2011年12月31日土曜日

2011.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2011

東京文化会館大ホール

● 大晦日の「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2011」に行ってきた。
 午後1時の開演だったのだが,9時前に家を出た。余裕を見過ぎるというか,慎重過ぎるのがぼくの通弊。わかっているんだけれども,ここは治らない。
 ヨメが「青春18きっぷ」を用意しておいてくれた。普通に切符を買った方がちょっと安いんだけれども,ありがたく使わせてもらうことにして,11時に上野に着いた。

● 昼食を入れておこうと思ってウロウロしてみたのだが,立喰い蕎麦スタンド以外の店には入れなくなっている自分を発見。もともと,知らない店にブラッと入っていくのはあまり得意な方ではなかったけれども,年とともにその傾向が増している。
 外食もほとんどヨメと行くようになっていて,しかもぼくは彼女のあとをついて行くというスタイルだから,自立度が落ちているのだと解釈している。ヨメへの依存度が高くなっているといっても同じことだ。
 結局,改札を出て,駅前の立喰い蕎麦スタンドでカレーとかけ蕎麦のセットを食べた。あぁぁ,ですね。

● 東京文化会館に入るのは初めて。栃木の総合文化センターや那須野が原ハーモニーホールも素晴らしいホールだと思うけど,東京文化会館はさすが老舗のドッシリ感があった。昔からステージの音や客席の拍手,ロビーのざわめきを吸い込んできたのだなぁと思わせる。殿堂といった趣がある。日本の音楽文化を担ってきたのだっていう。
 ぼくは地元沈潜を目指してきたけれども,こうして都会のホールの空気に触れてみると,時々は東京に出なきゃダメだよなぁとも思ってしまうねぇ。

● さて,「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏2011」。その名のとおり,ベートーヴェンの交響曲を1番から順に演奏していくもの。
 座席はC席(5千円)。ヤフーオークションで9千円で落とした。2万円のS席はまだ空席があったのに,お金を惜しんでそのようにしたわけだが・・・・・。
 これは失敗だったことにすぐに気がついた。指定された席は4階の左翼。ステージから遠すぎた。奏者の表情や細かい動きがわからないのだった。したがって,奏者が音を紡ぎだす様子が窺えない。目を閉じて音だけ聴いているのとあまり変わらない。かくもあるかと思ったので,オペラグラスを持ってくるつもりでいたのだが,見事に忘れてしまった。
 指揮者の小林研一郎さんの後ろ姿が,骸骨の操り人形のように見えた。糸で吊されていて,カクカクと動かされているといった印象になる。しかも,ステージのすべてが視界に入るわけでもない。左側の一部が切れてしまう。これはけっこうなストレスになる。

● ここは大枚をはたいてS席を取るべきだった。演奏する「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」は全日本選抜チーム,あるいはオールスターチームだ。国内で望みうる最高水準の演奏であるはずだ。
 であれば,S席で聴いてこそ。その方が格安感を味わえるはずだ。でなければ一番安いD席(2千円)でいい。中間のA,B,Cは選択肢に入れないことだ。

● 当日はすべてのチケットが完売になったらしく,当日券はなかった。しかし,S席にもけっこう空きがあった。チケットは買ったものの,都合が悪くて来られなかった人がこんなにいるのか,大晦日だものなぁ,にしてももったいないなぁ。2万円をパーにするんだからねぇ。
 が,時間の経過とともに,空席が減ってきた。5番,6番の演奏が始まる頃には空席はグッと少なくなっていた。マイナーな初期作品はパスして5番が始まる頃にやってくるのだろう。その辺の勝手がわかっているんだから,リピーターなんでしょうね。そうだとしてももったいないと思うけど。
 それでも最後まで空いたままの席もあった。あぁ,あそこに移りたい。ダメだけどね。

● 男女を問わず,ひとりで来ている人が多かった。ぼくの両隣もひとりで来ていた男性。さらにその隣も。若者も多かった。
 文字どおりの半日のコンサート,しかも大晦日に開催されるコンサートにわざわざ足を運ぶのは,究極のクラシックファンなのかもしれない。
 のだが。居眠りしているのもいるんですよ,けっこうね。これも空席と同じで,時間の経過とともに減ってきたけれどもね。

● プログラムは別売で2千円。迷った末に購入(迷うってのが情けない)。A4で75ページの堂々たるプログラム。
 この演奏会にはトヨタをはじめ12社がスポンサーになっている。それでも,これだけの演奏会をやるには資金不足なのだろう。チケットを値上げするのが本筋だと思うが,それをやって観客が減ってしまっては困る。主催者は色々と考えを巡らせているはずだ。プログラムも収益をあげる手段のひとつ。
 休憩時間にプロデューサーのひとりである三枝成彰さんのトークや奏者の苦労話なども披露された。これもプログラムの販促のためといっては嫌味が過ぎるだろうか。ぼくも半ばは寄付のつもりで購入した。

● とにかく,ベートーヴェンの交響曲を全曲演奏するのだから,演奏する側も途中で人の入替えがあるのだろうと思っていた。が,ないんですね。楽器にもよるが,ほとんどの奏者はずっと出ずっぱりで演奏する。とんでもないスタミナ。

● 演奏は素晴らしいに違いない。のだが,困ったことに,演奏が上書き保存されてしまうんですよ。2番を聴くと,それが1番の上に上書き保存される。1番は消去されてしまう。3番を聴くと2番が消去される。
 というわけで,最後に聴いた9番しか憶えていないことになる。ま,これは極端に言っているわけだけれども,9つ聴いて,9つの記憶が脳内に並列することはない。
 もちろん,だからダメというのではない。2番にしろ3番にしろ,それを聴いている時間は間違いなく至福を味わっているわけで。

● 再び次回はS席にしようと思った。これだけの演奏を聴きながら,心が飛んでいかないのだ。ずっと客席に張りついたままなのだ。ステージとの距離がありすぎるからだと思う。ステージの臨場感をたっぷり感じられる席がいいと何度も思った。

● 休憩時のトークについて上に書いたけれども,そこで誰かが言っていたこと。この長丁場を演奏できるのは,奏者もベートーヴェンから元気をもらっているからだ,と。なるほど。そういうことはあるに違いない。
 それと,ナマは静かな場面が印象に残るということ。これも言葉にされるとその通りと頷きたくなる。CDとナマの違いはまずはここにあるのだろう。CDで聴くと,静かなところ(たとえば6番の出だし)はたんに静かなだけだが,生演奏だとその静かさがくっきりとした味わいになる。

● すべての演奏が終わって上野駅に向かう途中で日付が変わった。静かなものでしたねぇ,新年を迎えたときの上野界隈。閑散としていた。歩いているのは東洋系の外人。寛永寺に初詣に向かう人の流れができているかと思いきや,そんな気配は微塵もなかった。上野公園にある清水観音堂もまた然り。

● 日が経つごとに,この「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」はほんとに凄かったなと思えてくる。今年の暮れもぜひ行きたい。何度も書いたが,今度は2万円を払ってS席で。
 大晦日の夜は教育テレビでN響の「第九」が放送される。その後はこの1年間の音楽界のニュースも。ベルリンフィルの定期演奏会を指揮した佐渡さんのインタビュー放送もあるようだった。
 正直言うと,わざわざ東京まで出かけるよりこのテレビ番組を見ている方が利口なのじゃないかとも思った。今のテレビは大画面だし。
 けれども,実際に行ってみれば,テレビなど吹っ飛ぶ。途方もないコンサートなのだった。

2011.12.23 古河フィルハーモニー管弦楽団第6回定期演奏会

小山市立文化センター大ホール

● 23日(金)は小山市立文化センターで古河フィルの定期演奏会(チケットは千円)。昨年の春から年に2回の定期演奏会を楽しみにしている。とても真面目な楽団という印象を持っている。指揮者の高山健児さん(読売交響楽団のコントラバス奏者)の性格が反映されているのだろうと思っている。

 3月の震災で多くの楽団がコンサートを中止にしたけれど,ここだけは4月に予定どおり開催した。的確な判断だったと思うし(無難に流れれば中止したところだろう),それがとてもありがたくもあった。わずかながら義捐金も出せたし。
 というわけで,ぼくとしては真岡市民交響楽団に次いでシンパシーを抱いているアマチュアオーケストラである。

● 曲目はベートーベンのヴァイオリン協奏曲ニ長調とベルリオーズの幻想交響曲。ソリスト(ヴァイオリン)は小森谷巧さん。読売交響楽団のコンサートマスターを務めている。指揮者の高山さんが引っぱってきたわけだろう。ちなみに,小森谷さん,古河市出身とのこと。

● このヴァイオリン協奏曲は11月の末に宇都宮シンフォニーオーケストラの演奏で聴いたばかりだけれども,玄人受けする曲なのかもしれない。つまり,ぼくにはいまいちピンと来ないのだね。
 幻想交響曲はCDで聴こうと試みたことはあるんだけれども,その都度,途中でやめてしまっていた。最後まで聴き通せたのは,CDも含めて今回が初めて。否応なしに聴くしかないというのも,ライブのいいところ。

● 曲の意図するところをパネルで表示するというサービスが付いた。うるさいようなありがたいような。教えてもらわないとわかりようがない場面転換が続くんだけれども,作曲家の意図とは無関係に,自分のイマジネーションで楽しみたいってのもあるだろう。作者に縛られたくないっていうね。
 でも,まぁ,ぼくのような初心者にはありがたい方が勝るだろうね。

2011.12.18 宇都宮大学管弦楽団第72回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

● 18日(日)は文化会館で宇大管弦楽団の定期演奏会。同じ日に栃響の「第九」が総合文化センターであったのだが,これは最初から宇大に行くことに決めていた。
 総合文化センターの「第九」と競合するわけだから,お客さんは少ないだろうなぁと思ったのだが,そうでもなかった。2階席は空きが目立ったが,1階席はちゃんと埋まっていた。
  でも,できれば1日前にして欲しかったなぁ。そうすれば両方聴けたのに(昨年はそうだった)。地方では1回の比重が大きいからね。

● 以前の宇大管弦楽団のサイトでは,百名超の部員を抱えている宇大最大のサークルだと自己紹介していた。現在は80人になっているらしい。今回の演奏ではOB・OGの賛助がけっこう多かった。

● 曲目は次の3曲。
  ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」 
  エルガー チェロ協奏曲 ホ短調 
  ドヴォルザーク 交響曲第5番 ヘ長調

● ソリスト(チェロ)は遠藤真理さん。指揮は曽我大介さん。
 昨年3月に文京シビックホールで,ユーゲント・フィルハーモニカーの演奏を聴いて巧いなぁと感じいったものだった。そのときの指揮者が曽我さんだったような気がする。
 気がしていたのだが,当日,実物を拝見したら,どうも見覚えがない。どうやらぼくの記憶違いらしい。こういうことはしばしば起きる。人の記憶なんてあてにならない。

● 満足できる演奏会だった。ドヴォルザークの5番はそんなに聴ける機会はない。
 次回は来年の七夕の日。シューマンの第1番をやるらしい。

2011.12.05 間奏22:支払った税金を回収する


● 「日経おとなのOFF」の今月号が「第九」を特集している。そこに佐渡裕さんのインタビュー記事がある。佐渡さんが,「第九」をCDで聴くのとライブに足を運ぶのとでは,ベルサイユ宮殿を写真で見るのと実際に宮殿の内部に入ってみるくらいの差があると語っている。
 ほんとにそうだよなぁと思う。もちろん「第九」に限った話ではない。

● ぼくも3年前からライブに行くようになった。そうなってみると,それまでは何をしていたのかと思えてくる。
 ベルリン・フィルだウィーン・フィルだと言わなければ,チケットはだいたい5千円以下ですむ。アマチュアオーケストラなら千円以下で聴けるコンサートも県内にたくさんある。
 ぜひ一度ライブを聴いてみてと言いたいんですねぇ。

