2018年5月21日月曜日

2018.05.12 埼玉大学管弦楽団 第93回定期演奏会

埼玉会館 大ホール

● 埼玉大学管弦楽団の定演を初めて拝聴。
 じつは埼玉大学は相方の母校なんですよ。宇都宮の実家から新幹線通学をしたらしい。本人の話によれば,授業をさぼって新宿に繰りだして遊んでたってことなんですが。彼女は嘘をつくような人じゃないので,実際にそのとおりだったんだろうと思ってるんですけどね。
 さらに申せば,彼女,小さい頃にピアノを習っていて,高校ではクラリネットを吹いていたというんだけど,現在は音楽とは無縁な生活をしている。ピアノやクラリネットに恨みでもあるんだろうか。

● 開演は午後2時。チケットは500円。もちろん,当日券を購入。
 ちょっと,宇都宮でのんびりしすぎてしまった。着席したのは開演2分前。もちろん,はなはだよろしからず。間に合えばいいというものではない。

● 曲目は次のとおり。
 ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
 シベリウス カレリア組曲
 シューマン 交響曲第1番 変ロ長調「春」
 しごく真っ当なプログラムなのだが,最近は重量級のプログラムが当たり前になっている。これを軽いと感じてしまう。困ったものだ。

● カレリア組曲は5日に学芸大学管弦楽団の演奏で聴いたばかり。どの演奏で聴いてもいいものはいい。
 元々は劇音楽として作曲されたものらしい。それをあとから取捨選択して3曲からなる組曲とした。それをしたのはシベリウス自身だとしても,そこに編集という過程が入ったわけだ。
 それぞれの曲に相互に関連があるとは思われないけれども,それゆえに編集の妙を発揮しやすいというか,発揮された結果をぼくらは楽しむことができる。

● シューマンの「春」は熱演。シューマンの曲はどことなく落ち着きがない。どこに行ってしまうのかわからない。しっかり手綱を握っていなければいけないけれど,握りすぎても興ざめる。
 この曲を指揮するのはなかなか難しい作業になるだろうと想像するが,奏者にとっても同様だろう。どう演奏すればいいのか決めかねるところが,多々あるのではなかろうか。演奏という具体に翻訳するのが難しい作品であるだろう。
 ぼくらはできあがったものを聴いて,ああでもないこうでもないと勝手なことを言う。しかし,シューマンに関しては決定版というものは想定しにくいように思う。

● ステージはかなり暑かったようだ。奏者は汗だくになってた(だから熱演だったというわけではない)。男子はジャケットを着用している。たまらなかったろうな。
 アンコールの「雷鳴と雷光」「田園ポルカ」も佳品。

● この楽団は他大学からの参加を拒んでいない。インカレ的な団体のようだ。実際,他大学から参加している人もいるようだ。
 それができるのは首都圏という地の利があるからだけれども,団員が思うように集まらないという苦しい事情もあるようだ。どこの大学オケでも同じだろうが,初心者で入団してくる場合もあるらしい。

● それでもこういう演奏ができるようになるのだから,若い人の可塑性は素晴らしいと言いたくなるのだが,どうもそれだけではない。
 大学オケという場の持つ力も大いにあるのだろう。トレーナー陣も充実している。これだけの陣容を整えることができる市民オケはおそらく存在しない。大学なればこそ。

● “裏プログラム”というのは初めて見た。学生サンの遊び心がつまっているが,可能ならば表と合体させた方が良くなると思った。遊び心はそれだけの集合体にするよりも,建前とか真面目の間に散らした方がかえって光るものだろうから。
 コストの関係で難しいのかもしれないが。っていうか,これだけ遊んじゃってると,散らかす余地もないかな。

