2014年12月31日水曜日

2014.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2014

東京文化会館 大ホール

● 4年連続で4回目の拝聴。同じ日に同じ会場の小ホールで,ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の演奏会もあって,今年はこちらにしようかとも思った。
 ベートーヴェンって交響曲だけじゃないし。交響曲はけっこう聴く機会があるし。弦楽四重奏曲を聴いてきたんですよと言う方が通っぽいような気がするし。

● が,やはりこの魅力に抗しきれずという次第。それと,下世話ながら,内容に比してチケットが安い。これも誘因になった。
 開演は午後1時。指揮は小林研一郎さん。オーケストラは全国選抜の「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。コンマスはN響の篠崎史紀さんで,指揮者とコンマスはこの4年間は不動(それ以前のことは知らない)。

● 過去3回はいずれもC席で聴いた。昨年は文化会館で購入したので,正規の5,000円。ただし,安いD席(2,000円)とC席はすぐに売れてしまうらしく,このとき買えたのは4階左翼席の2列目だった。これは正直,かなり辛い席で,同じC席でも1列目とは天地の差になる。
 一昨年はその1列目をヤフオクで購入していた。落札価格は8,000円とか9,000円とか,場合によっては10,000円になってしまうんだけど,それでも1列目が取れるんだったら,その方がいいかなと思って,今年は最初からヤフオク狙い。

● ところが,その1列目の出品に10,000円で応札しても,落札できなくてね。また出てくるのかもしれないけれども,時間も迫っているしというわけで,もう何でもいいやと思って。
 で,オークション終了30分前の時点でA席が11,500円のオファーがあった。これに,正規料金の15,000円で応札。結局,その値段で落札できてね。
 S席とA席は,その時点でまだ正規チケットも残っていたけど,まずは良しとしなければならないよね。

● というわけで,今回は初めてA席で鑑賞することになりましたよ,と。1階の左翼席だった。
 で,どうだったかというと,4階席とは届く情報量がまるで違うんでした。
 まず,小林さんの指揮ぶりが見える。4階席の奥の方から見ると,彼の左手が風に吹かれてブラブラしているように見えた。1階で見ると,意思が通っているという当然のことがわかる。
 奏者の表情もわかる。それがどうしたと問われれば,存在が身近に感じられるぞと答えておけばいいだろう。

● 1番からさすがはプロの集中力。といっても,ストイックな集中ではない。たぶん,奏者にとってもこの催しはお祭りなのだと思う。ゆえに,肩の力が抜けているというか,リラックスしているというか。そのうえでの集中。
 とはいえ,後半になると指揮者も奏者も入れ込む度合いが高くなる。お祭りじゃなくなる。そうなればなったで,別の凄みが出てくるわけだけれども,そうなる前の3番が今回の白眉だったと言ってみたい。5番でも7番でもなく,3番(あと,4番も)。

● どういう日本語をあてはめればいいか。ケレン味がないというか。起伏の多いこの曲を平明に表現したといいますかね。
 力みがない。こちらの感度さえ良ければ,まっすぐに直截に受け取れるはずの演奏だと思えた。
 ぼくがそのように受け取れたかとうかは,したがって別の問題。

● しかし,入れ込んだ後も聴きごたえがあったのは言うまでもない。7番の第4楽章の音のうねり,跳躍。呆然としながら聴いていた。
 いや,呆然とするしかないでしょ。これ聴いて,呆然としなかった人って,客席の中にいたのか?

● 8番もその勢いで,最後は「第九」。
 ソリストは森麻季さん(ソプラノ),山下牧子さん(アルト),錦織健さん(テノール),青戸知さん(バリトン)。合唱は武蔵野合唱団。この布陣も昨年と同じ。
 よく鍛えられた合唱団。男声をこれだけ集められるってところに,ぼくなんぞは都会を感じてしまうんだけどね。
 ソリストについては名前だけでひれ伏す感じ。

● けれども,肝はやはり管弦楽だ。疲れていないはずはない。疲労困憊だったと思うんだけど,寸毫も集中を切らさない。
 っていうか,「第九」が始まる前の休憩時間にも練習している音が聞こえてくるわけですよ(確認作業だったんでしょうね)。なんなんだ,こいつら,っていうね。
 じつに使い減りがしないというか。いや,プロとはこういうものかと思いましたよ。

● どのパートがどうのこうのという世界じゃないけれども,ぼくにはオーボエの音色が染みた。
 しみじみと染みてきた。あぁ,オーボエっていいなぁ,っていう。

● 指揮者もしかり。70歳をこえてこれだけ身体が動いちゃうんだからね。
 しかも,大晦日の午後1時から始まって,終演は年明けという長丁場。途中,休憩はもちろんあるものの,とんでもない運動量だし,それ以上に根をつめなきゃいけない作業なわけで。凡人にとっちゃ,それだけで驚異。
 でも,若手の指揮者にしたら困るでしょうね。これだけ頑張られちゃ,自分に席が回ってこないよ,と。サラリーマンなら,60歳になればいやおうなしに退場させられるけれども,この世界にそれはない。

● コンマスの篠崎さんの存在感も印象的。オーケストラを完全掌握。「まろ」というのは,言い得て妙でありますな。

● ステージは素晴らしい。が,客席はどうかというと,ごく普通だ。
 下品きわまるブラボー屋がいるし,演奏中にプログラム冊子を読んでいる鶏頭もいる。このあたりは宇都宮で地元のアマオケの演奏会を聴いているのと,雰囲気は何も変わらない。
 ただし,子どもはいない。大人だけだ。演奏時間帯からして子どもがいちゃまずいんだけど,子どもがいないってのは,かなりの快感だ。

● 会場はずっと東京文化会館。ここ,席が狭いのが難。左右も前後もかなり手狭。その分,収容人員を多くしていると思われる。約2,300人を容れることができる。
 主催者とすれば,それを満席にしないと催行は覚束ないのだろう。席が狭いことくらい,我慢しないとしょうがない。

● 年末の「第九」は日本の風物詩かと思っていたんだけど,最近では外国でも見られるようになりつつあるらしい。
 けれども,ベートーヴェンの交響曲の全曲を1日で演奏するなんてのは,たぶん,日本だけでしょ。しかも,この水準ですからね。
 したがってこのコンサートはよく知られている(と思われる)。遠くから飛行機や新幹線を使ってわざわざ聴きに来ている人もいるようだ。

2014年12月29日月曜日

2014.12.28 東京大学歌劇団第42回公演 マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」&プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」

三鷹市公会堂 光のホール

● 本格的な,たとえばローマ歌劇場やウィーン国立歌劇場の来日公演を見に行って,豪華な舞台装置や衣装に度肝を抜かれたいと思う。思うんだけど,料金がねぇ。S席だと5万円を超えてくるもんなぁ。
 そのくらい出せよ,それだけの価値はあるだろうよ,お金は小出しに使うな,まとめて使うもんだよ,と自分に言ってやりたいんだけど,言われても困るよっていう,もう一方の自分もいるわけでね。

● そこで,折衷案というか,現実を踏まえてというか,市民歌劇団がプロの歌い手を招いて催行するオペラを昨年は何回か観に行った。
 これならまぁまぁ出せる金額。財布にやさしい。そのうえ,オオーッと驚けるところもいくつも出てくる。ぼく程度の聴き手なら,それで充分すぎる。

● なんだけど,今年はそういったものに一度も行かずに終わった。その理由は自分なりに分析はしているんだけど,要は飽きてしまったようなんですね。
 で,残ったのは,プロがいなくて,100パーセント学生手作りの,この東京大学歌劇団の公演ですよ,と。

● 面白いんですよ。今回は2本立てだったんだけど,どちらもかなり面白かった。かけているエネルギーの総量なんでしょうけどね。それが伝わってくるわけで。
 玩具のオペラなんだと思うんですよ。設えだってチャチイんです。学生たちがやってるんだもん。お金,ないんだもん(親はお金持ちかもしれないけど)。

● ただし,歌い手も管弦楽の奏者も指揮者も本気で遊んでいるわけだよね。遊びに本気になっている。
 しかも,将来,自分がどこまで伸びるか,どうなっているか,なんてのは考えていないと思う。「今ここ」に集中している。
 本気で遊ぶって,なかなかできないよ。至高の境地かもしれないと思いますよ。
 その若い本気さが直球で客席に届くわけで,その結果が面白くないわけがない。

● 設えのチャチさだって味わえる。衣装が揃わなくて,それぞれの私服で出ているのだって。
 つまり,そういうことって,本気の邪魔はしないから。

● ともあれ。第38回,39回,41回に次いで,4回目の拝聴というか拝観というか。開演は午後3時。入場無料。カンパ制ってことですね。
 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は男女の愛憎がらみの最後は悲劇の結末。「ジャンニ・スキッキ」はコミカルな喜劇。

● 両者に共通するのは,登場人物たちの住んでいる世界が閉じられていること。一方は,はるか昔のヨーロッパの田舎村。生活も人間関係もその村の中で完結している。
 もう一方は貴族の館。登場人物たちは館の外に住んでいるわけだけれども,劇中ではそこが世界のすべて。
 世界を閉じなければ,物語を動かせないんでしょうね。変数を制限しないと,とりとめがなくなってしまうんだろう。

● 過日,一部を駒場祭で観ているんだけど,今回の印象はそれとはまったく異なるものだった。
 駒場祭での印象記は全部削除したくなった。穴があったら入りたい。なかったら掘ってでも入りたい。

● 「ジャンニ・スキッキ」で標題役を演じた井出さんだけは,プロというか声楽の専門家で,彼の力量があってこそ,コミカルが成立した。歌の技量が表現の幅と深さを作る第一要因であることは,どうしたって動かしがたい。
 「カヴァレリア・ルスティカーナ」でも,同様の理由で,サントゥッツァとアルフィオのやりとりが一番聴きごたえがあった。お見事というほかはない。

● 何気に存在感があったのが「ジャンニ・スキッキ」のツィータ。プログラム冊子で確認したところ,これを演じていたのは20歳のお嬢さん。
 学生がやっているんだから,20歳で何の不思議もないんだけど,あの妖気(?)と色気は何事ならん。

● 終演は5時45分頃だったか。冬の日はとっぷりと暮れているわけだけど,寒さはさほど感じなかった。

2014年12月25日木曜日

2014.12.23 湘南弦楽合奏団第52回演奏会

鎌倉芸術館 大ホール

● “青春18きっぷ”を使わなきゃというわけで,「フロイデ」を参照して,この演奏会にお邪魔することにした。
 最寄駅は大船。栃木の田舎からすると,はるか彼方。東京よりも先っていうことだから。が,実際には湘南新宿ラインで乗り換えなしで行けるんですよね。
 このあたり,昔のイメージが邪魔をしているところがあるね。上野で乗り換えて,そのまま京浜東北線で行くか,東京で東海道線に乗り換えるというイメージが,まだけっこう残っているので。
 江ノ島が近くだから,もちろん始めて降りる駅ではないけれども,前回来たのは10年以上前のことだと思う。人の多さに目が回る。

● 開演は午後2時。チケットは900円。もちろん,当日券を購入。指揮は三河正典さん。曲目は次のとおり。
 バルトーク 「子供のために」より 10の小品
 ヴィヴァルディ オーボエ協奏曲 ニ短調 Op.8-9
 コレッリ クリスマス協奏曲
 ドヴォルザーク 弦楽のためのセレナーデ ホ長調

● 登場した団員,けっこう平均年齢がお若くない感じ。ということはつまり,ベテランが多い。年季の入った演奏が聴けるだろう。
 と思ったら,実際,そのとおり。この合奏団のホームページを見ると,「アマチュアの弦楽オーケストラです」とあるんだけど,演奏でメシを喰っているわけではないという意味でアマチュアであって,演奏の水準は素人離れしている。 
 この合奏団に自分も参加したいと思っても,ここまで巧いと,なかなかおいそれとは入れないんじゃないか。

● 上記のプログラムにしても,玄人好みがする(ように思われる)。これほどの演奏ならばどんな曲でもいいんだけど,ヴィヴァルディのオーボエ協奏曲なんていうのは,さて,この先,聴ける機会があるかどうか。
 オーボエは中山亜津紗さん。よく息が続くなと思うところが頻出。循環呼吸というやつですか。鼻から吸うのと口から吐くのを一緒にやるっていう。そうじゃないとすれば,どこかで息継ぎをしているはずなんだけど,ぼくにはまったくわからなかった。

● この先,聴ける機会があるかどうかということならば,コレッリのクリスマス協奏曲なんか,もっとそうかもしれない。ドヴォルザークの「弦楽のためのセレナーデ」にしたって,そうそう機会はないと思う。
 そうした曲を正統派の弦楽合奏で聴いたって気がする。

● 「弦楽のためのセレナーデ」の前にチェンバロが運びこまれた。当然,奏者はいない。が,アンコール曲がモーツァルトのモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だったんでした。
 もう恥をしのんで申しあげるしかないんだけど,ぼく,この曲を聴いたことがなかった。もっと言うと,CDも持っていない。すぐに手当します。この曲のCD。

● アンコールはもう1曲。マルチェッロのオーボエ協奏曲の第2楽章。中山さんが再びの登場。もう,恥の上塗り。この曲のCDも一緒に手当します。
 というわけなんでした。収穫がありすぎたということ。

2014年12月22日月曜日

2014.12.21 第32回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館 大ホール

● 2009年の第27回,2012年の第30回に続いて,三度目の拝聴になる。開演時刻,チケット料金はずっと変わらず。午後1時半開演,800円。
 開場前にお客さんが長蛇の列をつくるのも同じ。

● 構成も変わらない。宇女高合唱→宇高合唱→混声合唱と進んで,第1部が終了。第2部は両校合同の管弦楽。
 第3部が合唱と管弦楽が一堂に集っての,「ハレルヤ」と「第九」第4楽章の演奏になる。

● まず宇女高合唱部。OG会長のあいさつ文によると,県代表として関東合唱コンクールに出場したとのこと。
 「サラソラ女声合唱曲集」から“ヘブライ人の子らは”と“神をたたえよ”の2曲。清純さに心が洗われるような思いがしたというと,陳腐に過ぎてしまうだろうか。
 曲調のしからしめるところでもある。が,十代半ばの彼女たちの声質のゆえでもあるでしょう。

● 次は「Life is Beautiful!」とあるんだけれども,要は企画もの。女性の一生を主にはポピュラーソングをアレンジして表してみましたよ,という趣向。
 子どもから思春期に入って,恋愛を経て結婚。子どもが生まれて母親になって,やがて幸せに老いていく,という。