● 演奏の途中で寝てしまったのなら,縁がなかったのだと思えばいい。別段恥ずかしいことではない。音楽を聴かなくても,あなたの人生はビクともしないと証明されただけなのだから。
 しかし,以前のぼくのように,CDを聴きかじっただけで音楽は自分には無縁なものと思っているとすれば,それはあまりにもったいない。一度だけライブに足を運んでみませんか,と言いたいなぁ。

● それで思うところがあったのなら,CDも聴くようにする。CDは図書館で借りればいい。パソコンさえあればCDの中身はいくらでも取りこめる。費用はかからない。
 あなたはしっかりと住民税を払っているのだから,地元の図書館を徹底的に利用して,払った税金を回収するべきだ。

● その費用ゼロで構築できる環境のなんと豊穣なことか。ただし,その豊穣さもライブに行くという前提があってのことだ。そして,その前提を敷くことにもさほどのお金は要しないのだ。
 お金をかけないでいかに人生を楽しむか,というゲームに参加してみませんか。

2011.12.03 第31回宇都宮第九合唱団演奏会

宇都宮市文化会館大ホール

● 月が変わって12月の3日(土)。宇都宮市文化会館で行われた「第九」の演奏会を聴いてきた。栃響ではない方の「第九」。管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団。指揮は飯森範親さん。声楽のソリストは,半田美和子(ソプラノ),井坂惠(メゾ・ソプラノ),鈴木准(テノール),山下浩司(バリトン)。

● チケットはS席が5,500円。2年前はチケットは発売日に完売。とても買えるどころではなかった。それもあって,この「第九」のチケットは手に入らないものと諦めていた。
 けれど,ヤフーオークションを眺めていたら,このチケットが売りに出されているのを発見。神さまが聴きに行けと言っているのだと思うことにして,入札した。5,000円(ほかに送料80円)で落札。わずかながら安い料金で聴くことができた。
 曲目は露払いがモーツァルトの交響曲第9番。モーツァルト,13歳のときの作品。そして「第九」。1時間半のコンサートだった。

● 栃響の「第九」は2回聴いているが,今回はプロのオーケストラ。その違いをぼくの耳が知覚できるかどうか。そこがわれながら不安だった。
 しかし,知覚できたのだった。最初からピンと緊張感が張りつめる。ステージの緊張感が客席を包みこむ。自分も砂のひと粒になって,その緊張感のうえに乗り,音の波間に漂う心地よさ。

● 客席はほぼ満席。ぼくの前後左右もひとつの空席もなかった。
 問題は,しかし,ある。小学校の運動会のノリで来ている人もいるのだ。客席での飲み食いは禁止だとアナウンスしている最中に,ペットボトルのお茶を回しあっているグループもいた。それと,小さな子ども連れ。
 ぼくが他人のマナーについて注文をつけられるほどにマナーを弁えている客でないことはわかっている。
 しかし,小さな子どもにとってここは快適な空間だとは思えない。小さいうちから本物の音楽に接するようにすれば,子どもになにがしかの良い効用があると考えるのは,たぶん浅知恵である。
 でも,まぁ,さほど邪魔にもならず,演奏開始後はステージに集中することができたんだけど。

● 飯森さんの指揮ぶりを見るのは,これが三度目。去年の東京交響楽団(8月:那須野が原ハーモニーホール)と山形交響楽団(10月:総合文化センター)以来。
 彼が上半身をはだけてフィジカルトレーニングをしている写真を見たことがある。指揮者にはそれも大切なことなのだろう。
 バイタリティーがある。そして,彼もまた人を呼べる指揮者のひとりなのだろうね。
 来年はまた西本智実さんが指揮をとるようだ。チケット入手は無理だろうな。

● このプログラム冊子で大晦日にベートーヴェンの交響曲を全曲演奏するコンサートがあることを知った。「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏2011」ってやつ。かなり有名な大晦日恒例のコンサートらしいから,知らなかったのはぼくくらいなものかもしれない。
 故岩城宏之氏が始めたもので,今年の指揮者は小林研一郎。管弦楽は「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。主催者のサイトには「日本を代表するオーケストラで活躍するコンサートマスターや首席奏者クラスによる特別編成です。コンサートマスターは篠崎史紀(NHK交響楽団第1コンサートマスター)が務めます」とある。 
 会場は東京文化会館で,S席(20,000円)とA席(15,000円)はまだチケット入手可能。中身からすると安いよなぁ。行きたいんだけど,ヨメの許可が出るかどうか。

2011年11月30日水曜日

2011.11.30 NHK公開録音「吹奏楽のひびき」


那須野が原ハーモニーホール大ホール

●  30日(水)には那須野が原ハーモニーホール(大ホールで)NHK公開録音「吹奏楽のひびき」というのが催された。去年は宇都宮市文化会館で同種の催しがあった。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏をタダで聴けるという美味しい思いをした。
 今回も無料なんだけれども,整理券を申し込んでおかないといけない。ところが,この催しがあることに気づいたのは,申込期限が過ぎたあとだった。

● しかし,その整理券がヤフーオークションに500円で出品されているのを発見。出品者は東京に住んでいる人。こうした無料の催事をチェックして整理券を取ったり,招待券をゲットして,ヤフオクに出すのを業としている人がいるんだね。ま,業としているわけではないか。
 ともあれ,その整理券を買って,那須野が原ハーモニーホールに行ってきた。

● 吹奏楽は東京佼成ウインドオーケストラ。指揮者は新田ユリさん。
 曲目はオリヴァドーティ「序曲バラの謝肉祭」,マーティン・エレビー「マルコム・アーノルド・ヴァリエーションズ」,北爪道夫「雲の変容」,ムソルグスキー「組曲 展覧会の絵」。
 「展覧会の絵」以外は聞いたこともない。「展覧会の絵」にしたって,管弦楽版(たいていはラヴェル編)とはだいぶ違う。吹奏楽と管弦楽は別物。管弦楽から弦を取り去ったものが吹奏楽というものではないですよね。

● 吹奏楽には独特の迫力がある。吹いてる方は相当きついだろうね。休む間がないもんね。ひょっとしてワンステージごとに何キロか痩せるのではあるまいか。血管が切れるんじゃないかと余計な心配もする。
 また,テンポが速く,音量も大きめな曲が多いせいか,ステージと客席の距離は,管弦楽よりずっと近いと感じられる。

● 会場はほぼ満席。タダってのが効いている。けれども,不遜な言い方をすれば,来てはいけない人まで来てしまうんだよなぁ。
 でも,ぼくもまた500円で整理券が手に入ったからこそ,来たわけでね。もし,5,000円の料金設定だったら,はたして来たかどうか。だから,ぼくもまた彼らの同類かもしれないんだけどね。

2011.11.26 グローリア アンサンブル&クワイアー第19回演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 26日(土)は総合文化センターでベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聴いた。「グローリア アンサンブル&クワイアー」なる団体が催行している。19回目の演奏会とあるから,毎年この時期にミサ曲や「レクイエム」などを演奏しているのだろうが,今まで気がつきませんでした。
 ともあれ,今回初めて出かけてみた。合唱付きの演奏会は「第九」を除けば初めて。チケットは2千円だった。

● 指揮は片岡真理さん。荘厳ミサ曲の前に,バッハの「前奏曲ロ短調(平均律クラヴィア曲集第1巻より)」とシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」が演奏されたんだけれど,こちらの指揮は粂川吉見さん。
 合唱のソリストは,小林晴美(ソプラノ),栗林朋子(アルト),小林彰英(テノール),押川浩士(バス)。いずれもプロの人たち。
 管弦楽は実質的には栃響選抜。

● 片岡さんは国立音大の声楽科の出身で,県内のいくつかの合唱団を指導している。「グローリア アンサンブル&クワイアー」も創設時から手塩にかけているらしい。
 そうした思い入れのゆえだと思うのだが,プログラムに載せている挨拶にこう書いている。
 「練習は困難を極め,このような心境にも至りました。“痛みを伴いながら,音符がはがされていく。その痛みが音楽を奏でるのだ”」「この曲を演奏することにより,確実に栃木県の音楽水準の高さを内外に示すことが出来ることを誇りに思い・・・・・・」
 団員代表の小田八千子さんが最後に謝辞を述べていて,これが落ち着いた日本語なので救われた感じがしたが。

● 「Members' words」と題してプログラムに団員の声を載せている。これがけっこう面白い。「ベトの超怪作。まさか文化の谷底,関東の極北で歌えるとは! 来年は救世主再来でしゅ」と書いている人がいた。
 指揮者が「栃木県の音楽水準の高さを内外に示すことが出来ることを誇りに思」っているというのに,団員が「文化の谷底」などと本当のことを書いていいのか。

● まぁね,はるかな昔から,「文化不毛の地」が栃木県の代名詞になっている。他県の人が栃木を指してそう言うのではなく,自分たちが自虐的に言い続けてきたんだと思うんだけどね。
 京都や金沢のような絢爛たる過去を持たないことに,劣等感を感じているのかもしれない。(文化的には)未開の地に住む民だ,と。
 空っ風に代表される栃木の風土や,栃木の言葉(オーッ,オメヨー,ソーダッペー。チガーノゲ?)が,文化なるものとはいかにも相性が悪いと思っているのかもね。
 さらには,他県の人に自信をもって提示できる郷土料理がないことも,ボディーブローのように効いているかなぁ。シモツカレじゃしょうがないもんな。関西や北陸,東北と比べて,栃木の食の水準が低かったことは紛れもない。内陸で海産物と無縁だったからね,食材で負けてたよなぁ。

 個人的には,過去や伝統や歴史なんてのはどうでもいいと思ってますけどね(そう思う以外に選択肢がないじゃないか)。
 はやい話が,現在に限定していえば,東京以外の地方すべてが「文化不毛の地」ではないか。文化生産?においても,東京一極集中はくっきりしてて(ただし,それを担っているのは地方から東京に出てきた人たち),それはメカニカルにそうならざるを得ないものでしょ。

● さて,コンサートの中身の話。きちんと練習しているのは見てとれた。ぼくなんぞはいくら練習してもこのレベルにはとてもなれないので,すごいものだなぁと思うしかない。これだけの大曲を素人が表現するわけだから,ひと通りさらうだけでも容易じゃないだろう。
 これだけの集団になれば,ばらつきは当然ある。ひょっとして団員が膨らみすぎているのかも。
 来年はヘンデルの「メサイア」をやるそうだ。

2011年10月31日月曜日

2011.10.31 間奏21:AKB48


● ここ数日,AKB48の「少女たちよ」を繰り返して聴いている。単純な人生応援歌。諦めるな,頑張って,っていう内容だ。なんだけど,少女のみならず,少女や少年のなれの果てに対しても,それなりの説得力がある。
 ヨメはAKB48の鼻にかけた声を嫌っているんだけど,ぼくは可愛いなぁと思って聴いてますなぁ。

● 考えてみれば,女性は一生のほとんどをオバサンとして生きなければならない。ああはなりたくないよねと若い同性から言われながら生きなきゃいけない。
 少女でいられるのはほんの束の間のことだ。ゆえに,少女とは儚い存在だ。AKB48の主要メンバーである大島優子にしても,とうの昔に少女は卒業している。
 次から次へと子どもは生まれてくるから,いつでも少女なるものは存在するので,その儚さをつい忘れがちになるけれども,女の一生はかくの如し。

● 女子高校生って,数年後にきれいになるために,汚いものを一生懸命に吐きだしている時期だと思っているんだけど,吐きだしている時期が華なのだってことなんだよねぇ。

2011.10.30 宇都宮シンフォニーオーケストラ ベートーヴェン・チクルス第2回

栃木県総合文化センター サブホール

● 29日はコンセール・マロニエのファイナルがあった。普段は聴けない曲を聴けたりするし,若者の演奏を聴けるし,コンクールならではの緊張感もあるしで,これは聴き得だと思っている。
 で,当然聴きに行くつもりでいたんだけれど,ヨメに先手を取られてしまった。ヨメの買い物につきあうことになって,言いだせず仕舞いで終わった。