2018年5月17日木曜日

2018.05.06 東京ヒロムジカ・シンフォニー・オーケスター 第3回演奏会

紀尾井ホール

● 四谷駅から“ソフィア通り”を歩いて紀尾井ホール。新宿区から千代田区までの旅。上智大学でなんか催事があったらしく,ソフィア通りは外国人でごった返していた。

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。当日券を購入。曲目はブラームスの3番と4番。指揮は村山弘さん。
 この楽団は「私たちの恩師,村山弘(ひろむ)先生が80歳をお迎えになる記念として,平成26年に結成され」たとある。村山さんの教え子たちが集まった楽団であるらしい。

● プログラム冊子の団員名簿には居住地が添えられている。東京都をはじめ首都圏の在住者が多いのだが,青森県がそれに次いで多い。
 村山さんは弘前大学で教鞭をとっていた時期があり,併せて弘前の市民楽団の指揮もしていた。そのときの教え子たちが長寿を寿ぐために集まったわけか。
 そりゃ,教師冥利に尽きるでしょうねぇ。嬉しいよなぁ。

● その村山さん,そういうわけで御年80歳を超えるわけだが,指揮者には若々しい人が多い。どういう理由によるものか?
 ひとつには,若い人たちといる時間が長いことだよね。彼ら彼女らの若さを吸い取っているはずだ。
 一般に学校の先生には実年齢より若く見える人が多いような気がする。同じ理由によると思う。

● もうひとつの理由として考えられるのは,指揮者を含めて演奏家は,陽性で反射神経に優れた人が多いことだ。数のうちにはそうじゃない人もいるんだろうけど,一般論としていうと陽性の人が多い印象がある。
 さらに,自分の居場所はここしかないと信じて疑わない人たちの集団であることだ。演奏以外の些事には拘泥しないんじゃなかろうか。以上が,若さを保てる所以だ。

● が,圧倒的な理由は1番目のものではないか。若い人たちに混じっていることはかなり大事なことだとぼくなんぞも思っている。
 若く見える見えないはいずれにしても,凝り固まらないでいるためには,若い人たちとの接触を断ってはいけない。というより,ありていに申せば,そこが生命線になる。
 が,普通人にとって,その環境を得ることは難しい。会社を定年になってしまえばなおさらだ。しかし,努めてそうあるよう心がけなければならない。SNSでもいいから,若い人たちとの接点は保っておくべきだ。

● そのためには,若い人たちに受け入れてもらえることが必要だ。これまた一般論としていえば,若者は年寄りが嫌いである。自分が若かった頃を思いだしてみればいい。年寄りと話していて,何が面白かったか。
 若い人たちが年寄りを受け入れるのは例外だ。その例外は何に起因するかをよく考えて,自分も例外たりうるべく努力しないとね。

● 例外を構成するものは3つあって,ひとつは圧倒的な実績。しかし,これはぼくや貴方には関係のないものだ。2番めは,世間や社会への直接的な介入や指図を控えること。3番目は,可愛らしい年寄りになることだ。
 “可愛らしい”をどうやって獲得するか。若さを畏れることは絶対に必要だ。将来は自分を遥かに凌駕する高いところに達するかもしれないのだと畏れること。現在の経験値を踏まえないこと。

● 演奏のレベルはかなり高い。気合いがこもった演奏で,吸引力は充分。短期集中でしあげたようなんだけど,それでここまで持ってこれるとは,個々の奏者の地力は相当なものと見受けられる。
 3番第4楽章は小宇宙の爆発が連続する。爆発の小気味よさを堪能した。
 4番にはトライアングルが登場する。そのトライアングルが耳に残った。これ,誰が叩いても似たようなもん,ではまったくないよねぇ。

2018年5月8日火曜日

2018.05.05 東京学芸大学管弦楽団 第45回春季演奏会

府中の森芸術劇場 どりーむホール

● 府中の森芸術劇場でもうひとつの演奏会があるのを知った。しかも,ディヴェルティーレ・チェンバー・オーケストラが終わってからまもなくの開演。
 せっかくだから聴いていこうと思う。

