2012年9月30日日曜日

2012.09.30 トリオ・ラ・プラージュ 結成10周年記念公演

栃木県総合文化センター サブホール

● トリオ・ラ・プラージュとはそも何者? 音楽好きで楽器がメチャ上手な美人3姉妹,キャッツ・アイみたいなものですな。リンク先をご覧ください。

● 3人とも「コンセール・マロニエ21」の第1位受賞者で,それがきっかけで結成されたトリオ。この総合文化センターや那須野が原ハーモニーホールで毎年,トリオで,あるいは単独で,演奏会を行っている。
 それぞれホールが招聘してのものかと思われるけれども,中にはあまりお金にならないだろうなと思えるのもある。彼女たちはよく付き合ってくれている(とぼくには思える)。

● ペアとかトリオって,けっこうソチコチでできては消えていると思うんだけど,10年も続くってのは相当以上に珍しい。しかも,トリオ・ラ・プラージュの場合,活動の実績が濃い。
 トリオの中心はピアノの渚さんかと思われる。田口さん(ヴァイオリン)と近藤さん(クラリネット),それぞれ個性が強かろうに,渚さんが自らを空にしてまとめている。
 いや,違うのかもしれない。違うのかもしれないけれども,傍目にはそう見える。見ようと思えばそう見える。

● この10周年記念公演は,宇都宮と東京で行われる(東京公演は10月5日)。でね,東京公演のチケットは4千円なのに,宇都宮公演は千円なんですよ。なんでこんなに差がでるのかといえば,宇都宮公演は総合文化センターの自主事業として開催されたからだろうね。
 このトリオの2時間の演奏を千円で聴けるってのは,まぁね,栃木県民の特権でしょうね。東京公演を聴く人には申しわけないくらいのものですね。
 それもあってか,サブホールはほぼ満席。左右の桟敷席を除けば,9割は埋まっていた。特権は行使すべし。開演は午後2時。

● でもね,彼女たちにとって,問題は東京公演でしょうね。白々しい響きが混じってしまったら幾重にも謝るけれど,東京でどうか成功してほしい。
 渚さんが挨拶で言っていたけれども,10周年を機に今日からまたスタート。そのスタートも東京での成果いかん。

● 曲目は次のとおり。
 モーツァルト「連弾のためのソナタ 変ロ長調」。次に,チャイコフスキーの「組曲くるみ割り人形」より抜粋。いずれも,トリオ・ラ・プラージュが自分たちのためにアレンジしたもの。
 3曲目はバルトークの「コントラスツ」。
 15分の休憩をはさんで,後半はベルク「室内協奏曲」より第2楽章(アダージョ )。
 最後はシュトラウスの「薔薇の騎士」。これは当然,トリオ・ラ・プラージュがアレンジしたもの。

● 演奏についてぼくがどうこう言うのは,天に向かって唾するようなもの。ステージから流れてくる音に,ただ遊ばせてもらうだけ。
 ベルクを生で聴くのは初めてだったんだけど,幾何学的というか,「ドラえもん」に登場する22世紀的なというか,カクッカクッとした感じが面白かった。ただ,この面白さって,すぐに飽きてしまいそうな感じね。

● 田口さんを前回見たのは,2010年1月,同じ総合文化センターのサブホールで開催された「フレッシュアーティスト・ガラ・コンサート」だった。そのときと比べるとね,色香がたっぷり乗ってるんですよねぇ。何事かと思うほど,色気をまとっている。すんげぇキレイになってる。何があったのだ?
 ピアノとヴァイオリンとクラリネット,同じように演奏してれば,最も体力を消耗するのはクラリネットだと思うんだけど,近藤さん,そういう素振りを見せない。

● プログラムの末尾にトリオの10年間のスナップ写真が何枚か掲載されている。渚さんが笑いの種にでもしてもらえればと言ってたけど,本当に笑いの種にしたら怒るよね。
 でもまぁ,可愛らしかったんだねぇ,10年前。10年かぁ・・・・・・。

2012年9月25日火曜日

2012.09.23 那須フィルハーモニー管弦楽団「名曲コンサート」

那須野が原ハーモニーホール大ホール

● 那須フィルハーモニー管弦楽団の「名曲コンサート」は,例年,この時期に開催される。
 ただ,昨年は東日本大震災があって,3月13日に予定されていた定演は当然中止になった。それを秋に順延したので,この「名曲コンサート」が開催されることはなかった。ので,「名曲コンサート」としては2年ぶりということになる。