● 言いだせなかったのは翌30日も宇都宮シンフォニーオーケストラのベートーヴェン・チクルスの2回目があったからで,2日連続でヨメのリクエストを袖にしたんでは,家のなかにぼくの居場所はなくなってしまう。男子は三界に家なしであって,幼少のみぎりは母にしたがい,大人になったら妻にしたがい,老いては子にしたがうのである。
 ともあれ,こちらは聴きに行かせてもらった。場所は総合文化センターのサブホール。チケットは千円。
 曲目は交響曲第2番とヴァイオリン協奏曲ニ長調。ヴァイオリン協奏曲のソリストは例によって,元コンミスの小泉百合香さん(ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉の団員)。

● このオーケストラは栃響や真岡市民交響楽団に比べるとイマイチ身近に感じられないんですよ。その理由はわからないんだけどね。
 でも,ライブで音楽を聴けることの幸せはやっぱり感じる。ヴァイオリンやフルートを操れる人って,そのレベルはいずれにしても,すごいなぁと思う。ましてベートーヴェンだ。圧倒的な勢いをもってこちらに迫ってくる。圧倒される快感。

● すっかりスモーカーに戻ってしまった。休憩時間は戸外の喫煙所で過ごしたんだけど,そこに指揮者の石川氏と団員2人(男と女)が煙草を吸いに来た。団員が煙草を吸ってはいけないという話は当然ないんだけど,できれば観客の目に触れないところで吸ってほしいなぁと思いましたね。
 といって,喫煙所はひとつしかないのだろうから,ま,仕方がないわけだけど。

2011.10.20 間奏20:スピード狂


● ひとつの楽曲について複数の指揮者,奏者のCDを聴き比べてみるという方向に行くつもりはない。そこまでマニアックにはなれそうもないし,たぶん,その違いを味わいわけるだけの鑑賞能力も自分にはないだろうと思っている。
 ただ,そうは言っても,気に入った曲については自然に複数のCDを聴くことになる。
 また気になる奏者もいて(かなりミーハーな気分からなんだけどね。ピアノだったら内田光子さんとか,ヴァイオリンの諏訪内晶子さんとか),そうした気になる奏者が現れた場合は,同じ楽曲が複数になってしまう。

● 最近,佐渡裕さんの著書を読んで,彼が指揮しているCDを集めてみたくなった。こうして同じ楽曲が複数になっていくんですねぇ。
 音楽ファンの誰もが通る道なんでしょうね。そうやってお気に入りの指揮者とお気に入りの奏者のコレクションが増えていく,と。
 昔はお金と相談しながらコツコツと溜めていったんだろうけど,今はCDをリッピングすることができるから,一気呵成に溜まってしまう。お金もかからない。その分,感激は薄くならざるを得ないわけだけどね。

● 作曲家の写真集を3冊読んだ(というか,見た)。うち2冊はカラヤンを写したもの。カメラマンは木之下晃。
 木之下さんの解説によれば,カラヤンは必ず発表前に自身の写真を検閲したそうだ。右側からの撮影しか許さなかった,とも。管理が徹底していた。
 ルックスをゆるがせにしなかったということですね。普段から身だしなみを重視していたはずだ。実際,カラヤン伝説のいくばくかは彼の端正なルックスによるものではあるまいか。

● カラヤンってヨーロッパに4つの邸宅を持っていた。いずれも豪邸。でもキンピカではない。成金趣味は彼には遠いものだった。家具も古いモノを使い続けていたようだ。彼の美意識のなせるところだけれども,美意識を物質化するのに必要な財力もあったわけだ。

● カラヤンは自家用ジェット機を自分で操縦するスピード狂でもあった。車も然りだっただろう。カルロス・クライバーもスピード狂だったらしい。指揮者ってスピードと相性がいいのだろうかねぇ。
 スピード狂で有名なのはマイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツだけれども,ぼくはスピード狂の人は生命力が旺盛なのだろうと思っている。もちろん,単なるバカも大勢いるんだろうけど,バカなりに生命力は人並み以上に持っているのだろう。

2011.10.08 ロシア国立サンクトペテルブルグ・アカデミー・バレエ「白鳥の湖」

栃木県総合文化センター メインホール

● 8日(土)は総合文化センターでロシア国立サンクトペテルブルグ・アカデミー・バレエによる「白鳥の湖」公演があって,生まれて初めてバレエというものを鑑賞してきました。
 午後5時から約3時間のステージ。これで5千円(S席)はお値打ちだ。ただし,音楽は録音。当然でしょうね。管弦楽まで引き連れてきては,総文センターがいくら助成費をだしたって,この料金にはならない。
 メインホールはほぼ満席。男がひとりで来ているのはぼくぐらいのものだろうと思っていたのだが,これだけ席が埋まると,大勢の中に紛れてまったく目立つことはないのがありがたかった。

● パンフレットは別売で5百円。観客の半分が購入したとして(ぼくも買ったけれども)約30万円の追加収入。ほかにバレエとは関係ない各種グッズも販売していた。ほとんどは興業主の収入になるんだろうけど,実際,なかなか厳しいのかもしれないよねぇ,興業として成り立たせていくのは。
 ロシアにいくつかあるバレエ団のどこかは毎年,来日公演を行っている。たぶん,日本はドル箱なんだと思う。ではあっても,内実はどんなものか。

● オペラもそうだけれども,あらすじは子供だましにもならない程度の単純なものだ。そのあらすじを踊りと音楽でなぞっていく。
 したがって,肝心なところは振付とダンサーの踊りの妙ってことになる。ダンサーの細かい動きや表情が注目されることになる。

● おそらく世界最高水準のひとつのバレエを観ることができたのだろう。白鳥役のダンサーたちがたしかに白鳥に見える瞬間があるのだ。
 主役のオデット姫を演じたダンサーは素晴らしかった。指先のさらにその先にまで神経が通っているような感じ。

● 足裏をつけての片足立ちからポワントに移るときに,ふくらはぎが細くなる。その細くなる様がとても美しいものだってことを知った。
 つまり,バレエってセクシーだよね。そこがバレエの核心なんでしょうね。
 オペラもそうなんだけど,バレエもまた芸術以前にエンタテインメントだったはずだ。あまり芸術として祭りあげてしまうのはどうなんだろうか。
 エンタテインメント性のない芸術なんてそもそもあり得ないと思うんだけどさ。

● 日本人も3人ほど特別出演した。彼女たちを見て感じたこと。手足の絶対的な長さが足りない。
 バレエ表現のうえではこれはかなり大きいんじゃないだろうか。両腕で白鳥の動きを表現するにも,腕の長さ,指の長さは大事な要件なのだろうからね。
 その表現技法に抜本的な工夫を施さない限り(そんな工夫があるとも思えないけど),手足の短い日本人には越えがたい壁が立ちはだかっている,という印象を受けちゃいましたね。

2011.10.02 マロニエ交響楽団創立記念演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 2日(日)にマロニエ交響楽団の創立記念演奏会に行ってきた。創立予告のチラシは前から配られていて,「マロニエ交響楽団は,2010年に栃木県宇都宮市で発足したアマチュアオーケストラです。貪欲に音楽を追求するメンバーが集まり,常設されたオーケストラに負けない質の高いアンサンブルを作るために結成されました。練習を通じて個々のさらなる技術向上をめざし,団員一丸となって盛り上げ,演奏者,観客ともに満足できる音楽をお届けすることをお約束します」とあったので,さてどんなものかと出かけていったのだけど。

● 曲目は,チャイコフスキーの荘厳序曲「1812年」とボロディンの交響曲第3番,そしてベートーヴェンの交響曲第5番と,盛りあがれる曲を持ってきた。創立記念だからね。
 指揮者は先の宇大管弦楽団の定期演奏会でも指揮をとった小森康弘さん。チケットは千円。

● 大雑把な言い方で申しわけないけれど,どれも良かった。特に「運命」の第2楽章は官能的ですらあった。ワーンと盛りあがるところを,まったく騒々しくなく,的確に演奏してくれる。
 大人の楽団という感じがした。確かな技術と真摯な姿勢が伝わってきた。しかも,若々しい。

● オーケストラのライブは演奏ぶりを目で見る楽しみもあると思うのだが,その目の楽しみも充分に満足させることができた。
 一生懸命に拍手を続けたし,アンケートにも絶賛の言葉を並べておきましたよ。

● 新しい楽団のデビューコンサートにどれほどのお客さんが来るものかと思っていたのだが,総合文化センターのメインホールの1階席はほぼ埋まっていた。ぼくは当日券で入場したんだけど,これだけの観客がいれば演奏する方も気合いが入るだろうと思う。

● メンバーには栃響の団員もいた。仕掛人の萱森康隆さんは宇大管弦楽団のOBで栃響の団員だそうだ。主に宇大の現役学生や卒業生に声をかけたらしい(下野新聞の記事による)。彼の思いはとりあえず実を結んだと言っていいのでしょうね。
 来年以降も年に1回の演奏会をやってくれるのであれば,ぼくにとっては非常なる楽しみがひとつ増えることになる。

● このマロニエ交響楽団のほかにも,来年は宇大管弦楽団OBのオケも結成されるようだ。ひとりでいくつものオケをかけ持ちすることになるんだろうね。
 個々の奏者はますます忙しくなるんだろうけど,ぼくとすれば聴きにいけるライブが増えることになるわけで,こういう動きは大歓迎だ。

2011年9月30日金曜日

2011.09.25 鹿沼フィルハーモニー管弦楽団第27回定期演奏会

鹿沼市民文化センター大ホール

● 25日は鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に行ってきた。鹿沼市民文化センター。
 今回はシベリウス。「フィンランディア」と「ヴァイオリン協奏曲」。ソリストは甲斐史子さん。最後はベートーヴェンの第3番。

● この楽団の力量は,アマオケの中でも突出しているというわけではないかもしれない。団員の定着率も決して高くはないようだ。
 けれども,2年前のドボ8もそうだったのだが,今回の「英雄」も,すでにライブで聴いているんだけど,こういう曲だったのかとあらためてわかった気がするんですよ。持って帰れるものが多いんですよねぇ。

2011.09.24 熱帯JAZZ楽団コンサート

高根沢町町民ホール

● 24日は高根沢町町民ホールでジャズのコンサートがあったので,聴きに行った。宝くじ文化講演なる冠が付いたもので,奏者は熱帯JAZZ楽団。チケットは2千円。
 ジャズといってもラテンジャズなんですね。ジャズにはまったく疎い。テネシーワルツだけがジャズではないのだった。ともかく,ジャズってどんなもので,会場の雰囲気はクラシック音楽のコンサートとどう違うのか,実地に確かめてみたかったわけです。

● 個々の奏者の力量は相当なもの。迫力があった。しかし。彼らが発する音をぼくの耳は拒否はしなかったけれども,気持ちはホールのシートに貼りついたままで,どこにも飛ばなかった。
 終盤に入ると,盛りあがった客の一部が立ちあがったり,ステージのそばに移動して,体を動かしたり手拍子を合わせたりする。ステージ側もそれを慫慂する。が,ぼくはダメ。引いてしまうんですね。オヤジなのかなぁ。

● 今回の一回の体験をもってジャズってこんなものと思ってはいけないんだろうけど,もう気がすみましたって感じもする。無理して乗っているふりをするのも疲れるしね。ぼくのような者が会場にいては,奏者にとっても迷惑だろうし。