● その演奏会が東京学芸大学管弦楽団の春季定演。開演は午後5時。入場無料。曲目は次のとおり。指揮は広井隆さん。
 シベリウス 交響詩「フィンランディア」
 シベリウス 「カレリア」組曲
 フランク 交響曲 ニ短調

● たまたま現地で知った演奏会なんだけど,これは聴いて正解だった。学生オケに特有の,混じり気のないひたむきさ(のようなもの)が溢れている。
 彼ら彼女らは,子供時代を振り返りながら,自分は充分に年を取って汚れてしまったと思っているのかなぁ。小さな晩年気分を味わうお年頃かもしれないのでね。

● しかし。凜として曲に対峙している感があって,とても羨ましく思えた。論文だの就職だの採用試験だの,彼氏や彼女とのこれからのことだの,あれやこれや,悩みや気がかりも抱えているんだろうけれども,いったんはそれらを脇に置いて曲に向かうという感じがねぇ。中にはそんなものは歯牙にもかけない学生もいるかもしれないけれど。
 指揮者もこういう学生たちを指導できるのは,それ自体が楽しいことだろう。

● 「フィンランディア」で,まずは金管の粒が揃っているのに驚いた。これはもう「フィンランディア」の第1音で。行進曲ではないけれども,金管の比重が高い。金管がここまでしっかりしていれば,「フィンランディア」は黙っていても成功する。
 「カレリア」の短い第2曲で木管の上手さがしみじみとわかった。弦は言うにや及ぶ。フランク交響曲でヴィオラのトップとセカンドに瞠目。あと,ティンパニ。
 要するに,高い水準でバランスの取れたオーケストラだ。大学から楽器を始めた人もいるっぽいのだが。すでにできあがった“”が持つ養成力とでもいうべきものがあるのだろうか。

● わりと空席が目立ったんだけど,黄金週間中は学生さんは海外に遊びに行っているんだろうか。今どきの若者はあまり海外を目指さないと聞いているんだが。あるいは田舎に帰っているのか,バイトが忙しいのか。観客が学生や大学の関係者である必要はないんだけれども,この入り具合はちょっともったいない感じがする。
 学芸大学にとって,ここはホームではない?
 
● こういう演奏を聴けると嬉しくなる。栃木から彼らを追っかけるってわけにはなかなかいかないけれども,記憶にとどめておくべき楽団だ。

2018.05.05 ディヴェルティーレ・チェンバー・オーケストラ 第15回演奏会

府中の森芸術劇場 ウィーンホール

● 黄金週間の後半。東京のホテルで過ごすことにした。基本的にホテルから出ることはない。何もしないでボーッとしている。が,せっかく東京にいるんだからというわけで,新宿から京王線を乗り継いで,府中の森芸術劇場にやってきた。
 開演は午後2時半。チケットは1,000円。当日券を購入。モーツァルトの40番とシューベルトの5番。指揮は西田史朗さん。

● 府中の森に来るのは,今回が二度目。立派な施設で畏れいる。ウィーンホールはその辺の多目的ホールでいうと小ホールになるだろうか。その辺の多目的ホールと違うのは,正面にパイプオルガンが鎮座ましましていることと,響きが素晴らしいこと。
 ホールはこのくらいがいいのだと思わせる。こういうホールで聴くのが,つまり贅沢というものだろう。

● モーツァルトの数ある作品群の中で,マイ・フェイバリットに何を選ぶか。ぼくはクラリネット協奏曲と今回の40番だ。代わり映えしなくて申しわけないけれど,CDで聴くのもこの2曲が圧倒的に多い。
 でもって,モーツァルトは知名度に比して,演奏に接する機会が意外に少ない。中にはモーツァルトを集中的に取りあげているところもあるのかもしれない。が,田舎に住んでる人間にはその恩恵はない。