● チケットは500円。もちろん自由席。
 ぼくはかなり前に入手しておいた。なぜなら,ソリスト(ピアノ)が仲道祐子さんだったから。500円で彼女のピアノが聴けるなんてと購入者が殺到し,早々にチケット完売ってことになったら困るからね。
 ま,実際は当日券もあったんですけどね。とはいえ,客席はほぼ満席。開演は午後2時。

● 曲目は次のとおり(演奏順)。
 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」
 ヨハン・シュトラウス トリッチ・トラッチ・ポルカ
 佐藤眞 児童合唱,混声合唱及び管弦楽のための組曲「美しい星に」から第4曲「粉雪けって」
 フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」から「夕べの祈り」
 ヨハン・シュトラウス  ワルツ「美しき青きドナウ」
 ガーシュウィン ラプソディ・イン・ブルー

● このコンサートでは指揮者の大井剛史さんの解説がある。それが楽しみでもある。もっとも,うるさいと感じる人もいるかもしれない。
 今回は,ベートーヴェンの5番について,なぜ運命と呼ばれるようになったか,日本以外ではそのように呼ばれることはあまりないという紹介のあと,ふたつのことを念頭に置いて聴いてほしいと言われた。

 その1。冒頭のダダダダーンという旋律が何度も何度も繰り返される。その繰り返しが生む緊張感を感じてほしい。ひとつの旋律はどうってことなくても,それが何百回と繰り返されることで巨大な何かが構築されることを味わってほしい。

 その2。楽章ごとの展開。1楽章は厳しい演奏になる。が,2楽章は穏やかなものに変わる。厳しいものと穏やかなものが戦った結果,2楽章は穏やかが勝った。けれども,この曲に主人公がいるとすれば,その主人公はそれに満足しなかった。3楽章以降どうなっていくか。

 それと,楽器の紹介。ピッコロとコントラファゴットとトロンボーンは4楽章まで出番がない。途中で寝ないかどうか見張っててくれ,と。
 もちろん,笑いを取りにきたわけだけど,おまえらも寝ないで聴けよってことだったか。

● で,その5番。
 充分に堪能できた。ぼくはハードな人生を生きているわけでは全然ないけれども,これでしばらく生きていけるなと思いましたね。
 いや,そこまで言うとさすがに大げさなんだけど,何とったらいいんでしょう。なにほどのこともない日々の句読点にはなりますよね。
 ガソリンスタンドで自分に給油した感じといいますか。満タンにしてもらったっていうね。問題は,ぼくという機械の燃費があまり良くないことなんだけどね。

● ひとつには,演奏している人たちの表情や体の動きが,近くで見えることの効果だと思いますね。この視覚効果って相当に大きいのじゃないかなぁ。
 ステージから懸命さと集中が伝わってくる。小さなミスはたぶんあったと思うんだけど,そんなものはこちらが演奏に集中することをまったく妨げない。
 大編成のオーケストラだってこともあるかも。迫力はすごいですよね。

● 15分間の休憩の後,ヨハン・シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。トリッチ・トラッチというのは,女性のおしゃべりの擬態語のようなものだとは,大井さんの解説。トリッチ・トラッチを早口で言うと,なるほどと思うわけです。
 ここから那須野が原少年少女合唱団が登場。

● 児童合唱,混声合唱及び管弦楽のための組曲「美しい星に」は,那須野が原ハーモニーホールが10周年を迎えたときに,佐藤眞氏が記念に作った曲だとのこと。知らなかったのも道理。

● 最後はガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。この曲にジャズ成分が濃いことはぼくにもわかるが,もともとガーシュウィンがジャズ曲として作ったものを,別の人がオーケストラ曲にしあげたもの。これも大井さんの解説で知ったこと。
 ここで仲道祐子さんが登場。美貌のピアニストっていう言い方をされるのは,たぶんご本人がいやがるのじゃないかと思う。しかし,ステージがグッと華やかになったことはたしか。

● 彼女がアンコールでガーシュウィンの「プレリュード」を演奏したあと,合唱団も登場して,全員でスーザ「雷神行進曲」を。盛りあがるわけだよね。
 こんなバラエティがほかで聴けるかい? 終演後,出口に向かう爺さまたちが,「いや,なかなかでしたねぇ」と言い合っていた。満足そうだった。
 でも,やっぱり「運命」かな。名曲中の名曲っていいますか,今さらだけど。この曲がこの世界にあるってことね。あるとないとじゃ大変な違いだぞ。

