2017年12月12日火曜日

2017.12.10 モーツァルト合奏団 第19回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 小春日和の那須野が原ハーモニーホール。14時からモーツァルト合奏団の定期演奏会。入場無料。

● 曲目は次のとおり。
 フォルクマン 弦楽セレナーデ第2番 ヘ長調
 ヘンデル 合奏協奏曲 ト長調
 モーツァルト 弦楽四重奏曲第8番 ヘ長調
 メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲第9番 ハ長調

● メンバーは那須フィルと重複している人がけっこういる。これは仕方がないところでしょうね。那須に限らず,普通にあることだし。
 やけに上手い人もいる。ひょっとしてプロですか,と訊きたくなるような人が。

● 最初に聴いたフォルクマンの弦楽セレナーデがぼく的には収穫で,CDを探してみようと思う。
 パンフレットの解説によれば,ドイツロマン派に属する作曲家。シューマンやブラームスなどのビッグネームの陰に入ってしまっている。ぼくも今日まで知らずにいた。

● 音楽史の時代区分はあまり気にしなくていいと思っている。時代を超えるのが天才というものだろうし,たとえば「第九」を聴くのに,ベートーヴェンが古典派からロマン派に移る時代の作曲家であり,ロマン派への道を拓いた功労者である,というようなことを知っている必要はほぼない。
 が,この演奏を聴くと,なるほどフォルクマンはロマン派だなと思ったりする。

● ところが,これはダメなんだよね。ロマン派だと知って聴くからそう聞こえるだけなのかもしれないんですよ。
 血液型占いと一緒だ。予め血液型を承知したうえで占い欄を見るから,当たっていると思うだけのこと。先に占い欄を読んで,どの血液型のものか当てろと言われると,なかなか難しい。実際には万人にあてはまるようなことしか書かれていないんだから。

● 弦楽のための交響曲はメンデルスゾーン14歳の作品。音楽に関しては,天才に大器晩成なし,ってことでしょうね。
 天才とはこういうものかという見本のようなもの。自分と天才の間に架かる橋はないなぁと思うね。あるわけないやね。

● モーツァルトは弦楽四重奏曲は当然,弦楽合奏版。そこにたしかにモーツァルトがいる。ステージにモーツァルトが立ち現れる。
 そう思わせるのは,曲と演奏の合作によるわけだけれども,そこにたしかにいると感じさせる作曲家は,モーツァルトをもって第一とする。

● このやり方でベートーヴェンの弦楽四重奏曲を演奏してくれないだろうか。1回に2曲演奏するとしても,終わるのに8年かかる。年に2回ずつやってもらうと4年で終わるんだが。
 無理でしょうね,無理だよねぇ。

● 毎年,大晦日に上野の東京文化会館(の小ホール)で6曲くらいずつやっている。それを聴けばいいんだけど,同じ時間帯に大ホールでは「全九」をやっているのでね,どうしてもそちらに流れてしまうんだよねぇ。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲をチクルスでやってくれるとこ,ないかなぁ。CDでは聴くんだけど,ぼくの耳では隔靴掻痒なんだよね。CD→生,じゃなくて,まず生で聴いて,そのあとCDで聴くというのがいいなぁ。

小春日和の那須野が原ハーモニーホール
● 終演後,入口を出たところでポスターを眺めていたら,ぼくと同年齢くらいの女性に声をかけられた。すごかったですねぇ,と。最後のメンデルスゾーンのことでしょうね。
 でも,今年は人数が少なかったですね,いろいろ難しいんでしょうか,とも仰った。団体で活動するんだから,それはたしかにいろいろとね。

● ぼくは団体行動やグループ活動からは徹底して遠ざかっていたいと考えていて,ずっとそうしてきた。団体やグループは面倒くさい。友人とふたりというのはすでにして団体であるわけで,それすら忌避したいと思うところがある。
 ので,団体で活動している人たちはそれだけで大したものだと思うんだけど,アンサンブルが決まったときの快感は,そうした面倒くささを引き受けさせるだけのインセンティブになるんでしょうね。

