2009年12月31日木曜日

2009.12.31 間奏10:音楽に嫌われないように

● 中学と大学で横笛を吹いていたS君によると,大学の部活では,10分間の演奏のために何ヶ月も練習を重ねるし,それが許されるのだが,大人の楽団では短時日で合わせることができる力が求められるんだそうだ。それこそ初見で合わせていける力。基礎トレーニングがしっかりできてなくちゃいけない。
 自分にはそこまでの力はないので,大人の楽団には入らないでいるのだと彼は言っていた。なるほどと思って聞いた。

● 熱に浮かされたようなライブ元年だった。来年はどうなるか。音楽にもライブにも飽きる気配は今はない。基本的に今年と同じことを繰り返すだろう。
 が,だんだん耳が贅沢になるのかもしれない。凡百の演奏では満足できないようになるのかもしれない。それは大いなる進歩なのだと思うが,ぼくがそこに行くのはまだまだ先になるだろう。
 ぼくの前に拡がっている音楽の沃野は,汲めども尽きぬ深い泉のようなものだ。浅くかつ狭い交際しかできないだろうが,音楽に嫌われないように付き合っていきたい。

2009.12.23 第27回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館大ホール

● 23日の天皇誕生日には,宇高・宇女高合同演奏会の「第九」を聴きに行った。高校生の演奏は8月の鹿沼高校管弦楽団に次いで二度目。13時半から宇都宮市文化会館大ホール。
 主催は学校ではなくて,両校音楽部のOB会・OG会。

● 両校とも栃木県を代表する名門。どんな演奏を見せてくれるんだろうか。
 加えて,第九である。第九じたいが持つ力は20日に味わった。同じ力に再び包まれる快感を想像して出かけた。唯一の不安は第4楽章しか演奏しないわけじゃあるまいなってこと。

● ところが,結果においてその不安が的中した(→今思えばそれが当然。なぜ第九をそっくり演奏するものと思いこんでしまったのか)。
 3部構成になっていて,第1部は両校合唱部の演奏。どちらも途中から部活動を引退している3年生と卒業生が加わった。宇女高が先。乙女たちの聖なる調べということなのだが,合唱部の部員が数名しかいないのは以外だった。最後に校歌まで歌ってくれた。
 宇高の合唱部は数が揃っていた。こちらは「箱根八里」や「斎太郎節」(宮城県の民謡ですね。マツッシマァアノォってやつ)などを歌った。
 第2部は両校の管弦楽の合同演奏。ビゼーのカルメン組曲から,アラゴネイズなど3つ。
 そして第3部が合唱+管弦楽。が,いきなり第九ではなくて,まずヘンデル「メサイア」からハレルヤを。次がやっと第九になる。ただし,第4楽章のみ。

● ぼくも高校生のとき,ハレルヤにかり出されたことがあった。某高校と合同で合唱した。ぼくは積極的な理由があって音楽を選択したわけではない。美術にはまったく自信がなかったし,書道も何だかなぁというわけで音楽を選んだデモシカ音楽選択生に過ぎなかった。それゆえ,義務感だけでやっていたので,今ではほとんど記憶から脱落している。そのあやふやな記憶を辿って書くのだけれども,音楽の時間以外に練習をやったという記憶はない。お相手との合同練習も1回だけだったような気がする。
 というようなことを思いだしながら,両校のハレルヤを聴いていたのだが,聴いている分にはすぐに終わってしまうねぇ。
 ぼくらは,当時,これだけしかやらなかったわけだが,主催者としてはもっとやらせたかったろうねぇ。こちら側の負担を慮ってくれて,最小限の要求にしてくれてたんだなぁと,今にしてわかる。

● さて,おめあての第九。ソリストは,先生つながりで選んでいる。テノールは菊川祐一さん。宇都宮北高校の先生。バリトンは氏家中の校長さん。合唱団は両校の合唱部と音楽選択の2年生。指揮は宇高の音楽担当教諭の藍原先生(国立音大の出身らしい)。
 男声が幼い。致し方のないことだ。まだ骨格も完全にはできあがっていない男子高校生が歌っているのだから。その点,女声に幼さはない。発育の男女差がクッキリと現れる。
 オーケストラは宇女高の方が駒が多い。両校のオーケストラをガッチャンコしてパート別に配列するわけだから,自分の隣にいるのが女の子だったりするわけだ。嬉しいだろうねぇ,宇高生諸君。