2011.09.18 那須フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会

那須野が原ハーモニーホール大ホール

● 9月18日は那須野が原ハーモニーホール。このホールに行くのは4月以降は初めて。東日本大震災で被害を受けたからね。8月まで復旧工事をやっていたのではないかと思う。
 那須フィルハーモニー管弦楽団の特別演奏会があったので,聴きに行ったんですよ。3月13日に予定されていた定期演奏会を半年遅れで開催したわけです。

● この日は,宇都宮の総合文化センターで栃響の特別演奏会もあったんだけど,こちらに来ることに決めていた。理由は,指揮者が大井剛史さんであること。もうひとつは,この楽団のコンサートマスター(兼トレーナー)が執行恒宏さんであること。大井さんの指揮ぶりと執行さんの弾きぶりを直に見られるわけだからね。
 執行さんは途中で腰を浮かしたり,自在に弾いている。ヤンチャというか奔放というか。ヴァイオリンをこき使っているって感じ。しかし,そのスタイルに魂がこもっている。見ていてほれぼれする。

● 曲目は,ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」,ライネッケのフルート協奏曲,ドボルザークの8番。
 フルートのソリストは一昨年のコンセールマロニエ木管部門で優勝した濱崎麻里子さん。

● 当日券で入れたけど,大ホールがほぼ満席。団員の親や祖父母も多いのだろうが,地元では人気だぞ,那須フィル。

2011年8月31日水曜日

2011.08.13 第5回宇女高OGオーケストラ演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 8月13日は総合文化センターで宇女高OGオーケストラの演奏会があった。もともとは3月に予定されていた。震災でいったんは中止になったものの,復活してこの時期の開催にこぎつけたというわけだ。モーツァルトのクラリネット協奏曲が演奏されるというので,予めチケットを買っていた。

● 今年が5回目の演奏会になるのだが,開催は不定期らしい。全体練習もあまりできないというのを関係者のブログで読んだことがある。
 栃響のメンバーが何人か賛助に入っていた。男性奏者も3人。

● 曲目のひとつめは宇女高校歌。現役の合唱部の有志が参加。指揮は宇女高で教鞭をとったこともある荻野久一さん。
 次は,宇女高創立130周年記念賛歌「礎」ってやつ。平成17年が130周年だったらしい。指揮は沼尾守夫さん。

● ここからが本番で,まずはモーツァルトのクラリネット協奏曲。
 指揮者はもうひとり大井剛史さんも登場するはずで,ここから彼が指揮するのかと思ったのだが,そうではなかった。ここまで沼尾さんが指揮棒を取った。

● モーツァルトのクラリネット協奏曲の主役は管弦楽であって,クラリネットではない(と,ぼくは思っている)。
 とはいうものの。ソリストはOGの岡静代さん。OGの中から比較的巧い人を持ってきたんだろうと思っていたら,これがとんでもなかった。彼女はドイツ在住で,世界中を飛び回っているプロの演奏家。
 宇女高の誇りっていうのはたくさんあるに違いない。彼女の存在もまたそのひとつだろう。彼女が今の彼女になるにあたって,宇女高が果たした役割は限りなくゼロに近いだろうけどね。

● 岡さんのクラリネットはもう,ぼくがどうこういうレベルではない。アンコールでバッハのパルティータ第3番を演奏したんだけど,これは曲芸を見ているようだった。
 数分間,ずっと吹き続ける。息継ぎの間もない。鼻から吸うのと口から吐くのを同時にやる。循環呼吸というんだそうだ。アクロバティックな演奏だ。

● 7月に聞いたニューフィル千葉は素晴らしかったな,それと今回とを比べてはいけないよな,なんぞと思いながら演奏が始まるのを待った。
 けれど,そう思うことじたいが不遜だった。個々の演奏が作品なのだ。その作品を味わえばよいのでしたね。そのように思い直すことができたのは,岡さんの技量の然らしめるところ。
 今回はこちらの体調も万全で,ステージに集中することができたし,ちゃんと堪能することができた。

● メインはブラームスの交響曲第1番。これは大井さんが指揮。演奏の出来を決めるのはオーケストラの力量であって,指揮者なんて誰でも同じじゃないかと以前は思っていた。
 のだが。彼が指揮する宇女高OGオーケストラは先ほどまでのオケとは違っていた。
 また,指揮者の指揮ぶりもパフォーマンスのひとつであって,ステージをまとめるという役割のほかに,それ自身が重要な奏者なのだということがわかる。

● ブラームスの1番はすでに何度か聴いているが,今回の演奏も立派なもの。最初から最後までステージに集中できた。集中させるだけのレベルを保った演奏だった。
 チケットは千円。千円でこれだけの演奏を聴かせてもらえるとは,まずは文句のないところ。

● 大学オケのOB・OGによる演奏活動の例はいくつか知っているけれど,高校のそれは宇女高以外に知らない。吹奏楽ではなく管弦楽を擁している高校は,栃木県ではそんなに多くないしね。
 母数が少ない以上,OB・OGの活動も少なくて当然ではあるんだけど,宇女高は他校よりも求心力が強いのかもしれないねぇ。おそらく,彼女たちは充実した高校生活を送れた人たちなのだろうなぁ。

2011年7月31日日曜日

2011.07.18 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2011

大宮ソニックシティ 大ホール

● 18日は東京大学音楽学部管弦楽団のサマーコンサートの埼玉公演。会場は大宮のソニックシティ大ホール。

● 毎年,7~8月に全国5都市(今年は埼玉,東京,松本,神戸,高松)でコンサートを開催している学生オケは,たぶんここだけだ。この行事は東大オケの伝統らしいのだが,まずは東大の知名度があればこそ。全国のどこでもお客さんを集めることができるのは,東大ブランドなればこそだ。
 大学の知名度のみならず,オケの腕前もそれに相応しい。今回も若い彼らの演奏を聴きながら,こいつらの中には,東大に合格できる学力があったから東大に入ったけれども,そうでなければ音大に行っていたってやつがけっこういるんだろうなぁと思った。

● サマーコンサートの指揮者は三石精一さんに決まっているようだ。三石さんといえば,この世界の重鎮というか親分というか,草分け的存在といってよい人だろう。その人を終身正指揮者という肩書で囲っておけるのも東大オケならではだろう。
 三石さんも音大ではない一般大学の学生オケでここまでやれる東大オケに一目置いているというか,力になってやりたいという思いがあるのだろうと思う。

● ソニックシティに入るのは,今回が初めて。昨年はつくばのノバホールだったのだが,そのときは完売御礼の立て札が出ていたんだけど,さすがに今年は震災の影響なのか,2階席にはだいぶ空きがあった。
 会場を待って並んでいるお客さんたちに,東大生が氷を入れたビニール袋を配っていた。如才ないねぇ。ここまでやるかと思いましたよ。配る彼らは半袖だがワイシャツを着てネクタイをしている。
 彼らを見ていると,何をやっても生きていけるな,こいつら,と思ってしまう。頭が切れるうえに,サービス精神があって,どうすれば相手が喜ぶかを想像する力もある。そして,照れずにそれを実行できる。

● 曲目は,モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲,シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」,ブラームスの交響曲第3番。
 演奏は文句のつけようのない立派なものだったと思うが,2日連続の2日目で,こちらの聴く体勢に綻びがあったかもしれない。疲れていたとは思わないけれども,感度が低下していたようだ。

2011.07.17 ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉

芳賀町民会館

● 2日連続で演奏会に行ってきた。まず,17日(日)は芳賀町民会館ホール。ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉がやってきた。指揮者は同楽団の常任指揮者の大井剛史さん。芳賀町出身。
 ネットで彼のプロフィールを見ると,「17歳より指揮法を松尾葉子氏に師事」とある。17歳から指揮法の勉強をしてたってのは凄いねぇ。この年齢で自分の人生を決めていたってことだからねぇ。それだけで選ばれた人だって気がするねぇ。早熟も才能のうちか。

● ラフな恰好で出かけた(いつものことだけど)。こうまで暑いとね,洋服をちゃんと整えてシャナリシャナリってわけにもいきません。例によって,圧倒的にオバチャンが多いのだが,彼女たちのなかにはヨソユキの装いの人もいるけれども,数少ない男どもはぼくと似たり寄ったり。

● 田舎のホールでクラシック音楽の演奏会を開催することのリスクは,大衆演劇を見物するノリでやって来たであろう中高年男女が少なくないと思われることだ。演奏中に音を出してはいけないことを知らない人もいるのではないか。煎餅をぼりぼり囓りだしかねない人もいるのではないか。
 こうまで暑いと仕方がないことなのだが,扇子を使う人がいた(ぼくの隣のご婦人も)。これがけっこう耳障り。
 ということはあったのだが,客席に特段の問題はなかった。自ずとクラシック音楽の演奏会としての場ができるんですな。その場に包まれるようにして,誰もそれに相応しい観客になっていく。

● 問題は主催者側にもあった。プログラムを用意していなかったっていう。あろうことか,当日に受付でPR用のチラシを渡していた。
 開演15分前に,その大井さんがステージに出て,これから演奏する曲目の解説をした。これはあらかじめチラシにも載っていた予定の行動。プログラムがなかったことを知って慌ててリカバーしたっていうわけでもない。

● 曲目はまず,ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。あまりにも有名だし,誰でも一部は聴いているはずだが,きちんと全部聴いているひとは意外に少ない。さすがはプロの演奏で,グイグイ聴かせる。

 次はモーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調。この協奏曲を聴けるからこの演奏会に足を運んだといっても過言ではない。
 あきれるほどの透明感。曲のどの部分からでも伝わってくる気品(のようなもの)。そして,突き抜けた明るさ。聴くたびにため息がでる。人間がこういうものを作れるのかって。
 突き抜けた明るさってのは,どこかに諦めや悲しみを湛えている。明るさをどれほど煮つめたところで,明るさだけでは明るさを突き抜けることはできない。
 この曲はモーツァルトが亡くなる年に作曲したものだが,その時期,モーツァルトは自分の死期を悟っていたのかもしれないと考えてみる。自分の来し方に諦念を抱いていたに違いない。こんなものだったか,と。
 とすれば,モーツァルトの天才をもってしても,この曲は最晩年を待たなければ成立しなかったはずのもの。

● ソリストは栖関志帆さん。ニューフィル千葉の団員。コンクールの受賞歴も華々しい。ニューフィル千葉の若きエース?
 チラシに載ってる写真よりも実物が美人。こういう例に遭遇するのは初めてのこと。たぶん,これからもないだろう。

● この協奏曲はクラリネットがなくても破綻なく成立する。管弦楽だけの演奏でも味わいは損なわれない(ように思われる)。
 圧巻はやはり第1楽章の出だしの部分。管弦楽が奏でる旋律。渓谷を降ってくる清冽な水の流れのように,刻々と姿を変えていく管弦の音の集合。
 その出だしの部分でこの楽団にKOされた感じ。もちろん,すこぶる快適なKOだ。

● 実際に聴いてみて,こういう表現の仕方があるのかと気がつくのが素人の悲しさですね。
 CDでは限界があるんだなぁ。CDを聴きくらべても発見はない。あくまでぼくの場合だけどね。
 蓄音機でレコードを聴いただけで,小林秀雄は「モオツアルト」を書いた。聴く人が聴けば,CDのみでも相当な高みに登ることができるんだろうけどね。想像力のなさと耳の悪さを音響のせいにするなって言われるかもね。

● メインの3曲目はドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」。この曲もCDで何度も聴いている。車のカーナビのハードディスクにコピーして,通勤の車内で聴いているので。
 そうなったキッカケは2年前に宇大管弦楽団の定期演奏会でこの曲を聴いたからだ。その後,昨年5月にもN響の演奏で聴いているんだけど,今回の方がシャープな感じ。演奏している側のノリがいいっていうか。