● 昨夜は10時間も布団の中にいたのに,鋭い睡魔がやってきたのなぜなのだ。寝すぎると昼間も眠たくなるのか。
 これがじつは,メンデルスゾーンのときにやってきたのだ。ついに睡魔には勝てなかった。申しわけないことだった。

2017年12月11日月曜日

2017.12.07 宇都宮短期大学-まちなかクリスマス・コンサート

宇都宮共和大学 エントランスホール

● 18時開演(入場無料)なんだけど,その30分前に「Mix bell」というボーカルユニットが登場するというのでね,それに間に合うように行ったんですけど。
 その「Mix bell」っていうのがちょっと不思議でね。っていうか,よくわからなくてね。
 知ってる人にはお馴染みなんだろうけど,最初,宇短大と附属高校の学生なんだろうと思ったんですよ。あどけなさを残した子もいるしね。
 それにしては堂に入りすぎてるなぁと思ってね。

● 宇短大とは何の関係もなかったんですね。とちぎTVや栃木放送でレギュラー番組を持ってるらしい。学校に通いながら活動している子もいるんでしょ。頑張ってますなぁ。
 かわいらしい女子4人組のユニット。これからたぶん,何度か目(耳)にする機会がありそうだ。

● お子さんもOK,ケータイの電源切らなくよし,飲み食い禁止もなし(主催者がお菓子を配っていたくらいだ。さすがにビールを飲みながら聴くのはダメだろうけど)。堅いことはなしのアットホームなミニ演奏会。音楽の楽しみ方としては,こちらの方が正統かもしれないね。
 このコンサートは宇短大の広報行事でもあるんだろうけど,音楽科の強みってあるね。わかりやすくアピールできる。

● 演奏したのは宇短大音楽科の2年生と教員。プログラムは次のとおり。
 トランペット独奏(トランペット 福田みなみ ピアノ伴奏 小倉賛子)
  バーナード ウィンター・ワンダーランド

 フルート独奏(フルート 小牧茄央里 ピアノ伴奏 香川瑞葉)
  ハーライン 星に願いを
  坂本龍一 戦場のメリークリスマス

 ピアノ独奏(小倉賛子)
  シューマン 主題と5つの変奏曲

 マリンバ独奏(古川黎菜)
  安倍圭子 愛の喜びのモノローグ
  イギリス民謡 We wish you a merry Christmas

 ソプラノ独唱(ソプラノ 鎌田亮子 ピアノ伴奏 益子徹)
  ヴァヴィロフ カッチーニのアヴェマリア
  バッハ/グノー アヴェマリア
  アダン さやかに星はきらめき

● 知名度があるというか,たいていの人はどこかで聴いたことがある曲の中にあって,シューマン「主題と5つの変奏曲」だけが例外。
 シューマンの遺作と言われているものですね。シューマンの晩年を思うことになる。凄まじいまでの精神の強靱さ。このあと,シューマンは晩年の悲劇に墜ちていくことになるんだけど,梅毒が嵩じた結果だとすると,その梅毒はクララには感染しなかったんだろうかとも思うんだよね。

● 最後のソプラノとピアノ伴奏は教員によるもの。鎌田亮子さんの“アヴェマリア”はさすがと言いますか,ソプラノって感じがしたと言いますか,柔らかい響きで陶然となっちゃいましたよ。

● 終演後,ホットワインとソフトドリンクがふるまわれた。さすがに,そこは遠慮して帰宅の途についた。ぼくはこの大学の卒業生でもないし,これからこの大学や附属高校に入るかもしれない子どもがいるわけでもないので。
 それ以上に性格でしょうね。ここは甘えた方がいいのかもしれないんだよね。けど,大学のスタッフと喋ることが何もない。この催しについて気の利いたことを話し言葉にできればいいんだけど,そういうのが苦手でね。ぼくはサロンの人ではないのだろうなぁ。

2017年12月5日火曜日

2017.12.03 真岡市民交響楽団 第56回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 開演は午後2時。今までは夜の開催が多かったように記憶しているのだが,今回は昼間。チケットは500円。当日券を購入した。