● シューベルトの5番を生で聴くのは,ひょっとすると,これが最初で最後かもしれない。この曲はシューベルト19歳の作品。「ハイドン,モーツァルト,ベートーヴェンの強い影響を受け」たと,プログラム冊子の曲目解説では紹介されているが,モーツァルトのあとに続けて聴くと,なるほどと思う。
 モーツァルトの影響というか,19歳のシューベルトにとっての時代の空気の影響というか,そのあたりは言葉の問題になるだろうか。

● この楽団は弦楽合奏のために結成されたらしい。今回は管も加わるわけだが。西田さんの本職はヴァイオリン奏者で,彼はこの合奏団のトレーナーでもある。
 和気藹々とした楽団のように見えた。客席にもお馴染みさんが多いのかもしれない。市民オケはそれで良いのかも。っていうか,市民オケの正統なのかも。
 按配が難しいかもしれない。過ぎると居酒屋になってしまう。常連客を相手に賑やかに盛りあがっているという。常連以外は参加しづらい雰囲気ができてしまう。
 が,居酒屋化現象があればあったで,それはそれでいいのではないかという気もする。
 といって,この楽団が居酒屋になっているというわけではない。念のため。

● アンコールはシューベルトの“ロザムンデ間奏曲”とモーツァルトのディヴェルティメント ニ長調K.136の第1楽章。K.136では西田さんもヴァイオリンを持って参戦。っていうか,弾き振り。

● ここでも乳児連れの母親がいた。この時期はしょうがないんですかねぇ。
 ちなみに申しあげると,こういうことをするのは高齢出産組に多いような気がするんだけど,どういう理由でそうなのかを考察するには,事例の収集がまったく足りない。

2018年4月30日月曜日

2018.04.30 シンフォニア・ズブロッカ 第14回演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 黄金週間に突入。実際のところ,黄金週間に暦のとおりに休める人と休めない人とではどちらが多いのか。後者ではないかと思うんだけど,ともかく黄金週間に突入だ。
 ぼくは暦のとおりに休める派。で,黄金週間は前半が高揚する。後半になると,休み明けのことがチラつくようになるからね。その前半の終わりにこの演奏会。

● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。指揮は藤本宏行さん。
 メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」
 ヒンデミット 交響曲「画家マティス」
 ムソグルスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」

● この楽団も名声はかねてから聞いていた。アマオケの中でも相当に著名な楽団であるらしい。実力のほどは開始前のチューニングでわかる。
 しかし,ダメだった。演奏ではなくて客席が。幼児というより乳児を連れてきていた夫婦が,確認できただけで2組。こういうのがいると気になって,注意がステージに集中しない。困ったものだ。

● 乳児をオーケストラの生演奏の音圧にさらすのは,わが子を拷問にかけるも同然だと思うんだが,どうしてここまでのバカが出てしまうのか。どちらも途中で退席したけれども,ぼくの見るところでは,この2組のために,この演奏会は5割方破壊された。
 この時期はどうしても出てしまうかねぇ。気にしなければいいのかとも思うんだけど,乳児の泣き声っていうのはねぇ,気にしたくなくても気になるもので。

● この時期はどこに行っても混んでいる。どこに行っても乳幼児の泣き声は聞こえてくる。コンサートホールも例外であることは許されない?
 対策として考えられるのは,チケット料金を2倍にすることと招待状の送付をやめることだ。集客にはマイナスに作用するだろうが,オーケストラの演奏会は,客席側だけに限っても複雑かつ危ういバランスの上に立っているもので,バカが一人でもいるとそのバランスが覆ってしまうのだ。

● とはいっても,それは楽団側に委ねる話だ。楽団には楽団の事情や考え方がある。
 とすると,自衛策はひとつ。行かないことだ。この時期のコンサートには行かない。少なくとも,日中に開催されるものは避ける。かなり真剣に検討すべきかもなぁ。
 今回の黄金週間では5月4日と5日にも予定している。これは予定どおり行くことにして,来年以降の検討課題(?)だねぇ。