● というわけで,とても満足できる演奏だった。ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉,凄いぞ。カーテンコールで大井さんが「いいオケでしょ」と客席に同意を求めていたが,御意と答えたくなったぞ。
 演奏終了後は指揮者と奏者が出口に立ってお客さんを見送るなど,ショーマンシップもなかなかなもの。コンミスが笑顔を振りまいていた。
 全席指定で2千円だったのだけど,これで2千円は破格の安さ。たとえこの倍を取ったところで,このホールの座席数では黒字になるはずもない。
 プログラムをウッカリするなどのポカはあったものの,主催者の芳賀町がそれなりに助成しているに違いない。ありがたかったぞ,芳賀町。

2011.07.02 宇都宮大学管弦楽団第71回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

●  7月2日は宇都宮市文化会館で宇大管弦楽団の定期演奏会があった。夕方6時から。
 曲目はメインがムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」。ほかに,バラキレフ「3つのロシアの主題による序曲」とビゼー「アルルの女 第1組曲」から抜粋でいくつかを演奏した。
 指揮者は小森康弘さん。宇大管弦楽団のOB。宇大教育学部音楽科から芸大,芸大院と進んだ人。

● バラキレフの「3つのロシアの主題による序曲」なんてかなりマイナーで,こういう機会でもないと一生聴くことなく終わったろう。
 3曲とも打楽器が活躍する。今回の選曲は打楽器パートの主張が通ったのかななどと邪推している。

● 演奏はね,立派なものでしたよ。あらためて音楽を聴いていこうと思わせてもらえる。
 縁の下で運営を支える学生たちもよくやっている。文句をつけている老人がいたりもするが,文句をつけてる側が勝手なだけ。

● 次回は12月18日の予定。栃響の第九とたぶん時間帯も重なってしまいそうだ。ぼくは第九を捨てて宇大の演奏会に行くと思う。

2011年6月30日木曜日

2011.06.12 栃木県交響楽団第91回定期演奏会

宇都宮市文化会館大ホール

● 6月12日は,6月唯一のコンサートに出かけた。栃響の定期演奏会。ベートーヴェンの第7番だったので楽しみにしていた。
 会場は宇都宮市文化会館。曲目はストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版),シベリウス「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」,ベートーヴェン「交響曲第7番 イ長調」。指揮は三原明人,ヴァイオリンは木野雅之さん。

● 木野さんはでっぷりと太った漫画っぽい体型の人だが,ぼくのような素人にもレベルの高さは伝わってくる。圧巻。
 しかし,最初の2曲は居眠りをしながら聴いてしまった。こういうことが今までになかったとは言わないけれども,ここまで眠かったのは初めてのこと。もちろん演奏のせいではなくて,こちらの体調管理が悪いからだ。極端な寝不足ということはないはずなのだが,何時に寝て何時に起きるかっていうところが週末から乱れていたので。
 演奏者には失礼千万なことだし,ぼく自身にとってももったいないことだ。

● 休憩後のベト7は普通に聴くことができた。ライブでベト7を聴くのはこれが5回目になるが,栃響がやるとこうなるのか。
 この曲のサビは第3楽章。楽器全体でバーッと盛りあげたところにラッパが合いの手を入れるところ。
 初めて聴いたCDはカルロス・クライバー指揮のバイエルン国立管弦楽団の演奏だった(ぼくの中ではそれがモノサシになってしまっている)。その後,ほかのCDやライブを聴いているわけだけど,その合いの手の入れ方が奏者によってだいぶ違っている。栃響では鋭く斬りこむような感じで演奏していた。

● それにしても。ベト7は盛りあがる。キーになる楽器はフルートとパーカッションだと思うのだが,パーカッションが出ずっぱりで休む間がない。始めから終わりまで,ずっと打楽器が参加している。テンションの高い状態が続く。太鼓叩きが汗だくになっていた。演奏する方も大変だろうが,聴いている側も疲れる。しかし,心地よい疲れだ。

● この曲を聴ける人生と聴けない人生のなんと大きな違いのあることか。ぼく一個でいえば,吉行淳之介の作品を読めたこと,モーツァルトやベートーヴェンやメンデルスゾーンを聴けること。これがあるのとないのとでは,人生の色合いが違うはずだ。

● 作品そのものが存在することはもちろん,それがCDになっていて,簡単に聴くことができる。今だとネットでもいくらでも聴ける。そういうものを支えるインフラができあがっていればこそだ。そういう時代に生きていればこそ。こういうのを幸運というのだろう。

2011年5月31日火曜日

2011.05.29 宇都宮シンフォニーオーケストラ第10回定期演奏会

宇都宮市文化会館大ホール

● 5月29日(日)は宇都宮シンフォニーオーケストラの定期演奏会を聴きに,文化会館に行ってきた。
 被災地への募金を募っていたので,わずかばかりだけれども募金をしてきた。週8千円のこづかいからなので,ほんとにわずかだったんだけどね。

● 今回の曲目はグリーグの「ピアノ協奏曲 イ短調」とサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調」「交響曲第3番 ハ短調 オルガン付き」の3曲。

● まず,グリーグの「ピアノ協奏曲 イ短調」。この曲をライブで聴くのは二度目。昨年12月に宇大管弦楽団の演奏で聴いているのだが,今回の方が印象に残った。っていうか,前に聴いたのはほとんど忘れてしまっているわけだけどね。
 すぐさま引きこまれた。これだけでチケット(千円)の元は取れた気がした。ピアノは鈴木奈津子さん。

● 休憩後,サン・サーンスの2曲。「ロンド・カプリチオーソ」のヴァイオリンは小泉百合香さん。もともとはこのオケのコンサートミストレスを務めていた人で,今はニューフィル千葉に移っている。3曲目の「交響曲第3番」ではコンミスを務めて,故郷に錦を飾った感じ。何はともあれ,慶賀の至りといえる。
 地方のアマオケでもこのレベルの人がいるってのが,すごいと言えばすごい。
 オルガンは石下有美さん。宇短大の音楽科を出て,地元で活動しているらしい。もちろん電子オルガンだったけれども,こちらも楽しめました。

● このオケはベートーヴェンチクルスと銘打った演奏会も開催していて,昨年は芳賀町民ホールで交響曲の1番と3番を演奏した。今年も10月に2番とヴァイオリン協奏曲を演奏するようだ。もちろん,行くつもりだけどね。

2011.05.08 宇都宮ジュニアオーケストラ15周年記念演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

● 8日は宇都宮市文化会館で宇都宮ジュニアオーケストラの15周年記念演奏会があった。曲目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲,バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」,チャイコフスキーの「交響曲第5番」。
 ヴァイオリンのソリストは松本花菜さんと渡邊弘子さん。

● プログラムによれば,小学生から20代の青年までで構成されているとのことだが,今回のステージに小学生はいなかったようだ。中高生がメインで,あとはOB・OGと栃響メンバーが賛助出演。
 演奏はしっかりしたもので,充分に鑑賞に耐えた。ちなみに入場料は無料なのだが,有料にしてもいいのではと思った。
 1階席は7割,2階席は3割程度の入りだった。

● 毎年,定期演奏会を開催しているようだ。迂闊にもぼくはそのことを知らないでいた。そもそも宇都宮ジュニアオーケストラという存在そのものを知らなかった。が,その分,今後の楽しみが増えた。

2011.05.01 くろいそオペラをつくる会第10回記念公演 喜歌劇「メリー・ウィドウ」

栃木県総合文化センター メインホール

● 5月1日。この日,総合文化センターで「くろいそオペラをつくる会」による喜歌劇「メリー・ウィドウ」の公演があった。3月13日公演予定だったのが,この日に延びたものだ。
 総監督は荻野久一氏。高校で音楽の教鞭を執っていた先生。指揮は奥さんの荻野治子さん。
 お客さんはかなり入っていて,メインホールがほぼ満席になった。途中で帰ってしまう人もけっこういたけどね。

● そもそもオペラってのを観るのはこれが初めてだから,ぼくに評価する力はない。その前提での感想。
 第一に日本語をオペラに乗せるのはそもそも無理なんじゃないかってこと。オペラの節回しというか発声法と日本語は馴染まないように思えた。つまり,何を言っているのかわからないのだ。日本語が日本語に聞こえない。はやりイタリア語とかドイツ語でやってもらって,日本語は字幕で伝えるというのがいいようだ(ただ,これはドイツ語なんかでも同じだそうですね。日本語だけの問題ではないようです)。

● 「くろいそオペラをつくる会」は「殺生石物語」とか「巻き狩り」とか,地元の風物を題材にしてオペラに仕立ててきた。そうであれば言語も日本語でしっくりくるのかもしれないけれど,「メリー・ウィドウ」に日本語は無理という印象だ。
 もっとも,そんなことは百も承知であえて日本語でやっているのだろうけどね。

● 舞台の設えはチャチなのは致し方がない。アマチュアが自分たちで経済的な負担を引き受けてやっているのだ。だからこそ2千円という安い料金で観覧できるわけだ。

● 観客を笑わせる台詞を安易に取りこみすぎているという印象を持った。ぼくを含めて,客席はオペラに慣れていない人たちが多いのは間違いない(と思う)。客席もまた素人の集団だ。それゆえ,飽きさせない工夫をしたってことなんだろうと理解はできる。
 ひょっとしたら,本場のオペラも同じようなやり方を採り入れているのかもしれない。オペラは重厚な芸術ではなく,エンタテインメントとして楽しめるものでなければならないものだろう。観客に対して敷居を低くする努力は,そもそもオペラに内在されているものなのかもしれない。
 しかし,だ。あまり多くの際物的要素を入れてしまうと,逆にオペラから離れていく人が出るのではないかと思う。

●  バックの管弦楽は「くろいそオペラをつくる会管弦楽団」が務めたが,奏者のほとんどは栃響のメンバーのようだった。
 ちなみに,7月には「椿姫」の公演があるのだが,オケピットに入るのは栃響だ。年2回の定期演奏会のほかに,9月の特別演奏会,12月の第九,そして「椿姫」とこなすのだから,栃響は相当に生産性の高いアマオケってことになりますねぇ。よくここまでできるものだと思う(→後刻,「椿姫」は地震のため公演中止が決定していることを知った)。

2011年4月30日土曜日

2011.04.17 古河フィルハーモニー管弦楽団 東北地方太平洋沖地震チャリティー演奏会

小山市立文化センター大ホール

● 4月17日,久しぶりのコンサートを聴くことができた。古河フィルハーモニー管弦楽団。会場は小山市民文化センター。今回は定期演奏会の看板を降ろして,災害チャリティーコンサートと銘打っての開催となった。最初に鎮魂歌を演奏し,黙祷をしてから,本番の演奏会に入った。曲目のメインはブルックナーの交響曲第7番。

● 昨年の春から3回連続でこの楽団の演奏会を聴きに行っている。ともかくブルックナーを形にしてくるのだから,力量のあるアマチュア楽団なのだと思う。
 生のオーケストラを聴くのは2月6日の栃響以来。CDは毎日聴いているけど,やっぱりライブは体に食いこんでくる度合いが違う。ブルックナーを聴くのは初めてだったけど,初めてなりに堪能できた。

● 宮城や岩手で被災した人たちは音楽どころではないだろう。わが家も被害を受け,屋根の修理で3百万円,すべて直すとどれほどかかるのか。けれでも,そんなのはモノの数にも入らない。あれだけ多くの人が亡くなったのに自分が生きていていいのかと,多くの人が思ったに違いない。

● 楽団としても催行していいものかどうか悩んだとプログラムに告白していた。こういう状況だから自粛したくなるだろうし,それが世の指弾を浴びないですむ無難な選択に映ったに違いない。よく催行に踏み切ってくれたというのが,ぼくの率直な気持ち。