● 今回は1階右翼席に座ってみた。大ホールの8割は埋まっていたろうか。1階席はほぼ満席。真岡のような地方都市でも,こうしたオーケストラの演奏会にこれだけのお客が入る。
 入場料がワンコインとしても,これってすごいことなんじゃなかろうか(招待客がけっこういるんだろうか)。真岡だけが特別のはずはないから,日本全国,どこでもそうなのだろう。日本以外にこういう国ってあるんだろうか。

● 曲目は次のとおり。指揮は佐藤和男さん。
 ウェーバー オベロン序曲
 シューマン チェロ協奏曲
 ブラームス 交響曲第1番

● 年2回の定演のうち,今年も春の定演は聴きそびれてしまった。ので,比較対象は昨年の冬の演奏会になるんだけど,変わったのは開催時刻だけではない。コンミスが変わっていた。上保朋子さん。ゲストコンサートミストレスってことなんだけど,次回以降はどうなるんだろう。
 コンミス以外にもメンバーの入れ替えがけっこうあったのかもしれない。

● ソリストの佐山裕樹さんは栃木出身のチェロ界の若き新星。栃木県ってチェロ奏者を輩出するところなんですかねぇ。宮田大,金子鈴太郎,玉川克といるんですけどね。
 佐山さんの演奏を初めて聴いたのは,彼が出場したコンセールマロニエ。彼は高校生だった。その後,もう一度,聴いているので,これが3回目。
 ウットリするしかない。ウットリしすぎて,時々,空想の世界に遊んでしまう。
 アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から“ブーレ”。静謐きわまる。

● ところで。パンフレット冊子に楽屋話を載せたチラシが挟まっていた。佐山さんをして“やはり本物は違う”と評しているんだけど,ということは,自分たちは本物ではない? 本物でなければ何なのだ? 偽物?
 それでは訊くが,本物と偽物を分けるメルクマールは何だ? 技術? 才能? 彼と自分たちの間には越えられない壁がある? 広くて深い川の左岸に彼はいて,自分たちは右岸にいる?
 音楽に割ける時間? 彼は好きなだけ音楽に時間を注げるのに対して,自分たちはつまらない仕事や雑事に紛れてしまって,音楽に充てる時間を確保するのが難しい?

● そうだとしても,それが何だと言うのだ? ぼくがこういうことを言っていいのかどうかいささか以上に疑問だけど,と言いながら結局言ってしまうんだけど,技術は演奏の重要な要素であることはたしかで,技術なしに演奏は成立しない。そうではあるんだけれども,技術は演奏のすべてではなくて,要素のひとつにすぎない。
 演奏って楽譜を機械的に音に翻訳する作業じゃないでしょ。れっきとした創造行為でしょ。創造であるなら,技術以外に必ずつけいる隙があるんですよ。
 要するに何を言いたいのかといえば,君たちも本物なんだよってことね。しっかりしなさいよ。謙遜はときに悪徳だよ。

● メンバーが替わっても,真岡オケの身上は“一生懸命”。“一生懸命”を見るのは,それ自体が悦楽だ。
 どんなオケでも一生懸命にやっているんだろうけれども,ここの一生懸命さはわかりやすく伝わってくる。今回はオーボエがそれを代表していた感あり。
 ここまでやってくれればね,あえて結果は問うところではない。ってことにはならないけれど,結果にも文句を付けるところはない。
 強いていえば,ブラームスで金管が音を出しすぎると思うところがあったんだけど,それってCDを聴いて作ってしまったイメージがモノサシになっている。CDの録音がリアルとは違っているかもね。じつはこれくらい出すのが正統なのかもしれない。

● 栃木県にはプロのオーケストラはない。群馬には群馬交響楽団があり,茨城には常設ではない(と思う)けれども,水戸室内管弦楽団という途方もない水準の楽団がある。
 だから,栃木にもプロのオーケストラを作るべきだという意見もなくはないんだけど,これだけ日本は狭くなっているんだから,県域にこだわるなんてまったくナンセンスだ。こちらが県域をまたいで動けばいいだけのこと。

