2017年2月24日金曜日

2017.02.24 間奏54:音楽再生プレーヤー(専用機)を初めて使ってみた

● オーディオ器機をぼくは持っていない。ミニコンポくらいはあってもいいかなぁと思って,オーディオ売場を覗くことはあるんだけど,購入に至っていない。
 なぜないかといえば,必要がないから。つまり,家で椅子に座ってゆったりを音楽を聴くということを(少なくともこれまでは)してなかったからだ。

● おまえはライヴ以外に音楽は聴かないのか,と言われれば,そんなことはありませんと回答する。けど,もっぱらイヤホンで聴くタイプだ。
 路上や電車の中が,ぼくが音楽を聴く場だ。たまに家で聴くときもイヤホンで聴いていた。プレーヤーはスマホ。

● ところが,そのスマホが昨年11月11日にダメになった。諸般の事情があって,そのままになっている。したがって,少なくとも昨年11月11日からはまったく音楽を聴かない生活を送っている。
 スマホ以外に携帯プレーヤーは持っていないのか? じつは持っている。約1年間にSONYのWALKMANを買った。
 息子に買ってあげたんだけど,8ヵ月前にぼくのところに戻ってきた。

● が,何となく面倒でね,そのまま放置しておいた。11月11日以降も。
 でもって,音楽を聴かない生活をずっと続けていたんだから,ひょっとすると,ぼくは音楽がさほどに好きじゃないのかもしれない。

● ところが昨夜,WALKMANに楽曲を転送する作業を唐突に始めた。昨夜は珍しく酒を飲まなかった。それが大きいのかも。酒を飲まないと,夜はけっこう長いのだねぇ。そんなことも忘れてましたよ。
 とりあえず,よく聴く楽曲を入れて見た。ベートーヴェン,ブラームス,ラヴェル,ショスタコーヴィチ,バッハ。
 128GBのmicroSDを入れているので,どっさり入るんだけど,それは追々にということで。

● その状態で試し聴き。したらば。音がまるで違う。
 バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いてみた。クリアだ。粒立ちが明瞭だ。音が立って踊っているようだ。
 逆にいえば,今まで使っていたスマホで再生された音は,ふた昔前のデジカメで撮った写真のように,音がベタッと寝てしまっていた。
 8ヵ月前からWALKMANを使えたはずなのに放置していたのだ。大げさにいえば,その8ヵ月は捨てたも同然だと思った。

● ぼくが買ったWALKMANはNW-A25という機種だ。現在では生産終了になっている。手頃な価格ながら,「ハイレゾ音源を再生しながら,周囲の騒音を低減できる「ハイレゾ対応デジタルノイズキャンセリング機能」を搭載。シチュエーションを選ばず,いつでもどこでもハイレゾの高音質を楽しめます」とある。
 「音の情報量がCDの約6.5倍あるハイレゾ音源に対応。高音域再生におけるノイズ除去性能を高めたフルデジタルアンプ「S-Master HX」を搭載し,繊細な空気感や臨場感あふれる,きめ細やかなサウンドを体感できます。また,MP3などの圧縮音源やCD音源をハイレゾ相当の高解像度音源にアップスケーリングする「DSEE HX」を搭載。いつも聴いている楽曲がハイクオリティーに生まれ変わります」ともある。

● 「CD音源をハイレゾ相当の高解像度音源にアップスケーリングする」なんてのは,正直,少し怪しんでいた。
 ぼくはハイレゾ音源は持っていない。iTunesでCDをリッピングして,ハードディスクに溜めている。それをスマホに転送してイヤホンで聴く。
 それ以上のことはやっていないし,やる気もない。ルーティンから少しでも外れる作業は面倒くさいと思ってしまう,しょうもないオヤジなのだ。

● と言いながら,ハイレゾとノイズキャンセリングに対応したイヤホンは早くから用意していた。WALKMANとほぼ同時に買っておいた。
 で,聴いた印象は上記のとおり。WALKMAN,すごい。
 もっとも,ぼくが使っていたスマホは古いものだった。今どきの,たとえばSONYのXperiaなら,WALKMANと同等の音を再生するんだろうな。

● 今朝はそのWALKMANで音楽を聴きながら出勤した。少なくとも昨年11月11日以来のはず。この通勤時間も,うーん,昨日までは捨てていたな。面倒くさがり屋は損をする。
 何でもかんでもスマホでと思っていたけど(基本的には今でもそう思っている),専用機はやはりたいしたものなのだな。