● これを聴きながら思いましたよ。女性はその大半をオバサンとして生きていかなきゃいけない。乙女でいられるのは,ほんの束の間に限られる。
 それは男も同じなんだけど,男はどうも地に足が着いているのかいないのかわからないところがあって,いい年こいて子どもっぽいふるまいをしたり,浅薄な正義感を振りかざしている輩がけっこういる。世間もそれに対して意外に寛容だ。
 ぼくもそっち側の人間であることを自覚しているんだけど,男がそんなことをしていられるのも,女性がしっかりオバサンをやってくれているからで,しょせんはその前提あっての話だ。

● ところが。地に足の着いていない男が,女性に向かってオバサンになってはいけないなどと言いだしたりするから,不毛な厄介さが生じてしまう。
 ときには,同じことを女性が言いだすという,驚天動地の事態も発生する。
 オバサンで何が悪い? オバサンあってのこの世だぞ。オバサンがしっかりしていれば,残余は無用といってもいいくらいのものだ。

● OGも入って,ブリテンの「キャロルの祭典」から,“入場”“来たれ喜びよ”“四月の朝露のごとく”“この小さな嬰児”の4曲。
 けっこう,難しい曲じゃないですか。女子大の合唱団が比較的よく演奏しているイメージがある。
 
● 次は,宇都宮高校の男声合唱。過去2回,男声合唱に圧倒される思いがしたが,今回はどうか。
 「クレーの絵本第2集」から“ケトルドラム奏者”と“黄金の魚”。谷川俊太郎さんの作詞。それと,「コルシカ島の2つの歌」。
 いや,たいしたものだと思った。ひとつには数の力。が,木偶の坊が大勢揃ってみてもしょうがないわけでね。
 自分で歌いながら,全体がどう客席に届いているか,それを把握しているんですかねぇ。それができるって相当なものだと思うんだけどね。

● OBも加わって,秋のピエロ,紀の国,斎太郎節。不動のレパートリーなんだろうか。曲じたい,評価が定まっているものだろうけれども,表現者も素晴らしい。
 空気を切り裂いて届いてくる“斎太郎節”の合いの手なんか,男声ならでは。
 ここが,この演奏会のひとつの頂点を作っていることに異議をはさむ人は,たぶんいないのじゃないかと思う。

● OBはネクタイを締めてスーツで登場。OBになって間もない人も,そうでない人もいた。
 まったく脈絡がないんだけど,その様子を見て頭に浮かんだことがあった。男性が最もモテる日はいつかというテーマだ。
 ぼく自身の体験を申しあげれば,大学4年生のとき。就職が決まったあとの,ゼミの追い出しコンパ。一次会が終わって,二次会。その店のオネーチャンにやたらにモテた。
 スーツを着ていった。大学生から社会人になろうとしている男性の,でもまだ学生の側にいる時分。その学生が社会人の恰好をしている。そのあわいの風情。これではないかね,諸君。
 しかし,社会人の側に入ってしまうと,そのあわいは消えてしまう。
 
● 管弦楽のみでの演奏は,シベリウスの「カレリア」組曲。
 高校に入ってから楽器を始めた人も多いだろう。小さい頃から習っていた人もいるようだ。管楽器にしても,中学校の吹奏楽部でみっちり練習してきた人もいるだろうし,まったく初めてという人もいそうだ。
 各パートとも,個々の技量にだいぶ差がある。それで当然。けれども,難しさもそこにあるんでしょうね。

● それと,もう一点。管弦楽に関してははっきりと女子が優位。両校の演奏をそれぞれ単独で聴いたら,かなりの力量の差を感じるはずだ。つまり,宇女高が巧い。コマもそろっている。
 コンミスなんか手練れの印象だ。姿も美しい。フルート,オーボエも女子奏者がリード。トランペットをはじめ,総じて,金管の水準はかなりのものじゃなかったかと思うんだけど,双肩の役割を果たしたのはやはり女子奏者。
 これはもう仕方がないなぁ。良し悪しは別として,育ってきた環境が違うもんなぁ。つまり,歌舞音曲は女のもの,っていう感覚がまだかなりあるものね,この国には(この国以外にもありそうだが)。

● 「ハレルヤ」からは宇高生がコンマスを務めたんだけど,彼,だいぶとまどっただろう。えっ,なんでオレなの? ってなもんだったかも。
 自分より巧いメンバーを従えて,彼らの演奏を背中で感じながら必要な指示を体で発するなんて,どうやったらできるんだ?
 ここはもう,その経験じたいを楽しんでしまうしかない。言うほど簡単なことではないはずだけど。

● しかし。この年代の若者のノビシロはすごい。昨日の彼は明日の彼ではない。中高年はそれを畏れなければならない。
 同時に思った。あまり小器用に巧くならないでほしい。

● 「ハレルヤ」以降は,合唱団も入る。音楽選択の2年生が加わる大合唱団だ。「第九」も第4楽章しかやらないわけだから,主役は合唱団であって,それ以外ではありえない。
 生徒の中には,なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ,迷惑なんだよ,と思っている子もいるかもしれない。それが自然だし,もっというとそれが健全でもある。

● けれども,これだけの数の高校生が繰りだす合唱は,上手下手を超えて,文字どおりに他を圧する迫力があった。何人も抗する能わず。管弦楽もソリストも観客も。
 「なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ」と思っている音楽選択生はひょっとしたらいなかったのかも,と思わせるだけの圧を最後まで切らせることはなかった。

● 合唱も管弦楽も,高校の部活だ。高校生は忙しい。スケジュールはタイトなはずだ。
 その部活でここまでのバリエーションをこの水準で客席に提示できることじたい,彼ら彼女らの能力の高さをうかがわせるに充分。 

● 合唱に限らず,管弦楽も含めて,あんまり頭を使って聴いてはいけないものだろうと思う。それが過ぎると,自分を評論家か審判者の位置においてしまうことになる。審判者とはつまり神でもある。自分を神に祭りあげて恥じないのであれば,とっとと人間であることをやめてしまった方がいい。
 と思っているんだけど,ところどころ頭デッカチの聴き方をしてしまっている。聴き手として未熟。そこがぼくの反省課題だ。

2014.12.20 文教大学管弦楽団第29回定期演奏会

埼玉会館 大ホール

● “フロイデ~アマチュアオーケストラのための”を見ていて,急遽,出かけてみることにした。動機ははなはだ不純というか,失礼というか,下世話なもの。
 つまり,この冬もJRの“青春18きっぷ”を購入したんだけど,まだ一度も使ってないんですよ。使用期限は来月10日だから,そろそろ使いださないと余っちゃうぞ,ってものだから。

● で,この楽団の演奏会に行ってみることにした。比較的,近いし。宇都宮から北に行く最終電車にも間に合いそうだったし。
 開演は午後6時。入場無料。プログラムは次のとおり。
 モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 ビゼー アルルの女 第2組曲
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 「魔笛」を除いて,先週聴いた宇都宮大学管弦楽団の演奏会と同じになる。もちろん偶然なんだけど,わりとこういうことがあると思っている。時期によって演奏される楽曲が集中しがちな傾向。
 いえ,だからそれが問題だというわけではまったくないんだけど。

● 指揮は冨田邦明さん。この楽団の常任指揮者。
 プログラム冊子を見て驚いたのは,トレーナーが多いこと。パートごとにいる。ヴァイオリンなんか二人もいる。教えにくる頻度が他大学と同じだとすれば,とてつもなく恵まれた環境で練習していることになるなぁ。

● 定演は年1回らしい。「団員のほとんどが大学から楽器を始めました」ともある。大学生になってから始めても,チャイ5を演奏できるまでになるのか。
 ともかくお手並み拝見。

● 「アルルの女」でフルートを吹いていた女子学生も大学から楽器を始めた? んなわけ,ないよなぁ。
 ファゴットの女子学生は? オーボエは? まさかコンミスもヴァイオリンを始めたのは大学から? そんなことはないんでしょ。

● 堂々たる交響曲になっていた。大学から楽器を始めてここまで到達できたのだとすれば,他はどうでも(つまり,勉強なんかほとんどやってなかったとしても),彼ら彼女らの大学生活はかなり充実したものだったのではないかと推測する。
 若さを羨ましいと思うのは,こういうところだな。とんでもない可塑性を宿している。それって,自分が若さを喪失してから気がつくんだよな。

2014年12月16日火曜日

2014.12.14 第7回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。管弦楽は昨年から栃木県楽友協会管弦楽団という名前になっているけれども,実質は栃響
 指揮者が変更になっていて,三原明人さん。

● まず,ブラームスの「悲劇的序曲」。さすが栃響で,手堅く仕上げているなぁという印象。
 ただね,ちょっとおとなしい感じがしたんですよね。素直に指揮者の言うことをきいてる感じがする。そして,控え目に応えているっていう。
 急遽登板した指揮者がここまでリキをいれてくるんだから,もっと踏みこんで応えてもいいんじゃないかと思った。本番では無理だとしても,場合によっては反抗的に応えるってこともあってもいいのでは,と。

● 栃木県にいれば,何だかんだいって栃響なんですよ。もし栃響でダメだったらしょうがないねってこと。
 ゆえに,ないものねだりをしたくなったりもする。いや,ひょっとすると,ないものねだりにもなっていなくて,頓珍漢なことを言っちゃっているのかもしれませんけどね。

● で,「第九」。最初から合唱団が登壇。第3楽章の前に入ることが多かったかと思うんだけど,やはりこれが本筋なんでしょうね。
 できれば,ソリストも最初からいた方がいい。そこまでやるのはなかなか厳しいんだろうけど。

● ぼくは第1楽章が好きで,「第九」の8割は第1楽章にあると思っている。もちろん,「楽聖が晩年になって達した,枯淡の境地」と言われる第3楽章や,クライマックスの4楽章の合唱も素晴らしいんだけど,得体の知れない何者(何物)かの胎動を思わせるような第1楽章がいいなぁと思っていて。
 でね,この第1楽章を決めるのは木管とホルンなんですよね。中でも1番ホルンが大事だなぁと思っていましてね。目立たないんだけど,ここがこけたらどうにもならない。

● 見事な第1楽章だった。「悲劇的序曲」で感じたおとなしさのようなものが,「第九」になると影をひそめた。指揮者とオケの間にスキマがない。渾然一体。
 じつは,オーケストラは何も変わっていなかったので,どうにもこちらの印象がいい加減っていうか,デタラメっていうか,そういうことなんでしょうねぇ。
 あるいは,もう何度も演奏していて,手の内までわかっているよってことなんですか。

● 栃響クラスになれば,弦は巧くてあたりまえという前提がこちらにある。その前提をさらに突くような,純度の高い弦の響きが気持ちよかった。一番目立つ位置にいるコンマスの技量の高さもよく伝わってきた。
 1番フルートの巧さは何事であるかと思うほど。オーボエも4楽章のピッコロも印象に残りましたね。
 以上を要するに,文句なし。

● 重箱の隅をつつくようなことを申しあげれば,4楽章でファゴットとクラリネットのかみ合いがどうだったかと思わせる箇所があった。ネジの歯車のかみ合いが,0.2ミリほどずれたかというような。
 ミスではない。瑕疵というにはあたらない。
 第5回の演奏があまりに素晴らしかったので,その記憶をさらに自分で持ちあげてしまっているところがぼくの側にあるのだと思う。その地点から見てしまうっていうか。

● 合唱も堪能させてもらった。生で「第九」を聴くことの醍醐味のひとつは合唱にある。そのことにもとより異議はない。人数は今回くらいでいいんじゃないかと思う。
 ソプラノで相当に巧い人が二人,いませんでしたか。一方,先走りが身についてしまったかと見える人が男声陣の中にいて,そこが唯一,惜しまれる。
 しかし,それも許容範囲だったと思う。何といっても,それじゃおまえやってみろよと言われれば,ぼく的には完全にお手あげなわけだからね。

● というわけで,すこぶる満足度の高い「第九」を聴かせてもらった。いい気分になって酒場をハシゴして(終演は3時半だったんだけど,こんな時間帯からビールを飲ませるお店があるんですねぇ),だいぶ酔っぱらってしまった。

2014年12月15日月曜日

2014.12.13 宇都宮大学管弦楽団第78回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は午後2時。曲目は次のとおり。指揮は井﨑正浩さん。
 ベートーベン 序曲「コリオラン」
 ビゼー 「アルルの女」組曲第2番
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 宇都宮大学管弦楽団は,栃木県の学生オケの中では図抜けた存在。県内の市民オケの人材供給源になっているようにも思われる。
 年に2回の定演を楽しみにしている人も多いだろうと推測する。ぼくもまた,そのひとりなんだけど。
 栃木のような田舎でも,とても全部は追い切れないほどのコンサートやリサイタルが催行される。プロありアマチュアあり。
 で,学生の演奏会にこれだけのお客さんが入るっていうのは,大学生だっていうそれ自体が放つ魅力のようなものがあるんでしょうねぇ。

● 「コリオラン」もけっして簡単な曲じゃないと思うんだけど,うまく仕上げるものだなぁと思った。
 「アルルの女」は第2組曲の方。したがって(と,つないでいいのかどうか)木管とホルンが大事。とりわけ,フルートが。そのフルートを担当していた男子学生が上手でね。

● 唐突なんだけど,音楽は女だなと思うんですよ。要するに,ふくよかさっていうのが,かなり優先順位の高い価値になるんじゃないか。だから奏者も女性の方がいいということでは全然ないんだけど,音楽じたいは女性なのかもしれないなって。
 そうしたことを思わせる演奏でしたね。

● チャイコフスキーの5番は誰もが認める大曲。こういうのを,学生オケや市民オケがあたりまえのように演奏しますよね。これってすごくないですか。
 昔のことは知らないんだけど,昔からそうだったんですか。ってか,昔からアマチュアのオーケストラってこんなにたくさんあったんですか。
 演奏に関しては裾野がかなり切りあがっているような気がする。昔はたいしたものだったことが,今じゃ普通になっている。

● 井崎さんの悠揚迫らぬというか,安定感たっぷりの指揮ぶりが,学生たちのいいところを引きだしたのかもしれない。
 次回は7月4日。ドヴォルザークの8番。

2014年12月9日火曜日

2014.12.07 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東邦音楽大学・東京音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4回目。今年は4回とも聴くことができた。
 
● 東邦音楽大学管弦楽団はブラームスの4番。今年はブラームスのあたり年か。昭和音大が2番を,昨日は桐朋学園が1番を演奏している。
 指揮は田中良和さん。

● 第1楽章の初っ端,香気に満ちた旋律が届いた。これで客席のリスペクトを引き寄せたに違いない。
 2楽章,3楽章と進むにつれて,終わらないでくれと思った。ずっと聴いていたいよ,と。
 これはなぜなのか。技術は当然として,それ以外の要因をあれこれと考えてみるんだけど(しかし,演奏の8割は技術が決めると思う),そんなの考えたってしょうがないよなぁ,いい演奏にたゆたっていられれば幸せじゃん。