● 入場料は無料にするかわりに,募金を募ってその全額を寄付するということだった。ぼくも大海の一滴にもならないだろうけれど,募金してきた。ほんとにね,貧者の一灯といいますけど,ぼくが出した額は一灯にも届いていなかったかも。
 ソフトバンクの孫社長は100億円を寄付したし,SMAPのメンバーも5人で4億円を寄付している。そういうのに比べると,っていうか,比べることじたいがおかしいわけだけど。

2011年3月31日木曜日

2011.03.31 間奏19:東日本大震災


● 東日本大震災。とんでもない大災害だったことに地震の直後は気づかなかった。日にちが経つにつれて災害の全容が明らかになって,迂闊なぼくもやっと事の重大さに思い至った。
 弟が仙台にいる。泉区のマンションに住んでいるのだけれど,たいした被害はなかったと数日後に実家に連絡があった。被害の大きさはわが家より少なくてすんだらしい。

● ぼくの生活も震災後は大きく変化した。まず,休日がなくなった。さして重大な用務を果たしたわけでは全然ないんだけれど,職場に泊まり込むという経験を初めて味わうことができた。
 年度末で通常業務も立てこんだ。昨年とは様変わりだ。連日,残業を続けた。朝4時に起きて6時から職場で仕事にかかる。こういう早朝出勤も初めての経験だった。でもさほど苦にはならなかったですね。まぁ,年度末を何とか乗り切れた。

● わが家の被災もそれなりのものだったが,ぼくが不在を続けたので,ヨメが奮闘してくれた。散乱した瓦だけは指定された捨て場に二人で運ぶことができた。乗用車なので10往復くらいした。
 屋根の修理は3百万円ほどかかりそうだ。4社から見積もりを取った。こういうことは,この時点で専業主婦だったヨメがやってくれた。もちろんのこと,地震保険などには入っていない。しかし,家はそのまま住める状態で残り,思いでの品(ほとんどがパソコンに入っているが)も残り,家族全員が無事だったのだから,ツイていたのだと思う。
 家族を亡くしたのに被災後の処理に追われている人たちが大勢いるんだから。

● コンサートの中止も拡大してますね。3月4月の催行は中止せざるを得ないとしても,5月予定のコンサートもいくつか中止が決まっている。まずは,5月14日に予定されていた真岡市民交響楽団の定期演奏会。ホームの真岡市民会館が被災を受け,今のところ復旧のめどが立っていないためだ。団員たちが一番ガッカリしているだろうけど,ぼくも残念。
 21日開催予定だった自治医大管弦楽団の演奏会も中止。こちらは会場が栃木市なので,会場が被災したとは思えない。別の理由によるのだろう。

● それ以前に,この間,こちらの生活が普段とは別のものになった。コンサートなんてたとえ開催されていも行くことはかなわなかった。多くの人がそうだろう。
 こういうとき,いつものルーティンを継続できる人が強い人だと思うんだけど,ぼくは強い人たり得なかった。

2011.03.15 間奏18:東日本大震災


● とんでもない事態が発生しましたね。どうでしたか,被害は。
 地震のあとはすぐにケータイが使えなくなって,家にも連絡がつかなかったのだが,メールは大丈夫で,とりあえず家族の無事は確認できた。しかし,弟が仙台にいるのだが,こちらは確認できていない。14日現在で電話もケータイも(仙台には)つながらない。

● わが家も大きな被害を受けた。帰宅したらムスコが出てきて,靴のままあがれという。ガラスの破片が散らばっていて危険だから,と。瓦がだいぶ落ちていたのはわかったのだが,あとは電気も来ていないので確認しようもなかった。
 ムスコがいつになく饒舌で,いかに揺れたか,いかにこの家が地震に弱いかと力説した。おまえはそういうけれども,この家を建てたのはオレだぞ,そこまでいうかと,ムスコには言わなかったけれども,思ったくらい。

● 翌朝,ザッと見たところ,2階のタンスが倒れていたのと,1階の食器棚が中身共々壊滅状態。壁にヒビが入った箇所があり,壁の一部が落ちたところもある。ピアノが数十センチ動いていた。棚やカウンターに載っていたものはすべて落下しており,ガラス製品は欠片の集合体になった。
 せめてもの救いは水槽で魚を買うのをやめていたことだとヨメに話したら,じつは水入りの水槽がムスコの部屋にあったらしい。もちろん,壊滅した。

● 屋根の瓦は四方に散乱。逃げるのがもう少し遅れたら,瓦が自分の頭に落ちてきたかもしれないとヨメがいう。たしかに,危険だ。瓦屋根を修復するか,いっそスレート葺きにしてしまうか。
 天井が落ちるなんてのはなかったが,壁の2箇所に大きな亀裂が入った。細かいのを入れればもっと多いかもしれない。

● ぼくの書斎は一面に本が散乱。机のうえにあったスキャナやカラーボックスに入っていた外付けのハードディスクやソフトのCDなどがその中に埋もれていた。書庫の方は見る気にもならなかった。

● 電気と上水道がストップしており,ガス(プロパンだが)も使えない状態。風呂のボイラーもやられた。灯油タンクの脚が折れて,蓋がはずれて中の灯油が流れだしてしまったらしい。電話もつながらない。ケータイも依然としてつながらない状態(13日にはすべて復旧した)。

● わが家には塀がないのだが,大谷石のブロック塀の多くは崩壊していた。が,これも崩壊しないのもあって,職人の仕事がしっかりしていたんでしょうね。こういうことがあると,職人の仕事ぶりがハッキリする。次はあそこには頼まないっていうことになるんだろうなぁ。

● しかし,直すべきものは直さなければならない。地震保険なんて入っていなかったので,全額自費になる。予想外の出費だけれども,宮城や岩手の被害に比べれば,この程度ですんで良かったと思うしかない。命があっただけで感謝に値する,と。
 今回の地震で得た教訓のひとつは,要らざるモノは持たないに限るってこと。食器にしても本にしても各種の電気製品にしても,要らざるモノを持っていると,瓦礫が増えることになる。場合によっては,そうしたモノが危険を作る。

● そんな状態なのだが,ぼくは(ぼくに限らず,大人は誰でもそうだが)仕事には出なければならない。ヨメも事情をわかっているので,文句は言わない。
 信号も動いていないので,12日は自転車で出勤。

● 宇都宮とか壬生に住んでる同僚の話では,物的被害はほとんどなかったらしい。コップがひとつ割れた程度という。少し離れているとだいぶ違うのだね。

● 13日以降,福島原発で次々に起こる事故が大きく報道されていた。南三陸町の行方不明者1万人のニュースも。
 職場でもわが家でも電気と水道は復旧したが,日が経つほどに被害の甚大さが明らかになってくる。甚大という言葉では足りない。

● 14日の朝日新聞の一面に載った写真には胸を突かれた。「大津波で壊滅的な打撃を受けた宮城県名取市閖上地区で,道路に座り込んで涙を流す女性」の写真だ。茶髪の女性が長靴を脱いで道路に座りこみ,両手で太ももを抱え,ひとり泣いている。一瞬のうちに家族も失い,何もかも失って,なす術もなく,童女のように泣いている。後ろには文字どおりの瓦礫の山が。喪失感。茫然自失。世界に自分ひとりしかいない不安と恐怖。
 「恒成利幸撮影」とあるが,よくこんな写真を撮れたものだ。この光景を見つけて構図を決めたとき,恒成利幸氏はしめたと思ったに違いない。後世に残る1枚だと思う。
 この写真を素晴らしいと思う自分の中の酷薄さ。

● ここまでの惨事を見てしまうと,人生なんてうたかたの夢,生きてる間はせめて面白おかしく生きなきゃ損っていうふうに,ペシミスティックかつ刹那的な思いに染まりたくなる。
 でも,それはたぶん間違いなのだろう。新聞記事には津波の被災地で「でもみんなで元気になるためにも,下を向いていられない」と語る68歳の男性が登場する。この男性には「みんな」がいるのだ。こういう認識に至れる彼の脳の素晴らしさ。ぼくらが見習うべきは,こちらの方であることは間違いない。

● 12日(土)は宇都宮市文化会館で「青少年の自立を支える会コンサート」が,13日には総合文化センターでくろいそオペラを作る会の「メリー・ウィドウ」が,20日には教育会館で宇女高OGオーケストラの定期演奏会が行われる予定だったが,すべて中止か延期になった。
 「青少年の自立を支える会コンサート」では昨年も聴いた島田絵里さんのフルートをもう一度聴きたかった。宇女高OGオーケストラではモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴けるはずだった。
 しかし,そうしたことは本当に小さな些事に過ぎない。東北の被災地の人たちを思えば,そんなことを言ってる場合か,と。
 しかし,こういう些細なことが生きる支えになってくれるのでもある。

2011.03.05 ナターシャ・グジー コンサート


さくら市喜連川公民館

● 5日(土)は午後2時からさくら市の喜連川公民館で,「ナターシャ・グジー コンサート」というのがあった。
 喜連川は中学生のときから馴染みがある街だ。子供が小さい時分はお丸山公園に何度も連れて行った。今でも市営温泉を利用させてもらっている。
 足利氏ゆかりの城下町で,城下町を偲ばせる遺稿がけっこう残されている。落ち着いたいい街だと思っている。街として地に足がついている。
 が,それだけでは人は住めなくなっているわけでねぇ。昔は誰もが喜連川の中だけで完結する生活をしていた。その頃に戻りたくたくても,もう戻れない。人は都会が好きだ。オーストラリアのように土地なんかいくらでもあるところでも,人々は都市を造って住んでいる。寄り集まって,人口圧を高めて。都市に住むことが人にとっては自然なのだと思うほかはない。
 人ごとではない。ぼくも同じだ。都会の刺激をまったく浴びることなく老後をやり過ごせるとは思っていない。

● 「ナターシャ・グジー コンサート」だけれども,ナターシャ・グジーとはウクライナ出身の女性シンガー。亡くなった本田美奈子のような位置にいるのかも。本田美奈子より広い音域を持っていて(とはいえ,本田美奈子はCDでしか聴いたことがないわけだが),特に高音はここまで高い音を出せるのかと驚いた。
 バンドゥーラという楽器を携えて伴奏に使う。ウクライナの民族楽器だそうだ。弦楽器なのだが,音はチェンバロに非常に近い。張られている弦の数は63本。抱えられるピアノといったところか。

● チェルノブイリの原発事故を体験している。彼女が言うには,事故は夜中にあった。当局からは何も知らされなかった。翌朝は誰もが普通に生活したらしい。子供たちは学校へ行き,大人たちは働きに出た。話があったのはその翌日。たいした事故ではないけれども,念のために,3日間だけ避難してくれ,3日で戻るから荷物は持たないで避難してくれ,と。しかし,3日経っても,半年経っても,20年経っても戻れる日は来なかった。

● 当時,彼女は6歳。20歳のときに来日し,以後,日本に住んで11年になる。だから日本語も達者で,日本の歌も歌った。さだまさしの「秋桜」と「防人の歌」も歌ってみせた。さだまさしが好きなんでしょうね。彼特有の言葉廻しもしっかり理解しているようだ。
 もちろん,ハットするほどの美人だが,ウクライナ女もロシアと同じで,若いときはほっそりとして抜けるように色が白くて,動かなければそのまま彫像になりそうな美人であっても,年を取るとドラム缶のように太る,のかなぁ。

● お客さんの平均年齢はだいぶ高い。間違いなくぼくの年齢を超えている。多いのはやっぱりおばちゃん。会場も田舎の公民館のホール。昔の温泉旅館の大広間を思わせる。ホールの佇まいと観客がピッタリ合っている感じがしました。

● しかし,聴きに行ってよかった。アンコール(アメイジング・グレイスだった)も含めて75分間のコンサート,きっちり楽しませてもらえた。先月の大蔵流狂言もそうだったけれど,今回の「ナターシャ・グジー コンサート」も無料催行とは,さくら市はなかなか太っ腹だ。