● というわけなので,演奏の印象も非常に散漫になった。
 今回のプログラムは,絵画的なるものを揃えたということだろうか。が,作曲家が曲を作りあげる動機になったのは絵画的なるものだったとしても,その作品が絵画的かどうかは別の話。
 「フィンガルの洞窟」を聴いて,その光景を眼前に彷彿とさせられる人はおそらくいないだろう。音楽として受け入れる以上のことはなかなかできない。ベートーヴェンの「田園」のような例外はあるんだけど。

● 演奏は事前に耳にしていた評判どおりのもの。「展覧会の絵」の最後の盛りあがりは鳥肌もの。気を抜いてしまったか,ポカも見せてくれたけれど,愛嬌の範囲内。
 次は泣き声の聞こえてこない普通の環境で聴いてみたい。今回は聴いたうちに入らない。

2018.04.29 矢板東高等学校合唱部・吹奏楽部 第15回プロムナードコンサート

矢板市文化会館 大ホール

● 4年連続4回目の拝聴。開演は午後1時半(ただし,プレ演奏あり)。入場無料。

● 構成は例年のとおり。第1部が合唱。第2部が吹奏楽。第3部が両部合同演奏のミュージカル(厳密にいうと,ミュージカルというのはあたらないかも。つまりダンスがない)。
 合唱部と吹奏楽部の合同演奏会となると,この構成は変えようがないのだろう。

● 印象に残ったものをあげていくと,第1部では「友情ソングメドレー」。理由は単純でMCが入るからだ。このストーリーや台詞は誰が考えるんだろうと,毎回思う。どこかにあるのをパクっているのか。それはないだろうからなぁ。
 今回のは一人の男子生徒に二人の女子生徒が鞘当てを演じるというもの。最後のオチ(彼は極度のマザコンだった)が決まった。今どきの男子はこんなものだという共通認識があるんだろうか。笑いのネタにできてる間は大丈夫だろうけどね。
 これを演じた3人(いずれも女子生徒)がなかなか以上に上手かった。ここまでやれれば充分だ。高校生くらいだと,どうしたって女子の方が上手いのかねぇ。テレを消せる。こういうものの大敵はテレだもんね。

● 最後の「花は咲く」はOB・OGも加わっての混声合唱。3月に同じ会場で開催された「百花繚乱春爛漫コンサート」では大田原高校の男声合唱でこれを聴いた。
 東日本大震災というバックにあるものが大きすぎる。妙な言い方になってしまうんだけど,この曲は東日本大震災を力の源泉にしている。だから,力が枯れない。

● 第2部の吹奏楽では附属中学校の「いつも風巡り合う空」(福島弘和)。これも毎回思うことなんだけど,中学生がここまで完成度を高めて舞台にあげられることに驚く。
 彼らが高校生になったときにはどれだけ凄いことになっているんだろう,と思うんですよ。

● この高校の吹奏楽部の演奏水準はかなり高いというのは間違いなくて,そこは誰もが等しく認めるところだと思うんだけど,一方で,こんなものじゃないはずだという思いもあってね。
 つまり,中学生のときの演奏を聴いて,自分の中で想定した“凄いことになっている”はずの水準と,実際に聴いた演奏の水準が一致しない。潜在能力を十全に開発しきっていないように思えてしまう。
 直線的に伸びていけるはずがないことはわかっている。わかっているんだけど,ある種のもどかしさを感じる。

● 部活なんだから諸々の制約がある。第一,高校生の本分は部活ではない。
 勉強しろと言われる。本も読めと言われる。塾や予備校もあるかもしれない。友だちとお喋りしたいし,お茶もしたい。好きな異性がいて,気持ちの9割は彼(彼女)に向かっているかもしれない。家庭に気がかりなことがあるかもしれない。今の高校生は忙しすぎるのだ。
 そういうこともわかるんだけど,限界よりもかなり低いところでストッパーをかけてしまっていないか,と。潜在能力って,いつも汲みあげていないと枯れるよ。不完全燃焼感を残し続けると,そこが限界値になってしまうよ。
 酷にすぎる感想だろうか。