● 今日聴いたのは,カルロス・クライバー指揮のベートーヴェンの4番,5番,7番とブラームスの4番。それと,諏訪内晶子のバッハ協奏曲集。
 小さい携帯再生プレーヤーで,これらの曲をこの音質で聴けるのは驚きだ。

● ミニコンポは物色するのもやめる。携帯プレーヤーでここまでの音で聴けるんだったら,携帯プレーヤーのみで充分。
 えっ,WALKMANでそんなに驚いているのか,今までどんな音で聴いてたんだよ,おまえは,と言われますな。

● というわけで,音楽再生機能はスマホから専用機に移行した。スマホは音楽再生プレーヤーとして使う時間が最も長かったから,スマホへの欲求は少し減少。もうしばらく,スマホなしでもいいかな。


(追記 2017.02.25)
 WALKMANを使って行くには,iTunesに代えて「Media Go」をパソコンにインストールしないと,プレイリストの作成ができないんですね。
 そんなことも知りませんでしたよ。今のところ,プレイリストが必要なほどには楽曲を入れていないんだけど,いずれ絶対に必要になる。
 ま,その作業がパソコンでできるんだったら,かなり負担は削減される。

 iPodやiPhoneで音楽を聴くことはまずないと思うし,WALKMANが壊れた後はスマホをXperiaにして,Xperiaで聴き続けることになると思う。「Media Go」でリストを作っておけば,使い回しが利くんでしょ。
 サッサとインストールして,サッサと使い方に慣れてしまうのがいいでしょうね。

(追記 2017.02.25)
 WALKMAN。使い始めて今日で2日目。
 今日は,カラヤン指揮のベートーヴェン「第九」と,アバド&アルゲリッチのピアノ協奏曲第3番,ラヴェル「ボレロ」(指揮はこれもカラヤン)を聴いた。
 自分が今いるところがコンサートホールだ,と思わせてくれる音質の良さ。もっとも,以前,スマホで聴き始めたときにも,同じことを思ったものだったが。
 音質の良さに驚いているわけだけれども,数日のうちに狎れてしまうはずだ。その間に楽しめるだけ楽しんでおけ,と自分に言い聞かせている。
 ちなみに,ぼくは音楽評論家でも音楽の専門家でもないので,カラヤンを嫌う理由が何もない。

2017年2月21日火曜日

2017.02.18 宇都宮市立東図書館 ジャズライブ2017

宇都宮市東市民活動センター ホール

● この日は,16時から宇都宮大学の松が峰講堂でResonanz Barock Consortの2回目のコンサートがある。当日券で聴こうかなと思っていた。昨年の1回目は聴いている。
 ところが別件で宇都宮市立東図書館に行ったら,14時からこのライヴがあることを知った。

● さて,どうするか。約10秒ほど考えて,このまま東図書館にとどまることにした。16時までにはかなり間がある。その時間を持てあましそうだったしね。
 というわけで,開演は14時。入場無料。

● 宇都宮にはかのナベサダがいる。宇都宮は餃子の街であり,自転車の街であり,妖精の街であり,カクテルの街であるのだが,ジャズの街でもあるのだ。
 このライヴももう何回も開催しているらしい。

● ジャズにはまったく詳しくない。詳しくないというより,こういうものだというイメージを持てないでいる。
 イメージを持てないと困るのかと言われると,たぶん困らないんだろうけどと,モゴモゴ返答することになりそうだ。

● 山下洋輔さんは,どんなものでもジャズになると言っていた。バッハなんかジャズの素材にピッタリだとか。
 だとすると,ジャズの外延を定義するなんてことは無意味なのだろうね。理屈で入るものじゃない。まず,聴く。聴いてピンと来なければ撤退する。ジャズであれクラシックであれ,音楽に対する姿勢はそれでいいのだと思う。

● 最初に登場したのは,「the moon」というオッサン4人のグループ。
 MCはトロンボーンの奏者が担当。宇都宮市泉町に「近代人」というスナックがある。その「近代人」がMCで紹介された。ぼくが酒場デビューしたときにはすでにあったから,だいぶ古いんだけど,半世紀は経っているのであるらしい。
 この店でジャズのライヴが行われる。その道に詳しい人には,“いわゆるひとつの聖地”になっているだろう。ぼくも若いときに一度か二度行ったことがあるんだけど,その後バッタリ。縁なき衆生は度しがたし。