2011年2月28日月曜日

2011.02.27 花王ファミリーコンサートin栃木

益子町民会館

● 益子町民会館で「花王ファミリーコンサートin栃木」というのがあった。クラリネットの赤坂達三さんとピアノの三舩優子さんのデュオで,クラシックやら映画音楽やらジャズを演奏する。
 こういう田舎のコンサートっていうのは,コンサート慣れしていない人が多い。その分,とりすましたところがないというか,批評家然とした人が少ない。初老の夫婦や50過ぎのおばさんたちのグループが,初めて遠足に出かける子供のような,素朴なワクワクドキドキを現している。

● 最初に花王の取締役執行役員の挨拶があった。ことしで5回目になるらしい。計画から準備,運営まで花王の社員が行っているんだそうだ。チケットは千円なんだけど,そのチケット収入の全額を益子町と市貝町(花王栃木工場の所在地です)の文化教育事業に寄付するというから,運営費はすべて花王が負担しているわけだ。

● 出演者の赤坂さんと三舩さんは,けっこう前からコンビを組んで演奏活動をやっているらしい。冒頭にひとつだけ文句をいうとすれば,チラシやプログラムに載っている写真がだいぶ昔のものだったこと。たいていそうなんだけどね。
 三舩さんなんか,写真ではほっそりしたイメージの美女なんだけど,まぁ,実物も美人でありました(中学生か高校生の娘がいるらしい)。

● 演奏の合間に彼らのトークがあって,これがけっこう楽しめた。トークに関しては素人だから,流れるようなってわけにはいかないんだけど,たとえば,三舩さんが赤坂さんのクラリネットを「遠くから聞こえてくるようなあるいは遠くに消えていくような」と評するのを聞くと,この表現を知っただけでも来た甲斐があったと思った。

● 赤坂さんはパリに長く住んでいた。三舩さんは小さい頃はアメリカにいた帰国子女で,留学先もアメリカだった。
 三舩さんの解説によれば,クラリネットはフランス生まれの楽器。普通はオーケストラのパートのひとつとして聴くくらいなのだけれども,フランスではわりとソロ演奏が成立しているらしい。知識がひとつ増えた。
 ガーシュウィンがユダヤ系ロシア人であることも知った。彼の「ラプソディ・イン・ブルー」がジャズの影響を受けていることはぼくにもわかるのだが,作曲したガーシュウィンはとりあえずアフリカとは縁もゆかりもない人だったんですな。

● 会場はほぼ満席状態。左右の端の方は空席があったが,ギッシリ埋まった。
 ぼくの右隣には小学生の男の子を連れた母親が座ったのだが,その男の子がイヤイヤ連れてこられたことを態度に出してくれた。演奏中に居眠りのポーズを入れたり,母親に文句を言ったり。隣でこれをやられるとけっこう堪えるのだった。これがひとつだけ残念だったことだ。

2011.02.12 モーツァルト合奏団第12回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール大ホール

●  12日は久しぶりに那須野が原ハーモニーホールに行ってきた。立春を過ぎてちょっと寒さが緩んだかと思ったら,9日は雪が積もった。11日から再び降りだした雪がこの日も続いていた。
 西那須野駅からホールまでは,雪の中を30分ほど歩いた。ほかに歩いている人はいませんでした。

● この日何があったのかといえば,モーツァルト合奏団の定期演奏会ですね。ホームページの紹介によれば「那須町・那須塩原市・大田原市など,県北地域で演奏活動している弦楽合奏団」で,ぼくも名前だけは知っていたのだが,聴きに行くのは今回が初めてだ。
 情報がなかったんですね。ホームページを見れば日時や曲目は載っている。が,入場は無料だけど整理券が必要となっていて,その整理券の入手方法がわからなかった。

● 今回はたまたま宇都宮の総合文化センターでこの演奏会のチラシを見つけた。なんとこのチラシがそのまま整理券になるのだった。しかも,このチラシは会場入口にも置いてあると書いてあった。
 だったら,整理券が必要だなんて言わないで欲しいぞ(すでに改善されているが)。

● 曲目は次の5つ。
 A.コレルリ 合奏協奏曲 ヘ長調 作品6-6
 W.A.モーツァルト アダージョとフーガ ハ短調 K.546
 G.F.ヘンデル 合奏協奏曲 イ長調 作品6-11
 C.ニールセン 小組曲 イ短調 Op.1
 M.P.ムソルグスキー 「展覧会の絵」より抜粋(弦楽合奏による)
 ヘンデルまで演奏したあとに休憩。計1時間半のコンサート。

● オーケストラで交響曲を聴くのもいいけれど,弦だけのこぢんまりとしたアンサンブルも悪くない。
 惜しかったのは大ホールを使っていたこと。奏者の数からしても客席の入り具合からしても,小ホールの方がいいんだけどね。
 那須野が原ハーモニーホールの小ホールは,今のところ,ぼくが最も気に入っているホールで,できればここでやって欲しかった。いっそうの味わいが出たんじゃないかと思う。

● 那須で活動している楽団だから,ローカル色も濃くて,団員のほとんどが地元在住者だと思ってしまいがちなのだが,これもホームページによれば,県外者の方が多いらしい。
 茨城県からの参加者が数人いるというのだが,久慈川沿線の人たちなのかなぁ。週1の練習日には車で来るんだろうなぁ。
 ぼくは車の長距離運転を億劫に感じてしまう方なので,そこまでして音楽をやりたい人には尊敬の念をまず持ちますね。そういう人の演奏を聴けるのは幸せだと思う。

● この合奏団の指導者は芸大研究員でヴィオラ奏者の中川さん。演奏にも参加している。ステージ上でも垢抜けているからすぐにわかる。
 にしても。自分たちで会費を分担して,彼女に指導に来てもらう。そうして練習した成果を無料で披露する。そのうえ,チラシ配りなど集客活動もやっている。
 そうまでするだけの達成感が演奏会にはあるのだろうが,彼ら彼女らのそうした負担があって,ぼく(ら)は安逸に演奏を楽しむことができるわけだ。

● しかし,彼らは途方もなく贅沢な生き方をしているとも思う。やりたいこと,好きなことに思いっきり時間とお金をかけて,溜めたものをステージで発散する。
 高級ホテルに泊まったり大きな旅行に出かけたりといった,レジャーにお金と時間を費やすよりは,ずっと高級で難易度の高い生き方のような気がする。ゆえに,誰もができるわけじゃないはずだ。

2011.02.06 栃木県交響楽団第90回定期演奏会

宇都宮市文化会館大ホール

● 栃響の第90回定期演奏会。設立40周年でもあるらしく,プログラムには何人かが手記(思い出話)を寄せていた。開演までに時間があったので(例によって,余裕を見過ぎたため)ホールの席で読んでみた。
 指揮者の荻町さんが指揮者の苦労を書いている。しみじみと納得できた。彼は県立高校の音楽教師でもあるのだが,自宅のCD棚がお店か図書館のようになってきたとも書いている。激しく勉強もしているのだろう。
 栃響発足時のエピソードなどもいくつか紹介されていて,それぞれ興味深い。発足当時のメンバーが何人かまだ現役でいるようだ。

● 指揮者は井崎正浩さん。何度も栃響を指揮している人で,団員も馴染んでいるようだ。曲目は,次の3曲。
 スメタナ 高い城(ビシェフラド)「わが祖国」より 
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 
 バルトーク オーケストラのための協奏曲 

● ソリスト(ヴァイオリン)は奥村愛さん。美形の奏者。実力が同じならば,美形にしくはない。彼女のヴァイオリンが聴けるからという理由でこの演奏会に来ている人もいるかもしれない。しかも,チャイコフスキーだ。「のだめ」で何度も登場している曲だし,そうでなくても広く膾炙している曲だろう。それを奥村さんの演奏で聴けるとあれば,1,200円は安い,と。
 ぼくもまた名花を充分に愛でることができて満足した。言うも愚かながら,奥村さん,実力もすごい。第1楽章が終わった時点でブラボーの声が飛んだ。もちろん拍手も。でも,協奏曲はバックの管弦楽で決まるのかもしれませんね。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は特にそうなんじゃないか。

● 40周年記念の演奏会であることは客席もわかっていて,一緒に盛りあげようという機運があったのだろうか,相当に盛りあがった演奏会になった。アンコールも2曲。満足して帰途につくことができた。
 ぼくにとっていいライブというのは,他のお客さんの存在が消えることだ。ステージを見ているのは自分ひとりだと感じる時間がある。自分ひとりがステージに対している。今回もそう感じる数分間があった。もっとも,そのためには座席を選ぶことが必要なんですけどね。ぼくが座ったのは2階の右翼席の前から数列目の一番中央よりの席。

2011.02.05 狂言(大蔵流山本会)公演


さくら市氏家公民館

● 狂言の公演に行ってきた。さくら市の事業で無料。氏家のスーパーにチラシが貼ってあって,それでぼくは知ったんだけど,どんなものなのか一度見てみようと思った。
 大蔵流狂言山本会の公演。公民館のホールがだいぶ埋まっていた。けっこうな人気のようだ。もちろん,オバチャマ・オバアチャマが多いのだが,タダだから来たってだけでもないようだ。ぼくが思っている以上に,能や狂言を鑑賞することを楽しみにしている人が多いのかもしれない。

● 演しものは「二人袴」と「蟹山伏」。まったく予備知識なしに見たのだが,素直に面白かったですよ。何度も笑わせてもらった。声の出し方や所作はきっちり鍛えられていることは素人目にもわかった。
 これだけのものをタダで見せてもらえるとはありがたい。そのうえでちょっと不満だったのは,プログラムの類が一切何も用意されていなかったこと。演しものの解説と演者のプロフィールを載せた簡単なリーフレットは作ってもよかったのではないか。

● 終演後に山本会の総帥,山本東次郎が狂言について解説した。狂言というものがよくわかったような気がした。もちろん,錯覚に違いないのだが,演者しか語り得ぬこともあるに違いない。

2011年1月31日月曜日

2011.01.16 日本の新春&ウィーンのニューイヤー


 栃木県立図書館ホール

● 16日も自転車で宇都宮に行った。午前中はけっこう気温があがって小気味いいほど雪が溶けていった。わが相棒(自転車)のそこここにこびりついた雪は氷になっていたが,これもきれいに消滅した。
 が,日のあたらないところはそういうわけにいかない。しばらくは自転車は左の原則にしたがって,宇都宮に向かって左側(東側)を走ったのだが,けっこう雪が残っているところがあって,とても走りずらかった。西側はすっかり溶けていたけど。

● この日,何のために宇都宮に行ったのかといえば,県立図書館のクラシック・ライヴ・コンサートを聴くため。
 この日は「日本の新春&ウィーンのニューイヤー」と題して,フルーティストの高橋詩織さんが全部で11曲の演奏を披露してくれた。高橋さんは陽西中→宇女高→国立音大→コンセルヴァトリウム・ウィーン音楽大学院と進んだ。フルートとの出会いは陽西中の吹奏楽部だったそうなのだけど,宇女高では音楽から離れていたそうだ。今も宇都宮に住んでいる。
 物おじしないお喋りで客席を沸かせていたが,その路線で行くなら,もっと喋りを勉強しないといけないね。といって,彼女は芸人ではないからなぁ。

● ぼくにとっての収穫は,彼女が武満徹の「VOICE」を演奏してくれたこと。彼女も紹介していたけれども,現代クラシック音楽っていうのはこういう方向に行っているのかと,その一片をかいま見ることができた。
 音楽に限らず,現代芸術というのは,こちらの理解を超えるものがある。マルセル・デュシャンの「泉」とかね。普通の男子用小便器を逆に置いて,これが芸術ですっていう。 美術評論家があれこれとご託を並べているのを読んだことがあるのだが(この便器でなければならず,しかもこの位置でなければならず,そういう意味で必然性が云々というやつだったかなぁ),何だかついて行けない感じだけが残ってるんだよなぁ。
 あるいは,ジョン・ケージの「4分33秒」なんかもね。ちゃんと楽譜があるんだそうだね,第1楽章=休み,第2楽章=休み,第3楽章=休み,っていう。
 人間の脳は,そうしたものにも何らかの意味を見いだそうとしてしまう働きがあるのだと推測するしかない。仮に意味があるとしても,状況依存性が高すぎて,作品として独立したものとは認めがたいような気がする。