● 特徴的だったのは,相当にゆっくりした演奏だったこと。なぜなのか理由がわからない。何らかの教育的配慮だろうか(テンポを落とした方が,音を合わせやすいから?)
 もっとも,その昔は今よりずっとゆっくりした演奏だったと聞いた記憶もあるんだけど。カラヤンが速くしてしまった,みたいな。
 両校のオーケストラは相当な実力を秘めているのに,その実力を引きだせていないように思えた。じれったさのようなものを感じましたね。
 このオーケストラで第九の全体を聴きたいとの思いも残った。

● しかし。藍原先生の説明によると,新型インフルエンザのために,例年のような練習ができなかったそうだ。例年だと,合唱団とオーケストラの合同練習を5~6回はするのだけれども,今年は一緒に演奏するのは,この本番が初めてなのだという。
 生徒の集中力に脱帽するとおっしゃっていたが,まことに高校生畏るべし。オーケストラの実力を引きだせていないと感じたのも,練習時間がなかったせいか。
 今回の演奏会であらためてわかったことがある。結局のところ,自分は管弦楽を聴きたいのだなってこと。合唱ではなく管弦楽を聴きたいんだ。

● 開場前に長い列ができていた(それでも当日券があったけれど)。大ホールがほぼ埋まった。客席の多くは生徒の父兄なんでしょうね。演奏中にデジカメやケータイカメラで撮影してたり,終演近くなると,壁際に立って写真を撮る人まで出る始末。
 演奏会の性格からして,そういうものじゃないかと言われれば,それまでのことではあるけれど。

2009.12.20 第2回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 20日は午後2時から総文センターメインホールで,ぼくとしては初めての第九。メインホールが満席になった。第九の力,恐るべし。左袖の勾配のある席に座った。早めに着いたので,いい席をゲットできた。

● ソプラノ・菊川敦子,アルト・瀧浩子,テノール・矢古宇好道,バリトン・石野健二。管弦楽は栃響。声楽は県オペラ協会と楽友協会合唱団。

● メインホールが力で満たされた感じ。まずは,楽曲じたいが持つ力ですね。つまりは,作曲家であるベートーヴェンの力。
 次にライブの力。何度かCDで聴いているけれど,これほどの力に包まれることはない。第一次の音源が目の前にあるってこと。目の前のステージで次々に音が生みだされている。さらにそれを生みだしている人たちの,生みだしてる様を目のあたりにできる。これがライブの力なのでしょうね。

● 第4楽章の迫力は圧倒的。ソリストたちも健闘していたのだが,合唱の音量も充分。楽器としての人体の凄さってやつですか。
 これだけの演奏を1,500円で聴けるとは。

● コンサートにはいつだってひとりで出かけている。誰かと一緒だったことはない。かつ,こういうものはひとりに限ると思っている。知っている人が隣にいたら,ステージに集中するのを妨げられそうだ。
 終演後は,そそくさと帰途についている。が,このときだけは誰かと終わったばかりの演奏について語りあいたくなることがある。しかし,と思い直す。嗜好が自分と合わない人だったりしたら,かえって余韻を損ねてしまうかもしれないな,と。
 せめてそそくさと帰るのをやめて,会場の近くの喫茶店(今はカフェというのか)でしばらく余韻に浸る時間を持った方がいいんだろうな。

● このチケット,じつは2枚買ってしまっていた。栃響にネットで購入を申しこんでいたんだけれども,ずっと反応がなかったので,後日,某プレイガイドで現物を買った。ところが,だいぶ後になってから栃響からチケットが送られてきたんだねぇ。相手が栃響じゃ喧嘩するわけにもいかないと思って(これから長いつきあいになるだろうし),代金を払いこんだ。わずか1,500円だし。
 ヨメとふたりで行ければいいのだが,念のために訊ねたところ,自分は行かないという。
 このままでは1枚が無駄になってしまう。ので,職場の同僚に若い順から,要るならやるぞと声をかけてみた。2番目に若いのが行きたぁいというので,彼女に進呈した。無駄にならなくてよかった。

2009.12.12 真岡市民交響楽団第42回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 12日(土)は大恩ある(と,勝手に思っている)真岡市民交響楽団の第42回定期演奏会。午後6時から真岡市民会館。5百円の当日券を買って入場。市民会館大ホールは7割の入り。
 右袖の席に座った。客席も見られるのがミソ。もちろんステージも見やすい。けっこう穴場の席かと思う。
 ぼくの近くに小さい子ども2人(うちひとりは0歳児)を連れた夫婦が座った。困ったなぁと思ったが,子どもたちはおとなしくしてて,鑑賞の妨げにはほとんどならなかった。