● ライヴで聴くことの幸せですね。CDだと入ってくる情報が限られる。環境を整えてCDを再生すれば,CDでもライヴ並みの情報を再現することがじつはできるのかもしれない。その程度には今の録音技術は進んでいるのかもしれない。
 おまえ,携帯プレーヤーで聴いてるんだろ,それじゃぜんぜんダメなんだよ,と言われますな。

● でも,CDが売れなくなっているのには理由があると思う。ネットにいくらでも音源が転がっているようになったからという以外の理由が。
 ライヴに行くとなれば,前後の時間がかかる。手間もかかる。家でCDを聴いてる方がずっと楽だもん。
 お金もかかる。この演奏会は750円というあり得ない料金なんだけれども,それでも外に出るとなれば,交通費もかかるし,食事だってすることになる。

 つまるところは豊かになったのだろうね。お金をかけるならライヴに,というのがかなり行き渡っていると思うんだけど,それができるようになったってことだから。
 聴き手が成熟したとも言えるのかもしれない。何でも聴くという人が減って,自分はクラシックしか聴かないとか,ジャズ一辺倒とか,細分化が進んでいるのかもしれないとも思う。

● 「短いモチーフを徹底的に全曲で用いる」のがベートーヴェンの影響だとすれば,ブラームスもまたベートーヴェンの影響下にある。
 が,たとえばシューベルトの「未完成」をそうと知らないで聴いたとして,これ,ベートーヴェンの作品だよと言われれば,ぼくなら信じると思う。
 けれども,この曲を何も知らないで聴いて,ベートーヴェンの作品だと言われても,ん?と思うだろう。

● 東京音楽大学管弦楽団は,シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。
 4管編成。ハープが2台。つまりは大編隊になる。これだけのものを自前で用意できるところが,さすがに音大。
 きかん気の強そうな川瀬賢太郎さんが登場して,さっと演奏開始。まだ30歳なのに神奈川フィルの常任指揮者。将来を嘱望される若手指揮者の一人,というかその代表。

● 大編隊での演奏にも関わらず,コンマスの独奏がけっこう登場する。しかも相当な難度で。
 これ,プレッシャーでしょうね。と思うんだけど,案外そうでもないのかなぁ。どうだい,俺の演奏は,って感じなんですか。易々とやってたように見えたんだけど。

● 指揮者もパフォーマーのひとり。川瀬さんの身体能力の高さが印象的だった。
 70歳を過ぎた指揮者はどうやるんだろう。そこはそれ,それに応じた指揮の仕方がいくらでもあるんだろうとは思うんだけど,身体能力って相当な大事ですね,指揮者の場合。

● 大編隊の演奏こそ,生とCDとの落差が大きくなる(ように思われる)。この曲を生で聴いたのは今回が初めてだし,この先,同じ機会があるのかどうかわからない。ありがたかった。
 終演後の“ブラボー”もなかなかやまず。大編隊は大編隊だというそれだけで,聴衆に訴えるものがあるんだと思うけど,もとより今回の“ブラボー”にはそれ以上の意味が込められていたはずだ。

2014.12.06 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-国立音楽大学・桐朋学園大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 会場をミューザ川崎から東京芸術劇場に移して,音大フェスの今日は3回目。

● まず,国立音楽大学オーケストラ。指揮は高関健さん。ブルックナーの7番(ハース版)。昨年は洗足学園音楽大学が秋山和慶さんの指揮で演奏した。
 この音大フェスの魅力のひとつは,普段はあまり聴く機会のない大曲を生で聴けることだ。今回もすでに,バルトーク「管弦楽のための協奏曲」とレスピーギ「ローマの松」を聴いている。
 ブルックナーもまた,その領域に入れていいのかどうか。が,演奏時間は1時間を超える。大曲には違いない。

● で,ブルックナーに関しては,CDを聴き始めたのも最近だし,いまだに,どれを聴いても同じに聞こえる。
 書籍やネットでいろいろな評論(?)を読んでも,どうにもピンと来ない。

● 今回の演奏を聴きながら思ったのは,次のようなことだ。
 交響曲って,普通は1楽章から4楽章までそれぞれ違った味わいがあって,4つの楽章でひとつの全体になる。ところが,ブルックナーの場合はそれぞれの楽章に全部入っていて,要するに全体が4つある。
 ま,その程度の聴き手だってことですね。

● 演奏はさすがに音大だなと思った。ほとんどプロの水準じゃないですか。っていうか,よく知らないままに言うんだけど,ふた昔前のプロのオーケストラって,これほど巧くなかったんじゃないですか。
 そんなことはないですか。そうですか。

● こういう演奏を聴くと,あれですよ,会場である東京芸術劇場っていいホールだなぁと思えてきますね。いや,もともととんでもなくいいホールであるに違いないんだけど,しみじみいいホールだなぁと思えてきますよ。
 もっというと,このホールがある池袋界隈にも親近感がわいてくるような感じね。

● 次は,桐朋学園オーケストラ。昨年の「春の祭典」には度肝を抜かれた。まだ鮮明に憶えている。
 今回はぐっとシックにブラームスの1番。その前に,サン=サーンスの「ホルンと管弦楽のための演奏会用小品」。
 指揮は,ラデク・バボラーク氏。そのバボラークさんがホルンを抱えて現れた。自身でホルンを吹きながら指揮。

● もちろん,初めて聴く曲だ。CDでも聴いたことはない。
 しかし,これ説得力があった。バボラークさんのホルンは言うに及ばず,管弦楽も小規模ながらただ者じゃない。
 みっしりと質量の詰まった10分足らずの演奏だった。

● ブラームスの1番。演奏する学生たちから未完の大器という印象は受けない。完成してるんじゃないのと思った。これ以上,どこをどう直せばいいんだ?
 実際には,もちろん,これからどんどん変わっていくんだろう。そうではあるんだけど,すでに完成の域にある手練れの演奏という印象。
 お客さんに聴いていただくといった媚びも感じられない。この良さがわからなければ客がバカなんだという不貞不貞しさのようなものも伝わってきた。
 もちろん,個々の奏者がそんなことを思っているはずもないんだけど,全体的な印象はそういうもの。

● 20歳や22歳であっても,小さい頃から楽器をいじってきて,それに費やしてきた時間と労力に自分でも手応えを感じているんでしょうね。そこに静かな矜持を持っているのだろうと思われた。
 話してみれば,たぶん,普通の大学生に違いないんだけど。

2014年11月30日日曜日

2014.11.29 菅野祐悟・佐藤和男共演 オーケストラコンサート

高根沢町町民ホール

● NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の音楽を担当している菅野祐悟さんの凱旋公演,のようなものですか。彼,高根沢町で育った人だから。
 指揮者の佐藤和男さんも,高根沢生まれの高根沢育ち。

● あいにくの雨で,主催者側が急遽,テントを設置した。早くから来て列を作る人が濡れないようにとの配慮。ぼくも早めに着いた口で,そのテントの中で並んだ。開場も15分間,早めてくれた。
 ハレの場,お祭り的な雰囲気が溢れていた。目立つのは婆さまたちのグループ。今日のためになれない化粧をして,身繕いを整えて来ている感じ。じつに子どもに返ったようなはしゃぎぶり。婆さまの着ぐるみを着た子どものようなというか。
 正真正銘の子どもたちも多かったけれど(未就学児童対象公演),総じてお客さんの平均年齢はかなり高かったようだ。40代なら貴重な若手といった感じだったか。
 男女比では圧倒的に女性が多い。これはどこでもそう。田舎だろうと都会だろうと。

● 開演は午後2時。チケットは2,500円(前売券)。完売御礼。が,この天気で外出を控えた人がいたのだろう,空席もないわけではなかった。
 このホールはオーケストラが乗ることは想定されていない。正面奥と側面に反響板が置かれた。当然,これでいいんだけれども,景観的にはあまり美しくないことになる。

● 開演前の館内放送にも,要らないくどさがあった。オーケストラが入場してから,プログラムに載せている出演者紹介を読みあげてみたりという。語るべきものはプログラムに語らせればよい。
 が,今回に関しては,これでよかったのかも。顧客満足はこの方が高かったかもしれない。手作り感にあふれていたともいえる。

● 演奏されるのは,すべて菅野さんが作曲したもの。ピアノも菅野さんが務めた。
 じつは,ぼく,テレビはまったく見ていない(今年の4月からだけど)。「軍師官兵衛」も一度も見たことがない。でも,そういうことは鑑賞の妨げにならないことは当然だ。
 一曲目の「新参者」の演奏が始まった瞬間に,客席のざわめきが消えた。生演奏の持つ吸引力。

● MCも菅野さんが担当。徹底的に主役。が,主役を張る以上は求められるものも相当なはずで,盛りあげると同時に仕切らなければいけない。起伏をつけて,時間内に収めなければならない。観客にとってMCは音楽の合間のリラックスタイムだ。それに応じながら次につなげる。
 要は場数を踏んでいるんでしょうね。見事な仕切りだったと思う。同時に,真面目でサービス精神に富んだ好青年という印象。

● その点,指揮者の佐藤さんはこうした場には不慣れなはず。喋りにはやや冗長に流れるきらいがあった。当然のことで,指揮をもっぱらにしながら,菅野さんなみのトークができたら,芸人の才能まであるということになる。
 佐藤さんの指揮には真岡市民交響楽団の演奏で何度か接しているんだけど,そこでの印象はおとなしくて内気な人じゃないかというものだった。トンデモハップン。陽性の人のようだった。
 中学校ではサッカーをやっていた由。失礼ながら,これも意外。が,運動神経と体力は指揮者にとって重要なリソースになるんだろうから,言われてみればしごく納得。

● 演奏はMCFオーケストラとちぎ。栃木県出身者,在住者のプロ奏者で構成されているオケ。常設のオケではない(と思う)。
 菅野さんが,栃木しばりでこれだけのオーケストラができるなんて素晴らしいとか,これだけのオケを東京で集めたらこんなコストではすまないとか,何度かオケを称賛していたけれども,リップサービスだったとは思わない。
 わりと前の方の席に座ったんだけど,このホールでこれだけの音が届くのかと思った。

● 必ずしも平均年齢が低いというわけでもなさそうだ。が,受ける印象は清新そのもの。できて間もないし,常設でもないから,場が若さを保っているのだろうと解釈しておくことにする。場が個に及ぼす影響って大きいもんね。
 女性奏者のドレスがカラフル。一度,山形交響楽団の演奏会で同じ様を見たことがあるけれども,ステージに立つ以上,外見を等閑に付すというのはあり得ない選択。花が花としてきちんと咲いているのは,見ているだけで気持ちがいい。ぼくが男性だからということでもなくて,女性のお客さんも同じ感想を持つのではなかろうか。

● いい曲とそうじゃない曲という区別は成立するんだろうと思う。が,一度聴いたくらいじゃわからない。ぼくには,だけど。が,好きな曲とそうじゃない曲というのは,すぐに区分される。
 テレビドラマの劇中で流れる音楽だから,大衆性を持っていないといけないんだろうし,かといって大衆をなめたらとんでもないことになるんだろうし,出演者やストーリーなどドラマの諸々の条件に制約を受けるのだろう。
 制約だらけのなかでこうした楽曲を作りだし,ドラマと切り離された場で演奏しても,しっかり届く。こういう曲を作りだせる頭脳っていうのは,ま,ぼくの想像の外にある。たぶん,頭脳だけではできないとも思うんだけどね。

2014年11月29日土曜日

2014.11.28 ジャン=フィリップ・メルカールト オルガンリサイタル

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 昨年12月に那須野が原ハーモニーホールに設置されたオルガンは,「フレンチ・シンフォニックスタイルに特化したオルガン」で(と言われても,何のことかわからないわけだが),その特性を活かすためか,“オルガン・シンフォニーコンサート”を継続的に開催するようだ。
 今日はその1回目。開演は午後6時30分。チケットは1,000円。

● 奏者はこのホールのオルガニストであるジャン=フィリップ・メルカールト氏。曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン プレリュードとフーガ ハ短調
 フランク パストラル
 ヴィドール オルガン交響曲第6番より「ファイナル」
 ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

● ほぼ満員の盛況。失礼ながら,チケットがこの料金ならまぁ行ってみるかという人が多かったんじゃないかと思う。はばかりながら,ぼくもその一人だ。
 なにせ,これまではパイプオルガンの音色を聴く機会は限られてきたわけでして。オルガンという楽器をどう感じるのか。それもこれからの話。

● 鍵盤と足鍵盤の部分が大きな映像で映される。奏者の指や足先の動きがよくわかるわけだけれども,これがありがたくもあり,邪魔なようでもあり。
 ぼくは主にメルカールト氏の背中を見ていることにしたけども,映像も視界に入ってくる。

● 「田園」のオルガンへの編曲はメルカールト氏自身によるもの。オルガンで聴くと,ベートーヴェンのこれでもかというほどの,主題の繰り返しがより鮮明にわかる(ような気がした)。

● 途方もない大型の楽器であるオルガンを見あげながら,思った。楽器はずっとここにあるわけだ。奏者も原則,一人。身体ひとつでここにくればいいんだよな。楽器の搬入も必要ないし,楽屋もひとつですむ。
 そうしたあたりまえのことが,何だか不思議な気がした。この圧倒的な存在感を放つオルガンを演奏するのに,装備(?)は最小限でいいってことがね。

2014年11月25日火曜日

2014.11.24 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-上野学園大学・武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 音大フェスティバルの2回目。開演は午後3時(これは各回とも統一されている)。

● まず,初登場の上野学園大学。指揮は下野竜也さん。客席もほのぼのとした拍手で初登場を歓迎した感じ。
 ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」。ウェーベルンはシェーンベルクのお弟子さん。プログラムノートの楽曲紹介によれば,ウェーベルンは「極度に凝縮した音楽のあり方を模索した」人であるらしい。
 「伝統的な和声や旋律,形式といった概念が後退」し,「揺らめきや震え。かすかに気配を漂わせ,一瞬のうちに沈黙の中に消え去ってしまう,何か」が浮かび上がるというのだが,聴いてみるとたしかにそのとおりだった。

● が,その「何か」が何なのか。それは聴いた後もわからない。こういうのはわかろうとしてはいけないものなのかもしれないとも思った。
 わかるというのは,自分にとって既知の知識や概念に組み込んで,違和感を取りのぞくことだから。そんなことをしたのでは,せっかくの「何か」が死んでしまうかもしれない。
 脈絡のない5つの夢を続けて見たような感じもした。

● 次はモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。CDでは何度も聴いているこの曲も,生でとなると,あんがい聴く機会がない。
 演奏する側にとっては,道は単純でわかりやすいけれども,幅員が狭くて,無事に通り抜けるのはそんなに簡単じゃないってことになるんだろうか。
 下野さんの指揮ぶりも見所のひとつだったと思う。