● 次は,「Calendula mix」。中学生から大学生までの若者のグループ。「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」の“リズム隊”を中心にしたメンバーとのこと。
 その一番年長者(といっても20歳)の女性が,鍵盤ハーモニカで年下の男性を率いるという図。大学ではオーケストラでヴィオラを弾いているそうだから,小さい頃から楽器に馴染んでいれば,たいていの楽器はモノすることができるんでしょうね。

● オッサンの演奏と若者の演奏を比べれば,どうしたって若者の演奏を聴いている方が楽しい。これはもうどうしようもない。
 オッサンの側に圧倒的な技術の差があり,かつ,こちらがその差を識別できる耳を持っていれば,別かもしれない。
 ぼくなんぞの耳では,さほどの差は感知できない。どうしたって若者の肩を持ちたくなる。自分がオッサンだからね。

● 最後が「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」。小学生から高校生まで。MCを務めたのは高校生の男子。歯切れが良くて,小気味よく場面を刻んでいた感あり。
 アニメの主題歌メドレーなんかも演奏した。となると,ジャズオーケストラと吹奏楽団とは何が違うのだ? 違いなんかないんだろうな。ジャズを主に演奏する吹奏楽団ということなんでしょ。

● ぼくが主に聴くのはクラシックなんだけど,聴いてて楽しくなるのは,やっぱりクラシックの方かなぁ。
 このあたりは体質なんだろうか。今回聴いたジャズのいろんな曲より,たとえばブラームスの交響曲の1番や4番,バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いているときの方が,自然に身体がスウィングするような感覚がある。

● が,まだ諦めなくていいだろう。ジャズを聴く機会はこれからもけっこうあるはずだしね。

2017年2月9日木曜日

2017.02.06 間奏53:コンサートホールのS席問題

● 4月20日に栃木県総合文化センターのメインホールで,フジコ・ヘミング&イタリア国立管弦楽団の演奏会がある。チケットはS席が1万円。A席が8千円で,一番安いB席が6千円。
 安いB席を買うつもりで,同センターのプレイガイドに行った。

● ところが,B席はほんの僅かしかないのだった(完売)。A席も少ししかない。つまり,ほとんどの席はSなのでした。
 まぁ,そういうものではあるんだけど,総文センターでSの比率がここまで高くなるのは,珍しい。つまり,需給関係で決まるわけで,フジコ・ヘミングならそれでも売れるというわけでしょう。
 結局,8千円を投じてA席チケットを購入。

● ところで。
 フジコ・ヘミングはNHKがドキュメンタリー仕立てで取りあげてから,その存在が知られるようになった。テレビの爆発力は凄い。この点ではネットはまだまだ及ぶまい。
 彼女がここまで人気なのは,普段は音楽など聴かないけれども,彼女のピアノなら聴きたいと思う人たちがいるからだ。“音楽知らずのフジコ好き”という層がたしかに存在するのだと思う。
 一方で,音楽界のセンターにいる人たちは,こういう知られ方をした奏者に対してはかなり冷淡なのが常だ。クソミソに貶すか,黙殺する。

● ぼくは彼女のリサイタルを一度聴いたことがある(やはり総文センターだった。そのときも1万円を投じた)。聴くに値するピアノだと思った。だから,また行こうとしている。
 のだけれど,今回はイタリア国立管弦楽団がメンデルスゾーンの4番を演奏するので,どちらかといえばそっちが楽しみだったりする。

● オールSというのもあるね。たとえば,6月25日に栃木県総合文化センターのメインホールで開催されるこちら。
 全席指定で6千円。SだのAだのっていう区別はない。一律6千円だ。つまり,すべての席がSってこと。

● サブホールならわかるんだけど,メインホールでオールSというのは滅茶苦茶だ。1階席の前方と実質的な4階席やバルコニー席が同じだというんだからね。
 が,その滅茶苦茶がまかり通る。諏訪内人気,怖るべし。美人は得ってところもあるんでしょうか。

● 3月4日がチケットの発売開始日。その日のうちに買い行こう。いい席を押さえましょ。
 諏訪内さんのヴァイオリンを生で聴けるなんて思ってなかったからな。それが宇都宮で聴けるんだから。