● もうひとつ,アマチュアの演奏活動が圧倒的に隆盛なのが日本の特徴で,その水準には端倪すべからざるものがある。
 真岡市民交響楽団もそのひとつで,この演奏を聴いて何らかの不足感を覚えることは,ぼくの場合はあまりないわけだ。
 あとは,オーディオ環境をそれなりに整えて(といっても,今どきだったらミニコンポで充分だと思うが)CDを聴けばいい。聴く人が聴けば,CDからでも充分な情報を拾えるはずだ。
 急いで付け加えておくんだけど,ぼく自身は「CDからでも充分な情報を拾える」人では,どうやらないっぽい。それゆえ,わりと頻繁に生演奏に接したくなるのだ。

● オケのアンコールは,ブラームスのハンガリー舞曲第1番。これで今年が終わってもいいと思った。
 けど,まだ3日だ。予定ではあと9回,聴きに行く。師走で世の人たちは慌ただしいほどに忙しいだろう。申しわけないようなものだけど,ぼくはそれだけ暇なんだな。
 学生の頃は“旗本退屈男”と呼ばれていたんですよ,ぼく。三つ子の魂じゃないけど,そういうのって年寄りになっても変わらんもんだね。

2017.12.02 第8回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東邦音楽大学・国立音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 12月は忙しい。仕事じゃなくて,休日がね。なぜなら,年末は「第九」がもうこの国の民俗行事になっているけれども,「第九」以外にもコンサートが増える時期ですよね。可能な限り,付き合うことにしているもので。
 まず,今日は首都圏の音大フェス。計4日間で開催されるこの催し,今日が最終日。結局,ぼくが聴いたのは半分にとどまった。

● まず,このホール(ミューザ川崎)について語っておかなければならない。いや,“ならない”ってこともないんだけど,語っておきたい。
 要するに,いいホールですよね。演奏する側にとってどうなのかはわからないけれど,聴く側にすると相当聴きやすい。ぼくの限られた体験の範囲内でいうと,最も聴きやすいホールがここだ。
 勾配があるので,前の人の頭が視界に入らない。ぼくも座高の人なので,後ろの人に気を遣わなくてすむのは助かる。

● 建物じたいの構造が柔らかくできているんだろうか。音の響きも柔らかいと感じる。同じ奏者がこのホールで演奏すると,香車一枚分だけ巧くなったと感じるのではあるまいか。
 要するに,かのサントリーホールよりもここミューザの方がカンファタブルだ。

● さらに。ぼくのような北関東の在住者にとっては,上野東京ラインの開通によって川崎が一気に近くなった。しかも,駅前にあるんだから,物理的にもサントリーホールよりミューザの方が,物理的にも近いのだ。
 聴きたいコンサートを選ぶとき,ホールはどこかっていうのも選択を左右する要素になる。ホールがミューザってことになれば,それだけで聴きに行こうかと思うかもなぁ。

● 開演は午後3時。チケットはお得すぎる1,000円。東京芸術劇場のネット販売を利用。セブンイレブンで受け取る。“ぴあ”を使うより手数料が216円安くなる。セコくてすまんが。
 今回登場するのは,東邦音楽大学,国立音楽大学,洗足学園音楽大学。それぞれ,ドヴォルザーク8番,ブラームス2番,マーラー1番を演奏。

● まずは,東邦。指揮は梅田俊明さん。
 演奏する彼らにしても,同じメンバーで演奏できる機会は,この先二度とないだろう。当然,聴く側のぼくらもこの演奏は二度と聴くことができないものだ。たった一回の巡り合わせ。一期一会を強く思わせる。
 逆にそう思って聴くせいか,妙にセンチメンタルな気分になる。切なくなってくる。

● ぼくの席はいわゆるP席に近い場所だった。演奏中,指揮者の顔が見える。指揮者って,まず肉体労働者なんだよねぇ。これは,身体を鍛えておかないとダメだわ。
 これだけ動いているんだから汗をかくよねぇ。しかも襟の開いた軽装でやってるんじゃない。しかし,汗を見せない。これは巧妙というべきなのだろうか。
 指揮者って容赦ないものだってのもわかる。奏者とすれば,演奏を止めて,指揮台にツカツカと歩み寄って,指揮者の首を絞めてやりたい,と思うことはないんだろうか。