● 武蔵野音楽大学は,バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を用意。指揮は時任康文さん。
 この曲もぼくには難解。バルトークは何をしたかったのだ? それがわからなくてね。曲を聴いたんだろ,それが俺のしたかったことなんだよ,と言うんだろうかなぁ。

● あらゆる奏法を散りばめ,考えつく限りの音の連鎖と組合せを披瀝し,すでにある旋律と自分の楽想を詰められるだけ詰めこむ。そういうことをしたかったのか。
 要するに,散らかってるなぁと思ってしまうわけですよ。
 バルトークは病をおしてこの曲を完成させた。そんなときに,アラカルトの食べ放題メニューを作るようなことはしないでしょ。
 おかしいのは自分の方だよなと思ってましてね。結果,いはく,難解。

● 洗足学園は,レスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」。指揮は秋山和慶さん。
 ハープのほかに,ピアノ,チェレスタ,オルガンも加わり,バンダも登場するわけだから,大編隊になる。当然,そんなに聴ける機会はない。
 と思いきや,「ローマの松」は一昨年度のこのフェスティバルの合同チームの演奏で聴いているんでした。指揮も秋山さんだった。あのときは,メインがマーラーの5番だった。とんでもなかったな。

● 演奏はもうね,ひれ伏すしかない感じ。ここまで3大学の演奏を聴いて,チケットが750円であることを思うと,あまりのお得感に膝がガクガクする。
 が,作曲家に対して,ここまでの大編隊にする必要があったのかね,と思ったりもしてね。埒もないことがチラッチラッと頭をかすめた。

● 終わってみれば,グッタリと心地よい疲れが残った。これがライヴを聴くことの醍醐味でもある。
 願わくば,今から栃木の田んぼの村まで帰る必要がなければ,最高なんだが。

● 今回は近くにブラボー屋がいた。ブラボー屋って,意外に内弁慶でオタクっぽい人が多いのかもしれないね。

2014年11月24日月曜日

2014.11.23 宇都宮シンフォニーオーケストラ 秋季演奏会2014 ベートーヴェンチクルスvol.3

芳賀町民会館ホール

● 今年の秋季演奏会は再びベートーヴェンに戻って,2011年に続く“ベートーヴェンチクルス”。これだけ間をあけたものをチクルスと呼んでいいのかという疑問はさておき,ともかく会場へ。
 開演は午後2時。チケットは800円。当日券を購入。

● 曲目はレオノーレ序曲と交響曲の4番,5番。チクルスとしても佳境に入ってきた感じ。指揮は石川和紀さん。

● 何度か聴いているオーケストラの演奏にオヤッっと思うことがある。必ずあるというわけではないけれども,これまでに何度かはあった。
 要するに,こんなに巧かったかと思う“オヤッ”なんだけれども,この楽団については,今回がその“オヤッ”の日になった。特に4番は全身で堪能することができた。

● どうしてこういうことが起こるのかはわからない。冗談でなく天気のせいもあるのかもしれないと思うほどなんだけど,一方で,ぼくの“耳違い”の可能性もある。その可能性がどこまで行っても消えない。

● 5番は以前にもこの楽団の演奏を聴いたことがある。5番を初めて生で聴いたのがそのときだった。したがって,その印象は今でも鮮明だ。
 こちらも聴き手として多少は成長していると思いたいところだけれども,今回はどうだったか。

● 第4楽章で弦に要求されるスピード感は聴いている側としては小気味いいものだが,よくあのスピードについていけるものだな(ただし,弓の引き幅を小さくして小器用にまとめる向きも散見された。仕方がないとは思う)。
 オーボエをはじめとする木管陣もエェッと思うほどに安定しつつ,素速く動くべきところに動く。満を持して参入した(かどうかは知らないけど)トロンボーンの溌剌さ。

● 気がこもっていて,訴求力の高い演奏になった。全編にみなぎるベートーヴェンのすさまじさ。空から隕石が降り注いでくるような逃げ場のない迫力。それが客席に充満した。
 以上を要するに,アマチュア・オーケストラがここまでやるかと思うほどに出色のできばえだったと評しておく(偉そうに!)。

● ここが“オヤッ”の所以。無礼千万なことながら,ここまでやれる楽団だとは思ってなかったわけですよ。
 思ってなかったこちらの耳の問題なのか。そうではなくて,120パーセントの力が出てしまうってことがあるものなのか。
 ぼくとしては,8割方そういうことがあり得るのだと思っているんだけど,2割はオレの耳がダメなのかと思うわけですね。

● CDではこうはいかない。心地のいいグッタリした疲れは味わえない(演奏する方はもっと疲れるんだろうけど)。
 いや,そう言ってしまうと間違いなのかもしれない。完全防音の部屋を作り,とびきり性能のいいアンプとスピーカーを揃え,相当な大音量でCDを聴くことができれば,同じ感覚を味わえるのかも。
 だが,同じことだ。それを実行に移すだけのお金も度量もぼくにはないのだから。

● だからライヴに行く。行って,そうした満足感を味わえると,この人生,まんざら捨てたものでもないよな,と溜飲をさげる。
 何回,溜飲をさげられるか。それは人生の幸福度を決める大きな尺度のひとつだと,マジで思っている。

2014年11月23日日曜日

2014.11.22 東京大学第65回駒場祭-東京大学歌劇団・東京大学ブラスアカデミー・東京大学フィルハーモニー管弦楽団

東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 駒場祭にお邪魔するのは,これが3回目か。今年は今日から3日間。この3日間は井の頭線の駒場東大前駅が混雑して,駅員が緊張を強いられる。その分,運賃収入もドンと増えるんだろうけど。
 ぼくは東大にいくつかある管弦楽団や吹奏楽団の演奏を聴くために来ている。それ以外に目的はないから,まっすぐ900番教室に向かう。演奏会のスケジュールはネットで調べてある。
 その演奏会,あたりまえだけど3日間にわたって開催される。したがって,3日間日参できればいいんだけど,そうもいかない。今年は今日だけ。

● 13時から東京大学歌劇団。来月の28日に正式な(?)公演を予定している。今回は正式公演の抜粋。2つあって,マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」。
 公演ではピットに入っていて,客席からは見えにくい管弦楽がステージの上にいる。これはありがたい。んだけど,普通のホールと違って教室ですからね。諸々の制約があって,木管や金管の奏者は見えない。

● 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は三角関係に悩むサントゥッツァを中心に,サントゥッツァとトゥリッドゥの争いの場面。
 サントゥッツァを演じる大島さんの役作り,役への没入の仕方が印象に残った。主役を張る風格みたいなもの。
 彼女,まだ20歳になるかならないかの年齢じゃないか。こういう場面を実地に経験したはずはないと思うんだけど,演劇やドラマを自分が使えるものはないかっていう視点で見る癖がついてるんだろうか。

● っていうかですね,不思議なんだけど,女の人ってこういう場面を自然にやれちゃうんだね。経験なんかなくたって。
 対して,男の方はそうもいかないから,どうしたって一本調子になってしまいがちだ。それゆえ,男優にとっては遊びが必須科目になる。真剣に遊ばないとダメだよね。芸に活かそうなどという下心を持たないで,遊びに没入しないと。

● ただし,遊べばそれが芸に反映されるという保証はないところが辛い。遊んだ結果,芸がおろそかになる,という可能性の方が高いのかもしれない。
 だとしても,遊びを省略しようなんてのは,怠慢が過ぎるんだろうな。1日24時間,1年365日,休んでる暇なんかないってことになりそうだ。

● ところが。「ジャンニ・スキッキ」を聴いて,上の考えは放棄することにした。遊びも芸の肥やし的な考え方は前世紀の遺物かもしれない。
 ジャンニ・スキッキ役のバリトンがとにかく巧い。何者だ,こいつ,と思うほどにね。
 結局,歌で表現できるんだね。あとはわずかな表情の変化,眉をあげたり斜めに俯いたり,で内面をシンボリックに表現できるようなのだ。遊ぶなんてのは余計なこと,かもしれないのだった。

● 次は,15時からブラス・アカデミーの演奏会。“ブラアカワールドツァー2014”と題して,世界各国を象徴する(と思われる)曲を演奏。アメリカだったら「星条旗よ永遠なれ」とか。
 われわれは飛行機に乗って世界を旅するというわけで,あいさつも“ご搭乗ありがとうございます”というもの。司会者(女子)もキャビンアテンダントのコスチュームで登場。

● こういう遊びは真剣にやってくれると,けっこう乗れるものだ。吹奏楽なればこそなんだろうけど,司会の女子学生なんか本物のCAかと見紛うほどだったからね。
 お客さんも立ち見が出るほどに入って,盛況だった。年配者の中には,東大生もこういうことをする時代なのかと思った人もいたかも。

● 最後は東大フィルハーモニー管弦楽団。16時30分から。東大の冠はついているけれども,他大学からの参加者も多い。コンミスは学芸大の女子学生。
 曲目はヴェルディの「ナブッコ」序曲とブラームスの2番。指揮は濱本広洋さん。

● 大学祭のざわめきが入り込んでくる。管楽器の奏者は見えない。が,そういうことはこの場においては支障にならない。若い学生たちの渾身の演奏は,それだけで充分に魅せるものがある。ブラームスはストーリーがよく見えるような気がした。
 来月の27日に,これにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を加えた編成で,定期演奏会がある。それがいうなら本番なんだろうけど,ほぼ仕上がっているんですかね。

● 早めに着いたので,13時前にキャンパスの近くを歩いてみた。井の頭線は段丘の端にあって,南側(下側)に商店街がある。東大前商店街というささやかな商店街。
 弁当を商っている店で幕の内弁当を買った。450円。冷凍食品を解凍したと思われるエビフライと,茄子とチクワの天ぷら。がんもとコンニャクの煮物。卵焼きとシューマイ。黒豆の甘煮としば漬け。
 東大構内の小公園(?)で食べた。弁当はごはんが温かければ,それだけで80点。

● キャンパスの西側は高級住宅街。ここに住みたいとはさらさら思わないけれども(思ったって住めません)。商店街があるあたりも住宅地で,この辺は全体として所得の多い人たちが住んでいる印象。俗臭が少ないっていうかね。
 おしなべて面白みのないところだ。が,すぐそばに渋谷があるわけだからな。ここはこうじゃないと困るよね。

2014年11月17日月曜日

2014.11.16 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-昭和音楽大学・東京藝術大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 今年から上野学園大学が加わって,首都圏9つの音大の共演となった。今日はその1回目。開演は午後3時。

● まず,昭和音楽大学管弦楽団。ブラームスの2番。指揮は大勝秀也さん。
 どの大学も同じだけれども,女子学生が圧倒的に多い。昭和音大も,ヴァイオリンなんか1stと2ndをあわせても,男子学生は一人しかいなかったんじゃないか。
 が,だから何か支障があるのかといえば,そういうことは何もない。

● 第4楽章の怒濤のうねりの場面においても,力強さに欠けるなんてことは1ミリもなかった。ヴァイオリンの厚さと強さが印象的。
 ひと頃,ハンサム・ウーマンという言葉が流行ったことがあったけれども,そのハンサム・ウーマンの女子学生たちが見事に支えきって終曲。

● この音大フェスは全4回で,ぼくは通し券を買っている。3,000円だ。1回あたり750円。それでここまでのブラームスを聴けるんだから,タダ同然と言っていいだろう。

● ぼくの場合だと,電車賃が5,000円かかる。新幹線の特急料金まで出すのは少々以上に厳しいので,在来線を利用している。
 栃木の田んぼの村から川崎まで移動するとなると,ドラえもんの“どこでもドア”が欲しくなる? いや,あれはもしあっても要らないね。移動じたいがけっこう好きなんで。
 瞬間的にどこにでも行けるのは,インターネット上の“情報”だけでいいんじゃないですかね。

● さて,次は東京藝大シンフォニーオーケストラ。チャイコフスキーの5番。指揮は尾高忠明さん。
 冒頭のクラリネットが重要。難しくもあるんだと思う。音をどこまで絞ればいいものやら。このクラリネットを聴いて,期待が膨らんだ。
 第2楽章のホルン。くっきりとした航跡を残しながら,ひとり天空を行く。その航跡はしかし,はかなく消える。“くっきり”が消えていく。その消え方が素晴らしい。
 あとに続くオーボエもエネルギーを込めてか細さを出す。お見事という以外にない。

● 厚みがすごい。音が厚みをまとったまま,右に左に動き,宙を舞い,地に潜る。そうした印象を作る要因のひとつは,金管のキレの良さだったろう。
 すべてが聴かせどころといっていいこの曲でも,どうしたって第4楽章。じつに変幻自在。

● おそらく。俊才揃いの彼ら彼女らにとっても,今回の演奏は快心の一作になったのではあるまいか。そうした演奏に立ち会えた喜びが全身に充ちてきた。
 5,000円のモトを取って,多額のお釣りまでもらった感じ。即物的な言い方で申しわけないけれども。

● ライヴを聴くことは,イオン交換をするようなものかもしれないと思った。自分の体内のイオンを奏者のイオンと入れ替える。あるいは,温泉に浸かるようなものかもしれない。熱交換。
 どちらも,交換後の効果がいつまでも続くわけではない。本を読むのだって,人に会うのだって,みんなそうだ。影響は受けるけれど,永続はしない。若いとき(子どものとき)なら知らず,ぼくの年齢になってしまえばいっそうそうだ。
 が,時々は入れ替えたくなるし,一時的であってもその一時的な効果はある。

● 9大学の合同チームによる演奏会は来年3月に開催される。28日(ミューザ川崎)と29日(東京芸術劇場)。29日のチケットを買って,帰途についた。

2014年11月14日金曜日

2014.11.13 シェルム弦楽四重奏団 第1回栃木公演

栃木県総合文化センター サブホール

● メンバーは,木野雅之(1st Vn),松野木拓人(2nd Vn),池田開渡(Vla),ピーティー田代櫻(Vc)。
 木野さんは日フィルのソロ・コンサートマスターを務める,知らない人はいないくらいのビッグネーム。あとの3人は,東京音大(あるいは大学院)で木野さんの薫陶を受けた気鋭の奏者たち。重鎮と若い俊英の組合せ。

● 開演は午後7時。チケットは3,000円(自由席)。
 曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第2番 イ短調
 ラヴェル 弦楽四重奏曲 ヘ長調
 アンコール:プッチーニ 弦楽四重奏曲「菊」嬰ハ短調

● プログラムノートに,弦楽四重奏曲は「ベートーヴェンの後に続く多くの作曲家たちの挑戦の始まりでもあった」とある。
 ベートーヴェンが,この新しい「弦楽四重奏曲」という世界において早々と革命を引き起こし,16曲のその後弦楽四重奏曲の世界に君臨し続ける,偉大な作品を書き上げてしまったのである。
 交響曲や弦楽四重奏曲に限らないんでしょうね。ピアノ・ソナタやヴァイオリン・ソナタにおいても,事情は同様だろう。