● ぼくの相方は諏訪内さんと話したことがあるという。飛行機で隣り合わせたことがあるんだそうだ。
 諏訪内さんはヴァイオリンケースを機内に持ちこむわけだけど,(大きな荷物で)ごめんなさいねと相方に声をかけたらしい。話したといってもそれだけのこと。
 皇太子のお妃候補に名前があがったこともあったから,相方も諏訪内さんの顔と名前は知っていたようなんですよ。

● で,以来,相方は諏訪内さんのファン。ヴァイオリンはキーキーというから嫌いなの,でも諏訪内さんに限ってはその金属音が気にならないの(でも,本当は五嶋龍の音が好きなの),だと。
 えっ,通っぽいね。といって,ぼくが知っている相方は,音楽はまったく聴かない人なんだけどね。

2017.02.05 栃木県交響楽団 第102回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 今回は宇都宮市ではなく,那須野が原ハーモニーホールでの開催。
 開演は午後2時。チケット(前売券)は1,200円(全席自由)。指揮は三原明人さん。

● 早めに家を出たんだけど,会場の近くにあるラーメン屋で昼食を食べるのに,ちょっと時間をかけすぎてしまって,会場に着いたのは開演15分前。
 すでにかなりの数のお客さんで,空席を見つけるのに苦労した。前から3列目に座ることになった。オーケストラの演奏を聴くには,いくら何でも前過ぎるんだけど,致し方がない。致し方ないんだけど,こうまで前だと,ヴァイオリン奏者しか見えない。

● このあとも続々とお客さんがつめかけて,まったく空席はなくなった。それでもまだ来るので,スタッフがオルガンの下にパイプ椅子を並べた。それでも足りずに立ち見のお客さんが出た。
 どうしたんだろうか。座席の数以上にチケットを販売してしまったんだろうか。これだけ入っていると,演奏する側は気持ちいいんだろうけどね。

● 曲目は次のとおり。
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調
 早川正昭 ハープ協奏曲「月児高」
 サン=サーンス 交響曲第3番 ハ短調「オルガン付」
 交響曲が2つという重量級のプログラム。最近はこういうのが珍しくなくなった。だから驚くことはないんだけど,演奏する方は大変だろうなぁ。

● ドヴォルザークの8番を聴くのは久しぶり。栃響は「第九」以外で対向配置を採用することはあまりない印象があるんだけど,今回はその対向配置。
 しかし,配置がどうのこうのより,演奏においては活きの良さって大事だなと思う。活きを生むのは,集中と思い切りなんだろうけど,集中できる,思い切りよく踏みこめるためには,巧くなければいけない。
 技術がすべてではないけれども,ある程度の技術がないと,音楽に限らず,表現行為は成立しないものなのだろう。文章表現もまた同じ。

● 地方で音楽を聴くというときに,一番大切だなと思うのは,安定供給が確保されていることだったりする。群馬には群響が,山形には山響があって,地元で数多くの演奏会を開催しているのだろう。群馬や山形ではその条件が満たされている。
 基本的にぼくは栃響の演奏水準に不満はない。これだけ活きのいい演奏を聴かせてもらっている。それ以上望むことはあまりなかったりする。栃木県に住んでいて,栃響でダメなら仕方がないのだとも思っている。

● が,栃響はアマチュア・オーケストラであって,定演が2回,特別演奏会と年末の「第九」,一般向けの演奏会はこの4回のみ。他に有志の活動もあるようだから,アマオケとしてはかなりハードに活動している。
 ただ,群馬や山形の住人に比べると,栃木県人は栃響への依存度を高めたくても高められないというところはある(だから,年間に数十回の演奏会を催行できるプロのオーケストラが栃木にもあった方がいい,とはまったく思わないのだが)。

● 第3楽章は3拍子の舞曲。たぶん,ここが8番の中で最も知られているところだろう。ここが聴きたいから,この会場まで自分を運んできたのだという人もいるかもしれない。
 こうした部分を突破口にしてクラシックを聴く人が増えてくれればと思う。というのも,クラシックに馴染めるかどうかは10代で決まると言われるからだ。10代のうちにクラシック音楽を聴いて,何らかの痕跡を残してもらわないと,一生,クラシック音楽とは無縁に終わるだろう,という言い方。

● ほとんどの人は小学生のとき,学校の音楽室でクラシックのレコードを聴かされたはずだ。中学校でも然り。自分には居眠りタイムだったという人も多いはずで,だから自分にクラシックなんかとなったりするんだろう。
 無理に聴く必要はさらさらないんだけど,10代云々という話をあまり真に受けない方がいいのじゃないかと思う。例外もけっこういるはずだからだ。ぼくもそのひとりだ。