● この席だと,弦よりも管が近くなるんだけど,それによって聞こえてくる音に違和感を感じることはまったくない。
 フルートの男子学生が目立っていた。木管奏者の動きがよく見えるのは,この席の役得だ。ぼくの席だと,金管は視野から消えてしまうのだが。

● 第3楽章はスウィーティーな舞曲で,自分もどこぞの色白美女と踊っているような気分に染められるんだけど,演奏する方はスウィーティーどころじゃない。弦の奏者は忙しく左指を動かしている。必死こいているというのは失礼すぎる言い方かもしれないけれど,アヒルの水掻きという言葉を思いだした。
 曲の骨格が浮きでてくるような,くっきりとしたクリアな演奏。ノイズがないからくっきりと聞こえる。さすがは音大の高水準。ここまでの演奏を聴ける機会はそんなにない(ぼくの場合は)。

● 国立音大のブラームス2番。指揮は尾高忠明さん。
 1番が苦節20年なのに対して,2番は4ヶ月で仕上がった。だから1番より軽いし,ゴツゴツしていない,おおらかで伸びやかだ,と言われる。
 実際そうなんだろうけど,ぼくの耳ではそのあたりの対比というのが,いまいちピンと来ない。1番も2番もCDを含めれば数え切れないほど聴いているはずなんだけど,その対比を聴き取れていない。
 2番も沈鬱な苦渋を感じるところが多い。時に豪華絢爛もあり,たゆたうような穏やかさを感じる楽章もあるんだけど,全体の印象は1番とさほど変わらないというかなぁ。

● オーボエの女子学生が目立った。プレッシャーもあったろうけど,美味しかったと思うな。
 この曲だとやはりオーボエですか。オーボエが彼女だからこの曲を選んだってことではないんだろうけどね。

● 洗足はマーラー。指揮は秋山和慶さん。尾高さんにしろ,秋山さんにしろ,功成り名を遂げた日本を代表する指揮者。彼らの指揮ぶりに接する機会も,ぼくの場合はほぼないので,この音大フェスはありがたい。
 指揮者って長命でしかも最後まで現役って人が多い印象なんだけど,それもわかる気がする。これじゃ年なんか取ってられないっていうかね。
 指揮者以外の職業に就いている人でも,このあたりは大いに参考になるかもしれない。仕事の細かいことで頭をいっぱいにして,始終動いていればいいのだ。
 もっとも,それをやると老害と言われることが多いのが,ぼくらの職業のほとんどだろう。ひょっとしたら,指揮者でもそう言われているのかもしれないけど,実際問題としてお座敷がかかるんだからね。

● マーラーなんだから,打楽器を中心に編隊が大きくなる。ティンパニが淡々とテンポを刻んで舞台を維持する。淡々というのが,しかし,できそうでなかなかできない(のじゃないか)。
 気持ちをできる限り平らにして,あるいは小さく(細かく)して,時を刻んでいくという。

● 初めてこの曲を聴いたときの印象は,“鄙”だった。田舎びている,素朴である,日向の臭いがする,そういう印象だった。
 じつは今でもそこからあまり出ていないんだけど,その鄙の中に,あるいは鄙と鄙とのつなぎ目に,マーラーの洗練が見えるようにも思える。
 しょせんは,聴き手の器量以上の聴き方はできない。目下のぼくの器量はそんなところだ。

● 彼らのうち,プロの世界に行く人が何人いるのかは知らない。大学の専攻と社会に出てからの仕事の間に関連がある方が珍しいから,音大卒といえども音楽の世界ではないところで生きていくこと自体は,別に異とするに足りない。
 しかし,音大生の場合,どうしてもそこを考えてしまうのも事実であって,それはなぜかといえば,大学での元手のかけ方が違うからだろう。経済学部や文学部の学生が大学で学んでいるとは誰も思っていない。遊んでいるのだと思っている。学んでいるとしても,大したことはやっていない。自分も経験しているからよくわかる。