● そのベートーヴェンの弦楽四重奏曲をCDで何度か聴いてみたんだけど,どうにも歯が立たない。恥ずかしながら,どこがいいのかわからない。ほんとに恥ずかしいことなんだけど。
 で,この世界は自分の水準では無理なんだと結論を出して,今日に至る。

● でも,わかるときには突然わかる。わかるっていうか,“耳が開く”っていうやつね。あっ,そうだったのか,っていう言葉にしづらいひらめきのようなもの。
 弦楽四重奏曲について,自分にそういう日が来るのかどうかわからない。半分は諦めているんだけど,半分はまだ希望を持っているっていうか。

● CDよりも生演奏を聴いた方が,耳が開く可能性は高くなるだろう。であるからして,苦手意識を押して,出かけるようにしているんだけど。
 今回の演奏は,直す余地がないくらいの音が出ているはずでしょ。これを聴いてダメなら仕方がないよ,諦めなよ,ってなものでしょ。
 諦めた方がいいのかもしれないな。弦楽四重奏曲だけが音楽じゃないものな。少々,弱気になった。

● ラヴェルは奏法も多彩だし,場面転換も聴き手の裏をかくようなところがあって,驚かせる要素もある。飽きさせない。
 メンデルスゾーンの方はしっとりしてて,あ,メンデルスゾーンだなとわかるというか。
 アンコールのプッチーニは,普通に日本人受けしそうだ。こういうのを叙情といっていいのだろうか。お涙ちょうだいではないけれども,曲調が日本人と親和性が高いように思えた。

● という次第で,聴き手がこのレベルでは,奏者に申しわけない。勉強して出直したい。
 が,どういう勉強をすればいいのか。そこがわからない。

2014年11月7日金曜日

2014.11.07 間奏44:音楽を聴く時間が元に戻った

● 今使っているスマートフォンは3代目のARROWS(docomoのF-02E)。デフォルトで入っていた音楽再生アプリは,Google Play Music。日本の著作権法の運用が世界標準ならば,とんでもない機能を発揮する。だけど,端末に入れておく楽曲データを再生するだけだと,ちょっと使いにくいような気がして。
 で,Meridianに替えた。プレイリストも作りやすくなって,以前と同じように便利に使っているんですが。

● SDカードに入れている楽曲じたいが,ずっと変わっていない。当時,聴こう(聴いておいた方がいい)と思った曲はこういうものだったのかという記録にはなるんだけど,そろそろ更新が必要だ。
 同じ曲でも,指揮者や演奏者が違うものに入れ替えることも考えないと。

 なんせ,ライヴを聴きに行く以外は,スマホでしか聴きませんからね。歩きながらとか電車の中とか,劣悪な環境で聴くんです。ソファに座ってブランデーをなめながらなんて,ぼくの場合,ありえませんから。

● それをするとプレイリストも手直ししないといけないんで,ちょっと面倒というか億劫というか,まいっか的な気分になってきて,結局そのままできちゃったんですけどね。
 ひと頃,ここがガクンと落ち込んでしまったんだけど,どうにか持ち直してきた。今は落ち込む前の水準に戻っている。

● できれば全部持ち歩きたいわけですよね。いつどこで,何を聴きたくなるかわからないから。それをあたりまえにしたのはiPodの功績でしょ。たいしたもんだな,iPod。
 SDカード(ぼくのは32GB)じゃ全部はとても入らない。Google Play Musicの機能が日本でもすべて発揮できることになれば,このへんの問題は解決されそうだけど,そうなればなったでバッテリーのもちが心配になるな。ストリーミング再生になるわけだからね。

● ともあれ,これから曲の入替え作業をしようと思う。
 シベリウスやニールセンを聴いていこうと思ったり,管弦楽曲だけじゃなくて弦楽四重奏曲やヴァイオリンソロなど小規模な演奏にも親しめるようになりたいと考えてるんですけどね。
 そういった室内楽的なものは玄人が好むものっていう,根拠のない思いこみがあってね,ずっと苦手意識を払拭できないでいるものだから。

● ところで,最新のスマホはハイレゾで再現して再生できるんですねぇ。ハイレゾといっても,はたしてどの程度なのかはわからないけどさ。
 そのためにわざわざ買い替えるかとなると,そこまではしない。でも,次に買うときは自動的にそうした機種になるでしょうね。楽しみではありますね。その楽しみはすぐに食いつかないで,先に残しておこう。

2014年11月4日火曜日

2014.11.03 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会 vol.5

宇都宮市文化会館 大ホール

● vol.3から,後期交響曲をメインにしたオール・チャイコフスキー・プログラムの演奏会になっていた。指揮は大井剛史さん。
 今回が3回目。かつ,今回で終わりになる。

● 開演は午後3時半。ぼくの席は今回もB席(2,000円)。2階席の最前列だから,ぼく的には充分だ。満席の盛況。

● まず,組曲「眠りの森の美女」。バレエ曲とはいえ,優雅一点張りではない。っていうか,優雅一点張りのバレエ曲などないといっていいでしょうね。
 とはいえ,一点張りではないけれども,基調はゆったりとした雅びさにある。が,演奏する側はそんな状況じゃない。耳に届く雅びと,目に届く慌ただしさが好対照。

● 次は,「ロココ風の主題による変奏曲」。ソリストは宮田大さん。
 宮田さん,このシリーズ,3回目の登場になる。1回目でカバレフスキーの「チェロ協奏曲第1番」を演奏し,2回目では今回と同じ「ロココ風の主題による変奏曲」を演奏している。
 いずれも,ぼくの記憶からは完全に消滅している。聴く耳を持たないで聴いたものは,だいたいそうなる。だから,今回聴いたのも忘れてしまう公算が大きい。いい悪いではなく,仕方がないというべきでしょうね。
 憶えていたにしても,記憶は必ず変容を受ける。それが救いだともいえるけれども,変容が邪魔になることもある。
 それゆえ,忘れてしまうのは,もったいないといえばもったいない。ありがたいといえばありがたい。

● その宮田さん,巧さの塊という印象。巧さだけではないんだろうけど,こちらが感知できるのはその程度のところにとどまる。
 切れるところは鋭く切れ,ピアニッシモでは極限まで微少を追求し,切なく歌うところでは抑制を効かせた切なさが客席に届く。
 アンコールはバッハの無伴奏組曲から第3番「ブーレ」。

● 最後は,交響曲第6番ロ短調「悲愴」。
 「悲愴」の「悲愴」たるゆえんは第4楽章にあるんだろうけど,第1楽章の有為転変きわまりない,めまぐるしい展開が印象的だ。

● プログラムの曲目解説に,「「悲愴」というその和訳も,「原題のpateticheskayaは“燃えるような興奮に充ちた”の意味であり,“悲しみ”のニュアンスはない」と,ロシア語に通じた研究者たちから疑問が呈されている」とある。
 「悲愴」を感じさせるのは典型的には終曲部。ここでなるほど「悲愴」だと思ってしまう。けれども,これが全体からするとやや唐突な感じを受ける。それだけ効果が大きいともいえるわけだけど,ぼくとしては“ロシア語に通じた研究者たち”の疑問にシンパシーを覚える。
 「悲愴」だと思って聴くからそう聴こえる,ってこともあるんじゃなかろうか。

● というようなことを考えるのも,演奏が見事だったからで,やっぱり違うなぁという印象だね。
 アンコールもチャイコフスキーで,組曲「モーツァルティアーナ」から「祈り」。この曲を生で聴くのは二度目。

2014年11月3日月曜日

2014.11.02 加藤和美ヴァイオリンコンサート

東武宇都宮百貨店 3階フォーマル売場

● 東武百貨店の文具売場をウロウロしていた,ら。ヴァイオリンコンサートやりますからってんで,小さいチラシをもらった。
 午後2時から。30分のミニコンサート。時間もミニだし,お客さんの数もミニ。

● スポンサーはTOKYO IGIN。婦人服や婦人小物の商品を開発,販売しているところだね。百貨店の催事だから,要するに拡販のためだ。
 場所も売り場の一画。百貨店の雑踏がそのまま聞こえてくる。伴奏は録音テープだ。

● それでも,面白かった。奏者がすぐ近くにいる。ライヴ感が大きくなりますよね。人馬一体ならぬ,奏者とお客さんの一体感も強くなる。コンサートホールではそうはいかない。

● 加藤さん,細身で整った顔立ちをお持ちのお嬢さん。ありていに申しあげれば,美人。
 その美人がすぐ近くで演奏するわけでね。息づかいとか集中とかが,ビビッと伝わってくる。こういうのもいいなと思った。

● 一曲目は「情熱大陸」。あとベートーヴェンのヴァイオリンソナタ5番(全部ではない)とかパガニーニの「ラ・カンパネラ」とか。
 合間に「さとうきび畑」のようなポピュラーソングを入れて。最後は「ツィゴイネルワイゼン」で締めた。

● けっこうホカホカした気分で宇都宮の街に戻った。

2014年10月26日日曜日

2014.10.25 第19回コンセール・マロニエ21 本選

栃木県総合文化センター メインホール

● コンクールではあるんだけど,ぼくとすれば普通のコンサートでは聴けない曲を聴くことのできる貴重な機会。楽しませてもらおうと思って来ている。
 本選に残るほどの人ならば,腕はまず間違いないわけだしね。

● 今年度のコンセール・マロニエは弦と声楽。
 まず弦。8人。うち,コントラバスが5人。「コンクールのチャンスが比較的少ない楽器」なので応募が多いらしい。

● トップバッターは,そのコントラバスから大川瑳武さん。外見はそうは見えないんだけど,藝大附属高校の3年。クーセヴィツキーのコントラバス協奏曲。ピアノ伴奏は尾城杏奈さん。
 コントラバスというと,弦楽器のベースで,悠揚迫らぬ大人の風格という印象なんだけど,けっこう高い音も出るんだね。

● ヴィオラの飯野和英さん。藝大院を修了している。ポーション「パッサカリア」を独奏で。次にボーエン「ラプソディー」。ピアノ伴奏は秋山友貴さん。
 難しい曲なんじゃないですか。多彩な技巧が繰りだされる。
 が,演奏中に弦が切れるというハプニングが発生してしまった。これって,審査にどの程度影響するんだろう。集中も切れてしまうでしょうね。

● コントラバスの金子さくらさん。東京音楽大学大学院2年。ボッテジーニの「エレジー」と「グランドアレグロ」。ピアノ伴奏は山崎早登美さん。
 コントラバスだから,当然,楽器を抱きかかえるようにして演奏しますよね。ぼく,コントラバスになりたいと思った。さぞや幸せなことだろう。

● 続いて,コントラバス。篠崎和紀さん。藝大を卒業。演奏したのは,クーセヴィツキーのコントラバス協奏曲。
 同じ曲なんだけど,大川さんとは違った味わい。軽くてなめらかな感じを受けた。
 たぶん,ピアノ伴奏者の違いもあるでしょうね。そのピアノは平野享子さん。

● ヴァイオリンの中村里奈さん。藝大の4年生。イザイの無伴奏ソナタと,ヴィエニャフスキの「創作主題による華麗なる変奏曲」。ピアノ伴奏は佐久間晃子さん。
 この人,何者?っていう感じ。巧すぎないか。客席をパッと掴むというか自分に集中させるというか,その術まで知っているようだ。

● チェロの佐山裕樹さん。桐朋高校の3年。チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。ピアノは和田晶子さん。
 うっとりした。曲なのか演奏なのか。演奏なんだろうな。技術的なものだけじゃないんでしょうね,ここまでの演奏ができるって。よくわからないけど。
 まだ17歳でしょ。その間,チェロに込めてきた時間と労力を想像すると,敬意というか敬服の気持ちが自ずと湧いてくる。普通はなかなかできないことをやってきた人なんだと思う。

● コントラバスの片岡夢児さん。東京藝術大学大学院3年。ボッテジーニのコントラバス協奏曲第2番。ピアノは再び,平野享子さん。
 手練れという印象。大きな楽器が身体の一部になっている。抜群の安定感。平野さんのピアノも聴きごたえがあった。

● 最後もコントラバスで白井菜々子さん。東京音楽大学3年。ウィーン国立音楽大学に留学していたので,年齢はもうちょっと上になるんだと思うけど。
 ボッテジーニの「ボレロ」と「カプリッチオ・ディ・ブラブーラ」。ピアノは再びの山崎早登美さん。
 すでに充分巧いんだけど,さらにかなりのノビシロがあると感じた。清新な印象を受けた。
 ま,ぼくがこういうことを言っていいのかと思うんですけどね。おまえに何がわかるんだよって,自分でも突っこみたいからね。

● 次は声楽。6人。ソプラノが大半を占めるのかと思いきや,ソプラノは半分の3人。あとは,アルトとテノールとバリトンがひとりずつ。
 正直,あれですよ,ソプラノを延々と聴くのはちょっと辛いもんね。助かったっていう感じ,ありましたね。

● トップはソプラノの杉原藍さん。藝大院2年。ピアノは鳥羽山沙紀さん。声楽の人はさすがに表情豊かで,これができないと話にならないんでしょうねぇ。
 特にコケティッシュな役柄を演じるときの役作りというか,表情の作り方は,上手なものだと思う。っていうか,これが下手な女の人って見たことがないんで,たぶんコケティッシュだけは自然にできるんだろうな。
 女性の本質はコケティッシュにあるんじゃないかと,バカなことを考えながら聴いていた。

● テノールの髙畠伸吾さん。武蔵野音大の博士前期課程を修了。ピアノは菊地沙織さん。
 ひきつづきバカなことを考えている。イタリア人と日本人はだいぶ違うんだろうけど,違うのは男であって,女は,わが大和撫子もイタリア女もさほどに違わないのじゃないか。女は人種国籍を問わず,女の本性に添ってあまり作為せずに生きているように思える。
 文化だの地政学的要因だの歴史なのっていう,くだらぬことに大きく規制を受けているのは,主には男の方じゃないか。
 なので,イタリアのオペラを演じる場合,男性の歌い手の方が役作りに手こずるんじゃないかなぁ,ってことなんですけどね。

● アルトの藤田槙葉さん。藝大卒業。ピアノは森田花央里さん。
 藤田さんが歌ったのはシリアスな場面のアリアで,コケティッシュなところはなし。そうした曲を選ぶのも,人がらというか性格なのかなぁ。