● 演しものは,ブラームスの「悲劇的序曲」,ドヴォルザークの「チェコ組曲」,ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。
 「悲劇的序曲」も夏にライブで聴いている。「田園」はCDでは何度も聴いているけれども,生演奏は初めて。素人ながらにこの曲の難易度は高いと思うんだけど,ちゃんと音楽に仕立てている。
 それゆえ,ぼくとしては技術的な部分でケチをつける気持ちはない。っていうか,ぼくの耳だとケチをつけるところも見つからないわけで。

● 残念だったのは,「田園」の3楽章から4楽章に移るときに,客席からケータイの受信音が響いちゃったこと。気を取り直して指揮者が腕を上げ始めたその瞬間,再び響いちゃった。
 ケータイは切る。こんな簡単なことができないやつも数のうちにはいるんですな。開演前にアナウンスもされるのにねぇ。

2009.12.09 宇都宮大学管弦楽団第68回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 12月になった。今月はかねて楽しみにしていた演奏会がたくさんある。まずは宇大管弦楽団の第68回定期演奏会。6日の午後2時から。場所は宇都宮市文化会館の大ホール。
 前回,アンケートに回答したものだから,楽団から招待状が届いた。この招待状で5名様までと書いてあるが,ぼくに一緒に行ってくれる相手はいない。

● 演しものはベルリオーズ「ハンガリー行進曲」(劇的物語「ファウストの劫罰」より),ドビュッシー「小組曲」,ブラームス「交響曲第1番」。
 指揮は海老原光氏。鹿児島ラサール中・高校を出ている人だから,頭も良かったんだろうな。東大ではなく芸大に進み,音楽の道を歩んできた。30代。まだまだ若い。

● オーケストラのライブは久しぶりだ。ライブで聴くのはオーケストラが一番だとあらためて思った。ライブとCDとの落差が一番大きいのがオーケストラだからね。生ならではの迫力を味わうにはオーケストラがいいですな。
 そこに来て若い学生たちの演奏だ。若者の演奏はイキがいい。生命の躍動感っていうか,これから成長していく者しか持たないオーラがステージを覆っている。それだけでこちらとしては何がしかのギフトをもらった気分になる。
 招待状で来ているからお金は払っていない。カンパ箱でもあればとキョロキョロしてみたのだが,そういうものは見あたらなかった。

● 一曲目に行進曲を持ってくるのはいいですね。最低限,客席は盛りあがる。
 ドビュッシーの「小組曲」は,もともとピアノ曲だったのをアンリ・ビュッセルが管弦楽曲に編曲したんですね。管弦楽曲の「小組曲」を聴くのは初めてだし,CDでも聴いたことがない(ピアノ曲の方は聴いてる)。
 吉行淳之介が好きだったという理由で,ドビュッシーにはこだわりを持っているつもりなのだけど,ぼくには難解です。いまだにピンと来ない。

● ブラームスの1番。第4楽章でウワァーッと盛りあがって終わる。交響曲の王道を行ってるっていうか。
 この曲は8月にも東京で聴いているし,2番と4番もライブで聴いている。超メジャーな曲のうえに,今年はブラームスが流行った1年だったのですかね。

● というわけで,今回も充分に満足して帰途につくことができた。帰宅してから,ブラームスを聴いてみた。カラヤンが指揮するベルリン・フィルの演奏なのだが,それよりも宇大管弦楽団のライブの方がずっと迫力がある。

● あえて注文をつけるとすれば,演奏が終わったあともしばらくは緊張を解かないで欲しい。
 オーケストラは演奏のみならず見た目のビジュアルも美しくあってほしい。顔かたちの問題ではない。緊張感が醸しだす凛とした感じが即ち美しさだから。

● 大学に入って初めて楽器に触れた団員もいるらしい。ぼくは大学では硬式庭球部に入ったが,硬式テニスなどそれまでやったことがなかった。音楽の部活でも同じ学生がいても不思議ではない。
 中学と大学で吹奏楽部にいた同僚のA君によれば,演奏会は2年生以上と1年生の経験者が出場することになるんだけれども,初心者でもメキメキと上達する人がいるんだそうだ。
 若い学生たちだから,3年や6年の経験の差は逆転可能な範囲なのだろう。可塑性が高いっていうか,しなやかさを保持しているっていうか。