● その「運命」をスマホにつないだイヤホンで聴きながら,雨の中を西那須野駅まで歩いた。ちょうど駅に着いたときに聴き終えたのは, 小さなラッキーだった。
 でもね,こうして歩きながらベルリンフィルの演奏を聴けるってのはすごいことだと思う一方で,さきほどの興奮はこの聴き方じゃぜんぜん甦ってこないのだった。当然なんだけどね。

2012年9月17日月曜日

2012.09.16 橋本陽子エコール ドゥ バレエ 宇都宮スタジオ創立45周年記念公演

栃木県総合文化センター メインホール

● バレエを観に。「ジゼル」全幕。席はA・Bの2種。A席が3,000円でB席が2,500円。A席を取っていた。プログラムは別売で1,000円。開演は午後2時。

● 「ジゼル」の前に,言葉は悪いけれど,前座があった。この学校の生徒さんたちの発表会といった意味合いのものでしょう。
 ただし,侮ってはいけない。ぼくには充分に面白かった。っていうか,これで満足してしまったせいか,「ジゼル」の印象がやや薄くなった。

● モダンダンスというのかコンテンポラリーというのか,男女ふたりによる「Connect」。楽しめた。ちょっとシュールっていうか,あ,現代ってこんな感じだよな,って。ま,現代に限らず,若者っていつの時代でもこんな感じかなぁ。
 もちろん,そんなのはこちらの勝手な解釈で,そういうことを狙ったダンスではないんだろうけどね。

● 「みにくいあひるの子」もまとまっていた。お母さん役のダンサーが印象に残りましたね。可愛いかったからね。

● トウシューズを履いてつま先立ちができるってだけで,ぼくにしたら驚異。なんでそんなことができるのだ。
 その状態で細かく歩いたり,クルクル回ったり,小さくジャンプするんだからね。無茶なことするなぁと思うんだけどね。
 足の甲を極端に外側に向けるのもそう。バレエってダンサーに不自然な動きを強いる。
 でも,その不自然な動きがきれいなんだよねぇ。不自然な動きがダンサーをきれいに見せる。美は自然にありってのは,嘘だなぁ。自然にしてたんじゃきれいにならない。

● さて,「ジゼル」。ひと言でいえば,豪華絢爛。こういうものを宇都宮でも観ることができるんですな。ありがたいね。
 主演ダンサーの遅沢佑介さんは,宇都宮の星。彼のようなスターが出てくれると,バレエ全体が盛りあがっていくんでしょうね。少なくとも栃木県ではバレエ界に追い風が吹いている,と。いや,そんな単純なものでもないのかな。

● 第2幕を観ながら感じたこと。ソロやデュエットの「超絶技巧」よりも,女性ダンサーの群舞の方をぼくは好むようなんです。なぜかというと,女性美の極致のひとつが,わかりやすく展開されるからかなぁ。
 あのね,女性美ってつまるところ,セクシーさなんですよ。間違っているかもしれないんだけど,今のところはそう思っている。ま,男性が創りだす美もまた同じかもしれないんだけどさ。

● 「極致のひとつ」というと,極致が複数あるのかよと突っこまれそうだな。極致はひとつだとしても,その表現方法は複数ありますよね。
 たとえば,日本舞踊。日本舞踊にはバレエのようなダイナミックな動きはない。静かにゆっくりと動く。でも,その過程でゾクゾクするようなセクシーさを感じることがある。そういうことです。

● で,バレエの表現なんですけど。
 女性美=セクシーならば,裸で踊ればいいじゃないかなどと,マヌケなことは言わないでくれよ。裸で踊ってセクシーを表現できるんだったら,苦労はないって。
 先にも書いたけれども,美って反自然的な動きに宿る。天然の世界に美はない。リアルではなくヴァーチャルなもの。放っておかれると消えてしまうもの。

● そのヴァーチャルな美を生身の身体で表現しようとするところに,バレエの真骨頂がある。
 そのためには,長年にわたって鍛えあげた身体と,その身体を使った高い表現能力がどうしたって必要だ。考え抜かれた演出と振付も要るのだし,架空の舞台も設定されなければならないのだ。
 って,何をホザいてるんだか,オレ。

● チャイコフスキーのような例外はあるにしても,バレエ音楽って音楽だけ聴いてもあまり面白くない感じ。
 オペラもそうだけれども,バレエのストーリーもたいては大雑把で単純,かつ荒唐無稽なもの。
 要するに,音楽や物語ではなく,メインはステージ上のダンスにある。あたりまえすぎるほどあたりまえのことだけど。