● ソプラノの和田しほりさん。桐朋の大学院3年。ピアノは矢崎貴子さん。
 ずいぶん場数を踏んでいるんでしょうね。堂々たる歌いっぷり。

● バリトンの高橋洋介さん。藝大院修了。ピアノは谷池重紬子さん。
 ルックスがいい。イケメンだ。しかも実力充分。オペラでもいろんな役がやれそうだ。

● ソプラノの藤谷佳奈枝さん。イタリアのパルマ音楽院に在籍している。ピアノは結城奈央さん。
 すでに風格というか貫禄すら感じさせる。圧倒的な声量と説得力。統制がとれた歌唱。これがソプラノよ,ちゃんと聴くのよ,と言われたような気がした。
 こういうコンクールって,巡りあわせや運ってあるんだろうな。一昨年と比べると,声楽部門の出場者の水準がかなり高かった(と思われる)。高水準での争いになったのではないかと思う。

● どういうわけか観客が多かった。昨年比で10倍くらいに増えていた。
 PRの効果? だとしたら,どんなPRをしたのかね。

2014年10月22日水曜日

2014.10.19 高根沢町立阿久津中学校吹奏楽部演奏会 Rainbow Concert

高根沢町民ホール

● 中学生をなめてはいけない。これは鹿沼東中学校オーケストラ部の演奏会で,実地に教えられている。
 であるからして,どうせ中学生の吹奏楽なんでしょっていう気持ちはなし。もれ聞くところによると,この学校の吹奏楽は県内でも屈指のものらしいしね。

● 開演は午後2時。入場無料。
 唯一の不安はホール。音響はまったく考慮されていない。客席に届くのはまっすぐやってくる直接音だけだ。ステージ奥に可動式の反響板が置かれたが,側面には何もないし,上にあがった音はあがったきりで,客席に降りてくることはない。
 が,さほどにその不都合を感じることはなかった。ホールが小さいことと,オーケストラと違って弦がなかったからですかねぇ。

● 今年度の吹奏楽コンクール課題曲の「青葉の街で」からスタート。いや,あらためて思った。中学生をなめてはいけない。
 実力が薫ってくる。自分が中学生だった頃の,自分の中学校のブラスバンド部はとてもここまでの演奏はしていなかったと思う(聴いたことはないんだけど,まぁ間違いあるまい)。
 全体が底上げされているんでしょうね。ゆえに,オジンやオバンが今どきの中学生はなどと言うのは,チャンチャラおかしいのである。自分たちの頃より水準が上がっているんだから。

● 3部構成で12曲を演奏。加えて,アンコールが2曲。これだけの多彩な展開を中学生がやってのけることにまず驚くし,ひとつひとつがていねいに作りこまれていた。
 印象に残ったのは,第2部の金管八重奏「月の旅人」。第3部の「オーメンズ・オブ・ラブ」と「アナと雪の女王」。

● 東関東大会にまで行ってるくらいだから,本番の場数は充分に踏んでいるはずだ。本番であがるというのは,あまりないんでしょ。
 であっても,ステージで実際に演奏しながら,生徒たちがだんだんその本番に慣れてくるってことがあるんだと思う。基本,あとになるほど良くなってきたように思えた。
 ただし,ぼくの耳だからあてにはならない。

● で,ははぁ,ここまでやるかと思ったのが,アンコール2曲目の「アフリカン・シンフォニー」。演奏する側がここまで乗ってくれると,聴いている側も気分がいい(逆に,客席が乗ってくれると,演奏する側も気分がいいんだろうな)。
 これ,曲もいいもんね。シエナ・ウインド・オーケストラのCDでときどき聴く。

● 部員は58名いるらしい。うち,約1割が男子生徒。数は少ないけれども,オーボエの男の子をはじめ,それぞれ持ち場で役割を果たしていたのは,慶賀にたえない。
 っていうかですね,ひとりひとりの生徒たちが眩しかったというか羨ましかったというか。うん,なんか,羨ましかったな。

2014年10月15日水曜日

2014.10.13 作新学院吹奏楽部第49回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● この演奏会は3年連続で3回目の拝聴。だいたい例年満席になるようだ。チケットは前売券(800円)を買っておきたかったんだけど,どういうわけか買いそびれていた。
 ので,早めに行って,当日券(1,000円)を購入。開演は午後1時半。

● 台風19号が近づいている。が,開演までは天気が持った。雨が降りだしたのは暗くなってから。
 これ,ありがたかった。最寄駅に着いて,そこから自宅まで歩けばいい,というところまで降らないでくれたから。
 降ると思っても傘は持たない。といっても,途中で濡れるのは歓迎しない(勝手な話だ)。あとは家まで歩くだけだというところから先は,いくら濡れたってかまわない。濡れて困るような恰好はしてないし。

● 例によって3部構成。スタートは上岡洋一「行進曲 秋空に」。もう知ってるけど,達者なものだというのが感想。
 巧さに色がある。巧ければ自ずと色が出るのかどうかはわからない。色も巧さの範疇かもしれない。このあたりは言葉遊びに堕していないかとわれながら怖れるのだけれども,この生徒たちの演奏には色がある。

● 次は,久石譲「ラピュタ-キャッスル・イン・ザ・スカイ」。木管から金管までどのパートも切れ目なく巧い。
 特に目を引いたのが,ティンパニを叩いていた男子生徒。見事な捌きだ。あと,コンマス席に座っていたフルートの女子生徒。

● 3番目は樽屋雅徳「ONE!」。おそれながら,曲はさほどのものとも思えなかったけど,演奏は素晴らしい。
 というような具合でどんどん進んで,第1部が終了。

● 第2部は,ハリー・ポッターやアナ雪の映画音楽,刑事ドラマのテーマ曲など。知っているドラマもあるわけで,感情移入がしやすい。
 上手に演奏してもらえれば,どんな曲も名曲になる。ということはないだろうけど,ときどき涙腺が緩んでしまった。こちらにそういう失態を起こさせる演奏だった。

● 第3部はドリル。ミュージカル「レ・ミゼラブル」からいくつかを演奏。
 打楽器陣の水準の高さが際立つ仕組み。ラインの変化もスムーズだったけど,少し舞台が狭かったか。
 ここの特徴は旗の使い方にあるのかもしれない。簡単そうに見えてもなかなか難しいんだろうな。

● 最後に,部長あいさつがある。このあいさつがね,過去2回とも立派なもので,感じ入るところがあった。当事者しか表現できない言葉で感慨を述べる。
 もちろん,高校生がやることだから,普通に立派なものである必要はない。っていうか,そうであってはいけない。偏っていてもかまわない。当事者ならではのことを言ってほしいのだ。
 で,今回も立派なものだった。顧問の教師があとから補正していたけど,それも愛嬌だろう。が,生徒を立ててやれ。細かいことはどうでもいいではないか。

● 最後の後に,もうひとつアトラクションがある。これもこの学校の定番。思いっきりはじけるのである。
 というわけで,2時間半。相当に上質なエンタテインメントだ。この時間を過ごせて1,000円は,お値打ちを超える。大人の吹奏楽を含めても(全部聴いたわけではないんだけどね),この学校の演奏が栃木県内最高水準ということになるのだろう。
 人生の達人ならば,毎日楽しく過ごせているのかもしれないけれども,ぼくのような未熟者にとっては,このステージは泥沼に咲いた蓮の花ようなもの。ありがたい2時間半だった。

2014年10月14日火曜日

2014.10.12 グローリア アンサンブル&クワイアー第22回演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 今年はヴェルディの「レクイエム」。昨年の「ドイツ・レクイエム」もそうだし,ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」もそうだけれども,宗教曲はそうそう聴ける機会がない。栃木にあっては,このグローリア アンサンブル&クワイアーの演奏会が唯一のものではないか。
 というわけであるから,これは行くでしょ的な演奏会のひとつ。

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。

● プログラムの曲目解説には,「当時「僧服を着たオペラ」と揶揄されたほど,その音楽表現はドラマチックであり,個性的である」とある。
 第1曲は静かに始まり,静かに終わる。そうだよなぁ,キリスト教のことはよくわからないけど,死者を送るときの人の気持ちは,洋の東西を問わないよな,とか思った。
 が,第2曲に入ると,様相が一変。なるほど,「僧服を着たオペラ」と言われるのはこういうことか。このあたりは,頭で聴いていた状態。

● ソリストは,那知上亜美さん(ソプラノ),布施奈緒子さん(メゾ・ソプラノ),小野弘晴さん(テノール),加耒徹さん(バス)。
 独唱がこの水準だと,屋台骨がしっかりと支えられますね。何が起きても,たいていのことならまず問題として表面化することはない。つまり,屋台骨が揺らぐことはないから。
 といって,管弦楽や合唱がいただけなかったということはまったくなくて,あまり手間どることなく,ステージに没入できた。

● すみずみまでヴェルディですよね。劇的なうねりのようなものが溢れていて。
 ひょっとして,ヴェルディの頭の中には,歌詞とは別の台本があったのかと思うほどなんだけど,この感想は的をはずしているんだろうな。これがつまりレクイエムなんだよ,ってことなのだろう。ヴェルディ的には。

● 宗教色が他の作曲家の「レクイエム」に比べて少ないということは,ありがたいこともある。
 つまり,西洋の宗教音楽を聴けば,どうしてもキリスト教を考えないではすまされないわけで。その色が少ないってことは,オレ,キリスト教なんてわかんねーよ,とイジイジ内向きになる度合いが小さくなる。そういうありがたさだ。

● 唯一の不満は途中で休憩を入れたこと。これって休憩を入れるのが普通なんですか。没入から醒まされる感じがしたんだけど。
 そういうものなんだよと言われれば,ああそうなんですか,ってことではありますけどね。

● アンコールは,同じヴェルディの「ナブッコ」から「行けわが思いよ,金の翼に乗って」。
 次回(来年)はハイドンのオラトリオ「天地創造」。これも,来年聴かなかったら,一生聴かずに終わりそうだ。

● 今回の「レクイエム」もそうだけど,CDは持っている。持っているんだけど,なかなか聴かない。声楽が入っているCDは,相当な気合いを入れないとダメだね。アンソロジー的なものはときどき聴くんだけど,曲全体ってことになると,なかなか。
 その意味でもこの演奏会はありがたい。会場に体を運んで行けばいいんだから。

2014年9月29日月曜日

2014.09.28 那須野が原ハーモニーホール開館20周年記念コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後1時。最初の30分は式典。これが終わってから入ればいいかなとも考えた。
 のだけれども,最初から付き合うことにして,1時前に着席。チケットは1,500円。

● 式典は耐え難い退屈に耐える訓練の時間だ。ところが。タブレットやスマホでゲームに興じている人がけっこういた。
 こらっ,訓練にちゃんと参加せんかいっ。賢いなぁとも思うけど。

● 本番が始まって,まずパイプオルガン。奏者はジャン=フィリップ・メルカールト氏。このホールの専属オルガニストでもあるようだ。
 曲目は次のとおり。
 フォーレ:ラシーヌの賛歌
 ドゥールズ:4つの俳句によるエヴォカシオン

● 「ラシーヌの賛歌」は那須野が原少年少女合唱団が加わる。というか,こちらが主役。
 「4つの俳句によるエヴォカシオン」はメルカールト氏の委嘱を受けて,ドゥールズが2004年に作曲したとのこと。バリバリの現代曲だ。
 「外国人が感じた日本の美しい俳句の世界をお楽しみください」というんだけれども,ぼくにはちょっと難しかった。オルガンはこういう音も出せるのかと驚くために聴いた感じ。
 ちなみに,エヴォカシオンとは「神おろし,死霊の口寄せ」などを意味する言葉だったらしいんだけど,今は普通に「記憶,心象,情感」といった意味で使われているようだ。

● 最後が那須フィルハーモニー管弦楽団による「第九」。指揮は大井剛史さん。
 大井さんが「第九」をどんなふうに振るのか。それを見るのが,じつは一番の楽しみだったりする。
 ただし,指揮ぶりが自分にわかるとも思えない。大井さんの指揮はパフォーマンスとしてもきれいで,基本,そんなところにとどまる見方になるんだけど。

● その大井さんが渾身の指揮で管弦楽に鞭を入れ,オケも懸命に食らいついていこうという図式。一生懸命さははっきりと伝わってきた。
 惜しむらくは第1楽章の出だしの部分。やや,生硬さが目立ってしまったか。

● ソリスト陣が素晴らしかった。これはもう,何事が起こったのかと思うくらい。
 ソプラノが大貫裕子,メゾ・ソプラノが三宮美穂,テノールが高田正人,バリトンが初鹿野剛の皆さん。
 特に高田さんのテノールが今も耳に残っているんだけど,4人が4人とも存在感ありまくりの図。

● 合唱にも文句なし。気になるのは平均年齢の高さだけだ。
 だけど,このあたりはぼくは妙に楽観視していて,さほど心配は要らないように思う。理由はと訊かれても,カクカクシカジカコーユーワケデって答えることはできないんだけど。
 でも,たぶん,心配要らないと思うよ。呼吸と同じで,吐きだせば入ってくるんだよ。

2014年9月25日木曜日

2014.09.25 間奏43:ブログの不思議

● 書く前に内容ができあがっていて,それを文字に置き換えるのではない。キーボードを叩いている間に,書くことができてくる。
 何を書くことになるのか,書いてみないとわからない。

● 以前(ブログを書き始めた初期)は,ホールを出るときにはすでに頭の中に文章ができあがっていることもあった。あとはそれをキーボードに叩きつければよかった。
 が,そんな時期はすぐに過ぎ去り,今はホールを出るときには何もないことが多くなった。これでどうやってブログにできるのかと思う。

● であるから,書くのが億劫になってきているんだけど,書き始めると書くことが生まれてくる。不思議な感覚だ。
 誰に頼まれたわけでもなく勝手にやっていることだから,億劫さが勝ればサッサとやめればいい話ではある。それをやめないでいるのは,ひとつにはこの不思議な感覚を味わっていたいという気持ちゆえかもしれない。

● ただし,そうして出てきた文章の良し悪しは,出てくるプロセスによるのではなく,たぶん才能で決まる。
 したがって,やめないですんでいる理由の第一は,自分のブログを自分で読んで感じるやるせなさ(ぼくの場合だと,小器用さがあざとくなっているところがあって,こりゃダメだわと思うことが多々ある)をサッと流せる厚顔無恥にある。

2014年9月24日水曜日

2014.09.23 東京アマデウス管弦楽団第80回記念演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 東京アマデウス管弦楽団の演奏を聴くのは,昨年3月に続いて二度目。あきれるほどの水準の高さは一度聴けば忘れない。
 今回は記念演奏会で「カルメン」全曲をやるという。行かずばなるまい。

● というわけで,チケットはネット(チケットぴあ)で購入していた。多少の手数料はかかるとしても,近くのコンビニで受け取れるのは,すこぶる便利。
 ネット以前を知っている世代としては,いろんなところでネットの便利さを実感するんだけど,チケット予約もそのひとつだ。ネットはすでに生活インフラになっている。しかも,インフラの重要な部分を担っている。