● と,申しあげたんだけども,「こうもり」セレクションは聴きごたえ充分。この演奏に対して,ここはこう直した方がいい,ここではブレスを入れるな,ここは走りすぎているから気持ち抑えろ,といった外野からのリアクションは皆無のはずだ。
 歌わせやすい楽器とそうじゃない楽器があるんだろうけども,各パートとも充分に歌えていたし,いわゆる縦の線も揃っていた。立派なものだ。

● 番外(?)の“ルパン三世”は絶品。ひょっとすると,このときだけストッパーが外れた部員がいたかもしれない。
 良い演奏をするためには「練習8割,本番2割」と言われたりするんだろうか。しないだろうな。今,ぼくが即興で思いついたものだから。
 本番2割が具体的にどういうものかというと,楽しんで演奏しますとかじゃなくて,観客を味方につけろってことなんですけど。“場”を捕まえる,と言ってもいい。
 演奏はステージと客席の合作だというのは,本当にそのとおりだ。もちろん,メインはステージで演奏する側が握っている。客席は基本的には従者にすぎない。その従者を捕まえることができると演奏が良くなる。
 では,どうすればそれができるのか。さぁ,皆さんもご一緒に,なんて声をかけるのはダメだ。SMAP時代の木村拓哉じゃないんだから。
 “ルパン三世”で見せた演奏をいつもすればいいのだ,たぶん。自分をノセることが“場”を掴まえることに通じるのだ,たぶん。

● 第3部のミュージカル。今回は「アナと雪の女王」。吹奏楽部はピットで合唱部は舞台。合唱部が美味しいところを取る。という言い方は良くないんだろうけどね。先生に叱られるね。
 昨年の「アラジン」ではジーニー役の男子生徒が圧倒的なオーラを放っていた。今回はそういうスーパースターは不在。総合力で手堅くまとめていくという戦略。
 セリフのテンポが良く,発音も明瞭。特にアナ役の女子生徒。

● こういう劇で一番美味しいのは男装の麗人,じゃなくて,宝塚の言葉でいえば男役だ。今回の場合だとクリストフとハンス。やりようでいくらでも美味しさを取れる。
 ハンスがじつは悪だったとカミングアウト(?)する場面では,思いっきり憎々しげにやれると良かったかなと思った。ここは抑制を効かせないで,オーバーアクションでいいような。

● 最後は全員でお約束(?)のバブリーダンス。言っとくぞ。これ,賞味期限は半分過ぎてっかんね。
 ただね,去年のジーニー役の男子生徒がバブリーダンスを踊ったらどんなだったか見てみたかった,とチラッと思ったよ。

● さて,と。この演奏会はコンクールではない。その対極にあるものだ。少し以上に場違いな感想を申しあげたかもしれない。が,推敲するのはやめて,このままアップしてしまうことにする。
 しょうもない高校時代を過ごしてしまった自分からすると(高校の3年間は捨てたも同然だと思っている。捨てるには貴重すぎる年代なのだが),このコンサートを開催できただけで,彼ら彼女らの高校生活は充実したものなのだなと思えて,眩しく映る。

2018年4月24日火曜日

2018.04.22 新交響楽団 第241回演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● アマチュア最高峰との名声はかねてから聞いていたけれども,この高名な楽団の実演に接するのは,今回が初めて。
 開演は午後2時。チケットはS,A,Bの3種。S席は3,000円だが,ぼくは安いB席を“ぴあ”で買っていた。こちらは1,500円。

● 曲目は次のとおり。指揮は寺岡清高さん。
 シュミット 歌劇「ノートルダム」より間奏曲と謝肉祭の音楽
 コルンゴルト 劇的序曲
 シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」

● いずれもあまり演奏されることのない曲だ。が,意図的にそうした曲を取りあげているわけではないらしい。
 シューベルトの8番はCDが手元にあるが,あとの2つはCDすら持っていない。こちらはその程度の聴き手であるのだ。