● であるならば,ダンサーは個としても美しくなければならない。そうであるために,ダンサーたちは涙ぐましいまでの努力をしているものだろう。
 もし,ぼくがとんでもない身体能力の持ち主であったとしても,バレエのステージに立つことはおそらく許されまい。

● なおかつ,プロスポーツと同じで,第一線で活躍できる期間は,自ずと限られるだろう。
 ゆえに,バレエのステージにはある種の儚さが漂うはずだ。そういうものに人生を賭けた人たちの覚悟と哀感。アマチュアが好きでやっているのなら,話は別だけれど。
 今回の公演で,その哀感を感じることはなかったけれども,それを感じたがっている自分がいることは感じた。そんなのはおまえだけだよって言われるかもしれないんだけどさ。

● すべての公演が終了したのは午後6時。二度の休憩をはさんで,4時間の公演だった。
 プログラム代を含めて4千円でこの4時間を過ごせれば,まずもって文句はないです。世間の憂さを忘れてファンタジーに身をまかせるって,相当に気持ちがいい。
 次回は12月23日に,同じ県文センターでクリスマス・チャリティー公演がある。

2012年9月3日月曜日

2012.09.02 ジャパン・クラシカ第5回定期演奏会

杉並公会堂大ホール

● ぼくは音楽を聴くのにお金をかけていない。CDは図書館で借りてパソコンに取りこんでいる。DVDも同じようにできる。ま,ぼくのようなのが圧倒的な多数派だろうとも思うんですけどね。
 となれば,せめてせっせと演奏会に通ってチケットを買わねば,音楽の神さまに叱られてしまう。と,自分に都合のいい理屈をつけて,この日も東京へ。

● 今回はジャパン・クラシカ。ホームページには,「妥協のない練習をして質の高い演奏を」という理念に基づいて活動を行っています,とある。ぼくには敷居が高いかもしれない。
 開演は午後2時。チケットは当日券で2,000円。

● 曲目は次のとおり。
 ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」序曲
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番
 ベートーヴェン 交響曲第5番

● ソリスト(ヴァイオリン)は天満敦子さん。お名前は存じあげていたけれども,演奏を聴くのは初めてのこと。
 何とまぁパワフルな,っていうのが第一印象ですねぇ。登場してすぐに客席を支配できるだけのパワーの持ち主。音楽だけに生きてきた。音楽だけに思いをこめてきた。そのオーラがね,ウワーッと広がってくる感じ。
 もちろん,只今現在も音楽とともにあるわけで,その「ともにある」あり方にスキがないんだろう,と。そうでなかったらここまでの力強さは出ないだろう,と。

● オーケストラもさすがの水準。「妥協のない練習をして質の高い演奏を」といっても,それができるだけの基礎体力が必要だもんね。
 コンマスが圧倒的な存在感を放っていたけど,客演だろうか。
 こんな演奏を2,000円(前売りなら1,500円)で聴けるんだからね。東京の人はいいよなぁ。

● 今回がこの夏,最後の東京行きになる。なぜなら「青春18きっぷ」を使い切ってしまったからね。
 貧乏生活にわずかな光を入れてくれたのが,この数回にわたる東京往復だったんだけど,ピンポイントでコンサート会場に行くだけで,それ以外のことは何もしなかったな。「おむすび権米衛」でおにぎりを買ったのと,「富士そば」でカレーそばを喰ったことくらいか。
 それでいいと思ってるんだけど,たまには居酒屋で一杯やって,電車の中で寝ながら帰るなんてのをやってみたかったかなぁ。

2012.09.01 アウローラ管弦楽団第5回室内演奏会

府中の森芸術劇場ウィーンホール

● 今日の2つめはアウローラ管弦楽団。ロシア音楽を主に取りあげている楽団。開演は午後6時半。チケットは1,000円。

● まずは,モーツァルトの交響曲第29番。指揮者はなし。コンマスが合図を送る。室内楽だもんね。
 それぞれが他のパートの音を聴き,一所懸命に合わせようとしているのが伝わってくる。ぎゅっと集中してるから,音にも張りがあった。好感度,大。
 演奏中もコンマスが自身の役割をきっちり果たしていて,これも好感度につながる。