● 指揮は三石精一さん。カルメンが米谷朋子さん,ドン・ホセが渡辺大さん,ミカエラに石原妙子さん,エスカミーリョに米谷毅彦さん。
 合唱はアンサンブル・ヴォカル・リベルテと東京荒川少年少女合唱隊の皆さん。
 まずもって不満がないというか,堂々たる布陣といっていいでしょうね。

● もちろんコンサート形式なんだけど,これでチケットは3,000円(自由席)。格安というほかない。であるからして,ミューザのシンフォニーホールが満席になった。お客さんはよくわかっている。
 開演は午後1時。開場前から並んだ。2階席のけっこういい席を確保できた。

● 出だしの数小節で納得。前回とメンバーがまったく同じということはないんだろうと思う。しかし,水準は変わらず維持されている。
 歌い手が登場すると,管弦楽の場所は暗くなり,歌い手に照明があたる。当然のことだ。が,奏者の顔も動きも視界から消えるのは,少し残念に思えた。

● 劇中人物の年齢は10代の半ばから後半だと思う。読み書きもできないはずだ。工場勤めが終わると,煙草を喫う女の子たちだ。酒も飲む。教養もヘッタクレもあったものではない。ただ,奔放な野生とでもいうべき魅力を強烈に放っているはずだろう。
 それをリアルに表現するには,ソリストも合唱も上品すぎるわけで。リアルに表現しちゃいけないんでしょうけどね。そこは表現の作法というものがあって,それに則っているわけだろう。
 それ,わかるんだけど。

● 出演者が芸達者であること。それがオペラの説得力を支える一番目のものだと思った。演出上の小賢しい理屈じゃなくて。
 説得力といっても,専門家が考えるものと,客席が受けとるものとでは,違うのかもしれないな。
 客席からステージを見ていると,劇の進行にそっていろいろ考えるわけですよ。女の腰の据わり方はスゲーなぁとか,恋愛って惚れた度合いの強い方が負けるよなぁとか,特にそれが男だと無様なことになるなぁ,とか。ドン・ホセって究極のストーカーだからさ。

● そういう埒のないことを思いながら,ここぞというときのアリアに圧倒される快感。埒のない思考拡散と圧倒される快感の合計が,つまりオペラの説得力だと思ってるんですよ。
 ぼくのみならず,お客さんの大半はそうではあるまいか。まさか,オペラを人生を考えるよすがにしたいと思っている人はいないと思うんだよね。

● であれば,オペラはやっぱり歌い手で決まりますよねぇ。石原さんのソプラノが最も印象に残った。渡辺さんのテノールも。
 石原さんは4年前の“コンセール・マロニエ21”に出場したのを見ているせいもあるかもしれない(そのときの優勝者が石原さん)。
 歌手,よし。管弦楽,よし。満足のいく3,000円。

● あとはその満足感をいつまで保持していられるかっていう勝負になるね。3日も4日も保持するのは不可能だとしても,パッと忘れてしまうか,1日,2日は反芻していられるか。人生の幸せなんて,案外こういうもので決まるんじゃないかと思うんですよ。
 で,ぼくはここに課題を残していると思っているんです。ホールを出てから,わりとセカセカしちゃうっていう些細なことなんですけどね。

2014年9月22日月曜日

2014.09.21 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 前年の“コンセール・マロニエ21”の優勝者をソリストに迎えて開催される演奏会。開演は午後2時。入場無料。
 メインホールがほぼ満席。開場前から長い列ができていた。

● プログラムは次のとおり。
 ブラームス 大学祝典序曲
 尾高尚直 フルート協奏曲
 ブラームス ピアノ協奏曲第1番

● まずは,栃響だけで「大学祝典序曲」。さすがに安心して聴いていられる。
 “コンセール・マロニエ21”の優勝者をしっかりささえる,あるいは彼らを迎え撃って互角に渡りあえる管弦楽というと,栃木県では栃響ということになるのだろうな,と思いながら聴いていた。

● 尾高尚直「フルート協奏曲」,初めて聴く曲だ。作曲家が誰かを知らないで聴いても,日本人の誰かだろうとは容易に推測できるだろう。フルートが尺八の調べのように聞こえることもあった。
 ソリストは浅田結希さん。細く長く音を続けて終息をつけるときの巧さが印象的。拙い感想だけど。
 アンコールもあった。バッハだったと思う。具体的な曲名まではぼくにはわからなかった。いかにも女性のフルートといった柔らかさ。こういうのに男性とか女性とかって,ないものなんだろうけど。

● 20分の休憩後に,再びブラームスで,ピアノ協奏曲の1番。ピアノは青木ゆりさん。4月にも同じホール(サブホール)で青木さんの演奏は聴いているんだけど(浅田さんの演奏も),これほど長く聴くのは初めて。
 巧すぎて話になんない。以上,終わりっ。ほんとに以上で終わりだ。ほかに書くことないもんね。

● プログラムノートの曲目解説も青木さんが書いている。この解説の目の付けどころがユニークで,しかもよくまとまっている。
 ということを付け加えておくくらいかな。だいぶ上から目線的な言い方で申しわけないんだけど。

● それにしても大変なお客さん(の数)だった。無料であることの効果もあるんだと思う。ひょっとしたらそれだけかもしれないんだけど,そう考えてしまうと面白くない。
 秋の日の休日の午後,ぜひ,コンサート会場に足を運んで音楽をお聴きくださいなんて勧めるつもりはさらさらないけれども(今日はスポーツ日和だったし,読書や映画や旅行など,何をするにもいいシーズンだ),そういう過ごし方をしようと思えばできる。しかも,タダで。悪くはないと思うなぁ。

2014年9月17日水曜日

2014.09.14 アンドリュー・フォン・オーエン ピアノ・リサイタル

栃木県総合文化センター サブホール

● ピアノの単独演奏を聴くのは,ぼくには少々荷が勝ちすぎる。たんに聴くだけなんだけど,そのたんに聴くのが荷が重い。
 と,言い訳したくなるほど,苦手意識がある。それじゃヴァイオリンは聴けるのかよ,チェロはどうなんだよ,と言われますか。同じですと言うしかないんだけど,ピアノよりは取っつきやすいかな。気のせいかもしれないけど。

● というわけで,行くか見送るか当日まで迷って,結局,行くことにした。ので,チケットも当日券。残り少なかったけれども,それでも何でここが空いてるのっていうような席があって,いい席で鑑賞できた。
 開演は午後3時。チケットは2,500円。

● プログラムは次のとおり。
 シューマン フモレスケ
 バッハ パルティータ第1番
 ショパン ノクターン ロ長調
 ショパン ソナタ第3番 ロ短調
 (アンコール)
 ガーシュウィン スリープレス・ナイト
 ガーシュウィン 3つのプレリュード第3曲
 ドビュッシー 月の光

● ペコリと頭を下げて,椅子に座るやさっと弾き始める。これがぼくには好もしく映る。中には,集中を高めるためか,しばらく虚空の一点を見つめるようにしてから弾き始める人もいるけど,集中力は楽屋で高めておけよと思っちゃったりする。
 ルックスがいい。いうところのイケメンだ。羨ましい。
 ルックスと実力は別。それはそうだ。ところが,オペラなんか,そうも言ってられない状況になっているのじゃあるまいか。ルックスも実力のうちというふうになりつつあるように思える。

● シューマンはスーッと聴いてしまった。何も引っかかりなし。
 バッハに移ってから,こういうバッハ,聴いたことあったけ,と思った。モダンなバッハだと思った。
 もともとバッハはモダンなるものを内包している作曲家かもしれず,そうだとすればオーエンはそこを表にだした演奏をしたということになるのかなぁ。これがぼくの解釈するバッハです,と。
 グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲を思いだしたりするんだけど,オーエンの演奏はそれとはまるで違う。

● 休憩後のショパンも,独特のショパンだった。力強く激しいショパン。ノクターンでこういう表現があるのかと思った。ソナタに移っても印象は同じ。
 ショパンって印象派の絵画のような,イメージがわかりやすくて女性好きがするっていう感想をぼくも持っていたんだけど,そこをはずされた感じ。

● オーエンはショパンの一生を丹念に追って,彼なりのショパン像を持つに至っているのだろう。それによればショパンはこうなんですよ,というのを見せてくれたのだろう。
 こちらとしては受け取るしかない。何度か聴けば違和感もなくなるかもしれない。

● アンコール曲がなんだか染みてきた。ガーシュウィンもだけど,最後のドビュッシーは静かにしっとりと聴かせるもので,おいおい,言っとくけどこういう弾き方だってできるんだぜ,いちおう見せとくよ,といった感じだったか。

● 外国人の演奏家で日本が嫌いっていう人はいるんだろうか。たぶん,いないんじゃないかと思うんだよね。
 客席が暖かいもん。もちろん,日本だけじゃないんだと思う。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの様子をテレビで見ていると,ウィーンのお客さんも演奏家に敬意と親愛を示している。さすが本場という感じがする。
 なんだけど,日本の場合,それがもっと近しいんじゃないですかね。包みこむような感じというか。演奏家もかなり快感を覚えるんじゃないかなぁ。

2014年9月8日月曜日

2014.09.06 藝祭2014-カルミナ・ブラーナ

東京藝術大学 奏楽堂

● 今年も藝祭にお邪魔することに。La Folle Journée藝大版。5日から7日の3日間,大小種々様々なコンサートが開催されますよ,と。
 タイムテーブルはサイトに掲載されるから,それを見てスケジュールを決めることになる。できれば3日間とも日参したいところだけれども,諸般の事情で6日のみ。

● 整理券問題がある。事前に整理券をゲットしておかないと入場できない。会場の広さと聴きたい人の数が見合わない。数を制限しないとしょうがない。
 その整理券配布時間も考慮して,次のようなスケジュールを作ってみた。
  9:45~10:45 声楽科1年生による合唱:モーツァルト「戴冠ミサ」(整理券配布時間なし)
 16:05~16:55 愛の歌-ブラームスのひととき:「ハイドンの主題による変奏曲」「愛の歌」(整理券配布時間15:00)
 17:30~18:35 夏だ!藝祭だ!カルミナだ!:オルフ「カルミナ・ブラーナ」(整理券配布時間12:00)

● で,9時半に到着。最初の合唱の会場に行ったところが,すでに満席になってしまっていた。入場できず。残念だけれども仕方がない。仕方がないけれども,次の整理券が配布される12時までやることがない。
 いや,美術学部の展示もあるわけで,やることがないってのはあり得ないのだ,普通は。加えて,このエリアには国立や都立の美術館・博物館が集積している。特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」なるものも開催中だ。
 ところが,ぼくはそっち方面にはとんと興味がない。宝の山を目の前にしているのに,戸を叩かない愚か者とはぼくのことだ。

● 藝大の近くの上島珈琲店でモーニングセット。オープンテラスの席が空いていたので,そこで。普段はないシチュエーションで大いに満足しましたよ。620円の出費でこうした時間を買えるんだから,安いものだ。
 藝祭に向かう人たちや楽器を抱えた学生さんが通っていく。生ビールを商う学生の呼び声が聞こえてくる。朝から生ビール,いかがですかぁ。これで車が通らなければ最高なんだが。
 パリのモンマルトルにいるかのよう・・・・・・なわけはない。ここは歴然と日本で,空間のすみずみに日本があふれている。が,しばらく身を置いておきたいと思って,そのようにした。

● 上島珈琲店に入るところで,若い女の子に藝大の音楽学部はどちらでしょうか,と訊かれた。じじむさいオッサンに訊かれたんじゃ,馬鹿野郎,自分で調べろ,と言っちゃうところなんだけど,ここは懇切に対応いたしましたよ。
 といって,この先50メートルほどですよ,ですんじゃうわけだけど。

● ま,その他いろいろと暇をつぶして,11時半を過ぎたところで,再び藝大に。12時前に「カルミナ・ブラーナ」の整理券をゲットした。
 これ,いいのか。融通をきかせるとか,臨機応変に対応するとかっていうのとはちょっと違うと思うんだけどな。
 12時まで待たせるわけにはいかない事情(たとえば,人が滞留しちゃって,耐えがたいほどの構内渋滞が発生してしまうとか)があるのか。ないんだったら,キッチリ12時から配布を始めた方がいいように思う。こういうものは杓子定規な運用が吉。
 いや,そうでもないのか。早く来た人からサッサと渡してあげた方がいいか。さんざん待たせてから売り切れですよと告げるのは,心苦しいし,不親切ってことになるかなぁ。ちょっと悩むな。

● さて,このあとはまたやることがない。暑い。アメ横でビールでも飲むか。で,アメ横に行ったらば。営業中のモツ焼き屋や焼き鳥屋は満席だった。昼から飲んでるやつがこんなにいるのか。
 ま,ぼくもその一人なんですけどね。中華料理屋で餃子を肴に生ビールを飲んだ。旨くないわけがないやね。
 このあとも必死こいて暇をつぶして,15時前に整理券の列に並びに行った。ら。すでに配布終了。ふぅぅむ。

● となると,17時半までさらにやることがない。事ここに至っては,ぼくとしても万策尽きた感じ。万策尽きたとなれば致し方がない。東京国立博物館に向かった。
 故宮博物院展ではなく,通常展の方のチケットを買った。ひょっとすると1回か2回は来ているのかもしれない。そうだとしても完璧に忘れているから,新鮮な気分で見ていける。

● まず,仏像。日本史の教科書に載ってるものの実物ですよね。飛鳥時代や奈良時代に作られたものが,一部といえども,今も残っている。奇跡だな。平安や鎌倉のものは,精緻にリアル。リアルっていうのも変な言い方だけど,1本の木からこういうものを掘りだすって,今,できる人はいるんだろうか。
 ぼくらの先人の中にはすごい人がいたんだなぁ。日本人であることの誇りを刺激する効果がありますよね。

● 土器や陶器,密教仏具,仏教美術,刀剣などなど,2時間程度では一部しか見られない。かといって,では1日かけて全部見るかっていうと,それも辛い。
 なぜって,30分も見てると激しく疲れるから。何日間か日参するしかないでしょうね。これ,捉まる人は捉まると思うんで,実際にそうしている人がけっこうな数いるんだろうな。
 行ってみるもんですね。そう思いましたよ。

● さてさて。やっと17時になった。開場時間だ。奏楽堂に向かった。
 演奏するのは“F年有志オーケストラ”。F年とは,普通の大学で4年生といっているものに相当するらしい。
 F年の学生だけでは駒が足りないと思うんで,実際には院生や下の学年の学生も参加していたはずだ。でもねぇ,こういうのを学園祭でやっちゃうってのがねぇ。