● しかし,音大生は違う。音楽だけをやっている。実際には違うかもしれないけれど,そういうイメージがある。しかも,音楽なのだ。つぶしが利かないのだ。
 実際はね,藝大を出てソニーの社長になった人だっているんだから,大学で何をやった(やらなかった)とか,つぶしが利くとか利かないとか,そんなのは一切無関係だってのはわかるんだけどね。
 それでも,彼らのこれからの行く末に思いをいたさせるのも,音楽の持つ魔力のひとつなのかと思った。

2017年11月22日水曜日

2017.11.19 宇都宮短期大学管弦楽団 Special Concert-宇都宮短期大学創立50周年記念

宇都宮短期大学 須賀友正記念ホール

● 宇都宮短期大学の学園祭(彩音祭:あやねさい)のメイン行事。開演は午後1時半。チケットは2,000円。

● 曲目は次のとおり。指揮は阿久澤政行さん。
 グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 ショパン ピアノ協奏曲第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第9番

● 宇都宮短期大学管弦楽団は在校生と卒業生と教員で構成。常設のオーケストラではない。もし,常設で年に2回程度の演奏会を開催してくれれば,栃木県内で開催される演奏の幅が上部に向かって分厚くなる。栃木県の光景が少し違って見えるかもしれない。
 ソリスト(ピアノ)も卒業生の西尾真実さん。さすがに,自前で揃えることができるだけの陣容は整っているということでしょう。

● 西野さんのピアノを聴くのは,これが3度目になる。ぼくの耳では彼女のピアノに対してどうこう言うことはできない。拝聴するだけ。
 ただ,ショパンのこの曲については言いたいことがある。ショパンが作曲した作品のほとんどはピアノ曲で,それらに駄作はないという点で,後世の評価は一致していると思う。
 が,唯一,協奏曲だけはどうもショパンは苦手としたようだ。オケとピアノの接点がない。インターフェイスができていない。ピアノはピアノ,オケはオケ。極端にいうと,これ,協奏曲と言えるんだろうか。

● オケの奏者は演奏していて,ぜんぜん楽しくないだろう。ということは,聴いている側も楽しくないということだ。西尾さんが悪いのではもちろんなく,管弦楽が悪いのでもない。ショパンが悪い。
 それでも,この曲が演奏される機会が多いのは,クラシック演奏界の七不思議の一つと言っていいのじゃないか(あとの六つは何なのだっていう突っ込みはなしに願いたい)。

● メインはドヴォルザークの第9番「新世界より」。ショパン協奏曲の鬱憤をはらすかのように,管弦楽が存分に弾けて,密度の濃い演奏になった。
 要となるオーボエが素晴らしかった。オーボエに限らない。フルート,クラリネット,ファゴットの木管陣はさすが。木管がここまでいいと,管弦楽曲はその容貌をクリアに現してくれる。そうだよ,「新世界より」はこういう曲なんだよ。

● 客席にはやはり学校関係者,父兄とか附属高校の生徒とか,が多かったようだ。
 が,他のホールでちょくちょく見かける顔もあった。彼らにしてみれば,ぼくも同じであるはずだが。
 同好の士ってのはいるもんだな。彼らと言葉を交わすことは絶えてないけれども(これからもないはずだ)。

● 彩音祭について申しあげれば,当局の管理がよく言えば行き届いている。高校の文化祭のような感じがする。お行儀がいい。挨拶もする。細かい規則を守って,その枠から出ることがない。
 反面,学生が存分に暴れているという感じは希薄だ。そうでもないんだろうか。今の学生はこんなものなんだろうか。あるいは,今どきだと学園祭以外に発散する場がいくらでもあるんだろうか。

2017年11月21日火曜日

2017.11.18 第8回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東京藝術大学・桐朋学園大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 「音楽大学オーケストラフェスティバル2017」。今日から計4日間の日程。開演は午後3時。チケットは1,000円。
 今日は藝大と桐朋が登場。初日で両横綱が顔を合わせてしまった。