● 演奏のプロになるなら5歳から楽器を始めていなくてはならないとしても,聴く方はそうじゃない。聴くことにおけるプロというのがもしいるとしても,そのプロになり得る有資格者は5歳から楽器を始めた人たちに限られる。ぼくはそう思う。
 世上,音楽評論家というのはいるけれど,間違えるのが評論家の仕事だ。評論家の言うところを深追いするのは,あまり賢いとは思えない。

● クラシックの側に自分がすり寄るんじゃなくて,クラシックを自分に引きつけて聴けばいいんだと思う。大御所には大御所の聴き方があり,ぼくらにはぼくらの聴き方がある。聴き方に優劣を持ちこんでも仕方がない。
 自分に引きつけるキッカケになる音楽の断片が,映画やドラマやテレビCMの中にあるかもしれない。ドヴォルザークの8番第3楽章の出だしのところにあるかもしれない。それらのどれかをガチッとではなく,フワッと掴んでもらえるといいのかなぁと思ったりする。

● ハープ協奏曲「月児高」が流れ始めたとたん,あ,これは日本人が作ったものだとすぐにわかるな,と思った。のだが。
 プログラム冊子に作曲者自身による曲目解説がある。それによると,台湾のレコード会社から「中国琵琶の古曲(独奏曲)にオーケストラをつけて協奏曲風にしてほしいとの依頼を受けて書いたのが発端」とのこと。作曲者とすれば,ことさらに和を強調しようとは思っていないんでしょうね。
 ちなみに,「月児高」とは「高い所に小さな月がかかっている,という意味」だそうだ。

● ハープ独奏は早川りさこさん。作曲者の説くところによれば,独奏ハープが月を引き受けている。つまり,月の四方山話の独白をハープが行う。その独白の内容がどんなものかは,聴き手ひとり一人によって違うのだろう。
 この曲は聴き手にとっては難解な部類に属するとぼくは感じたが,それはこの曲目解説にあるとおりに聴こうとすればということかもしれない。聴き方は自由なはずだ。

● サン=サーンスの3番はこのホールならでは。電子オルガンで代替すれば,その限りではないけれども。オルガンはこのホールの専属を務めているジャン=フィリップ・メルカールトさん。
 オルガンは独奏で聴くよりもこういう形の方が身体に染みてくる(ように思う)。

● サン=サーンスは「モーツァルトに匹敵する神童」であったらしい。しかも,音楽に限らず,戯曲や詩,小説から天文学や考古学,哲学に至るまで,幅広い分野の著書があるんだそうだ。本当かね。
 反面,母と叔母に溺愛され,束縛され,その結果としてマザコンの権化でもあった。マザコンでも哲学はできるんだな。
 と,凡愚は天才を茶化したくなるんだけど,サン=サーンスってこの交響曲第3番だけで歴史にその名を刻まれる人でしょうね。

● 壮大な曲だと思う。ライヴで何度か聴いているんだけど,たぶん,ぼくはこの曲を聴ききれていないだろう。
 聴ききるためにはどうすればいいのか。CDを何度も聴くとかね。そういうことしかないんだろうな。急ぐことはない。ボチボチ行こう。
 ぼくに残された時間はそんなにないと思うんだけど,だからといって急いだってしょうがないやね。

● アンコールはエルガー「威風堂々」。「威風堂々」を聴くとき,ひとつだけ困ったことがある。「キーテキテ,アタシーンチー,キテキテ,アタシンチー」というコトバが,頭の中に浮かんでしまうことだ。
 今回の曲目はアンコールまで含めて,脈絡がない。どういうわけでこのような選曲になったのだろう。もっとも,脈絡が要るのかと問われれば,そんなものは必要ないね,というのが回答になるわけだけど。

2017年1月25日水曜日

2017.01.22 Nonette Pipers Ensemble 第32回定期演奏会

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● Nonette Pipers Ensembleは,地元で活動している木管アンサンブルの団体。ぼくがこの団体の演奏を聴くのは,これが3回目。29回30回を聴いている。
 つまり,昨年は聴いていない。たぶん,他の演奏会と日程が重なってしまったのだろう。