● ここまでの合唱陣(特に男声)を整えることができるのがすごい。藝大しかできないってことではないのかもしれないけれども,しかしやっぱりすごいな。
 気が満ちているという印象ですね。端正でもある。おざなりは彼らの敵。彼らの辞書にそういう言葉はないのだろう。

● 朝の9時半に着いて,この時刻までひたすら暇つぶし。なんだけど,待った甲斐がありましたねぇ。これほどの「カルミナ・ブラーナ」を生で聴ける機会は,たぶん,この先ないと思うもん。
 昨年はシュニトケ「オラトリオ長崎」。強烈だった。今回も印象をひと言でいえば,強烈ということ。
 この1時間で今日は良い日となった。しかもかなり良い日となった。

● あ,それともうひとつ。往きの宇都宮線の車中で,可愛らしい女の子を見かけた。4歳くらい。父親と二人。父親の耳元に口を寄せて何か囁いている。その様はまさに天使。
 父親にとっては特にそうだろうな。今,一生分の親孝行をしてもらっている。あと10年もすれば,娘から嫌悪される運命だもんな。父と娘の束の間の蜜月。
 ぼく,娘はいないんだけど,正直,いなくてよかったなぁと思うんですよ。いろんな意味でね。

2014年9月6日土曜日

2014.09.05 間奏42:音楽を聴く時間が激減している

● スマートフォンで音楽を聴くことがなくなった。スマホはチョコチョコと使っているけれども,最も長いのは音楽プレーヤーとして使っている時間だった。歩きながら音楽を聴く。電車の中で聴く。
 それをしなくなった。8月15日以来,まったくスマホでは聴いていない。

● かといって,自宅で聴く時間が増えているわけではない。もともと,ぼくはスマホで聴く派で,据え置き型のオーディオ器機で聴くことはしていなかった。
 それ以前に,そういうモノを持っていない。パソコンに外付けのスピーカーをつないでいる程度だ。

● 聴かなくなったのは自転車に親しむようになったから。メタボ対策のためにね。片道25㎞を自転車で通勤したりしている。
 自転車に乗っているときに,イヤホンを耳に突っこんでいるのは,危険を超えて無謀といっていいでしょう。
 自転車に乗る時間が増えた分,スマホで音楽を聴く時間が減ったということ。でも,自転車で出勤したとしても,1週間のどこかには音楽を聴ける時間があるはずだ。しかも,少なくない時間。

● ところが,その時間も捨ててしまっている。意欲減退。音楽に飽きてきたのか,単なるスランプか。
 でね,使わないでいたらイヤホンがどっかに行っちゃいましたよ。部屋のどこかにはあるはずなので,探せば出てくるはずだ。なんだけど,探す気にもならないでいる。

● だから,それで禁断症状が出るかといえば,そんなことはまったくない。音楽を聴かない生活が淡々と重ねられていく。
 もっとも,ライヴにはけっこう以上に行っているのでね。それで足りているのかも。

(追記 2014.09.14)

 元に戻ったとまではいかないながらも,ちょこちょこ聴くようになりました。イヤホンは探すのも面倒なので,宇都宮のヨドバシでSONY製の安いのをとりあえず買って。

 聴かなくなった理由に,自転車に乗るようになったことをあげましたが,ほかに音楽再生アプリが使いづらかったのも理由の一つだったような気がしますね。
 Google Play Musicがデフォルトで入っていたので,それを使っていたんですけど。

 このアプリ,本来の能力を発揮できればとんでもなくすごいアプリなんでしょ。日本では発揮したくてもできない状況になっているだけで。
 ですが,端末のSDカードに入れてあるのを再生するだけだと,ちょっと今までのアプリと勝手が違うところがあって,慣れなかったということですね。
 “Meridian”を入れて使うことにしました。

2014年8月31日日曜日

2014.08.30 合奏団ZERO第13回定期演奏会

杉並公会堂 大ホール

● 日本は音楽大国である。というときに,例証としてよく用いられるモノサシが3つある。
 ひとつは,日本では4世帯に1世帯がピアノを持っていること。こんな国は日本以外に世界のどこにも存在しない。

● ただね,使われることはまずない。家具のひとつだ。ひと昔かふた昔前の,応接間(この言葉,もう死語ですよね)に置かれた百科事典と同じ。
 けれども,使わないながら,オブジェとしてピアノを選ぶ心性には少々興味を引かれる。

● 2番目は年末の第九。この時期に日本国内で演奏される第九は数知れず。そのほとんどが満席になるほどお客さんが入る。
 したがって,日本人の第九消費量は膨大なものになる。日本人の胃袋はどうなっているのか,そんなに強靱なのか,という話になる。

● けれども,それ以上に驚くのが3番目だ。つまり,アマチュア・オーケストラの数の多さと,活動の活発さ。
 市民オケ,学生オケ,企業オケ。全部でいくつあるのか。正確に数えた人はいないだろう。“Freude”に載っているのがすべてではない(栃木県でいえば,峰ヶ丘フィルと那須室内合奏団が載っていない。中高校のオーケストラ部とジュニアオケも)。
 2,000ではきかないだろう。3,000はあるかもしれない。それらのアマオケが年に1回か2回,演奏会を開催する。となると,1年間に開催される演奏会は5,000といったところか。とんでもない数になる。
 数だけではない。マーラーやブルックナーをやってのけるところもあるんだから。

● その演奏会の大半は,土日か祝日に集中する。それらを容れられるだけのホールが存在するわけだし,それを聴きに出かける人たちもいるわけだ。
 これをもって,音楽大国といわずして何というか。

● それらあまたあるアマチュア・オーケストラの腕前はピンキリだ。ひと言でアマチュアといっても,プロ並みといってもいい奏者を集めている楽団もあるだろうし,自分たちの楽しみのためにやっているところもある(それで全然OKだと思うが)。
 で,そのアマチュア・オーケストラの上位に列する楽団の演奏を聴くと,プロオケはなくたっていいんじゃないのと思うこともあってね。だって,これで充分だと思うもんね。これ以上の演奏は,自分にとっては馬の耳に念仏だってね。
 実際は,プロにもいてもらわなくては困るんだけど,理屈をこねてプロオケ不要論をでっちあげようと思えばできなくもないな。

● 合奏団ZEROの演奏を聴きながら,以上のようなことをつらつら思った。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入した。指揮は松岡究さん。

● ブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調」。ソリストは米沢美佳さん(ヴァイオリン)とクライフ・カナリウス氏(チェロ)。ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団のコンサートマスターとソロ首席奏者であり,妻と夫の関係でもある。
 管弦楽団もきちんと応接していて,メリハリもあればきめも細かい演奏。危なげがないんですよね。安心して身を任せることができる。もう,どうにでもして,っていう感じ。

● ブルックナーの4番。ブルックナーを取りあげるのは初めてらしい。合奏団と名乗っているのに,管のレベルも素晴らしい。
 気がついたら終わっていた。ひじょうに短く感じた。

● まぁ,どうでもいいっちゃどうでもいいことなんだけど。
 スタッフがP席にもお客さんを案内した。とにかく空きがないんだから。
 ところが,P席で大股開いて居眠りを決めてる人がいてね。けっこう,気が散るね,これ。正面に見えるんだから。当然,指揮者にも見えるだろう。
 P席は客を選ぶかもしれないと思った。

2014年8月28日木曜日

2014.08.23 アンサンブル・メゾン第33回演奏会

横浜みなとみらいホール 小ホール

● アンサンブル・メゾンの名前の由来について,次のように解説されている。
 メンバーの多くが青春の日々を送った京都に因んで,湯川秀樹博士の中間子(meson)から名づけたものである。
 京都の大学出身者が多いということでしょうか。

● 開演は午後7時。チケットは1,500円。当日券を購入。指揮は田崎瑞博さん。曲目は次のとおり。
 C.P.E.バッハ シンフォニア ニ長調
 プロコフィエフ シンフォニエッタ イ長調
 ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調

● この日はすでにジャパン フレンドシップ フィルハーモニックの演奏会で大きな交響曲を2つ聴いている。それから約3時間が経過しているとはいえ,まだ頭の芯がジィィンとほてっている感じがする。
 それで,また交響曲を3つ聴くのか。といって,聴いてくれと頼まれたわけではない。勝手に来たのだ。
 何はともあれ,リセット。脳内の“Ctrl+Alt+Delete”キーを連打しなくては。

● C.P.E.バッハは大バッハの次男。プログラムノートの曲目解説によれば,「バロック音楽を極めた父からのバトンを,古典派のハイドンやモーツァルトへつないだ点で,重要な地位を占めています」とのことだけれども,つなぎ役だけにとどまらず,彼自身の立ち位置が現在まで残っているようだ。
 チェンバロが重要な役どころを果たす。そのチェンバロは渡辺玲子さんが担当。

● プロコフィエフのこの曲は,彼が彼が二十歳になる前の作品。今に残る作曲家って例外なく天才。全体としては軽快な印象。
 C.P.E.バッハの曲もこの曲もとにかく初めて聴く曲だ。そうか,プロコフィエフは若いときからこういう曲を書いていたのか,という印象にとどまる。「ピーターと狼」や第7番に無理なくつながるように思えた。

● ベートーヴェンの7番。だいぶ演奏時間の長いベト7だった。テンポがゆっくりだったわけではない。リピートの指示に律儀にしたがったのだろうか。それがいいかどうか。ぼくはやや冗長な感じを受けた。
 印象に残ったのはオーボエの1番。軽々とやっているようでもあり,歯を食いしばって食らいついているようでもあり。たぶん後者だと思うんだけど,この曲ではフルートと並んで重要なパート。重責を果たしましたよね。

● この楽団の設立は1987年。だいぶ古い(といっていいと思う)。長く続いているのはそれだけでたいしたものだと思う。
 団員の年齢の幅もけっこう大きい。数えきれないほどある社会人のアマチュア・オーケストラの中で,年齢がばらけているところはじつはそんなにない(というのがぼくの印象なんですけど)。
 年配者は若い人を歓迎するかもしれないけれど,若い人が年配者と一緒にやるのをウェルカムと思うのはちょっと想像しづらくてね。年配者にウンザリさせられるのは,職場だけでたくさんだもん。
 ところが,これだけの年齢幅があって長く続いているのは,何かここだけの理由があるんですかねぇ。

● 楽団のサイトには「ともすれば,思い上がったアマチュアイズムの危険をはらむ我々だが」という一文がある。これはね,思いあがっているくらいでちょうどいいんじゃないかとも思う。思いあがりがまったくなくて,ステージに立てるものなのか。いいんじゃないの,思いあがったって。
 そういう意味でこの一文を書いているわけではないと思うんですけどね。

2014年8月26日火曜日

2014.08.23 ジャパン フレンドシップ フィルハーモニック 音樂會

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● べつに恥ずかしいとは思ってないんだけど,ぼくが使えるお金はそんなにない。したがって,お金は最大限効率よく使いたい。というと,何やらマトモに聞こえるかもしれないけど,要はケチケチしなきゃなってことなんですよ。
 東京や首都圏に聴きに行くのも,“青春18きっぷ”が使える時期が中心。もちろん,新幹線なんか使わない(使えない)。
 プロのオーケストラを聴くことがないわけではないけれども,向こうから栃木にやってきてくれたときに限られる。

● というわけなので,ぼくの情報源は“アマチュアオーケストラのサイトFreude”が主なものだ。あとは,コンサートのときに配られたチラシは一応,見ておくようにしている。ただ,何事にも限度はあって,あんまり多いと見ないで捨てることになる。
 ジャパンフレンドシップフィルハーモニックの今回の演奏会はFreudeには載ってない。何かの折にチラシをもらっていた。

● ショスタコーヴィチの5番をやるのか,たぶん聴きに行くことになりそうだな,と思って,実際にそうなった。“青春18きっぷ”が使える時期だしね。
 開演は午後2時。座席はSとAの2種。当日券を買った。いわゆるいい席は残っていなくて,ぼくは3階の右翼席。A席で1,500円。指揮は高橋敦さん。曲目は次のとおり。
 チャイコフスキー 交響曲第5番
 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
 伊福部 昭 SF交響ファンタジー第1番

● この順番で演奏。チャイコフスキーの5番を聴き終えたところで,相当キテますよね,普通。え,このあとまた交響曲かよ。
 演奏する方だってそうだろう。このあとショスタコ弾くのかよっ,てなものだろう。

● それを知ってて出かけているわけなんだけど,けっこう厳しかった。大晦日の“ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会”を3年連続で聴きに行っているんだけど,それより今日の方がきつかった。
 原因は,聴く側(つまり,ぼく)の体調だとか寝不足だとかもあると思うんだけど,第一にはショスタコーヴィチだからですよね。
 ショスタコーヴィチって,総じて,どの曲でも聴くのが辛いんですよ。彼の壮絶な人生を一応(知識として)知っちゃってるからですかねぇ。その壮絶さは,権力中枢がそれと認める実力者であるがゆえのこと。退くことは最初から許されない。カミソリのうえを歩かされているようなものだ。

● 曲の難解さもあるかも。どういう曲が難解なのか。それじたい,ぼくにはよくわからない問題。難解な曲ってどんな曲なんでしょ。ジョン・ケージ「4分33秒」は難解か。
 考えだすと自縄自縛に陥りそうだ。難解っていうのは,曲自体にあるのではなく,曲とそれが聴かれる時代,曲と聴き手との関係性に立ち現れるもののように思う。難解という実態が屹立して存在するのではない。そういうことにしておきたい。
 ひじょうに幼稚ながら,ぼくの場合は,聴いている最中に脳内イメージがどう触発されるかを基準にしている。単純にハッキリと像を結ぶのが難解じゃない曲で,像を結びづらいのが難解な曲。幼稚でしょ。

● で,この5番は難解だと思う。“像を結びづらい”からではなく,逆にどんな像でも結べそうだからだ。どうにでも受け取れる。
 たいていの曲はそうなんですよね。ベートーヴェンの5番だって,“苦悩を通して歓喜に至る”ではない受け取り方をしようと思えば,できなくはない。ただ,それにはそれ相当の細工を自分の気持ちに施す必要がある。
 ショスタコーヴィチのこの曲は,その必要がいささかもない。それでいて,どんな像でも成立しそうだ。

● 重量級が2つ続いたあとに,伊福部昭さんの「SF交響ファンタジー第1番」。この曲を軽いと言っていいかどうかは意見が分かれるところかもしれないけれど,エンタテインメント性が強いことは間違いない。
 メインディッシュが2つ続いたあとに,デザートとはいかないまでも,ちょっと別腹に入れてよという感じ? 正直,ホッとした。

● ミューザのシンフォニーホールをほぼ満席にするアマチュア・オーケストラ。固定ファンがけっこうな数,いるのだろうね。
 力のあるオーケストラであることが,その理由の第一。指揮者の高橋さんのキャラクターも固定ファンの獲得に力があるように思われた。