● 藝大はストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。桐朋はプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」(もちろん抜粋)。
 もちろん偶然だろうけれども,バレエ音楽が並ぶことになった。

● 粛然として襟を正さしめる何ものかを,ステージ上の音大生は放っている。四の五の言わせない,強い何ものかを。
 その何ものかを充填しているのが,彼ら彼女らがここまで来るのに払ってきた,膨大な時間であることはハッキリしている。一点に費やしてきた膨大な時間。それはまた,その一点以外の可能性を排斥するものでもあった。
 彼ら彼女らには,今このステージ上に立っているという以外の生活があり得た。客席にいてこの演奏を聴いている人生もあったはずだ。
 が,その一点以外の可能性をすべて捨てて,その結果,今このステージにいるという,圧倒的な事実。

● 息をするのも憚られるような濃密な緊張感が,客席を支配する。その何ものかに圧倒される快感というのがたしかにある。

● まず,藝大。指揮はラースロー・ティハニ氏。ハンガリーの人。
 藝大でも奏者の多くは女子。が,数は少ないながら,男子もしっかりとそこにいる。男子がしっかりとそこにいることの安心感のようなものがある。何だろうね,これ。

● 歌舞音曲は女のものという風潮というか色合いというか,それは今でもあるのか。それとも過去のものになったのか。
 どうも今でもあるのじゃないかと思う。が,楽器を操る男子がひと頃よりは増えているようにも思える。
 それって,男が女に取り込まれている(男女差がなくなってきている。ただし,女寄りの方向に)からで,歌舞音曲は女のものという命題が否定されつつあることの証左にはならないように思う。
 という埒のないことを思ったりしたんだけど。

● 次は桐朋。女子比率は藝大より高い。もちろん,だからダメということではまったくない。何というのかなぁ,東正位の貫禄というのかなぁ,確信のようなものを感じるんですよ。
 これでいいんだ,自分たちのやってきたことは間違っていないんだ,っていう確信。臆せず,グイグイ前に出る迫力。
 この音大フェスは何度か聴いているんだけど,桐朋から感じるのはこのことだ。

● 指揮は中田延亮さん。経歴が面白い。筑波大学の医学部(筑波では学部とは言わないらしいのだが)を途中で飛びだして,音楽の世界に転んだ。医師免許は放棄したのだろう。
 世間一般からすればモッタイナイの典型例。しかし,やむにやまれぬ大和魂。
 ときどき,いるよね。勉強もできちゃったから医学部に行ったけど,やっぱり自分のいるところはここじゃないと気づいて(という言い方でいいんだろうか)音楽の世界に飛びこむ人。

● チケットの1,000円は,このイベントを開催するのに必要な装置と労力を考えれば,ほとんどタダに近いだろう。無料というのも何だから,いくらかいただくことにしましょうか,という感じなんでしょうかね。
 いや,奏者は学生なんだし,指揮者も手弁当なのかもしれない(日本を代表する指揮者が登場するんだけど)。だとすると,チケット収入だけで賄えているはずだ。
 が,その場合は,演奏する側がボランティアということになるわけで,いずれにしても,ぼくらはそのおこぼれに与っている。

● 電車賃が4千円かかるんだけど,これはそれでも聴きに行きたい演奏会。
 来年から東京に出向くのは抑制しようと思っている。最低でも半分にしたいのだけど,どうしても残ってしまうものがあって,これはそのひとつですね。

2017年11月8日水曜日

2017.11.05 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会「ブラームスはお好き?」Vol.1

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇都宮市文化会館で東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会が開催されるのは,2010年6月から2014年11月までに6回あった(それ以前からあったのかもしれない)。
 後半の3回は,地元出身の大井剛史さんの指揮でオール・チャイコフスキーだった。その後,会館の改修工事もあって途絶えていたわけだが,改修後のこけら落としも東京フィルだったのではないか。
 その演奏会には行けなかったので,わりと久しぶりな東京フィル。

● この「ブラームスはお好き?」は,オール・ブラームスで全4回になる予定。大井さんが指揮をとる。大井さんのための演奏会という感じだね。地元出身の有力な指揮者を全面的に支持するぞ,というホール側の決意を感じる。
 もちろん,異議はない。大井さんならば,それで不自然さを感じさせるところは皆無だから。

