠井英介さんの朗読と「邦楽ゾリスデン」のメンバーによる演奏とで物語が進行するんだけど,なにせストーリーを知らないわけだからね,ドキドキしながら次を待てるわけで。
 1月に見たオペラ「夕鶴」を思いだした。「ごんぎつね」が「夕鶴」の「つう」に重なるわけですね。かつて流行った言葉でいうとトリックスターでもあるんだけど,核心は無垢と善意。この話,オペレッタに仕立てることができるんじゃなかろうか(最後は悲しい出来事で終わるので,オペレッタというのはおかしいんだけど)。

● 篠井英介さん,登場した瞬間に会場内の空気を変える。長く舞台を続けた人なればこそ。すごいと思った。
 演奏終了後に,その篠井さんのトークがあった。自身の舞台のときに,演奏陣は男だけじゃないとヤだと贅沢を言った,男が紋付き袴でやった方が格があがるじゃないですかねぇ,と。
 たぶん,場内の空気を読んで,これならここまでは言っても大丈夫と踏んだんだろうけどね。吉澤さんを讃える意味もあるし。で,実際,大丈夫だったんですけど。
 小心者はちょっとドキッとしちゃいましたよ。

● 最後は松村禎三「幻想曲」を演奏し,アンコールは宮城道雄「さくら変奏曲」でしたか。お得感と後味の良さが残る演奏会でしたね。
 23日には邦楽ゾリスデンの演奏会があるんでしたね。昨年,当日券が買えなくて入場できなかったのはこれ。今回は抜かりなく購入済み。結局,自分の水準に引きつけて聴くしかないんだけど。

2014年3月3日月曜日

2014.03.02 那須フィルハーモニー管弦楽団第15回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 昨年中にパイプオルガンの取付け工事が終わって,面目を一新した大ホールが使えるようになった。パイプオルガンってメンテナンスも大変だと思うんだけど,ともかく正面にオルガンがあるホールを栃木県人も持つことになりましたよ,と。それも宇都宮じゃなくて那須なんですよ,と。

● その工事後の大ホールを見るのは,今回が初めて。こけら落としの演奏会もあったし,その後も山形交響楽団の演奏会とかあったんだけど,ぜんぶ行きそびれていた。
 「音楽の殿堂」的な趣が出ますよね,やはりね。このホール,設立して20年を迎えるらしんだけど,今回のオルガン設置で,施設としては最後の仕上げが終了したということなんでしょうかね。

● これほどの施設なんだから,あとはビシバシと使い倒すだけだ。このホールを運営するのは,那須野が原文化振興財団。置かれた環境の中で,よくやっているなと思える。丹羽正明前館長の遺産もあるのかもしれない。
 さらなる企画の充実というのは永遠の課題であり続ける。しかも,質は落とすな,地元の文化振興に寄与しろ,と言われるわけだろう。といって,地元のお客さんが来てくれただけでは,採算的にはぜんぜん合わない。ヨソから呼ばなきゃ。部外者には窺えない苦労があるのだと思う。

● 那須フィルはアマオケとしては破格に恵まれた環境にある。まず,このホールを練習でも使えること。立派な指導者をつけてもらえる。団費の負担も少なくてすむ。当日券の販売もホールのスタッフがやってくれる。自分たちでテーブルをだして売るってことをしなくていい。
 そもそもが定演の主催者は那須野が原文化振興財団であって,那須フィルではない。形式的には,那須フィルは主催者に招聘されて演奏する形だ(あくまで形式的には)。

● さて,那須フィルの定演。開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
 指揮者は大井剛史さん。曲目は次のとおり。重量級の2曲。
 ビゼー 「アルルの女」第1・第2組曲(全曲)
 ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調

● 本番に向けて練習を積み重ねてきているわけだ。午前中にはゲネプロもすませているだろう。それでも,お客さんが客席に座っている本番は,事前に体験することができない。演奏しながら本番に慣れていくってことがあるようだ。
 これを客席から見ると,演奏中に上手くなっていくという印象になる。「アルルの女」も開始直後は,堅さが見られましたかねぇ。第2曲に入ると,ぐっとなめらかさが増した感じ。
 特に,クラリネットにそれを感じた。演奏しながらグングン上手くなっていった。

● 第2組曲の第3曲(メヌエット)は,フルートの独演場。指揮者もここは手をとめて奏者にお任せするしかない,ってところでしょ。
 かなりプレッシャーだろうねぇ。その代わり,こんなに美味しい場面はそうそうない。そのフルートが大役を果たして,怒濤のフィナーレ。快い疲れが残った。
 この曲,普段はネヴィル・マリナー指揮,ロンドン交響楽団の演奏をCDで聴いている。そのCDに何の不満もない。シャキッと整理整頓の効いた演奏だ。が,こうして生で聴いてみると,こちらに届く情報量が圧倒的に違う。技術の巧拙を呑みこむ迫力がある。

● ぼくはピアノ曲がよくわからないでいるので,ラフマニノフはちょっと遠いところにいる人っていう感じ。唯一,この交響曲第2番だけが例外。
 ところが,この2番も,演奏する側は大変だろうね。難物という印象がある。響かせなきゃいけないし,かといって響かせりゃいいってもんじゃない(どの曲もそうなんだろうけど)。曲調がしっとりしているから,そのしっとり感を損なわないで演奏するにはどうすればいい? 難しいだろうなぁ,と。

● この演奏会では,大井さんの指揮ぶりを見る楽しみもある。いい指揮ってどういう指揮なのか,こちらにはそれがわかってないんだけど,理屈抜きに,見ててしっくりくる指揮。所作がきれいだなぁと思わせる指揮。

● 9月にはベートーヴェンの「第九」を演奏する。ホールの20周年を記念しての演奏会。
 どうやら,今年は栃木県内でも,いくつかの「第九」を聴けることになりそうだ。鹿沼市と栃木市でも予定されているようだし。