● 曲については,プログラム冊子の曲目解説に詳しい。ぼくが印象を語るより,それを読むのがいい。楽団のホームページに掲載されるようだ。
 CDも持っていないくらいだから,シュミットとコルンゴルトについては,生い立ちも経歴もまるで知らなかった。それが今回の曲目解説で多少の知見を得ることができた。0が1か2になったわけで,大いなる進歩(?)である。

● シュミットとマーラーの確執。たぶん,いくつもの誤解が度重なった結果でしょうね。航空機事故は通常では考えられないような偶然がいくつも重なった結果,発生するらしい。人と人との事故も同じなのではないかなぁ。
 たとえば,初対面でウマが合わないと感じてしまって,それが雪だるまのように大きくなるなんてのは,その典型のような気がする。

● 「劇的序曲」はコルンゴルトが14歳のときの作品。作曲家の場合,その多くは早熟の天才だけれども,コルンゴルトの場合は歌劇「死の都」にしても知る人ぞ知るの域にとどまっているように思える。
 父親の支配,ユダヤ系であるがゆえの時代の波(ナチスドイツの台頭)。思うに任せないのは,天才も凡人も同じだ。が,天才の場合は業績との対比が先鋭になるので,“思うに任せなさ”がよりクッキリと描きやすいのかもしれない。

● 「ザ・グレート」というタイトルはシューベルトが付けたものではない。「交響曲第6番ハ長調と区別するため,単に「大きい方」という程度の意味合いで後世名付けられた」のであるらしい。
 そう教えてもらうとスッキリする。「ザ・グレート」は良くも悪くも,いろんなことを想像させる(させてしまう)。このタイトルは頭から追いだしてから聴いた方がいいと思った。

● 演奏水準は評判どおりで,演奏している姿も絵になっている。オーケストラに関しては,演奏している姿の絵になる度合いと演奏水準は一致する(と,とりあえず考えている)。
 アマチュアがここまでの演奏をするのだとすると,国内に30余あるプロオケのいくつかはなくてもいいのじゃないか,と思えてくる。

● 団員名簿に職業が付記されている。比較的多いのは地方公務員(特に都庁),学校の教師,音大を含む学生(東大が多い印象)。
 他に,医師やコンサルタント,外資系の証券会社,エンジニアなどなど,彼ら彼女らの職業は多種多様。これだけのバラツキがある中で,年に4回の演奏会を開催している。その事実がにわかには信じがたい。

● 「大向うを唸らせる」という章句がある。“大向う”とは「芝居小屋の舞台から最も遠い客席」のことで,そこには「安価な席にたびたび通ってくる見巧者の客」がいる。その客を唸らせるという意味の言い方だ。
 こういうのって歌舞伎ばかりじゃなくて,クラシック音楽でも同じなんじゃないかと漠然と思っていた。が,ウィーン国立歌劇場のようなところではそうなのかもしれないけれども,日本のアマチュアオーケストラの演奏会ではそういうことはないようだ。

● B席にはロクなのがいない。自分を棚にあげて言うんだけどね。一人で来ている爺さんがいてね(いよいよ,自分を棚にあげて言うんだけどね),これが拍手をまったくしない。おまえにできることは拍手くらいだろう,できることはせめてやれよ,とどやしつけたくなったんだが。
 椅子に浅く寝そべるようにして,肘掛けに腕を乗せる。この肘掛けって肘を掛けるためのものじゃなく,隣席との仕切りだからね。ここに肘を乗せるのはルール違反なんだがなぁ。こういうのが一人でもいると,気を取られていけない。

● この楽団には“維持会”がある。たいていのところにあるものだけれども,ここは1口1万円。それで5回分のチケット引換券がもらえる。身を入れて聴きたいのであれば,維持会費を払った方がお得だ。いちいちチケットを買う手間も省ける。
 楽団にとってもまとまったお金が入るメリットはそれなりに大きいのだろう。加入しようか。