● 失礼なことを申しあげるようだけれど,今日,南図書館に行ったのは別に用事があったからだ。したらば。ホールの入口に人が集まっているので,何事ならんと思ったところ,この演奏会だったんでした。
 で,500円で当日券を買って入場。開演は午後2時。

● 失礼ついでにもうひとつ。この日はサントリーホールで京都大学交響楽団の東京公演もあったんですよ。曲目はマーラーの2番。これは聴いておきたいと思って,「チケットぴあ」でチケットを購入していたんだけど,日常におけるフットワークの悪さが災いして,コンビニにチケットを受取に行ったときには,すでに引換期間が過ぎていた。アッチャッチャッチャ。
 再度,「チケットぴあ」を見たときには,ソールドアウト。というような事情もあった。

● 曲目は次のとおり。
 カンビーニ 木管五重奏曲第3番 ヘ長調
 ドビュッシー 小組曲 ヘ長調
 シューベルト(スピラ編曲) 幻想曲 ヘ短調
 ラフ 十人の奏者のための小交響曲 ヘ長調

● ところで,このNonette Pipers Ensemble。メンバーは好きで長くやっていますという感じではない。
 若い頃に集中してそれだけをやっていた時期を持っている人が多いのじゃないか。つまり,音大を出ている人たちの集まりのように思える。あるいは,音大ではなくても学業はそっちのけで音楽に没頭していたとか。

● 木管の調べの特徴をごくザックリと大括りに言ってしまえば,柔らかさ。その心地よい柔らかさを満喫できる。
 柔らかさだけではない。木管の集合によって生まれるダイナミズムや,綾の重なりによる,木管の表現力の多様さも知ることができる。

● しかし,弦楽四重奏がそうであるように,木管アンサンブルも聴き手にかなりの鑑賞能力を要求するようだ。管弦楽を聴いている方が,聴き手としては楽だろう。
 正確にいうと,ヘボな聴き手は管弦楽の方が楽だろう。ぼくもかなりヘボなので,こういう演奏会とオーケストラの演奏会が同じ日にあったら,オーケストラの方に行ってしまいそうな気がする。

● ドビュッシー「小組曲」とシューベルト「幻想曲」の印象が強かった。どちらも何度か生で聴いていると思う。が,木管のみの演奏で聴くのは初めてだ(「幻想曲」にはピアノも入った)。
 プログラムノートの曲目解説には,「この曲は,シューベルトが音楽教師として貴族に雇われたとき,その娘に恋をし,「かなわぬ恋」の思いを曲に託したと言われています」とある。
 その貴族とは,ハンガリーのエステルハージ伯爵であり,娘とはカロリーネ嬢(当時18歳)。美人だったのだろう。実際,Wikipediaには「1828年の発表時にカロリーネに献呈している」とある。

● しかし,献呈しているからといって,彼女に恋をしていたのかどうかはわからない。そうだということになったのは,映画「未完成交響曲~シューベルトの恋」の影響だろう。映画に描かれているところを真実だと思ってしまった人たちが多かったゆえ(中川右介さんの受け売りなんですが)。
 けれど,「かなわぬ恋」を曲に託したと受けとめた方が腑に落ちるのであれば,そのように受けとめた方がいいんでしょうね。

2017年1月19日木曜日

2017.01.15 宇都宮クラリネットアンサンブル第9回演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● この団体の演奏会は,今回が3回目。第5回6回を聴いている。開演は午後7時15分。入場料は500円。当日券を購入。

● 曲目は次のとおり。宇都宮北高校吹奏楽部のOGがメインということもあってか,吹奏楽よりの曲目が多い印象。
 吉松隆 パラレル・バード・エチュード
 高橋宏樹 3つの魔法
 鈴木英史 ファスター・ラプソディー
 デュファイ 「オーディションのための6つの小品」より
 石川亮太 クラリネット・クイーンテット!
 ピアソラ デカリシモ
 森田一浩 熊本民謡の贈り物
 Japanese Pop Culture セレクション
 真島俊夫 ラ・セーヌ

● ステージが発散するオーラも吹奏楽的なもの。あんまり難しいこと言わなくてもいいんじゃん,楽しんじゃってよ,っていうような。
 はい,楽しませていただきましょ。

● 今回のプログラムで最も印象に残ったのは,ピアソラ「デカリシモ」。ピアソラの作品の中では明るいというか,軽い感じの曲。
 クラリネットはいろんな表情を出せる楽器なのだろうけど,軽快にステップを踏んでポンポンと上がっていくような曲をクラリネットで演奏してもらうのが,ぼくの好み。