● 次は,リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」を演奏会形式で。当然,こちらは指揮者が登場。長田雅人氏。
 サリエリは岸本力さん(バリトン)。モーツァルトは小林大作さん(テノール)。
 岸本さんの声量と訴求力は圧倒的。小林さんも高音がきっちり出ていて,こちらはため息しか出ない。
 自分にはできるはずのないことができている人を見ると,簡単に参ったできる。そこがいいんですね。参ったできることの快感。

● この種の歌劇を「室内オペラ」っていうんですね。装置も少なくて演奏時間も短い。プログラムの紹介記事で勉強させてもらいました。

● プログラムには集客の悩みなど楽団運営の難しさについても書かれていたんだけど,こういう演奏会をこれからも続けていければ,観客はおのずと増えてくるのではないだろうか。楽観的にすぎますかね。

● 活動開始は2009年というからまだ若い楽団だ。団員も若い。それゆえ,清新さがステージをおおっていて,それがこの楽団の魅力のひとつになっていると思う。
 けれども,楽団も団員も年をとる。そうなったときに,この清新さを維持できているか。あるいは清新さに代わる何ものかを加えることができているか。

● 以下,この楽団とは関係のない話。
 ま,人間もね,年をとれば,若さとか溌剌さとか無鉄砲さとか好奇心とか些細なことに感動できる感性とか,多くのものを失う。が,失うだけではない。安定感,円熟味,世間知など多くのものを得る。
 けどね,これって多くの場合,言葉のうえだけのことであってさ。失ったものに見合う何かを得たっていう中高年なんかめったにいないでしょ。もちろん,自分を含めてのことだけど。

● 年をとっても馬鹿は馬鹿。経験は馬鹿を補正しない。むしろ若いときには若さが馬鹿を隠してくれていたのが,年をとるとその馬鹿が剥きだしになる。いよいよ馬鹿が際だってしまう。
 世間の実例の多くはそのことを告げていると思いませんか。

● じゃぁどうすればいいのかって? わかりませんねぇ,これは。
 ただね,若いときには若さを満喫しておかないといけないよね。若さを浪費するくらいの気持ちでいた方がいいと思う。そうした方がうまく年をとれるような気がする。

2012年9月2日日曜日

2012.09.01 ニューシティオーケストラ第61回定期演奏会

杉並公会堂大ホール

● 東京行きが続いている。ヨメが下賜してくださった「青春18きっぷ」のおかげ。彼女が使い残したのもぼくに払い下げられたので,今日を含めてあと2回は東京に出られる。
 休日のぼくの仕事はヨメの買物につきあうことくらいだ(彼女はスーパーのハシゴをする)。運転手兼運搬人ですね。それ以外はあまり期待もされていない。
 かといって,ぼくとしても音楽を聴くこと以外にやりたいことがない。この時期は地元での演奏会もないから,ふらふらと東京に出かける,と。
 だけども,昨年まではこんなには行ってなかった。このブログを更新したいっていうね,それが動機になっちゃってますね。いいんだか悪いんだか。

● 2年前の3月にこの楽団の演奏を聴いている。今日が2回目。2年前はブラームスだっが,今回はマーラーの1番。付け合わせはモーツァルトの31番。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。

● アマチュアオーケストラの運営にはいろいろと苦労があると思う。中でも費用負担と集客のふたつだろう。ほとんどの楽団では集客を優先していると思われる。費用は団員で負担すればすむ。無料招待を拡大してお客さんを増やす。多くの楽団がそうしている。
 この演奏会でも,チケットを買って入場する人よりも無料招待状を持っている人がずっと多かった。
 多くの人に聴いてもらいたいと考えるのは当然のことだ。まず集客というのは理解できる。

● しかし,無料にすると客席に「悪貨」を増やす結果になることもあるのじゃないかなぁ。モーツァルト31番の第1楽章が終わったあとにドヤドヤと入ってくる人がいて,第2楽章に移るのに数分間の待ちを余儀なくされる。マーラー1番の演奏が始まった瞬間に乳児の泣き声が響いてしまう。
 客席はほぼ満席の盛況だったけれど,この盛況でいいんだろうか。

● というようなことを書くのは・・・・・・・・・
 開演間際にぼくの隣に座ったのが幼児をふたり連れた30代半ばとおぼしき男性だった。幼児のうちの女の子の方がぼくの隣席に座ったんだけど,この子が元気よくて一時もジッとしていない子なのだった。
 ステージの演奏を味わうどころではなかった。

● 長い間にはこういう不運に遇ってしまうこともある。楽団の運営の問題ではないのだろうけどね。