● 以前,那須野が原ハーモニーホールが,毎年,東京交響楽団を招聘していたけれど,現在は行っていない。宇都宮市文化会館と東京フィルの関係は,栃木県内でプロオケの演奏を聴ける貴重な機会を提供してくれている。
 というわけで,東京フィルの演奏を聴くのは,これで7回目になる。プロのオーケストラの演奏を聴くことはほとんどないんだけど,東京フィルはダントツで多い。
 ちなみに,他には,N響を3回,東響山響日フィル読響兵庫芸術文化センター管弦楽団をそれぞれ1回。国内のプロオケを聴いたのは,これですべてだ。

● 開演は午後3時半。チケットはS・A・B・C。Sが4千円で,以下千円きざみ,C席は千円。ぼくは2千円のB席をかなり早い時期に取っておいた。
 で,そのB席というのが,ぼくが好んで座る2階のウィング席なんでした。そっかぁ,自分の好みの席はBだったのか。でも,1階席の真ん中辺よりここの方がずっといい。前席の人の頭が視界を遮ることがない。ステージをバッと見渡せる。
 逆に言うと,この席をBにしてるってのは,相当に良心的だとも言える。

● プログラムは次のとおり。
 大学祝典序曲
 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調
 交響曲第1番 ハ短調
 クラッシックを聴く人で,ブラームスが嫌いという人はあまり(というか,ほとんど)いないと思う。ブラームスに駄作はない。何を聴いても,ブラームスなら安心このうえない。

● ところが,ぼくときたら鈍というか愚というか,ブラームスがわかったと思えたのは,だいぶあとになってからだった。
 2013年10月に,兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏を聴いたときだ。指揮は佐渡裕さん。演奏したのは交響曲第4番。このときの憑きものが落ちた感じは,もちろん今も憶えている。

● 大学祝典序曲。東京フィルって,プロオケの中では団員の平均年齢がだいぶ若い方なんだろう。いい意味での若さが充満していて,清新な印象を受ける。
 この楽団の持ち味と言っていいんだろか。この曲の曲調に合っている。

● ピアノ協奏曲第1番。ソリストは黒岩航紀さん。この名前は憶えておくべきだ。25歳の天才ピアニスト。彼も栃木(宇都宮)育ち。
 技術的にはすでに頂点に達しているのだろう。ここから先は技術以外のところでどこまでノビシロを拡げていけるかだろうけど,このレベルの話はぼくのような素人が口を出していい部分ではない。本人が色々と試行錯誤を重ねているに違いない。

● 交響曲1番は,ブラームスの4つの交響曲の中でも,こめられたエネルギー量が最も大。エネルギーが迸っているのに破綻が一片もないという,大変な作品だと思うんですが。
 演奏する方はもちろんだろうけど,聴く方もしっかり疲れる。

● 大井さんの指揮ぶりも魅力。指揮者を見ているだけで飽きることがない。
 彼の指揮に初めて接したのは,那須フィルの音楽監督を務めていた頃,7年前か。そのとき,大井さん,36歳。この7年間,着実に月日を充たしてきたんだろう。風格らしきものも漂うようになっていた。
 オーケストラとの関係をどう持っていくか,どうやってオーケストラを掌握するのか,あるいは掌握してはかえっていけないのか。書物で得た知識はぼくにもあるんだけど,すべてを文字にすることはできないものだろう。現場に立つ者にしかわからないことが海のようにあって,その多くは言葉に翻訳することができないに違いない。

● B席チケットが2千円。交通費が770円。たったそれだけのコストで,宇都宮でこれほどの演奏が聴けるとは幸せだ。本当にそう思う。
 3千円足らずで王侯貴族になった気分を味わえるのだ。いい時代に巡り合わせた。
 だいぶ高揚してしまったので,終演後は鶴田駅まで歩いてクールダウンした。東の空にかかっていた満月がきれいだった。予定調和的な終わり方で申しわけないが。