● 回を重ねるごとに出演者が増えているとのこと。今回は20名。男性がいた。しかも,2人も。
 事実上の宇北校吹奏楽部OB・OGの楽団だとすると,OB・OGがどんどん増えていけば,ひとつの楽団に収まっていることが難しくなることもあるんだろうな。はるか先のことではあろうけれど。

● 何人かの団員が短いMCを務めたんだけど,MCってけっこう難しいものなんだね。髙梨佳子さんが上手だった。声質もMCに合っているんでしょうね。
 ほかはどうだったかというと,うぅむ。MCは難しい。

● アンコールに登場したのが,星野源の「恋」。これ,演奏だけで収まるはずはないよね。「恋ダンス」になるわけですよ。
 ぼくはドラマ「逃げ恥」は見てなかったんだけど,「恋ダンス」はさすがに知っている。YouTubeの動画を何度も見た。
 なんだけど,こういうのって賞味期限が極端に短い。今,これをやるのはどうなのか。かなり微妙なところではないか。あ,ここ,田舎なんだ,と思わせるところがなくもないような。

2017年1月17日火曜日

2017.01.09 那須野が原ハーモニーホール ニューイヤーコンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● このコンサートに出向くのは,これが4回目になる。正直,去年のを聴いて,もうこれで打ちどめにしようと思った。
 が,なぜか前売券を買っていた。なんでだろ。なんでだろって,その理由はわかっている。第2部の「カルメン」に惹かれたわけだ。それ以外に理由はない。

● 開演は午後2時半。チケットはS席が3,000円。A席が2,000円。S席チケットを買っていた。前から3列目。
 オーケストラが乗るわけではないから,かなり前でもいいかなと思ったんだけど,少ぉし前すぎたかもしれない。

● 第1部はオルガン+α。曲目は次のとおり。
 宮城道雄 春の海
 バッハ 古き年は過ぎ去り
 デュリュフレ スケルツォ
 フランク 英雄的小品
 フォーレ 夢のあとに
 山田耕筰 この道
 バーンスタイン 「ウエストサイドストーリー」より『トゥナイト』
 プッチーニ 「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』
 J.シュトラウスⅡ 美しき青きドナウ

● 最初の4つと最後の「美しき青きドナウ」はオルガンの独奏。奏者はジャン=フィリップ・メルカールト氏。このホールのオルガニストゆえ,もう何度も聴いている印象があるんだけど,実際に数えてみるとそうでもなかったりするかも。
 フォーレ「夢のあとに」は寺田功治さんのバリトンが加わる。というか,バリトンの伴奏をオルガンがする。
 山田耕筰「この道」には大貫裕子さんのソプラノ。「トゥナイト」と「誰も寝てはならぬ」には渡邉善行さんのトロンボーン。
 オルガンは単独で主役を張るより,伴奏に回った方が,持ち味を発揮する楽器ですか。そんな気がした。

● ところで,ぼくの隣にはおば様がいらっしゃったのだけど。そのおば様,途中からお休みになられたようで。気持ち良さそうに寝息を立てて。
 っていうか,寝息じゃないわ,イビキだわ。隣の席からイビキが聞こえてくるという。さすがにこれは初めての体験。

● コンサート会場で生演奏を聴きながら寝る,というのはかなり贅沢な体験になるのじゃないかと思う。生演奏を寝るために活用するというのは,コンサートの使い方としてはありなんじゃないかと思っている。
 奏者からすれば,ちょっとちょっとってことになるのかもしれないけど,そこはお金を払ってチケットを買っているんだから,他者の迷惑にならなければ,何をしようとかまわない。

● なんだけど,イビキは他者の迷惑になるようなのでした。起こすわけにもいかないし,困ったよ。
 結局,そのおば様,第2部は聴かずに帰っていかれたようなんだけど,なんでお出でになったのですかとお訊ねしたい。
 チケットを買った人が都合で行けなくなったので,代わりにあなた行ってきてよ,ってことになったのだろうか。それともご本人が行くつもりでチケットを買ったんだろうか。

● 万が一,後者だとすると,もったいないと思うなぁ。3,000円っていうのは,チケット代としてはけっこうな額になる。プロのオーケストラでも5,000円以上の値を付けるのは,わりと勇気がいるんじゃなかろうか。
 3,000円をこういうふうに使えるのは,太っ腹だ。しかも,第2部は捨ててしまったわけだから。