● 「VOICE」はもちろんそういうものとは一線を画している。しかし,ある状況でしか成立しないような。ま,うまく言えないんだけど。うまく言えないということは,つまり,わかっちゃいないってことなんだろうけど。
 ちなみに,彼女はマスター論文で武満徹を取りあげたそうだ。武満は何冊も本を書いているので,論文にしやすいのだ,と。当然,ドイツ語で書いたんだろうねぇ,たいしたもんだねぇ。

● 無料のコンサートでここまで楽しませてもらえるんだからねぇ,ありがたいですよ。なお,ピアノ伴奏は井沢久美子さん。高橋さんの話をしじゅうニコニコしながら聞いていた。

● 今年も順調にライブ鑑賞のスタートを切ることができた。ひとつひとつのコンサートに丁寧に付き合っていきたい。寝ちゃうなんてとんでもないこと。体調を整えた状態でコンサート会場に出かけ,演奏に身を任せてみよう。演奏が連れていってくれるところに連れていかれることにしよう。

2011.01.15 東京大学音楽部管弦楽団第96回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● さて,次は川崎に出なければならない。西に向かって南武線を使うことも頭をかすめたのだが,ちょっと遠回りになるようだ。素直に新宿まで戻ることにした。

● 川崎。通過することは何度もあるんだけれども,下車することはまずない街のひとつ。この街に降り立つのは30年ぶりだ。今回も演奏会の会場が川崎だったから来たわけで,そうでもなければまずもって訪れる理由がない。横浜にはしばしば行くんだけど。
 川崎というと,京浜工業地帯の中核都市と小中学校で習っていて,そのイメージが強すぎる。公害を連想させる地名でもある。現在の川崎は商業都市に変貌しているんだと思うけど。

● ミューザ川崎シンフォニーホールにも初めて足を踏み入れる。いや立派なホールだ。正面にパイプオルガンが設置されているのは当然として,すり鉢型で,大きさのわりに座席数を抑えている感じ。高級感あふれる仕様。
 東大音楽部管弦楽団って,前回は東京芸術劇場で今回はミューザ川崎。会場に相応しい力量と集客力を持っていることをぼくは認めるので,おまえら生意気だぞなんてケチをつけるつもりはさらさらないけどね。

● 指揮者は客演の高関健氏。日本を代表する指揮者のひとりといっていいだろう。現在は札幌交響楽団の正指揮者で芸大で教鞭も取っているそうだ。

● 曲目はショスタコーヴィチの交響曲第9番とマーラーの交響曲第1番。第2楽章から,クラリネット,フルート,ファゴットと管の独奏がとっかえひっかえ続くのだが,素人目にもこれに耐えるのはけっこうな技量がいると思う。その技量を持っているのだ。この学生たちは。

● マーラーをライブで聴くのは初めて。これがあったから,わざわざ川崎まで行く気になったのだと言ってもいいくらいだ。大編隊を組まなくてはマーラーにならない。その大編隊が息をピタッと合わせないといけない。
 ちゃんと形にして客席にどうだと投げてくるんですね,この学生たちは。
 参りました。わざわざ川崎まで来た甲斐があったと正直思う。今年も県外限定などやめて,時々は東京に来ることにしようかと思ってしまった。

● チケットはS席が2,000円,A席が1,500円。500円の違いしかないのであれば,S席の一択となる。
 ぼくの席は前から7列目。これほどステージの近くに座ったことはない。奏者の息づかいまで聞こえてきそうだ。ライブ感が強くなる。

● ところで,ここまで来る途中,『茂木健一郎の脳力のヒミツ』(中経出版)をいう本を読んでいたのだが,その中に,「脳科学の観点から言うと,いちばんいい成績や突出している成果が,その人の本当の実力なのです」という文章があった。
 主要5教科ともまんべんなく80点取る人よりも,数学は95点でほかは20点という人の方が,実力は上ってこと。
 ぼくでいうと,高校は315人中307番の成績で卒業しているとしても,世界史だけはできた。好きだったしね。2年生のときクラスで一番だった。推測すれば,学年でもたぶん一番だったろう。さらに想像を逞しくすれば,世界史だけで勝負させてくれるのならば東大くらいは合格できたかも。
 当時,社会科は地理,世界史,倫理社会,日本史,政治経済の5科目があった。ぼくができたのは世界史だけだ。あとの4つはダメだった。まして,社会科以外の英語や物理やその他諸々の科目はまるでできなかった。数学にいたっては0点以外は取った記憶がない。
 でも,ぼくは実力トップで高校を卒業したのだ。この考え方だと,トップで卒業した人が何人もいることになるが,それはそれでいいのだ。
 そして,ずっと東大生に対しては劣等感を抱いてきたんだけど,また,自分の学歴は二流(あるいは三流)であって,地頭もたいしたことない,佃煮のひとかけらにすぎないと思ってきたんだけど,そんなに卑下することもなかったのだ。
 と思えてきた。っていうか,思ってしまうのが吉。そのうえで,この演奏会の客席に座り,ステージ上で演奏している東大生を眺めると,どういう変化があるか。 ・・・・・・別に何の変化もないのでした。

● 通路をはさんでぼくの隣にいたオッサン。演奏が始まっても本を読んでいた。何だこいつ。そのうち本を閉じて目をつむった。目を閉じて音に集中しようとしているふうではない。寝ているのだ。ぼくも人のことをあれこれ言える筋合いはないんだけど,この珍獣の様子が気になって,演奏に集中できなくなってしまった。
 集中を妨げる想念は自分の中からも湧いてくる。オレはこれから普通列車で宇都宮に戻り,そこからは自転車を1時間ほど漕いで家に辿りつくんだそ,お前らのなかにそんなヤツはいないだろう,お前らの中で今現在一番お金を持っていないのはオレだぞ,と客席を見回して思ったりするわけです。

● どうしてそんなことを思ったのかというと,自分でもよくわからないんだけれど,おそらく客席の行儀の良さが一因かと思う。
 何となくセレブっぽいんですね。とり澄ました感じといいますか。演じてもいるんだろうけど,こぎれいなオバサマ方(ぼくよりは若い)が挨拶を交わし合ったりとかしているわけですよ。彼女たちへの反発があったかもしれない。幼いなぁ,オレ。

● 帰りにちょっと異変が。宇都宮に着いたら外が白い。まさかの雪だった。しかもけっこう積もっているではないか。
 ぼくの自転車も雪に覆われていた。が,迷う余地はない。普通に乗りだした。転けないように,地面に対して直角状態を維持する。車体を曲げてはいけない。そろそろと走った。慎重に慎重に。
 深夜の0時20分頃,無事にわが家に着いた。

● ちょっと酒を呑んで,風呂に入って,就寝。ライブを堪能したほかに,雪道を自転車で走ることもできた。充実した一日になった。

2011.01.15 JR東日本交響楽団第19回定期演奏会


杉並公会堂大ホール

● 15日,今年初めてのコンサートに行ってきた。JR東日本交響楽団の定期演奏会。開演は14時

● オーケストラの演奏会を聴きに県外まで出るのは,今年はこれが最初で最後の予定。昨年は,東大や芸大の学園祭も含めて,けっこう東京に出かけていたんだけど,今年は基本的に県内限定で行く。

● 理由はいくつかあって,まず,ヨメがあまりいい顔をしないことね。ダメだとは言わないけれども,遊べる人はいいわねぇと皮肉を投げてくることがあるんですな。少ないこづかいをヤリクリして行くわけだから,皮肉を言われる筋合いはないと思うんだけども,ヨメとすれば,休日は家族で過ごすものと固く思っているのだろう。

● 第二は,ぼくのケチな貧乏性。チケットよりもはるかに高い電車賃をかけたんじゃもったいないっていう気持ちが出てきたんですな。そういうことじゃないと思うんだけどねぇ,われながら。

● 第三は,栃響,真岡市民交響楽団,那須フィルハーモニー管弦楽団など,地元の楽団で充分じゃないかと思えてきたこと。宇大管弦楽団もあるし。
 たしかに,アマオケであっても,東大フォイヤーベルク管弦楽団やユーゲント・フィルハーモニカーなど,巧いなぁと思わされた楽団があった。しかし,その演奏会から得られるものの大小は技術の巧拙とは必ずしも比例しないわけで。

● 第四は,大学祭では自分が招かれざる客であることを痛感したこと。行ってはいけないってことはないにしても,わざわざ居心地の悪いところへ行かなくてもいいやね。若者の聖域にしておいてあげた方がいい。また,学園祭での演奏は,力の入り方が定期演奏会とは違うわけで,居心地の悪さを補ってあまりあるほどのものではない。

● 東京に出るときは駅前の金券屋で切符(回数券のバラ売り)を買うんだけど(駅の券売機で買うより120円安い),今回は宇都宮駅で「都区内・りんかいフリーきっぷ」(3,790円)を買った。荻窪と川崎が目的地になるんだけど,この切符のフリー区間,西は蒲田まであるんですね。京浜東北線で蒲田の次が川崎。そのひと駅分の切符を買えばいいのだ。金券屋で山手線内までの切符を買うより安くなるはず。しかも,乗り降り自由だ。
 去年までは,この時期は「青春18きっぷ」が使えた。今年は使用期間が短くなって,10日までしか使えない。

● ぼく自身がここまで来るのにJRに連れてきてもらっている。JRに休みはない。ステージで演奏している人たちの中に青森車掌区や大宮機関区の現場社員がいるとは考えにくい。大方は本社内勤の社員たちだろう。
 客席はほぼ満席状態。9割以上の座席が埋まっていたと思う。昨年は空いていたんだけどね。

● 曲目はコープランド「エル・サロン・メヒコ」,ガーシュイン「ピアノ協奏曲 ヘ調」,ベートーベン「交響曲第3番 英雄」。
 ソリスト(ピアノ)は中野孝紀氏。芸大院からベルリン国立芸術大学に留学。現在は東京学芸大学の准教授も務める。
 指揮者はこの楽団の常任指揮者になっている小泉智彦氏。

2011.01.01 間奏17:ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート

● 今年の音楽体験は元日のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートから始まった。NHK教育テレビが放送したやつ。
 これが世界のウィーン・フィルなのかと思って眺めてました。こたつで寝ころんで,肘枕をつきながら。ハイビジョンにしておいて良かったと思いましたね。
 彼らの身振りや仕草,進行の仕方を,他のオーケストラが(日本のアマチュアオーケストラも)真似するんだろうなぁ。

● ウィーン・フィルって女性奏者が少ないんですね。ヴァイオリンに3人とハープ,併せて4人しかいない。
 これって,レベルが高くなると女性が少なくなるなんてことではなくて,彼の地では音楽が男の文化として根づいているってことなんでしょうね。
 日本だと,ややもすると,歌舞音曲は女のものっていう,一格下に見る気風がまだ残っていたりするんだけど。
 もちろん,それだけじゃなくて,女性に門戸を閉ざしていたって歴史がウィーン・フィルにはあるんだけどさ。

● コンマスの隣の女性ヴァイオリン奏者が才媛的美貌の持ち主で,見惚れてしまいました。
 あと,ピッコロを吹いているデブの大男。大男とピッコロの取り合わせが面白いのか,彼は何度もアップで映っていた。
 客席も行儀良くしてましたね。皆さん,着飾って。テレビに映るのは折りこみ済みよって感じね。