● さて,その第2部。歌劇「カルメン」のハイライトをコンサート形式で,ってことなんだけど,ステージにオーケストラがいるわけではない。ピアノが2台(御邊典一,御邊大介)と太鼓(岩下美香)があるだけだ。
 実際の印象はコンサート形式のオペラというよりは,著名な場面のアリアを集めたという感じ。アリア集といった趣だった。ハイライト演奏なんだから,当然そうなるんだろうけどね。

● だからダメというのではなくて,むしろ逆だ。かなり聴きごたえのある「カルメン」になった。第一の功績は,脇を演じた人たちにある。
 フラスキータの西口彰子さん,メルセデスの郷家暁子さん,ダンカイロの荒井雄貴さん,レメンダードの升島唯博さんの4人の功績。
 特に,西口さんと郷家さんの“華”は大したもので,聴衆の視線を最も集めていただろう。

● ミカエラの大貫裕子さんもチャーミング。実力も申し分ない。第3幕で,ホセに対する切ない気持ちを独白するするところなんか説得力,無類。
 劇中のミカエラは,田舎しか知らない17歳の娘。ホセの母に養われた孤児。ホセとは兄妹のように育った間柄で,ホセ母の覚えめでたく,ホセ母はホセとミカエラが結婚してくれることを望んでいる。
 それを受けて,はるばる故郷の村から,ホセに会うためにセビリアに出てくる。当時,田舎者が都会に出るには,それだけで相当な踏ん切りを要したはずだ。都会は危険の塊だったろうから。
 一途にホセを想う気持ち。ホセを連れ帰るためなら何でも差しだすという気迫。つまり,ミカエラは可憐なだけではない。覚悟を決めている強い乙女だ(女に覚悟を決められたら,男は太刀打ちできないはずなのだが)。
 リアルの世界にミカエラのような女性がいるはずはない。男性作家の空想の産物なんだけど,それを歌と演技と佇まい(それから衣装も大事でしょ,ここは)で表現しなければならない。
 大貫さんが歌ってみせたアリアは,そのひとつの回答。

● カルメンを演じたのは鳥木弥生さん。歌とか演技とか,オペラの本体をなすところについて,ぼくが申しあげるのは僭越というものだ。っていうか,不満は何もない。
 したがって枝葉末節を突っつく話になるんだけど,鳥木さんの顔って,良家の子女という感じ。幼稚園とか小学校の先生にいそうな。
 ということはつまり,カルメンに見えない。そこを衣装や髪型や化粧でカバーすることは充分にできるんだろうけど,ステージ上の鳥木さんはお嬢さん育ちで何不自由なく暮らしてきたよっていうイメージの女性なんだよね。
 何者にも頼らず(頼れず),自分の才覚と価値観だけで生きていくしかない,半ばストリート・チルドレン(チャイルドではないわけだが)のようなカルメンの野性味,凄味といったものを,こちらとしては想像力で付加していくしかない。

● エスカミーリョは闘牛士であり,花から花へと渡っていくドンファン的なところもある役柄だ。日本人でそれを演じきれる人なんて,そうそういない。日本に闘牛士なんてプロフェッションはないんだし。
 寺田功治さんも,熱演は充分に伝わってきたんだけど,闘牛士に見えない。
 オペラの見方はそういうものじゃないんでしょ。歌で役を支えることができていれば,それ以外のことは聴衆が想像力で補ってくれよ,ってことなんでしょ。
 だから想像力を掻きたてようとするんだけれども,けっこう難しい作業なんだな,これが。小さい頃からテレビで育ってしまっているから,画は与えられるものと脳が思いこんでいるのかもしれないんだ。

● ドン・ホセの役柄は,逆に一般的というかどこにでもいそうな,ちょっと困った男だ。ミカエラがいるのに,カルメンしか見えないという。
 とっくに自分に冷めてしまっているカルメンを,そうと知りながら殺してしまう熱情は,日本の風土には馴染まないかもしれないと思っていた。
 けれど,最近もこの種の殺人事件があったなぁ。こういうのって,洋の東西や時の古今を問わないんだなぁ。
 高田正人さんは丁寧にホセの内面を表現していて,危なげがない。実力のある人なのだろうな,と。